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 人気の無い静まった廊下にコツコツと足音が響き渡る。軽快な足音とは裏腹にどんよりと暗い表情の男が向かっているのは、団長室の隣にある副団長室だ。派遣された騎士団の副団長マーシャンは、ようやく休暇という名の自宅謹慎から解放されて五日ぶりに職場に復帰した。


 仕事でもプライベートでも外を歩き回るのが好きなマーシャンにとって、何もできずにただ自宅にこもるのは鞭打ち刑並みにつらい罰だった。シレッと出かけようかとも考えたが、万が一バレた時のディルターからのお咎めを想像しただけで足が外へ出る事を拒んでしまった。


 しかし最もマーシャンを追い詰めたのは、謹慎中に予想していた以上の惨状だった。見慣れた机の上に、見た事のない量の書類がどっさりと積んであるのだ。マーシャンは机の上を見ないようにして荷物を置き、ヨロヨロと団長室へ向かった。まずは、団長に挨拶をしなければならない。


 扉をノックして返事を待つ。もしかしたらまだ出勤していないかもしれないと思ったところで、中からくぐもった声の返事が聞こえてきた。


 「おはようございます。マーシャン・オグバース、本日より復帰致しました。」

 「あぁ…おはよう。そうか、今日からだったな…」

 「おかげさまで、とても有意義に過ごし…団長?どうなさいました?」


 マーシャンは言葉を切り、椅子の背にもたれる上司の顔をじっと見つめた。こうして面と向かって話す時、ディルターは机に肘をつくなり椅子の肘置きに腕を乗せるなりして身体を起こし、真っ直ぐ相手の目を見ているが、なぜか今は気怠げに身体を預けて目を伏せているのだ。

 つまりは、どこからどう見てもおかしい。


 「どうもしてない。」

 「いえ、明らかに顔色が悪いですよ。それで隠しているおつもりですか?」

 「何でもない。お前は仕事が溜まっているだろう。はやく自室に戻れ…何をする!」


 マーシャンは上司の言葉を右から左に流して机をグルッと回り、軽く一礼してから額に手を当てた。外から入ったばかりの冷たい手だからか、手に伝わってくる熱が異常に熱い。


 「うわっ、あっつ…なんですかこの熱!!」

 「うるさい、手をどけろ。」

 「いけません!こんなお身体で仕事なんて…いつからですか!?」

 「お前には関係な…」

 「あります!現にこのまま仕事をされたら、気になって仕事が手につきません!それに団長がこの状態で働いたら部下達は熱を出しても休めなくなるでしょう!」

 「…。」


 ディルターはマーシャンの手首を掴んで振り払い、深い溜息をつきながら片手で顔を覆った。自分ではそれ程熱くは感じないが、マーシャンの言う事も一理ある。というか、ハッキリと熱があることを伝えられてしまった事で、急に具合が悪くなってきた。


 「ご自宅まで送ります。」

 「一人で帰れ…うっ…」


 立ち上がった途端、立ちくらみがして椅子の上にドサリと倒れ込む。マーシャンは急いでディルターの腕を首に回し、ゆっくりと立ち上がった。


 「大丈夫ですか!?さぁ、行きますよ…フンッ!」

 「あぁ…すまな…」

 「ちょっ、団長!気を失わないで下さいね!?まだ誰も来てないんですから!」


 ディルターの身体は大きい。ディルターだけでも相当な重さがあるが、そこに武具やマントの重量も加算されていて、並みの大人二人分程の重さがマーシャンの肩にのしかかっている。せめて出勤ラッシュの時間であれば二、三人がかりで連れ出せるのだが、今はまだ早朝でマーシャンしかいない。マーシャンはディルターの意識が飛ばない事だけを祈りつつ、急いで自宅へと向かった。


*


 身支度を整え、昼前に家を出る。エリスは戸締りを確認して階段を下り、ぬかるみを避けながらマット・グラーシュまでの道を歩いた。


 ----あら?あれって…


 店の看板が見える場所に差し掛かった時、見覚えのある男に気付いて眉を上げた。その男は店の出入り口から少し離れた場所に立ち、キョロキョロと辺りを見回している。エリスは男が自分のいる方向の反対側を向いている時にそっと声をかけた。


 「オグバース様、こんにちは。」

 「あ、エリスさん!」


 エリスに声をかけられ、マーシャンはハッと顔を上げて勢いよく振り向いた。気のせいか、まだ昼だというのにすでに疲れ切った顔をしている。エリスは首を傾げ、押し寄せる男の圧に軽く仰け反った。


 「エリスさん!良かった!会えて良かったです!」

 「私に何かご用ですか?」

 「はい。実はエリスさんにお願いがあって参りました。」

 「お願い?」

 「実は今朝、団長が高熱で倒れられたのです。」

 「ベルナント様が!?」

 「はい。今は自宅で療養なさってますが、身の回りのお世話を頼める者がいなくて困っているんです。」

 「熱…もしかして、あの時の雨が原因じゃあ…。どうしましょう、それ、もしかしたら私のせいかもしれません。」

 「え?」


 エリスは実家に連れて帰ってもらった時のいきさつと、ディルターがその日の帰り道に雨に打たれていた事を話した。


 「私が迷惑をかけたりしたから…。あの、よろしければ私に看病させて頂けませんか?」

 「もちろんです!エリスさんからそう言って頂けて安心しました。さっそく今からでもよろしいですか?団長のご自宅までお送りします。」

 「はい。すぐに仕事を休むように言ってきますので、少しだけお待ち下さい。あと、必要なものを買っていきたいのですが。」

 「分かりました。支払いはこちらでしますので、諸々の細かいことはエリスさんにお任せします。」


 エリスは頷き、駆け足で店の中へ入った。今日と明日の二日間休みを取り、その分は違う日に回せば良い。店長のいる部屋に行き、手続きを済ませて外に出ると、マーシャンが満面の笑みで待ち構えていた。


 「お待たせしました。」

 「いえいえ、とんでもない。では参りましょう。」


*


 買い物をしながらフェルデラン館の方へ向かい、さらにそこから歩いて十分程の場所にある平家の前で立ち止まる。マーシャンは後ろを歩くエリスに振り返り、指をさした。


 「着きました。ここです。」 

 「ここがベルナント様の…」

 「はい。一人暮らし用なのでそれ程広くはないのですが、ずっと団長専用の家として使われてきましたので生活に必要なものは一式揃っています。」


 マーシャンはそう言いながら外套の中をゴソゴソと探り、腰帯に括りつけた紐を外してエリスに差し出した。


 「どうぞ。この家の合鍵はこれ一つしかありません。エリスさんにお渡ししますね。」

 「私がお預かりしてもよろしいのですか?」

 「はい。今この家を出入りするのはエリスさんだけですから。逆に無いと困るでしょう?」

 「はぁ…」


 『はい』と答えるのも違う気がして返事を濁す。エリスが受け取った合鍵に困惑している間に、マーシャンは荷物を扉の側に置いてサッと身を返した。


 「では私は職場に戻ります。日が暮れる前に迎えに来ますね。」

 「分かりました。」

 「団長の事、よろしくお願いします!」


 心配している割にはなぜか口調が明るい。エリスはすでに点になっている人影に溜息をつき、手の中の合鍵に視線を落とした。


 ----本当に良いのかしら…


 遠慮と責任でまだ胸の中がモヤモヤするが、今さらどうすることもできない。エリスは荷物を持ち、意を決して鍵を開けた。当然の事だが、カチャンと鳴る音に心臓がドクンと脈打つ。


 「ごめんくださぁーい…」


 扉を静かに開け、蚊の鳴くような声で挨拶をしてみる。マーシャンがあらかじめ窓のカーテンを開けていたのか、家の中は明るい。その事に安心して扉をゆっくり開けると、徐々に明るみに出る部屋の状況を目の当たりにして愕然とした。思わず絶句する程、全面が散らかってる。


 ----こ、これは…!


 キッチンもテーブルの上も汚れた食器だらけ。床には落としっぱなしの食べ物やゴミ、脱ぎ落とした衣類や布が散乱している。エリスはゴクリと唾を飲み込み、床に落ちている物を踏まないように気を付けながら歩みを進めた。念の為にチラと覗いた浴室はカビだらけだ。見るんじゃなかったと後悔しても遅かった。


 ----独身男性の部屋って見たこと無かったけど、こんな感じなの!?


 ざっと見た感じでも部屋は二部屋ある。キッチンと浴室、広めのリビング兼ダイニング。裏口の外には洗濯場と干し場、用を足す囲いがあった。一人暮らしをするには十分広い。それ程広くないと言ったマーシャンの言葉に感覚の違いを思い知らされた。


 「う…ん、はぁ、はぁ…」


 二つある部屋の片方から微かに声が聞こえてくる。エリスは荷物を持ったまま声のする方へ行き、少し開いている扉の隙間からそっと中を覗いてみた。


 ----あ、いた。えぇ…?


 ベッドの上にディルターの姿を発見する。しかしそれがぼやけて見えないぐらい部屋の中は大惨事だった。無言でそっと扉を閉める。


 ----…うん、よし。とりあえず掃除と食事だ!


 エリスの中で消えかけていた主婦魂が再燃する。エリスは荷物をリビングの片隅に置き、腕をまくって窓を開けて回った。

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