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宇宙人

作者: 八町

     1


 僕は実家に帰るため、自宅を朝早く出かけて電車を乗り継いだ。そして、この駅で汽車を待っていた。電車じゃない、汽車だ。実家まではあと二時間程かかる。実家に帰るのは二年ぶりだ。子供の受験やら何やらで、なかなか実家に帰れなかったが、今回は特別だ。子供達はクラブ活動や補習で忙しく、そうなれば妻も、自宅を離れる訳にはいかず、僕一人で実家に帰ることにした。

 東京の大学を出て、そのまま東京の会社に就職した。大手とはいかないまでも中堅の食品メーカーで、いつも飲食店やスーパーを回っては自社商品のセールスを行っている。東京に出てきてかれこれ、二十五年近くなるだろうか。

山間部の田舎育ちのせいか、たまに山に出かけてみたくなる。子供が小さいときは、一緒に長野や群馬方面にキャンプに出かけて行ったが、最近では、家族それぞれ忙しくて、旅行はディズニーランドに日帰りで行く位になってしまった。

 妻とは、同じ会社で知り合った。妻も長野の山間部出身で、どうやら考え方が、僕とは似ているところがあったし、一緒にいるとホッする気がした。今は、近くのコンビニでパートをしている。マンションのローンもあるし、家で三食昼寝付きというわけにはいかない。まあ、良くも悪くもごくごく普通の家庭だと思う。

今回の帰省は、前々から行く予定だった。家族が行けないことは予想していたが、一人でも行くつもりだった。別に親が病気になった訳じゃない。まだ、元気で暮らしている。でも、今回はどうしても、帰りたかった。自分の故郷をもう一度目に焼き付けておきたかったからだ。


 裕太が言った。「ほら、あそこだ」

「いた!」勝也は大きな声を出した。

「シー。逃げるから、大きな声だすな」

 僕たちは、夏休みといえば、この沢によく三人で魚取りに来ていた。三人は仲良しで、春は、近くの山で冒険ゴッコ、夏は魚取りに、テレビでやっていたコンバットごっこをして遊んでいた。

コンバットは、いつも誰がサンダース軍曹をやるかじゃんけんで決めていた。一番負けたやつが、ドイツ兵の役だった。僕は、しょっちゅう負けていたので、よくドイツ兵の役をしていた。そのせいか、コンバットを見ると、何故かドイツ兵に親しみを覚えていた。 

秋は、落ち葉で、飛行機を作ったり、船を作ったりして、誰が、一番飛ぶかとか、誰の船が一番早いか競争をしていた。冬は、カマクラを作ったり、雪合戦をして遊んだ。よく、野球もやった。野球は三人では少ないので、上級生や下級生と一緒にした。

 ちなみに、同級生の男の子は全員で三人、つまり、今ここにいる、裕太と勝也、そして僕、浩介の三人だけだ。女の子は、幸恵ちゃんと、久美子ちゃんの二人だ。全員で五人しか同級生はいない。全校生合わせても三十六人しかいない、ちっちゃな小学校だ

僕たちは三年生だった。でも、人数が少ないので、一つ上の四年生と同じ教室で勉強をしていた。いわゆる複式学級というやつだ。担任の先生は三郎先生といって、まだ、先生になって三年しかたっていないそうだ。父ちゃんの話だと、若いうちは、最初にこういう田舎に行かされるみたいだと言っていた。

 確かに、ここは田舎だ。山にグルリと囲まれて、一番近くのデパートまで車で一時間半はかかる。いや、山に囲まれているのではなく、山の中で生活している感じだ。ご先祖様は、わずかな平地を見つけては田んぼや畑を作ったようだ。とっても苦労したことは容易に想像できる。でも、僕たちにとっては、ここが世界の中心だと思っていたし、この世界しか知らなかった。

一回家族と東京に行ったことがある。人が大勢いて、車はだくさん走っていて、驚いた思い出がある。その時、後楽園球場に行って、巨人阪神戦を見た。その試合で、阪神の田淵選手がホームランを打って大喜びした。

裕太も勝也も巨人ファンだったが、僕は阪神ファンだったので、帰ってきて自慢げに話をした。二人とも、でもその次の試合は、王選手がホームランを打って巨人が勝ったんだぞって、負け惜しみを言っていた。


「ほら、逃げちまったじゃないか」裕太は勝也に言った。

「ごめん、あまり大物だったから、でかい声出しちゃった」

「しょうがない、もっと上に行って、探してみるか」裕太は上流を見た。

「でも、そろそろ、絵を描かないと、宿題間に合わないよ」

「ああそうだ、今日は絵を描きにきたんだった」

もうすぐ夏休みも終わるので、今日は、本当は魚取りじゃなく、宿題の絵を描きにきていたのだ。

この場所は、学校から歩いて十分くらいの、道路から外れて、ごつごつした岩にか囲まれたところで、すぐそばに沢が流れていた。沢は、あと三百メートルも行けば、川にぶつかったが、川は流れが速いので、僕たちはいつもこの沢で遊んでいた。ここから遠くの山を見ると、結構いい景色で、子供ながらに感動する場所だった。

「浩介は、絵描き終わったのか」勝也が聞いた。

「もうすぐだよ。あと、空を塗れば終わり」

「いいなあ、俺なんか習字と、夏休みの友と、絵と、自由研究と、昆虫採集やらなくちゃいけないのに」

「ってことは勝也、お前、なにもやってないってことじゃないか」裕太が言った。

「じゃ、裕太、お前は終わったのか、宿題」僕は聞いた。

「あと、絵と、昆虫採集で終わり。えへへ、どうだ勝也」

「嘘、じゃ、俺だけ。魚取りしてる場合じゃないな。俺も絵描こう」

 そう言って勝也は、絵を描き始めた。裕太はもっと、上流に行きたかったようだが、勝也が絵を描き始めたのを見て、あきらめて絵を描き始めた。

 描き始めてすぐ、勝也が言った。

「終わった」

僕と裕太はうそだろうと思いながら勝也の絵を見た。それは、一番上は青、一番下は茶色、真ん中に緑が塗ってあるだけの、まるで、どこかの国の国旗みたいな絵だった。僕と裕太は笑ってしまった。

「勝也、それはひどいぞ、そんなの持ってたら、三郎先生に怒られるぞ」

「いいんだ、これで。どうせ、俺は頭悪いし」

 勝也は、確かに、頭は良くなかった。だが、鉄棒と跳び箱は得意だった。鉄棒をやらせたら、いつまでもクルクル回っていたし、跳び箱なんて、まるでオリンピックの選手のようだった。裕太は一番体も大きく、成績も良かったので、僕たち三人のリーダー的存在だった。

僕は、成績は普通で、まあ、そんなに特徴がある方ではなかった。ただ、足は一番速くて運動会ではいつも一等賞だった。しかし、同級生の男子は三人だったので、裕太も勝也も、二等賞と三等賞は貰えた。


 勝也は絵を描き終わって、ごろんと仰向けに寝転んだ。僕も、勝也と同じように「終わった」と言って仰向けに寝転んだ。

空は青く、雲はパンや自動車やくじらみたいな格好をして悠然としていた。風は沢の水に冷やされて、さわやかな涼風となって、ほおをなでていった。山の木々や草は青々と茂り、力強く、そしてむせかえるような緑の香りを発していた。そして、沢の水と、風に揺らされた葉っぱが心地よい音楽を奏でていた。それらが合わさって、ここは、まるでこの世の楽園のような雰囲気をかもし出していた。

裕太は「ちきしょう、いいなお前ら」と言いながら、一生懸命絵を描いていた。そのうち、裕太も絵を描き終わったらしく「終わった」と言ってあお向けに寝転んだ。

 うとうとしてきたと思ったら、裕太が大声を上げた。

「UFOだ!」

「どこどこ?」僕と勝也は飛び上がって空を見上げた。青白い光がカクカクと変な動きをしていた。

「あ・・・あれ、変だよ、あの動き、テレビでやってたUFOの動きと同じだ」僕は驚いた。

裕太も驚いているようだった。「やばいぞ、こっちに来るよ、逃げろ!」

僕たちは、一生懸命走った。しかし、その光はどんどんこちらに近づいてきた。

「もう、だめだ」そう思ったとき、UFOはひときわ明るい光を放った。そして、大きな音とともに、僕たちの近くに落ちたような気がした。


 はっと気が付くと、僕たちは、さっき寝ていたところに三人並んで寝ていた。今のは夢だったのか。僕たちは、随分走って逃げたような気がするけど。僕は裕太と勝也を起こした。裕太と勝也もハッとして起きた。

「裕太、お前UFO見なかったか」僕は聞いた。

「見た、俺、もう死んだかと思った。勝也お前も見ただろう」

「俺も見た。あれはUFOだった」

 僕たちは、怖くなってしばらく動けなかった。

「どうする、その辺に宇宙人がいたら、俺たち、食べられるかも知れないぞ」勝也は本当に怖がっているようだった。僕たちの想像している宇宙人は、いわゆるタコの親分みたいなもので、よく、漫画に出てくるやつだ。そんな宇宙人を想像したら、食べられると思っても不思議じゃない。

 しばらくして裕太が言った。

「あれだけ、勢いよく落ちたんだから、きっと、宇宙人も死んでるよ。そうだ、落ちたところを調べに行こう」

「俺は、やだよ、だって怖いもん」勝也は怖がっていた。

「じゃ、浩介、お前と俺で見てこよう。勝也はここで待ってろ」

「いや、みんな行くなら俺も行く」

 結局三人で、UFOが落ちたと思われるところに恐る恐る行ってみた。ソーっとススキの影から顔を出して見てみたが、UFOが落ちた形跡はなかった。

「おい、なんにも、ないじゃないか。やっぱり夢だったのか」裕太が言った。

「なんにもないよ。・・・あれ、これは何だろう」勝也は腕時計のようなものを見つけたようだ。それは、見たこともないような時計だった。これはきっと宇宙人が落としたものだと思った。

「こんな時計見たことないぞ。見てみろよ、数字が浮き出てるみたいだ。宇宙人が落としたものに違いないぞ」裕太が言った。

「だけど、UFOはどこにいったんだろう。どこにもいないよ」僕は辺りを見回した。

「きっと、修理して、また飛んでったんだよ」勝也はほっとしているようだ。

「そうだ、きっとそうだ」裕太も同調した。

その時、近くで足音がした。僕たちは心臓が止まる思いだった。その足音は、ずんずんこっちに近づいてきた。やばい、逃げなきゃ、そう思っても体が動かなかった。他の二人も、同じように固まっていた。

「そこでなにしてんだ」それは聞いた声だった。近くに住んでる「きのこ爺さん」だった。

きのこ爺さんは、いつもきのこの話をして、秋になると、背中に背負った籠に、きのこを一杯入れていたので、僕たちはそう呼んでいた。でも、きのこ爺さんにはいつも怒られていたし、仕掛けた罠にかかった、うさぎやタヌキを食べていると聞いていたので、僕たちはきのこ爺さんのことは嫌いだった。

「そこでなにしてんだ」

「ちょっと探し物をしてたんだよ」僕は答えた。

「さっき、この辺にUF・・・じゃなくて、なにか落ちなかった?大きな音がしたとか」裕太が聞いた。

「大きな音なんかしなかったぞ。お前ら悪さばかりしてるから、山の神様が怒って、キツネを使って脅かしたんじゃないか。ははは」と言って、きのこ爺さんは行ってしまった。

 それを聞いて僕たちは、顔を見合わせた。

「おかしいぞ、やっぱりあれは夢だったんじゃないか」勝也が言った。

「そんなはずはないよ、この時計見てみろよ。こんな時計は見たことがないぞ。これは、宇宙人が落としていったものに違いない」裕太は否定した。

勝也は、また、びくびくして「もしかしたら、宇宙人がこの時計探しに来るかもしれないぞ。この時計、俺いらない、裕太にあげる」裕太に時計を差し出した。

「俺も、いらない、浩介お前持ってろ」

「やだよ・・・そうだ、これは、宇宙人が探しにきたとき、すぐ分かるように、どこか見つけやすいところに置いておこう」

「名案だ、そうしよう」裕太は、勝也から時計を受け取って、辺りを見回した。

「あそこに置こう」ちょうど大きな岩にぽっかりと穴が空いているのを裕太は指差した。あそこなら、雨が当たっても濡れないだろう。

 それから、僕たちは、時計を岩に置くと、急いで、絵を取りに戻り、そそくさと家へ帰った。その時、僕たちは、これは三人の秘密だぞ、絶対だれにも言うなよといって指切りをした。


帰り道、ヒグラシが「カナカナカナカナ・・・」と鳴いていた。この季節は、ヒグラシの鳴き声が家に帰る時間を教えてくれた。まもなく太陽は向かい側の山に隠れて見えなくなるだろう。

夜になれば、この辺は街灯もなく真っ暗闇になる。そうすると、フワー、フワーっと小さい光があっちこっちに光始める。この辺はホタルが見れるのだ。それは、光のダンスとも言えるもので、幻想的で神秘的なダンスだ。しかし、それを見ていると、いつの間にか蚊にさされて、いやな思いもしなければならないのは唯一残念だった。

裕太と勝也と別れて、一人で歩いていた。宇宙人がきたらやだなと思いながら歩いていると、後ろから、耕運機の音が聞こえてきた。それは、こっちに向かってきていた。後ろを振り向いた。

「じいちゃんだ」僕は、じいちゃんに駆け寄った。そして、耕運機に乗った。よかった、これで家まで無事に帰れる。じいちゃんは、田んぼで仕事をした帰りだった。

僕はじいちゃん子だ。父ちゃんも母ちゃんも仕事に行ってたので、いつも、学校からかえるとじいちゃんしかいなかった。ばあちゃんもいたが、ばあちゃんは、体が悪くてずっと寝たきりだった。じいちゃんも僕を可愛がってくれたので、僕はじいちゃんが大好きだった。

じいちゃんは、終戦を中国で迎えたらしく、帰ってくるのに大変だったといつも言っていた。

僕は「日本は戦争に負けたの」と一回だけ聞いたことがある。

じいちゃんは、ちょっと厳しい顔になって

「あの戦争は、負けてよかったんだ。ただな、隣の同級生も、その隣の同級生も、みんな戦争で死んじゃったんだよ。そういう人達がいて、今の日本があるってことは忘れるなよ」と言った。そして、じいちゃんは仏壇の上のおにいちゃんの写真を指差して

「あの人はな、ばあちゃんのおにいちゃんなんだよ。でも、その戦争で死んでしまったんだ。アッツ島というところでな」

「そう、だから、じいちゃんは婿みたいなもんなんだよ」ばあちゃんが言った。

 そういえば勝也の父ちゃんも婿って言っていた。遊びに行くと

「婿は気苦労が多くて、髪の毛がなくなるんだ」と言っていったのを思い出した。じいちゃんを見て納得した。

 仏壇の上のそのおにいちゃんの写真は、夜とっても怖かったが、自分の家族だと分かって、その話を聞いてからは怖くなくなった。

 耕運機の荷台には犬の三太夫がいた。僕が生まれたときから飼っている柴犬だ。犬を利口とおバカに分けるとすれば、ちょっとおバカな方だ。ただ、タヌキが家の前の畑の野菜を食べにきたときは「ワンワン」吠えた。そのときと、じいちゃんの猟のときは役に立っているようだ。じいちゃんの言うことは聞くが、僕は、自分より下だと思っているのか、まったく、言うことは聞かない。

「なんだ、今頃まで遊んでたのか」

「宿題をしていたんだ。ほら、これ」

「ああ、絵を描いてたのか。ここは、いつも、魚を取ってくるところだな。どうだ、今日は取れたか」

「きょうは、取れなかったんだ」

「なんだ、浩介が取ってきた魚で、一杯やろうと思ったが、今日は無理か」


 家に着くと、父ちゃんも母ちゃんも帰ってきていた。父ちゃんは普段は優しいが、怒ると怖かった。母ちゃんはなんだかんだと口やかましかったが、やっぱり優しかった。

「浩介、宿題終わったのか?」父ちゃんはビールを飲んでいた。

「うん、あと、昆虫採集やれば終わり」

「どうだか、夏休みの友だって、ところどころ抜けてたし、もう一回よくみてごらん」母ちゃんは、あまり信用してないらしい。

 母ちゃんは、夕ご飯を作っていた。この匂いは!

「やった、今日はカレーだ」小さい頃はカレーがなによりのごちそうだった。僕が住んでいたところでは、店が近くになかったので、時々移動スーパーが物を売りに来ていた。移動スーパーは来ればすぐ分かった。大音量で都はるみの歌を流していたからだ。

そうすると、みんなぞろぞろ出てきて、あれやこれやを買っていた。当然カレーも肉もその時に買うのだ。野菜は、自分の家の周りで作ったものを食べていた。形は悪かったが、トマトなんて、砂糖が入っているかと思うくらい甘かった。

「いただきます」この当時は当然のように家族揃って食事をしていた。ばあちゃんも寝たきりだったが、食事のときはみんなと一緒に食べていた。

「うめー」久しぶりのカレーは、とても美味かった。父ちゃんとじいちゃんは、いつも、酒を飲んでから御飯を食べていた。僕は食べるのが遅かったので、いつもは、父ちゃんとじいちゃんが酒を飲んで、御飯を食べ終わると同時に食べ終わっていた。でも、カレーの時は違った。僕は、一番早く食べ終わった。しかもおかわりをして。

そうだ今日は土曜日だ

「ねえ、じいちゃん。チャンネル回していい?」

「ああ、いいよ」

チャンネルの主導権は、じいちゃんにあった。でも、僕がお願いすると、たいていチャンネルを回してくれた。その頃のテレビはチャンネルを変えるとき、まるいつまみを回すタイプだった。だから、チャンネルを変えるとは言わず、チャンネルを回すと言っていた。

 土曜日はなんといっても「八時だよ全員集合!」これしかなかった。学校でも、志村けんや加藤茶のものまねは大はやりだった。ものまねがうまいと、ちょっと偉くなったような気がしたもんだ。今は、いろんな番組が見れるけど、当時は民放が一局しか見れなかったので、「八時だよ全員集合!」はとっても楽しみだった。

じいちゃんや父ちゃんが、面白いと思っていたかは分からないが、まさに家族全員で全員集合だった。

 僕は、いつも九時には寝ていた。こんな田舎じゃ塾なんてない。都会の子供は、夜遅くまで塾に行っていると聞いて、可哀相だなと思ったもんだ。ただ、都会の子供が僕らの話を聞いたら、塾がなくて可哀相だと思っていたかもしれない。

おやすみと言って、僕は腹巻をして部屋に行った。夏でも、朝方は冷えるので腹巻をしないとお腹をこわしてしまうからだ。そして、蚊取り線香に火をつけた。この匂いは、夏になると思い出す匂いだ。 

寝ようと思ったら、今日のUFO事件を思い出した。もし、宇宙人が時計を探しにきて見つからなかったら、僕たちを捕まえにくるかも知れないぞ。考えただけで身震いした。けれど、毎日きちんと九時には寝ていたので、体がそういうつくりになっているのか、ふっと宇宙人のことが、頭から離れたとき、いつの間にか寝てしまったようだ。


 朝起きると、みんな、起きていた。父ちゃんもじいちゃんも

「ああ、腹減った」と言っていた。

「母ちゃんは?」

「母ちゃんは、ご飯を取りにいっている、もうすぐ帰ってくるぞ。おっ、帰ってきたようだな」父ちゃんは、舌なめずりをした。

 そこには、裕太と勝也が母ちゃんに縄で縛られて連れて来られている姿があった。

「母ちゃん、なにしてんだよ」

母ちゃんは父ちゃんと同じように舌なめずりをして

「お前たちが、時計を盗んだから、食べてやるのさ」と言って、僕の方に向かってきた。

「ウワー」僕は逃げようとしたとき。母ちゃんに頭を叩かれた。

「ほら、早く起きなさい、ラジオ体操におくれるよ」

ああ良かった、夢だった。

 ラジオ体操に行くと、裕太も勝也も来ていた。さっき見た夢のことを話したら、

「俺も昨日怖くて眠れなかった。勝也はどうだった」

「俺は、すぐ寝たよ。俺はちっちゃいから。最後に食べられると思ったんだ」

「いいなあ、お前は」裕太はあきれた顔をした。



     2


 夏休みが終わって、僕たちは学校にいた。

「勝也、お前、宿題全部終わったのか。俺は、全部おわったぞ」裕太は、勝也の持ってきた昆虫採集の箱を見ていた。

「おい、これ、まだ生きてるぞ。このとんぼ、まだピクピクしてる」

僕も箱の中を見た。

「本当だ、まだ、生きてる」

「それ、今日の朝取ってきたんだ。ようやく、全部宿題終わったよ」

 三郎先生が教室に入ってきた。三郎先生は、いつも冗談をいったりしていたが、全然面白くなかった。いつも一人で言って、一人で笑っていた。でも、三郎先生は、なんか一生懸命で、僕たちも、そして、四年生のみんなも全員大好きだった。

「じゃ、みんな、宿題はここに出して」

僕たちは、めいめい宿題を三郎先生の机の上に置いた。先生は勝也の描いた絵を見た。

「勝也、これはなんだ。ただ、色を塗っただけじゃないか」

「先生、それは一番上が空で、真ん中が山で、一番下が畑です」勝也に悪びれた様子はない。

「お前なー、こんな絵、赤ちゃんだって描けるぞ。まあ、いい、今日は新しい友達も来てるから、かんべんしてやる」

 僕たちはいっせいに声を上げた。

「えー、新しい友達。先生、何年生ですか」

「三年生だ。今、職員室にいる。それから、勝也、お前バツとして、浩介の隣に、机と椅子を出しとけ」そう言うと、三郎先生は教室を出て行った。

「おい、浩介、お前、男だと思うか、女だと思うか」裕太はわくわくしているようだ。

「どっちでもいいな。友達が増えるなんて、うれしいよなあ、勝也」

「そうだ、そうだ、友達が増えるのは、うれしいな」

そんな僕たちの様子を見ていた、幸恵ちゃんと久美子ちゃんは

「男の子だったよ、カッコよかったよ」と言った。

「そうか、男の子か、これで、また、ドイツ兵が増えるな」裕太は嬉しそうだった。

 しばらく、がやがやしていたが、三郎先生が、転校生を連れて教室に入ってきた。

「みんな静かに」

僕たちは、椅子に座って、転校生を見た。確かにここいらにはいない感じの男の子だった。いわゆる、洗練されているという感じだ。

「今度、東京の学校から転校してきた、鈴木修治君だ。修治君はお父さんのお仕事の関係で、こっちに引っ越してきたばかりで、この辺のことは分からないと思うので、みんな、よく面倒を見てやるように。特に、四年生。君たちは、お兄さん、お姉さんなんだから、ちゃんと、面倒を見るように」

「はーい」

「じゃ、修治君はそこの席に座って」修治くんの席は僕の隣に決まった。体は、僕くらいだったが、なんとういうかテレビに出てくる子役みたいな感じで「やっぱり、東京の子は違うな」と思った。

「浩介っていうんだ、よろしくな」

「俺、勝也」「俺、裕太」「私、幸恵」「私、久美子」みんな自己紹介した。

「僕、修治。いろいろ教えてね」修治君はちょっと緊張しているようだ。


 その日は、始業式で学校は早く終わった。

「修治君、一緒に帰ろ」僕たちは修治君を誘った。

「うん」

 修治君と僕たちは一緒に学校を出た。修治君は田舎にくるのは初めてらしく、田んぼや畑を見て、珍しそうにしていた。

「わー、すごい。とんぼがこんなに飛んでる」

「稲刈りの頃になると、赤とんぼがいっぱい飛ぶんだぞ」裕太は自慢げに言った。

「そうそう、とんぼだけじゃなくて、かぶと虫や、クワガタもいっぱいいるんだ」勝也も自慢げに言った。

「修治君は、どんなところに住んでたの?」僕は聞いてみた。

「団地だよ。同じような形をした家がいっぱいあるんだ」

「じゃ、蜂の巣がいっぱいあるようなもんだな」勝也もたまには分かりやすいことを言う。

僕たちは、修治君を野球に誘った。

「ごめん、まだ、引越したばかりで、部屋片付いていないんだ。今日は、部屋を片付けるようにママに言われてるんだ」

 修二君の家は、僕たちの中で、学校から一番近かった。その次が勝也、その次が裕太、そして僕が一番遠かった。修治君の家に行くと、ママが庭の掃除をしていた。髪はパーマをかけて、服装もこの辺の母親とは違っていた。やっぱりママという感じだった。

「あら、お友達?これからよろしくね。片付けが終わったら、遊びに来てね」

僕たちは、ペコリと頭を下げた。

「じゃ、修治君また明日」

修治君と別れて、三人で歩いていた。

「おい浩介、修治君はなかなかいいやつじゃないか」

「そうだな、東京の子だって聞いて、冷たいやつかと思ったのに、そんなことはなかったな。そう思うだろ勝也」

勝也は後ろでブルブル震えていた。

「どうしたんだ勝也」裕太は心配そうだった。

「お前ら、修治君のママの時計見たか」

「いや、全然」

「お前らバカだな。あの時計、宇宙人が落としてったものと同じだったぞ」

「うそだろ、じゃ、修治君のママはあのUFOに乗ってた宇宙人なのか。それじゃ、修治君も宇宙人じゃないか。じゃ、あの時UFOは修理してどこかへ行ったんじゃなくて、その辺にいるってことか」僕は驚いた。

「そうだ、あそこに置いた時計を確かめに行ってみよう。もし、あの時計がなくなっていれば、それは、修治君のママが宇宙人だってことだ」裕太が言った。

「そうだ、行ってみよう」僕も賛成した。

「俺はいやだよ。俺は帰る」そう言うと勝也は、そそくさと走って帰っていった。

「どうする」

「勇気を出して行ってみよう」裕太はもうあの場所に足が向いていた。僕も後をついていった。

 僕たちは、辺りをキョロキョロ見回しながらその場所に向かった。宇宙人に見られているんじゃないか心配だった。心臓がドキドキいって、顔が引きつっているのが自分でも分かった。

「たぶん、ここだ」岩の穴を見た。

「ないぞ、本当にないぞ」

僕たちはお互いの顔を見た。裕太は見たこともないような顔をしていた。裕太が学芸会の劇で、セリフを間違っときもこんな顔はしていなかった。おそらく裕太も、僕の今の顔を見たことはないだろう。

「じゃ、修治君のママは宇宙人なんだ。どうして、時計を見つけてすぐ帰らなかったんだろう。浩介、どう思う」

「たぶん、俺たちに盗まれたと思ったんだ。だから、俺たちに復讐するつもりで帰らなかったんじゃないか。やばいよ、どうしよう」

 二人はしばらく、その場で考えた。

「修治君のママのところに行って謝ってこようよ」裕太が言った。

「そうだ、謝るしかないな」

僕たちは、修治君の家へ向かった。

「浩介、もし、許してくれなかったらどうする」

「大事なもの上げるから、許してくれっていうしかないよ」

「なにあげれば許してくれるかな」

「田淵選手のホームランカードをあげるっていうよ」

「じゃ俺は、王選手のをあげよう」

 それをバカにしちゃいけない。それは二人にとって、とっても大切なものだったのだから。

「でも、修治君って、悪い宇宙人には見えなかったぞ。もしかしたら、いい宇宙人かもしれないよ」

「そうか、ウルトラマンも、宇宙人だもんな。そうだ、もしかしたら、俺たちにお礼を言いにきたのかもしれないぞ」裕太はちょっと安心したようだ。

 緊張して、修治君の家に行ったが誰もいなかった。僕たちはなんとなくホッとして、その日はそれぞれ家に帰った。

 夕ご飯の時、父ちゃんに聞いてみた。

「父ちゃん、今日転校生が来たよ。そんな話聞いてた」

「ああ、そういえば、誰だったかそんな話してたな。たしかお父さんは電力会社で働いているはずだ」

 僕の住んでいるところは、大きなダムがあって、水力発電所も多かった。

「そうか、やっぱり修治君は、宇宙人じゃなかったんだ。良かった」

その日は、安心してぐっすり眠れた。


 次の日の朝、裕太と一緒に勝也を迎えに行った。

「学校いくぞ」

「あれ、お前たち食べられていなかったのか」

「修治君のお父さんは、電力会社で働いているんだ。だから、修治君も宇宙人じゃないぞ」

「そうか。じゃ、あそこに時計もあったんだな」

僕と裕太は顔を見合わせた。

「そうだ、時計はなかったんだ」また、いやなこと思い出してしまった。

「いや、時計はなかったよ」

「じゃ、宇宙人かもしれないじゃないか。お父さんは怪獣に変身するのに電気を充電しているのかも知れないぞ」勝也はまた、ブルブル震えだした。

「勝也、ウルトラマンも宇宙人なんだぞ。修治君はいい宇宙人なんだ。大丈夫だよ。それにあそこにUFOが落ちたとき、俺たちを食べる気になれば、食べれたのに、ほら、みんな生きてるじゃないか」裕太が言った。

「ああそうか、いい宇宙人もいるんだな。じゃ、修治君も変身できるんだな。うらやましいな」勝也はうらやましそうだった。僕も単純な勝也がうらやましかった。

「おはよう」

「おはよう」修治君も元気に出てきた。

「あら、おはよう」修治君のママが、道の前まで送りにきた。

僕たち三人はジーっと修治君のママの時計を見ていた。やっぱり同じ時計だ。それに気付いた修治君のママは

「この時計珍しい?これは、こないだパパに買って貰ったの」と言った。

「どこの星で売ってるんですか?」勝也が聞いた。

修治君のママは「は?」と言う顔をしていた。僕たちもどこの星で売っているか知りたかったが、修治君のママは何も言わなかった。

「いってらっしゃい」四人は修治君のママに見送られながら、学校へ向かった。


 算数の時間になって、三郎先生が

「今日は掛け算の復習をします。じゃ、みんな、この問題をやっておくように」そういって教室から出て行った。四年生の音楽の授業に行くためだ。複式学級では、こういうことがよくある。三年生が体育で、4年生が国語なんていう時もある。そのときは、三郎先生は、両方面倒をみなくちゃいけないので大変そうだった。当然ながら、先生がいない時は、僕らは首輪の外れた犬のように遊んでいた。

 三郎先生が置いていった用紙には、掛け算が一の段から九の段まで九九の問題が全部書いてあった。僕たちは、最初は下を向いて考えていたが、そのうち飽きてきて、国語のノートに仮面ライダーやウルトラマンの絵を描いて遊びだした。そして、俺のほうが似ているとか、俺のほうがうまいとか騒ぎ出した。それを見ていた久美子ちゃんは

「ちょっとうるさいよ」と言っていた。

「終わった」修治君はもう終わったらしい。

「修治君もう終わったの。早いな」裕太は驚いていた。

「じゃ、修治君答え合わせしよ」幸恵ちゃんと久美子ちゃんは仲良く、修治君と答え合わせを始めた。

裕太は、僕らの中で一番頭が良かったので、ちょっとショックを受けたようだった。

「俺もやる。お前らの相手はしてられない」そう言って、問題を解き始めた。

「修治君すごいな」僕も驚いた。

「塾に行ってたんだ。だから、この辺はもう終わってたんだ」

「塾って楽しいの」勝也が聞いた。

「僕は本当は行きたくなかったんだけど、ママが行けって言うから。仕方なく行ってたんだ。それに、みんな行ってるし。でも、ここには塾がないから、行きたくてもいけないけどね」

「俺も終わった」裕太も終わったらしい。

「裕太、見せてくれよ」勝也はそう言うと裕太の答えを写し始めた。

「仕方ないやるか」僕も問題を解き始めた。

 そうこうするうちに、三郎先生が帰ってきた。

「どうだ、できたか。どれ見せてみろ」

三郎先生は、みんなの答えを見始めた。

「すごいな、全員満点だ。今日は、みんなすごいな。全員にハナマルをつけてやるぞ」

そう言って、全員の回答用紙にハナマルをつけて返してくれた。

 給食は、学校で体育の次に楽しい時間だ。その頃は、まだ、米飯給食がなくて、いつもパンだった。パンはマーガリンやジャムをつけて食べた。いつもは牛乳だったが、たまにコーヒー牛乳が出ると、みんな大騒ぎだった。

 当時は、鯨肉もたまに出ていた。鯨肉といっても油ばかりで、僕は好きになれなかった。でも、給食を残すことはダメだったので、いつも牛乳で丸呑みしていた。

「いただきます」みんなで言って食べ始めた。

「修治君はなにが好きなの?」久美子ちゃんが聞いた。

「僕は、ハンバーグが好きだよ」

「ハンバーグ!」それは、夢のような食べ物だった。僕はたぶん食べたことはなかった。

「ハンバーグってうまいの」勝也が聞いたが、裕太がそれに割って入った。

「勝也、お前ハンバーグ食ったことないのか。俺はあるぞ、それはそれはうまかったぞ」

「でも、修治君て頭いいよね、今日の算数も、国語も全部分かってたもんね」幸恵ちゃんは感心したようだ。みんなも「うんうん」と頷いた。


 学校が終わると、僕たち四人はいつもの沢に遊びに行った。修治

君に魚を見せるためだ。その場所は、修治君が乗っていたと思われ

るUFOが着陸した場所だった。

その辺にUFOが隠れているかもしれないと思っていたが、どう

見ても、修治君と修治君のママは悪い宇宙人には見えず、どちらかと言うと、ウルトラマンのようないい宇宙人だと思い始めていた僕たちは、逆に悪い宇宙人が出てきたら、やっつけてくれることを期待していた。

 そんな僕たちの気持ちを知ってか知らずか、修治君はとても楽しみにしているらしく、「どんな魚がいるの」と何度も勝也に聞いていた。沢には、岩魚、山女、かじかがいるはずだ。

 沢につくと、僕らはそーっと、茂みから顔を出した。

「あれ、今日は全然いないや」裕太はがっかりしたようだ。

「それに、水が汚いぞ。なんでだろう」僕は不思議に思った。

「本当だ、水が汚い」修治君もがっかりしているようだ。

「なあ、裕太、なんで、今日は魚がいないんだ」勝也も不思議そうだった。

「たぶん、川が汚くなったからじゃないか。そうだろ、浩介」

「たぶんそうだよ。修治君、残念だったね」

「でも、水がきれいになったら、また、魚見れるよね」

「そうさ、また、見れるさ」

「でも、ここいいところだよね、なんか、僕がいままで見たことのない景色だよ。すごく気持ちがいいや」修治君はそういうと岩の上に腰を下ろした。僕たちも同じように腰を下ろした。

風はもう秋の匂いがしていた。僕は、季節ごとに吹く風の匂いが分かった。たぶん、この辺の人達は全員そうだったと思う。春は、土のにおいが、冷たい風と暖かい風が混じった中に感じられた。夏は葉っぱと花の匂いがした。秋はなんとなく焦げ臭い匂いや、稲の匂いがした。そして冬は、まるで遠い国から吹いてきたような透き通った感じだった。風の匂いで、僕は季節が変わったことを実感した。

「修治君、ここいいだろう。俺、大人になっても、ずっとここには来ていたいな」勝也が言った。僕たち全員同じ気持ちだった。


家で、父ちゃんに聞いてみた。

「いつものところ、全然魚いなかったんだけど、どうしてかな」

「ああ、あそこの上で、父ちゃんたち、砂防ダムをつくってるんだ。それで、水が汚くなったからじゃないかな」父ちゃんは、地元の建設会社で働いていた。

「じゃ、工事が終わったら、また、魚見れるよね」

「たぶん、だめだな。工事やった後は、水が汚くなって、岩魚とかはいなくなるんじゃないかな」

「えー、じゃ、なんで工事なんかするの」

「しょうがないさ、仕事だからな。父ちゃんが仕事しているから、浩介もご飯が食べられるんだぞ」

「それは、そうだけど・・・」ちょっとショックだった。

 その夜、便所に行きたくなって起きたとき、三太夫が「ウー・・ワンワン」と吠えていた。なんだ、また、タヌキが来たかと思って、そーっと外を見てみると、家の前の畑で、タヌキがとうもろこしを食べているところだった。親子らしく、大きなタヌキと小さなタヌキ、二つの影が見えた。

 僕は、窓を開けて「こら」と大声を出した。タヌキは慌てて山の方に逃げ出した。三太夫は「なんで、お前が俺の仕事の邪魔をするんだよ」と言っているような顔で僕を見た。すると、じいちゃんが起きてきた。

「なんだ、どうした」

「タヌキがいたんだ」

「最近やたらと畑が荒らされてると思ったら、やっぱりタヌキだったか。でも浩介はえらいな、ちゃんと、タヌキを追っ払ってくれたな。三太夫、お前も、もっとしっかりしろよ」

僕は、三太夫の方を見て、「どうだ」といった顔をした。三太夫はちょっと上目使いでこっちを見ていた。

でもタヌキの親子に悪いことをしちゃったかな。タヌキの親子が逃げていった方を見て、ちょっと可哀相な気がした。

 


     3


 僕たちは学校が終わって、修治君の家にいた。修治君の家はすっかり引越しの荷物も片付いていた。そして、僕たち四人いつも一緒に帰って、野球をしたり、山に冒険にいったり、コンバットごっこをして遊んだ。

 最初は、修治君は勝手がわからず、ただ、僕たちの真似をしたり、後をついてきただけだったが、最近は「あそこに行ってみよう」とか「僕もサンダース軍曹がやりたい」と言うようになってきた。

 修治君のママが、ジュースを持ってきてくれた。

「いつも、遊んでくれてありがとう。最近、修治ったら真っ黒に日焼けして、ちょっとたくましくなってきたみたい。それから、修治、出かけて来るから、チョコレートでも出してあげて。みんな、ゆっくりしてってね」

「うん、分かった」修治君はチョコレートを取りに台所に行った。

「すごいな、これ、宇宙の本がいっぱいだぞ」裕太は驚いているようだ。「見てみろよ、あの、天体望遠鏡、あれは、俺の持ってるやつの五倍はあるぞ。それに、いっぱいボタンもあるし。やっぱり、宇宙人は持ってるものが違うな」

 修治君は「これだったかな」といいながら、チョコレートを持ってきた。それは、ウイスキーボンボンだった。僕たちはその大人のチョコレートを食べながら、天体望遠鏡を珍しそうに見ていた。

「僕のパパ、星空を見るのが好きなんだ。ここは、すごく星がきれいに見えるって喜んでたよ。その本もパパのものなんだ」

「スゲーな、俺もこんなんで星見てみたいな」。

その時、修治君のパパが帰ってきた。

「ただいま」

「あれ、パパ今日早いね」

「仕事が早く終わったんだよ。ママは」

「ちょっと、出かけてくるって。それから、僕の友達がきてるんだ」

 修治君のパパは、黒いメガネをかけて、ほっそりとした、学校の先生みたいな感じだった。ちょうど、僕たちの学校の五年生と六年生の担任の小川先生そっくりだった。よかった、修治君のパパもいい宇宙人のようだ。でも、変身してもバルタン星人にはとてもかないそうもない。

「ああ、こんにちは」

「こんにちは」

「いい天体望遠鏡だろう。こっちに来るって決まったとき、我慢できずに買ったんだよ。いやーこっちは星がきれいで、毎晩楽しみなんだ。よかったら、その辺みてごらん。でも、太陽はみちゃだめだよ、目をやられちゃうからね」

それを聞いて、裕太が、早速天体望遠鏡を覗き込んだ。

「うわースゲー、あんな遠くがはっきり見える」

「見たい見たい」僕も天体望遠鏡を覗き込んだ。本当に遠くのものが、手で届くように見えた。「でも、反対に見えるよ」

「そう、天体望遠鏡は反対に見えるんだ。君も見てごらん」脇でチョコレートを食べていた勝也に修治君のパパが言った。

勝也は、天体望遠鏡を覗き込んだ。

「本当だ、すごいな、反対に見えるし、グルグル動いてる」

「えっ、動いてる?そんなはずはないな」そういうと修治君のパパは天体望遠鏡を点検し始めた。その時は分からなかったが、たぶん勝也は酔っ払っていたのだろう。

「いいなあ、こんなんで夜空を見てみたいな」裕太は羨ましそうに言った。

「今度、夜、見せてあげるよ」

「ホント」裕太はとっても嬉しそうだった。

 修治君のパパは星座の本を持ってきて、あれこれ話しを始めた。それを見ていた修治君は

「パパ、僕たち宿題するから、部屋に行くね」と言って、僕たちを部屋に誘った。

「僕のパパ、星座の話が始まると、止まらないんだ。だから、部屋で遊ぼう」

修治君の部屋はきれいだった。いつもママが掃除してくれるそうだ。机には、僕たちの見たことのない参考書がいっぱいあった。それに、僕たちの見たことのないマンガもいっぱいあった。

 僕たちの住んでいるところには本屋がなかった。だから、マンガを見る習慣がなかった。もちろん参考書を見る習慣もなかった。

 三郎先生はあまり宿題を出すことはなかったが、今日は、漢字の書き取りの宿題を出した。宿題を終わらせてから、マンガを見ることにして、宿題を始めた。

 修治君と裕太はすぐ終わった。そして、マンガを見始めた。僕も終わってマンガを見始めた。勝也は終わらなかったがマンガを見始めた。

 突然裕太が言った。「そういえば、あそこの沢、水きれいになったかな。行ってみないか」

「でも、水がきれいになっても、魚は戻ってこないって父ちゃん言ってたよ」

「行ってみようよ」修治君は裕太と同意見だ。

 修治君の家を出て、いつもの場所に向かった。家を出るとき修治君のパパはまだ、星座の本を読んでいた。「行ってきます」僕たちは沢へ向かった。勝也は「顔が熱い」と騒いでいた。ウイスキーボンボンの食べすぎだ。

 沢に着いて、いつものようにソーっと茂みから顔を出した。水はきれいになっていたが、魚はいなかった。僕たちはガッカリした。そして、今来た道をとぼとぼ歩いていたが、勝也が、「なんで工事なんかするんだよ」と言って、道にあった石を拾って投げた。手元が狂ったのか。やばいことにきのこ爺さんの家の窓ガラスに当たって、窓ガラスは割れてしまった。

「やべ、逃げろ」僕たちは、走って逃げた。

 修治君の家の前まで来て裕太が怒った。

「勝也のバカ。なんで窓ガラスに当てるんだ」

「しょうがないじゃないか、当たっちゃたんだから」

「まあ、しょうがないよ。でも謝ったほうがよかったんじゃないかな」修治君の言うことはもっともだったが、勝也はよくきのこ爺さんに怒られていたので、頑なに拒否した。

「俺は、あの爺さんには絶対謝らない」

勝也が強く拒むので、仕方なくその日はそれぞれ家に帰った。


 次の日の朝、僕たちが学校に行くと、三郎先生が僕たちを職員室に呼んだ。

「お前たち、何か隠していないか」

「・・・・・」

「昨日、石を投げてガラスを割っただろう。なんで謝らなかったんだ」

「ごめんなさい」僕たちは謝ったが、三郎先生はみんなにゲンコツを落とした。そして、学校が終わって、きのこ爺さんのところに連れて行かれた。

「ほら、ちゃんと謝れ」

「ごめんなさい」

「まったくお前たちは、悪さばかりして、また、山の神様に怒られるぞ」

きのこ爺さんは、いつものように怒っていた。僕たちはしょぼんとしてその日は帰った。

 僕は父ちゃんが帰ってくるのが怖かった。そりゃそうだ、また、怒られるのが分かっているからだ。案の定、父ちゃんは帰ってくると、僕にゲンコツを落とした。

「まったく、悪さして謝らないっていうのは、どういうことなんだ」

「ごめんなさい」今日は何回「ごめんなさい」を言っただろうか。今と違って、この頃は悪いこと一回につき二回怒られた。先生と父ちゃんに一回づつだ。その度にゲンコツを落とされた。

 


     4


 今日は、僕の家の稲刈りの日だ。みんなで早起きして田んぼに向かった。機械なんてないから、みんな手作業だ。親戚の人も手伝いに来ている。その親戚が稲刈りの時は、僕の家も手伝いに行く。お互い様だ。

 僕は、一応鎌は持たされたが、まあ、人数には入っていないようなものだ。すぐ、飽きて、三太夫とその辺をうろうろしていた。そのときだけは、三太夫は僕の言うことを聞いて、尻尾を振ってついてきた。三太夫も暇だったのだろう。

 三太夫と遊んでいると、修治君がやってきた。

「今日、稲刈りなの?」

「そうだよ。でも飽きちゃって、こいつと遊んでるんだ」

「浩介君、僕、稲刈りしてみたい」

「面白くないよ」

「それでもいいよ。僕、やってみたい」

 田んぼに行くとちょうどみんな一服しているところだった。

「じいちゃん、僕の友達の修治君が稲刈りしたいって」

「おお、君が修治君か、いつも浩介から聞いてるよ。東京から来たんだってな。そうか稲刈りしてみたいか。都会じゃこの収穫の喜びは分からないからな。じゃ、手伝ってもらうか。でもな、鎌は慣れないと危ないから、刈った稲を運んでくれると助かるんだがな」

「うん。分かった」

 修治君が一生懸命手伝うのを見て、僕も、負けじと手伝った。三太夫は、暇そうにこちらを見ていたが、三太夫と遊んでいる暇はなかった。

 そうこうしているうちに、稲刈りも終わった。僕と修治君はジュースを飲みながら、空を見ていた。きれいな秋空だった。赤トンボがたくさん飛んでいた。

「本当だ。赤トンボがたくさんいる」修治君は驚きの声を上げた。刈ったばかりの稲と、ちょっと夕焼け空にたくさんの赤トンボ、秋風に揺られて、ススキがさらさらと音を出していた。郷愁を誘う風景とはこのことなのだろう。ただ、その頃は、僕にとっては、それが当たり前の風景だった。

 ジュースを飲んでいると、修治君のママがやってきた。

「修治ここにいたのね。ごめんなさい。うちの修治が邪魔をして」

「いや、とっても助かったよ。よく、手伝ってくれたから、思った

より早く終わったよ」じいちゃんが修治君のママにお礼を言った。

「ママ。とっても楽しかったよ。ほら見て、あの稲の半分は僕が運んだんだよ」

「すごいね修治。疲れたでしょう、じゃあ、今日はママがハンバーグ作ってあげる」

「やった。ハンバーグだ」修治君は喜んでいた。

「修治君、せっかく手伝ってくれたから、新米ができたら、ちょっとおすそ分けしてあげるからな」じいちゃんが言った。

「いえいえどうぞお構いなく。本当に邪魔してただけですから」修治君のママが遠慮がちに首を振った。

「ここは水もうまいし、新米もうまいぞ、ご飯だけで三杯は食べれるぞ」

「そうなんです。ここの水で入れたお茶はとっても美味しいんです。ご飯も、美味しく炊けますし」

「そうでしょう。修治君も新米食べてみたいよな」

「うん」

「じゃ、あとでじいちゃんが届けてやるからな」

 修治君とママは、一緒に帰っていった。僕は母ちゃんの顔を見た。「ハンバーグ食べてみたい」と心の中で思った。


 稲刈りが終わると運動会だ。この頃の運動会は家族総出で応援をした。父ちゃん達は、ビールやお酒を飲みながら、楽しそうに見ていた。僕が出る種目になると、カメラを持って、写真を撮っていたが、酔っ払っているので全部ピンボケだった。

 僕は、八十メートル競走と障害物競走、綱引きと玉いれ、そしてリレーの選手だった。リレーの選手といっても人数が少ないので、全校生全員リレーの選手だった。

 今回の八十メートル競走は、僕たち四人は目の色が違っていた。なんといっても、修治君がきたことで全員賞がもらえなくなるからだ。修治君は修治君で初めて賞をもらえると思って気合が入っていた。一番右が僕、そのとなりが修治君、裕太、勝也の順にスタートラインに整列した。

「位置について、ヨーイ・・・パーン」僕はあのピストルような音がいやだった。いつも、その音で、一瞬スタートが遅れてしまう。今日もそうだった。でも、ぐんぐんスピードを上げて、一番でゴールした。次は勝也、その次は修治君だった。裕太はビリだ。僕たちは、互いの健闘を称えあった。

「やっぱり浩介が一番だったか」勝也は残念そうだった。

「修治君は三等賞だね」僕は言った。

「初めて、三等賞を取ったよ。うれしいな」木陰を見ると、修治君のパパが、でっかい望遠レンズをつけたカメラで修治君を撮っていた。その脇では、ママが大喜びで手を振っていた。

「ああ、今年は賞品もらえないや」裕太はがっくりしていた。しかし、三郎先生は僕たち四人を呼んだ。

 僕たちは賞品を貰った。裕太は参加賞を貰っていた。中を見ると鉛筆だった。一等賞が三本、二等が二本、三等が一本、参加賞も一本だった。勝也は三郎先生のところに言って聞いた。

「先生、三等賞と参加賞の賞品、なんで同じなの」

「同じように見えるんだけど、値段が違うんだよ、三等賞の方が高いんだよ」

「ああ、そうか」勝也は納得していたが、どうみても同じ鉛筆だった。三郎先生の手抜きとしか思えない。まあ、そんなことでグダグダ言う子供と親はこの辺にはいない。

 午前中の競技が終わり、待ちにまったお弁当の時間だ。今日はいなり寿司だ。あちこち見ると、やっぱりいなり寿司が多いようだ。

 隣の修治君のところもいなり寿司だった。

「修治、三等賞か、頑張ったな偉いぞ」パパは嬉しそうだった。

修治君は、嬉しそうに、胸の三等賞のリボンをママに見せていた。

「よかったね修治」ママも嬉しそうだった。

 最後のリレー。白組と赤組に分かれて、全員で走った。僕と修治君は白組だった。修治君は二番でバトンを受け取った。そして、裕太をもう少しで追い抜こうかというところで、僕にバトンを渡した。バトンを受け取ると、勝也を追った。勝也も一生懸命走っていた。なかなか、勝也を抜けなかった僕は、ほとんど同時で、上級生にバトンを渡した。四年生、五年生とバトンが渡り、最後は六年生のアンカー勝負だ。応援は最高潮に達した。結局赤組が白組を振り切って勝った。

「残念だったね」修治君が悔しそうに言った。

「しょうがないよ、でも、僕たち頑張ったじゃないか」

「そうだね」

 表彰式で、僕は、先生の話を聞きながら、山の方を見ていた。山の上はもう、赤く紅葉していた。しばらくすると、山全体が赤や黄色の色に包まれて、空も澄んでとってもきれいになる。そして、山の上の葉っぱが落ちると、代わりに白いものが山を覆うのだ。


 僕とじいちゃんは一緒に耕運機に乗っていた。修治君の家に新米を届けるためだ。荷台には、いつものように三太夫も乗っていた。その頃はコンバインなんてなかったから、刈った稲は天日干しにして乾燥させた。そして、脱穀をして精米した。修治君の家は精米機がないだろうからと、今日は精米を持ってきた。

「ごめんください」

修治君とママが出てきた。中を見ると先客がいた。きのこ爺さんだった。

「おう、清二どうしたんだ」と言って出てきた。清二というのはじいちゃんの名前だ。ちなみにきのこ爺さんは新太郎が本当の名前だ。きのこ爺さんは、修治君のパパにきのこ取りを教えて、今日は、そのおすそわけを持ってきているようだった。じいちゃんときのこ爺さんは知り合いだった。というか、この辺の人はみんな知り合いだ。

「こないだ、修治君に稲刈り手伝ってもらったからな、お礼を持ってきたんだ」

「ああ、そうだったのか。修治君は偉いな。浩介もちっとは、修治君を見習って手伝いしろよ」余計なお世話だ。

「これ、この前のお礼だよ。今日精米したばっかりだから食べてくれ」

「わざわざすみません。本当によろしんですか」

「ああ、こないだ一生懸命手伝ってくれたからな、そのお礼だよ。お陰で浩介もいつもより手伝ってくれたし」

「ありがとうございます。お返しといってはなんなんですけど、これ、ハンバーグ作ったんで、もし、よろしければ、召し上がってください」

「ハンバーグ!」僕は夢に見たハンバーグが食べれると思って嬉しかった。

 外で、三太夫が「ワンワン」と吠え始めた。「三太夫うるさい」じいちゃんがどなっても、三太夫はかまわず吠えていた。

「この辺は、タヌキが出るんで、おそらく、匂いがするんだな」じいちゃんが言った。

「タヌキか、ああそうだ。さっき、俺の仕掛けた罠にタヌキがかかったんだよ。死んでしばらくたってたから、タヌキ汁は無理だったがな。そいつを触ってきたから、三太夫は匂うんだ」きのこ爺さんはよく畑に罠を仕掛けていた。

僕は、あのタヌキの親子じゃないかと思ったので聞いてみた。

「それ。親子じゃなかった?」

「いや、そいつは俺の畑を荒らしていたやつだが、来るのはいつも一匹だったよ」

「よかった」僕は呟いた。

「タヌキが出るの」修治君は驚いていた。

「そうだよ、昔は、そんなでもなかったが、最近やたらと畑が荒らされてな」じいちゃんは首を振った。

「こないだ見たよ。親子だったよ」

「そうか、僕も見てみたいな。タヌキ」

「タヌキ見つけたら、こんどこそ生け捕りにして、タヌキ汁にでもしてやるか」

きのこ爺さんに捕まったら、あの、親子も本当にタヌキ汁にされそうだな。それはちょっと可哀相だ。


 僕とじいちゃんは、耕運機に乗って家に向かった。三太夫は、貰ったハンバーグの匂いが気になるのか、僕の方に擦り寄ってきて、くんくん匂いを嗅いでいた。

「やめろ三太夫。これは、絶対やらない」それでも三太夫は、くんくんしていた。

途中、裕太と勝也が遊んでいたが、僕はハンバーグが三太夫に食べられるんじゃないかと気になって「今日は、遊べないんだ」と言ってまっすぐ家に帰った。

 今日の夕食はハンバーグだ。ハンバーグは三個もらったので、僕と父ちゃんと母ちゃんが食べた。僕は一人っ子だったので、そういう点では良かったかもしれないが、弟のいる裕太や勝也が羨ましかった。いつも、けんかをしていたようだが、なんとなく、兄弟は欲しかった。

 人生最初のハンバーグはうまかった。それを母ちゃんに言ったら

「浩介は食べたことがあるよ」と言った。でも記憶がなかった。よくよく聞くと、移動スーパーがフライパンで焼くだけのを売っていて、それを食べさしてくれたらしい。でも、僕は、修治君のママが作ったようなソースがかかったのがハンバーグだと思っていたので

「絶対、食べたことない」と言い張った。

「やっぱり、これがハンバーグだよな」僕は、その日ハンバーグを思う存分堪能した。



    5


 学校で、給食が終わって遊んでいると、三郎先生が慌てて教室に入ってきた。

「みんな、今日は学校はこれで終わり。先生たちとお父さんたちが送っていくから、今日は、真っ直ぐ帰るように」と言った。

「やったー。よし、今日は野球をやろうぜ」裕太は大喜びだった。

「今日はダメだ。みんな家にいるように」三郎先生の目は真剣だった。

「なんでですか」

「今日な、久美子ちゃんの家の近くの柿の木で、熊が柿を食べていたそうだ。今はいないらしいが、まだ、その辺にいるかも知れないから、今日は学校から帰ったら、外に出ちゃだめだぞ」

「熊!それはやばいぞ」裕太は目を大きく開いて言った。

「熊って怖いんですか」修治君は三郎先生に質問した。

「熊は、人を襲ったりするんだ。あの爪でひっかかれたら、死んじゃうかもしれないぞ」

「じゃ、今日は家を出ないほうがいいな」修治君は納得した。

 そして、僕たちは先生と父ちゃんたちの車に分乗して家に帰った。家の前では、三太夫が俺の出番だといわんばかりにじいちゃんの脇にいた。じいちゃんは鉄砲を持っていた。

「浩介、今日は家から出るんじゃないぞ。じいちゃんは、みんなと熊を鉄砲で退治して来るからな」そう言って、じいちゃんと三太夫は出かけていった。

 父ちゃんも、また、学校に行くと言って、出かけていった。僕はさびしくなって、ばあちゃんの部屋に行った。ばあちゃんは、寝たきりのせいもあっ、ていつもテレビを見ていた。

 ばあちゃんは時代劇の再放送を見ていた。「こちらにおわすおかたをどなたとこころえる、おそれおおくもサキノフクショウグン」小学三年生が書けばこんな風になるだろうか、つまり「水戸黄門」のことだ。

 こんな時はやることもないので、僕も水戸黄門をばあちゃんと一緒に見た。

「浩介、チャンネル回してもいいぞ」ばあちゃんは言ってくれたが、こんな時間に面白いテレビをやってるわけもなく「これでいい」と言った。

 時代劇は時代劇で結構面白い。なんと言ってもストーリーが単純だ。勧善懲悪で小学生の頭にもすんなりと入ってくる。悪者をやっつけるストーリーは、ウルトラマンも仮面ライダーも水戸黄門も同じで、そういったところは分かり易い。ただ、相手が人間か怪獣かの違いだけだ。

 夕方、じいちゃんと三太夫が帰ってきた。どうやら熊を仕留めたようだ。じいちゃんは「三太夫、大手柄だったな」と言って、三太夫を誉めていた。三太夫は僕を見て「どうだ」と言わんばかりに鼻をならした。僕は頭をひっぱたいてやろうと思ったが、じいちゃんの手前それはやめた。

 夜、じいちゃんと父ちゃんが話していた。

「昔は、山奥に行かないと、熊なんかいなかったのに、最近は里まで降りてくるようだな」

「今、山を越える林道を作ってるんだけど、あの変は昔、熊がいたって所なんだ。熊も居所がなくなるは、食うものはなくなるはで、里まで来るんだろう」父ちゃんは、今、林道を作っているらしい。

「あんな林道作って誰が使うんだ」

「あれば便利だけど、あまり使うやつはいないな」

「まったく、金の無駄遣いだな、あれは」

「でも、そのおかげで、出稼ぎ出なくても良くなったからな、あまり、文句もいえないさ」

「まったく熊もいい迷惑だな」

 僕は、その話を聞いて、熊が可哀相に思えた。もしかしたら、その熊は、可愛い子供たちのエサを取りにきていたのかも知れない。熊が住んでいるところまで、父ちゃんが道路を作ったから、食べるものがなくなって、人間の住んでいるところまで出てきた。そして、じいちゃんに鉄砲で撃たれた。そうしたら小熊は今頃お腹を空かしているだろうし、親が帰ってこなくて心配しているはずだ。死んだなんて分かったら、とても悲しむだろう。僕も父ちゃんがいなかったら、ご飯が食べれないし、父ちゃんが死ぬなんて考えたくもない。熊と自分の家族をだぶらせて、なんとなく悲しく感じた。

ふと、あのタヌキの親子を思い出した。あのタヌキも、もしかしたら、食べるものがなくて、うちの畑に来たのかも知れなかった。今頃お腹を空かしているのかな。どうせ、余ったら捨てちゃうんだから、ちょっとだけならよかったかな。追い払うんじゃなかったな。ちょっと心が痛んだ。


 次の日はみんな普通に歩いて学校へ行った。

「なあ、もしかして、修治君のパパが、変身してやっつけてくれたのかな。裕太違うかな」勝也が言った。

「いや、修治君のパパは変身しても弱そうだから、修治君のママかも知れないぞ」

「もしかしたら、サキノフクショウグンのおじいちゃんが、やっつけてくれたのかもしれないよ」勝也も同じテレビを見ていたようだ。

「違うよ、じいちゃんが鉄砲で撃ったんだよ」

「そうなのか、すげーな」僕はちょっと誇らしかった。

 修治君は僕たちを家の前で待っていてくれた。そして、ジーと山のほうを見ていた。

「修治君、なに見てるの、迎えのUFOが来るの?」

裕太は勝也の頭をひっぱたいた。それは、俺たち三人の秘密だろ、そう目で言っていた。

「UFO?」修治君は不思議そうだった。

「UFOじゃないよ。紅葉がすごくきれいだなと思ってさ」

僕たちも山を見た。確かにきれいだった。しばらく四人で山を見ていた。

 山は、いろんな色をした洋服を着ているようだ。こんな派手な洋服を僕が着たら、趣味が悪い人間だと思われるだろう。だが、自然はスケールが違う、趣味うんぬんのレベルじゃない。色合いはバラバラなようで、決してバラバラじゃない。それ全てが自然なのだ。

「修治どうしたの」修治君のママが外に出てきた。

「ママ、紅葉すごくきれいだよ」

 しばらく、修治君のママも一緒になって紅葉に見とれていた。でも僕と裕太と勝也の三人は知っていた。まもなく、この、赤や黄色やオレンジ色が、やがて真っ白になることを。


 その日の帰り道、修治君と分かれて三人で歩いていると、勝也の家の前に一台の車が止まった。車の中から、東京に行っている勝也のおじさんが出てきた。勝也はそれを見るとおじさんのところに走って行った。

「おじさーん。帰ってきたの」

「ああ、正月仕事で帰って来れなくなったんで、代わりに今休みを貰ったんだ。それで帰ってきたんだよ」

 僕と裕太も勝也の家の前まで行って挨拶した。

「こんにちは」

「おお、みんな大きくなったな。そういえば勝也もだいぶ大きくなった気がするな」と言っておじさんは勝也の頭をなでた。そのとき僕は、勝也のおじさんの手首を見て驚いた。

「その時計・・・」

「ああ、これかい。これはデジタル時計だよ。この辺じゃ珍しいかも知れないけどね」

それは、色と形は違ったが、修治君のママがしているのと同じように、数字が浮き出ているような時計だった。

 それを聞いて僕と裕太と勝也は、互いに口を開けたまま目を合わせた。そして、笑い転げた。今まで宇宙人のものと思っていた時計は(デジタル時計)というやつだったのか。

おじさんは「どうしたの、大丈夫?」と言っていたが、荷物を置きに勝也の家の中に入っていった。

 僕たちはしばらく笑っていた。やがて、三人とも笑い疲れて落ち着いたとき僕は言った。

「今度、修治君に謝ろう。今まで黙っててごめんね。みんな修治君を宇宙人だと思っていたって」

「そうだな、そうしよう」裕太も勝也も頷いた。



     6


 その日は、学校が終わって、僕たちは冒険に出かけた。いつもの沢に行こうということになって、沢に向かっている途中、きのこ爺さんがいつものように、籠にきのこをどっさり入れて山から下りてくるのに出会った。

「お前たちもきのこ取りか。残念ながら俺が全部取って来たからあきらめろよ。浩介、そういえば今日な、お前が言っていた、タヌキの親子が罠にかかったぞ」

「えっ、じゃ、タヌキ死んじゃったの」

「いや、親のほうは生きてるぞ。子供のほうは、罠にかかった親のそばにいたんだが、俺が近づいたら、山に逃げてった」

 僕は、生きてると聞いてほっとした。

「親のほうはもっと太らせて、タヌキ汁にして食べてやるんだ。浩介お前も食うか」

「別に、食べなくてもいいけど、タヌキ見せてくれる?」

「ああ、いいよ、家においで」

「おい、浩介、タヌキなんか別にいいじゃないか」勝也は不満顔だ。

「でも、僕もタヌキ見てみたい」修治君が僕の意見に賛成したので、四人できのこ爺さんの家に行った。

 タヌキはカゴの中でウロウロしていた。たまに遠くの方を見ていたが、僕たちが近づくと、ジーっとこっちを見ていた。

「本物のタヌキって可愛いじゃないか」修治君は動物園でタヌキをみたことがあるらしいが、野生のタヌキは初めてだと言っていた。タヌキは不安そうな顔をしていた。

「タヌキ汁ってうまいの?」勝也はそういえば一回食べてみたいと言っていた。

「野生のタヌキは、そのままでは肉が固くて食べれないよ。だから、ちょっと太らせてから食べようと思うんだがな、ははは」きのこ爺さんは、本当に食べる気でいるらしい。

その時、カゴの中のタヌキが遠くを見て、動きが止まった。僕はタヌキが見ている方を見た。木と木の間の繁みに小さな影があった。それは子ダヌキだった。心配そうにこっちを見ていた。

僕が子ダヌキを見つけたのが分かったのか、カゴの中のタヌキは騒ぎ始めた、注意を自分のほうに引き付けるかのように、そして、子ダヌキに「逃げろ」と言っているようだった。僕はそれを見て「あっちに子ダヌキがいる」と言う言葉を飲み込んだ。その親ダヌキの姿を見て、この親子のタヌキをなんとかして助けてやりたいと思った。

 帰り道、みんなに言った。

「さっき、あのタヌキの子供が心配そうに木陰から見ていたんだ。可哀相だよ、なんとかして助けてやれないかな」

「また、浩介の悪い癖が始まったな。この前も、子供の捨て猫を助けようとか言っていたもんな。まあ、結局最後は父ちゃんたちに川に流されちゃったけどな」裕太は反対らしい。

「俺は、タヌキ汁が食べてみたいな」勝也の反対理由は予想がついた。

「でも、タヌキは畑のものを食べたりするんでしょう」修治君も反対のようだ。

「だけど、捕まったタヌキが、もし、みんなの母ちゃんでさ、子ダヌキが僕たちだったら、どう思う。それに、畑を荒らすといっても、山が工事で荒らされて、食べ物がなくなって、仕方なく畑のものを食ってたかも知れないじゃないか。あの沢の魚だって、本当はずっとあそこにいたいのに、ダムを作って、水が汚れたからいなくなったんだよ。人間だけ、いい思いをするなんて不公平じゃないか」

 三人ともしばらく黙っていた。

「でもな、相手はきのこ爺さんだからな。慎重にやらないとな」裕太が言った。

「しょうがない、タヌキ汁はあきらめるか。いつのきのこ爺さんに怒られてるからな。今回は仕返ししてやるか」

「でも、どうやってあのタヌキを助けるんだ。浩介君なにか考えある?」

「そうなんだ、きのこじいさんの家には、ばあさんがいつもいるんだ。なんとか、チャンスを見つけて逃がすしかない。どうだろう、学校が終わったら、毎日、きのこ爺さんの家に行ってみないか。もしかしたら、二人ともいないときがあるかも知れないよ」

「でも浩介、見つかったら、また、怒られるよ」勝也は心配そうだ。

「勝也、この前怒られたのとは訳が違うじゃないか。今度は俺たちは正義の味方なんだ。いさぎよくゲンコツをもらおうじゃないか」

「話はまとまったな。明日から毎日きのこ爺さんのところに行くぞ」

 その日、僕はじいちゃんとばあちゃんと父ちゃんと母ちゃんの肩たたきをした。なんとなく、家族みんなでいることが嬉しかったからだ。三太夫も散歩に連れて行ってやった。三太夫はいつもの通り、僕の言うことは聞かなかったが、地面に腰を下ろして休んでいたら、ペロペロと顔を舐めてきた。

「やめろ三太夫」そう言っても、ずっと顔を舐めていた。三太夫はたぶん嬉しかったんだと思う。

父ちゃんの肩たたきをしていたとき

「なんだ、浩介、なにか欲しいものがあるのか」と聞いてきた。

「別にないよ。父ちゃんいつも大変だと思ってさ」

「なんだ、気味悪いな」と言っていたが、顔は笑っていた。


 次の日、学校が終わって、僕たちは真っ直ぐきのこ爺さんの所へいった。タヌキは相変わらず、カゴの中でじっとしていた。きのこ爺さんはいなかった。僕たちがきょろきょろしていると、ばあさんがやってきた。

「タヌキ見にきたのか」なんだ、ばあさんがいたのか。僕たちはがっかりした。

「じいさん、タヌキを太らせるとか言って、エサくれてるんだけど、ちっとも食べないんだ。タヌキ汁なんてそんなに美味くないのに、まったくじいさんはしょうがないねー」

「じゃ、逃がしてやったらどうですか」修治君が言った。

「そんなことしたら、じいさんに怒られるからな。まったくじいさんは困ったもんだねー」

よく見ると、カゴの下が掘られていた。おそらく昨日の夜、子ダヌキが、親を助けようと穴を掘ったんだろう。なんとかして逃がしてやりたいが、今日はばあさんがいるので無理なようだ。

そこへ、きのこ爺さんがやってきた。

「おお、お前ら、またタヌキ見に来たのか。そんない珍しいもんでもあるまいに。さては、俺のタヌキをネコババして、タヌキ汁を食うつもりだな。ははは」

 タヌキは僕をジーっと見ていた。僕の気持が分かるのか、なにか訴えかけているような目だった。

「大丈夫、なんとかして助けてやるからな。必ず、子ダヌキのところに返してやるからな」僕はそう呟いた。そしてタヌキはゴロンと横になって動かなくなった。

 僕たちは、その日はタヌキを逃がしてやるのはあきらめて家に帰った。家に帰ると三太夫が僕にむかって吠えた。たぶんタヌキの匂いがしたのだろう。

「じいちゃん、タヌキ汁ってうまいの」

「うまくねえぞ。あんなの食う奴の気が知れないな。タヌキなんかより豚肉のほうがうまいのに。そうだ、新太郎のやつタヌキを捕まえたって言ってたな。あいつなら本当に食っちまうかも知れないぞ」

「じいちゃん、タヌキ汁なんてうまくないよって教えてやってよ」

「あいつは、じいちゃんの言うことなんか聞かないさ。昔からそうだった。人の話なんか聞きやしない」やっぱりだめか。なんとかして逃がしてやれないかな。

 次の日も、学校が終わってきのこ爺さんのところへ行った。しかし、きょうもばあさんがいて、タヌキを見て帰ってきただけだった。今日は、タヌキはじっとカゴの中で動かなかった。

「神様にお願いするしかないよ」裕太が言った。

「そうだ、あそこのお地蔵様にお願いしに行こう」裕太はそう言うと、僕たちが「おやしろ」と言っていたところへ向かった。おやしろは、田んぼに囲まれた所にある、小さな木造の建物で、中にお地蔵さんが三体奉られていた。

僕たちはその建物の中でよく遊んでいた。トランプをしたりするのは可愛いほうで、天井まで登ったり、お地蔵さんの上の格子状の板にぶら下がったりして遊んだ。たまに足を踏み外して、お地蔵さんの頭に足が当たり、お地蔵さんがあさっての方を向いたりしていたが、バチが当たらなかったところをみると、お地蔵さんは大目にみてくれていたのだろう。

「あれ、だれかいる」勝也が指差した。

 おやしろの中から、きのこ爺さんが出てきた。どうやら掃除をしていたらしい。

「お前ら、また、ここに遊びにきたのか。まったく、こんなに汚くしやがって、そのうちバチが当たるぞ」そう言うと、きのこ爺さんは帰っていった。

「まったく、なんでもかんでも俺たちのせいにしやがって」勝也は怒っていた。

「とにかく、お地蔵さんにお願いしよう」みんなで、タヌキを助けられますように、そうお願いした。


 僕たちは、学校が終わると毎日、きのこ爺さんの所へ行った。かれこれ、もう五日も行っている。タヌキは全然エサを食べないらしく、日に日に元気がなくなっていくようだった。

今日は土曜日なので、みんな家で昼ごはんを食べて集まった。

「おい、今日は誰もいないぞ」裕太はぐるりときのこ爺さんの家を一回りして、嬉しそうな声を上げた。

僕たちは、みんなでもう一回ぐるりときのこ爺さんの家の周りを回って、タヌキのところやってきた。

 僕は、家へ行って「こんにちは」と声をかけた。声はしなかった。もう一度言ってみた。「こんにちは」誰の声も返ってこなかった。

「よし、今日こそお前を助けてやるぞ」僕はつばをごくりと飲むと、ゆっくりタヌキが閉じ込められているカゴに向かった。他の三人は見張り役だ。

 タヌキは知らないふりをして寝ているようだった。タヌキ寝入りというやつか。もしかしてら死んでいるのか。僕は、腰を下ろしてカゴを開けようとした。

「ほら、今出してやるぞ・・・あれ、なんだこれ、だめだ鍵が掛かってる」

「なんだって」みんな集まってきた。

「本当だ、これ頑丈な鍵だぞ、これじゃ開かないや。じいさんめ、なんて用心深いんだ」裕太は鍵を蹴飛ばした。そのはずみで、カゴが揺れて、タヌキはガバッと起きた。タヌキは死んでなかった。僕たちの顔を見ると、また、観念したようにゴロンと横になった。

「だめだ浩介、これじゃ助けようがない、あきらめよう」裕太はダメだというような表情で僕を見た。

 僕は愕然としてなにも言葉を発することができなかった。

「もうだめだな、浩介、裕太の言うとおりだ、あきらめよう」勝也も裕太に同調した。修治君はなにも言わなかったが、その目はもうタヌキを助けるのはあきらめたようだった。

仕方なく僕も立ち上がった。

「ごめんよ、助けられなくて」そう言って、僕たちはタヌキ爺さんの家を後にした。ふと、山の方に目をやると、あの子ダヌキが、じっと僕たちの様子をうかがっていた。そんな子ダヌキを見ていると、なんともやるせない気持ちだった。

 タヌキは、ずっと僕たちに背を向けて寝ていた。タヌキもすっかりあきらめたように思えた。

 裕太が「浩介、コンバットごっこやろうぜ。俺と勝也がドイツ兵やるからさ。なんなら修治君もドイツ兵でもいいぞ」と気遣ってくれたが、僕は、タヌキを助けられなかった悔しさと、あの子ダヌキの気持ちを思うと、とても、遊ぶ気持ちにはなれなかった。たぶん、阪神が田淵選手のホームランで勝つ、と分かっている試合に連れてってやると言われても、僕は断っただろう。

「今日は家に帰る。また、明日ね」僕は家に一人で帰っていった。

 晩秋の夕暮れは早い。日が傾くにしたがって肌寒い空気があたりを包む。落ち葉は風に揺られてヒラヒラと舞い、つむじを描くようにぐるぐる回っていた。

高い山はすっかり葉っぱが落ちて、もう、冬の準備を整えたようだった。僕は、吹いてくる風のなかに、冬の匂いを感じた。まもなく雪が降るぞ、そう伝えているようだった。  

雪が降れば、あの子ダヌキが一匹で生きていくことはできないだろう。そう思って、また、重い気持ちになった。

 これからの季節は、家の明かりが暖かく感じられるようになる。その明かりが見えただけで、なんとなく体まで暖まったような気になるのだ。ぷーんと夕ご飯の匂いがした。でも、今日はなんとなく食欲がなかった。

 玄関に行くと三太夫がいたが、僕を見ても吠えなかった。タヌキのところに行った後は匂いがして、いつもワンワン吠えていたが、僕が落ち込んでいたのが分かったのか

「おい、元気だせよ」と言っているように見ていた。

「浩介、今日はテレビ見ないのか。もうすぐ全員集合だぞ」じいちゃんは元気のない僕を見て心配しているようだった。

「うん、見る」そう言ってチャンネルを回した。

 テレビでは相変わらず、志村けんや加藤茶が面白おかしくヒゲダンスをしていた。でも今日は素直に笑えなかった。

「浩介、風邪でもひいたか。元気がないな」じいちゃんが僕の額に手を当てた。

「大丈夫だな、熱はないみたいだ。今日は早く寝ろ」

「うん、おやずみ」僕はそう言うとさっさと布団に入った。

 布団の中でも、あのタヌキの親子のことが頭から離れなかった。なんとかならないかなと考えていた。でも、そのときの僕ではどうしようもなかった。


 次の日、裕太と勝也と修治君が家に来た。

「浩介、遊ぼう」

「・・・うん」僕はなんとなく乗り気じゃなかった。

「浩介、タヌキのことはしょうがないよ、俺たちにはどうにもできない。タヌキも俺たちの気持ちが分かって、人間にもいい奴がいるんだなって思っているさ」裕太は元気付けてくれた。

「そうだよ、浩介君。僕たち一生懸命助けようとしたじゃないか。それはあのタヌキも分かってくれると思うよ」

「その通りだ浩介。タヌキ汁を食えば、やがて血となり肉となり、俺たちの体の中で生き続けるんだぞ」裕太は勝也の頭をひっぱたいた。

「・・・そうか、しょうがないな。・・・もう一回だけ、あのタヌキの所へ行ってみないか。助けることはできないかも知れないけど・・・そうしたらあきらめるよ」

 三人とも、黙って僕についてきた。タヌキを助けることはあきらめようとしていたが、あの子ダヌキが気になって気になってしょうがなかったからだ。

 きのこ爺さんのところへ行くと、ちょうどエサをタヌキに与えようとしているところだった。

「なんだ、お前たちまた来たのか。そんなにタヌキ汁が食いたいか。でもな、こいつは全然エサを食べないんだ。まったくなに考えてんだか」それは、こっちが言いたいセリフだ。

きのこ爺さんは、タヌキにエサをやろうと、カゴの中にエサを入れたが、タヌキはピクリともしなかった。

「あれ、まさか、こいつ死んだんじゃないだろうな」きのこ爺さんはカゴを揺すってみた。タヌキは全然動かなかった。それだけじゃなくて、カゴの揺れに合わせて、前足も後ろ足も尻尾も頭も同じように揺れた。それは、タヌキが死んでいることを意味した。僕はそれを見てがっくりと肩を落とした。でも、自分がタヌキ汁になることを分からずに死んだことは、このタヌキにとって幸いかも知れない。ただ、あの子ダヌキにとっては、この事実は受け入れ難いことだろう。

 僕は、辺りを見回したが、子ダヌキの姿は見えなかった。もうあきらめたんだろうか。子ダヌキも自分の親がこんな風になっているのを見なくて、よかったかも知れないな。僕はそう言って自分を慰めた。

 きのこ爺さんは「こいつ、死んでやがる。まったく、しょうがない奴だ」そう言うと、胸ポケットから鍵を出して、カゴの鍵を外した。そして、タヌキの前足をつかむとそのままズルズルと外へ引きずり出した。

「ま、大分痩せちまったが、食えないことはないだろう。これだけ痩せちまったら、お前たちに食わせる分はないよ。諦めるんだな」そう言うと僕たちを見てフフンと鼻をならした。

「じいさん、俺たちはタヌキ汁が食いたいから来ていた訳じゃないんだぞ。タヌキが可哀相だから、助けてやりたくて来てたんだ」勝也は頭にきているのが分かった。

「ああ、それは残念だったな。ごらんのとおりこいつは死んじまった。あとは俺の胃袋に入って終わりだ。お前たちには絶対食わせてやらないからな。そんなことより、お前ら帰って宿題でもやれ、ろくに勉強もできないくせに、言うことだけはいっちょ前な口を聞きやがって」そう言うときのこ爺さんは、もう片方の胸ポケットからタバコとライターを取り出した。そして、タバコに火をつけようとした、その時だった。

 ガバッとタヌキが起き上がると、一目散に山の方へ逃げ出した。すると、木陰から子ダヌキが出てきた。そして、チラッとこっちを見て、二匹で山に逃げて行った。タヌキはこの時を待っていたのだ。一瞬のスキを見逃さなかった。野生の動物のたくましさ、老獪さをここにいる全員が思い知った瞬間だった。僕たちが思っている以上に、タヌキは利口だった。

 僕たちときのこ爺さんは唖然としてそれを見ていた。きのこ爺さんはくわえたタバコを落としていた。でもライターは火がついたままだった。

「タヌキが人をだますって本当だったんだな」修治君がようやく口を開いた。それを聞いて僕たちは「やった、やった」と騒いだ。

 きのこ爺さんはしばらく、空いた口が塞がらなかったようだったが、やがて

「うるさい!黙れ」と怒鳴った。でも、僕たちが勝ち誇ったような顔をしているのを見て「まあいい、ところでお前たちチョコレート食いたくないか?」急に笑顔になって、家からチョコレートを持ってきた。

「まあ、俺も本当は元気になったら逃がしてやるつもりだったんだ。なにも、礼も言わずに逃げ出さなくてもいいのに、あのタヌキめ」 

そう言って、今まで見たこともない笑顔で僕たちを見た。それは、国会答弁で答えに詰まって、笑っていることしかできない政治家のような変な笑顔だった。

「お前たち分かるな、俺はタヌキに騙された訳じゃないんだ。そう、本当はタヌキが生きてることは知っていたんだよ。だから、逃がしてやったんだ。そうだよな、違うか?」

僕たちは、チョコレートを食べながらニヤニヤしていた。

「ああ、そうだ、喉が渇いたのか。今、ジュースを持ってきてやるからな」そう言うと、サイダーを持ってきてくれた。

「じいさん、これってワイロ?」勝也が聞いた。

「違うよ。いつもお前たちを怒ってばかりいたから、たまには優しくしなきゃと思ってな」

相変わらずきのこ爺さんは、変な笑顔をしていた。このことを誰かに話せば「新太郎はタヌキにバカにされたんだぞ」と村中の噂になるのは目に見えていた。きのこ爺さんは、僕たちにそのことを黙って貰いたくて、チョコレートやサイダーをくれたんだろう。でも、僕は、タヌキが逃げたことが嬉しくてきのこ爺さんのことはどうでも良かった。

「じいさん、優しいんだね、タヌキをわざと逃がしてくれたんだもんね。タヌキに騙されたなんて、誰も思ってないよ」僕がそう言うと、じいさんは「そうだろう、そうだろう」と言って。僕たち四人のポケットにチョコレートを一杯詰め込んでくれた。


 僕たちは、きのこ爺さんの家を後にして、いつもの沢に向かった。岩に腰を下ろして、戦利品のチョコレートを食べながら大笑いした。

「きのこ爺さんのあの顔見たか、あの顔は志村けんよりおかしかったぞ」裕太は吹き出して笑っていた。

「しかも俺たちにワイロをくれたんだぞ。・・・でも、ワイロをもらったら俺たちも同罪か」

一瞬勝也は真面目な顔になったが、また、口の中のチョコレートも一緒に吹き出して笑った。「もったいねー」と言いながらも笑いは止まらなかった。

 修治君はそんな僕たちをニコニコしながら見ていた。そして、遠くの山に目をやった。僕はそんな修治君を見て思い出した。そういえば修治君に謝っておくことがあったんだ。

「裕太、勝也、ちょっといいかな。修治君に謝らなくちゃいけないことがあっただろ」

 そう言うと、裕太も勝也も真面目な顔をして修治君を見た。修治君は「どうしたの?」という顔をした。

「実は、今まで修治君を宇宙人だと思っていたんだ。前にこの沢でUFOを見てさ。その時、宇宙人が落としていった時計と、修治君のママが持っていた時計が同じだったから、そう思ってたんだ。でも、あれはデジタル時計って言うんでしょ。僕たちデジタル時計見たことがなかったから、そう思っちゃたんだ。ゴメンね、今まで誤解してて」

「ぷっ、あははは。そんな風に思ってたのか。僕はこの星の住人だよ。みんなと同じだよ・・・ぷっ・・ははははは」修治君は大笑いした。大笑いしたついでに修治君もチョコレートを吹き出した。勝也のマネをして「もったいねー」と言いながら笑った。それを見て僕たちも大笑いした。お陰で僕もチョコレートを吹き出してしまった。

 そのうち、裕太と勝也は沢で遊び始めた。修治君はまた「きれいだね」と言いながら遠くの景色を見ていた。

「浩介君、もうすぐ雪が降るんでしょう。雪が降ったら、あの子ダヌキだけだったら、冬は越せないよね。よかったね、親ダヌキと一緒になれて」

「うん、よかった」

「みんな優しいね。それに、ここはこんなに景色もいいし。こんなところにずっと住みたいな」

 その言葉を聞いて、急に修治君がどこかに行ってしまうんじゃないかと思った。そして、修治君は、なんとなく異次元の住人のような、そんな感じがした。やっぱり修治君は宇宙人なのかな、そう思って聞いてみた。

「修治君って、宇宙人信じる?」

「浩介君も僕も宇宙人だよ。こないだパパが言ってた。人間も、正確に言うと、宇宙に住んでいるんだから宇宙人だって。だから、僕も浩介君も宇宙人なんだよ。だから、僕は宇宙人は信じる」

「そうか、そうだよね。・・・なんか、今、修治君見てたら、遠いところに行っちゃうんじゃないかと思ってさ。まだ、転校はしないんでしょう」

「たぶん、まだだと思うけど、僕の宿題・・・いやパパの仕事が終われば、また、転校しなくちゃいけないかもしれないんだ」修治君はちょっと寂しい顔をした。

「でも、こっちにいる間も、転校しても修治君とは友達だよ」

「そうだ、修治君とはずっと友達だぞ」裕太も勝也も僕たちの話を聞いていたようだ。

 そして、僕たちみんなでこの景色を見た。それはいつもの見慣れたいい景色だった。



     7


 今朝は寒くて吐く息も白かった。外はどんよりとした雲にところどころに晴れ間が見えて、ついに来たかと思った。山を見ると、やっぱり山の上は白かった。空気は凛と澄んで、触れるもの全ての背筋をピンと伸ばしてくれるような気がした。山はてっぺんが白く、そこから下はまだ紅葉が残っていた。まるで、はっきりと、季節の変わり目を見せてくれているようだった。澄んだ空気がさらにそのコントラストを引き立たせ、しばらく僕はその光景に心を奪われていた。

 修治君は雪を見て、珍しくはしゃいでいた。

「裕太君、雪ってこの辺も降るの?」

「いっぱい降るよ。雪だるまもできるし、雪合戦だっていくらでもできるよ」

「じゃ、カマクラもできるよね。ねえ雪降ったら、カマクラつくって僕たちの秘密基地にしようよ」

「そうだそれがいい、そうしよう」勝也は乗り気だった。もちろん僕も裕太も賛成だった。

 給食の時間三郎先生が

「また、雪降るのか、やだな」と言った。

三郎先生は、雪が降らないところで育ったので、雪にはうんざりするらしい。

「修治、お前もはしゃいでいられるのも今のうちだぞ。雪が降ったら、楽しいことより、大変なことの方が多いんだから」

「先生、僕、スキーやってみたい」

「大丈夫だぞ修治、冬の体育はスキーだけだから」

「やったー」修治君は本当に雪が降るのが楽しみらしい。 


 しばらくすると、雪は僕たちの生活をすっぽりと覆いつくした。

三郎先生は学校のすぐ近くに家を借りていたが、いつも、家の前の雪を片付けてくるので、大汗をかいて学校に来ていた。

「もう、いやだ。雪はいやだ。雪のないところに行きたい」

「でも、先生がいなくなったら、寂しくなります」幸恵ちゃんと、久美子ちゃんが言った。

「そうか、そうか、お前たちはいい子だな。先生もお前たちと別れるのは寂しいぞ」

三郎先生は目がウルウルしていた。そして、僕たちの方を見た。

「それに比べてお前たちは、いつも俺のジャンパーに落書きをしてるだろう」

三郎先生は雪で濡れたジャンパーをいつも、ストーブの脇で乾かしていた。僕たちはそれによく落書きをしていた。

「俺も、先生がいなくなると、落書きができなくなるので寂しいです」

「やっぱり勝也だったか。今度落書きしたら給食抜きだぞ」


 まもなく、冬休みというある日

「久美子ちゃん、クリスマスプレゼント、サンタさんになにお願いするの」幸恵ちゃんは犬のぬいぐるみをお願いしていたようだ。

「私は、くまさんのぬいぐるみが欲しいな」

それを聞いていた勝也が

「犬だったら、浩介のところに行けば見れるじゃないか。熊も浩介のじいちゃんにお願いすれば取ってきてくれるぞ」

「もう、ばかじゃないの」勝也は相手にされなかった。

「勝也、お前なにお願いするんだ、俺は、カウンタックのプラモデルがいいな」裕太が聞いた。

「俺は、スカイラインのプラモデル」

「でも、お前プラモデル完成したことないだろう。いつも、交通事故に遭った車みたいになっちゃうじゃないか」

「今度は、ちゃんと作るよ。もうすぐ四年生だし。浩介は?」

「戦艦大和のプラモデルをお願いしたんだ」

「大和か。かっこいいな。修治君はなにお願いしたの」

「僕は、なにもお願いしてないよ」

「へー、どうして」

「欲しいものがあったら、お小遣い貯めて買おうと思うんだ。それに、サンタさんって年寄りだから、いっぱい頼んだら可哀相だし」みんな、さすが修治君と感心した。

「そうか、サンタさん年寄りだしな。それにみんなにプレゼント買ってやって、案外貧乏なのかも知れないぞ」勝也は頷いていた。


 今日は終業式だ。三郎先生は僕たちを一人一人呼んで、通信簿を渡した。

「裕太、お前は頑張ったな。誉めてやるぞ。いたずらさえしなければ、もっといいんだがな」裕太はニコニコして席に着いた。

「幸恵ちゃんも頑張ったな」幸恵ちゃんもニコニコして席に着いた。

「久美子ちゃんは、今回は算数と国語が良かったぞ、よく勉強していたな」久美子ちゃんは、Vサインをだして席に着いた。

「修治、お前はたいしたもんだ。みんなと仲良くやってたしな」修治君はなにも言わずに、なんか寂しそうに席に着いた。

「浩介、お前は体育が良かったな。あとはまあまあだ。でも、運動会一等賞、頑張ったな」

僕はニコニコして席に着いた。

「勝也、お前も今回は頑張ったな。特に掛け算は満点だったもんな。この調子で頑張れよ」

勝也もニコニコして席に着いた。

 三郎先生は、冬休みの生活の心得を話し始めたが、当然僕たちは聞いていなかった。早く遊びたくてしょうがなかったからだ。そして、三郎先生は、僕たちに宿題を渡して言った。

「みんなに寂しいお知らせがあります。二学期みんなと一緒に勉強した修治君が、また、転校することになりました」

「えー」僕たちは大声を上げた。

「修治君、本当なの」裕太は修治君を見た。

「・・・うん」

「そうか、残念だな」勝也も寂しそうだった。

「修治君いつまでこっちにいるの?」

「二十七日に引っ越すんだ」

「二十七日?随分忙しいな」勝也は驚いていた。

「じゃ、もうすぐだね」幸恵ちゃんも久美子ちゃんも残念そうだ。


「先生さようなら」そういい終わると飛び出るように校舎を出た。

「修治君、最後に雪合戦やろうぜ」

「やろうやろう」

僕たちは、二手に分かれて雪合戦を始めた。しばらくすると、下級生と上級生も仲間に入ってみんなで雪合戦だ。修治君はみんなとの別れを惜しむように、でも本当に楽しそうに雪合戦をしていた。

雪合戦が終わって修治君の家に行くと、修治君のパパもママも顔を出してくれた。

「みんな本当にありがとう。修治も転校するって言ったら、とっても残念そうにしていたのよ」ママが言った。

「本当は、もうしばらくいる予定だったんだが、仕事の関係で急に決まってね。みんなと冬の星空を見るのを楽しみにしてたのに」修治君のパパも寂しそうな顔をした。

「浩介君、おじいちゃんに新米ごちそう様でしたって言っておいてね。とってもおいしかったって」

「うん、分かった。修治君、僕たち二十七日にみんなで見送りに来るよ。友達だもんな」

 裕太と勝也と僕は、トボトボと雪に覆い尽くされた道を、長靴を履いて歩いていた。

「なんだよ、せっかく仲良くなれたのに、転校するなんて。そうだ、みんなで、修治君にプレゼントをしよう」裕太が提案した。

「そうだ、それがいい、勝也も賛成だろう」

「賛成。でもなにあげるの」

「大事なものだよ。俺は、サンタさんにお願いした、カウンタックをあげる」

「俺は戦艦大和だ」

「でも、サンタさんにもらったもの、あげちゃっていいの」

「いいんだよ。大事なものをあげるんだ。だって修治君は友達じゃないか」

「そうだよな、じゃ俺はスカイラインをあげるぞ」


家に帰って、じいちゃんに通信簿を見せた。「うんうん」と頷いた意外は特に何も言わなかった。オール3では、特になにも言うこともないとは思うけど。

 父ちゃんも母ちゃんも通信簿を見て、何も言わなかった。ただ、母ちゃんは通信簿を仏壇に置いて鐘を鳴らした。ご先祖様に僕の頭が良くなるように祈っていたのかも知れない。でも、その頃は、みんなあまり成績がどうのこうのとは言わなかった。

「父ちゃん、こないだ転校してきた修治君、また引っ越すんだって。寂しいな」

「ああ、そうみたいだな。お父さんは優秀な技術者みたいだから、どこかで声が掛かったんだろう」

「修治君のパパ優秀なんだ。だから、修治君も頭がいいんだな」

「そういうことだ。お前は俺の子供だからこんなもんなんだ。だから、怒ってもしょうがない。ははは」

「そういううことか、ははは」

「まったく親子は似て欲しくないところが似るんだから」母ちゃんは脇でお茶を飲んでいた「浩介、明日早いんだから、今日はもう寝なさい」


 次の日は、父ちゃんと母ちゃんと町に買い物に行った。町と言っても車で一時間半くらいかかるところで、正月の買出しに行ったのだ。

 車の中で父ちゃんが僕に聞いた。

「浩介、サンタさんにヤマトのプラモデルお願いしたのか」

「うん、お願いしたよ。でも、勝也がサンタさんは貧乏だからって言っていたから心配なんだ」

それを聞いて父ちゃんも母ちゃんも大笑いしていた。僕はなんで笑っているのか分からなかった。

 デパートに行って、僕と母ちゃんがいろいろ見ていたら、父ちゃんが紙袋を持ってやってきた。

「父ちゃんなに買ってきたの?」

父ちゃんはニコニコしながら「たいしたものじゃないよ」と言った。

「ふーん」僕はあまり気にしなかった。

「おい、浩介のスキー買わなくちゃな」みんなでスポーツ用品売り場に行った。そして、エッジ付きのスキーを買ってもらった。今でこそエッジ付きのスキーは当たり前かも知れないが、僕が去年まで使っていたスキーはエッジがなかったのだ。まあ、よくそんなんで滑っていたなと感心する。

 お昼ご飯は、デパートのレストランで食べた。

「浩介はお子様ランチでいい?」

僕は、首を横に振った。僕はもうすぐ四年生になるのに、お子様ランチなんて食べていられるか。

「スパゲッティーがいい」

 スパゲッティーは食べ方が難しかった。なんでハシがでてこないんだろう。僕はフォークを両手で回しながら、時には反則技の手も使いながら、何とかスパゲッティーを平らげた。でも、家族で食べるデパートのお昼ご飯はとっても美味しかった。

 帰りは、吹雪になった。父ちゃんは慎重に車を運転していた。僕は、後ろの席で寝ていたが、大人になって、雪道を運転するのは、本当に骨が折れることだと実感した。今では、お前は雪国育ちだから、雪道に慣れているだろうと言われるが「雪道を歩くのは慣れていますが、運転はシロートです」と答えることにしている。でも、それは本当のことだ。

 僕は寝る前にサンタさんにお願いした。

「通信簿は良くなかったですけど、運動会で一等賞とりました。来年は勉強も頑張りますので、戦艦大和のプラモデルお願いします」

 そして、サンタさんて、どこから入ってくるのだろう、とか、あんな小さな袋で、みんなのプレゼント入るのかなとかいろいろ考えた。でも、しばらくするといつものように眠ってしまった。


 次の日の朝、目を覚ますと、枕元に青い包み紙で包装されたプレゼントが置いてあった。僕は、それをとると、居間に下りて行った。

「母ちゃん、サンタさんプレゼント持ってきてくれたよ。なにかな」

「開けてごらん」

「うん」

 僕は、包み紙をそーっと開けた。びりびり破いたら、サンタさんに悪いと思ったからだ。包み紙の中から、船の絵が見えてきた。僕は、はやる気持ちを抑えて、丁寧に包み紙を開けた。

「やった、戦艦大和のプラモデルだ」

 父ちゃんも母ちゃんもニコニコしてそれを見ていた。

「あれ・・・でもこれ、宇宙戦艦ヤマトだ」

その時、僕は気付かなかったが、母ちゃんの冷たい目が父ちゃんの体を貫いた。

「ああ、でも、今年は、宇宙のことでいろいろあったから、やっぱりサンタさん、見ていてくれたんだな。うれしいな」僕は、つまりどっちでも良かったのだ。サンタさんにプラモデルを貰ったことが嬉しかったのだ。父ちゃんはたぶんほっとしていただろう。

 僕は、その日はずっと宇宙戦艦ヤマトのプラモデル作りに没頭した。丁寧に部品を外し、ヤスリで切り取った部分を平らにし、セメダインを部品からはみ出ないように、少しずつ塗って貼り付けた。

じいちゃんは「今年は上手に出来そうだな」と黙って見ていた。僕も勝也のことは笑っていられなかった。去年作ったランボルギーニチータは、事故車まではいかなかったが、新品なのに、もうラリーを3回も走ったような出来栄えだったからだ。今年は、あせってヘマをしないように初日は途中で止めた。

次の日は、シールを水に塗らして、本体に貼る作業だ、これがずれると、デスラー総統に一発おみまいされたようになってしまう。慎重にシールを貼り付けた。そして

「後は、これを台に乗せて完成だ。やったー」生涯初めての自信作だった。

 塗料を塗ればもっと出来栄えは良かったと思うが、塗料なんてある訳ないので、これはこれで満足だった。よし、これを裕太と勝也に見せに行こう。

 長靴を履いて、箱に入れた宇宙戦艦ヤマトを大事に抱えて、まず、裕太の家に行った。

 裕太も僕が来るのを待っていたようだ。

「どうだ、浩介、俺のカウンタック。この赤のラインがカッコイイだろう」裕太も自信作だったようだ。

「あれ、浩介、お前宇宙戦艦ヤマトお願いしたんだっけ」

「いや、戦艦大和だったんだけど、今年はいろいろあったからさ、やっぱりサンタさんは、俺たちのことを見ていたんだよ」

「そう思うよ」裕太と僕は、互いの作品を見ながら、お互いに満足していた。

次に、僕たちは勝也の家に行った。勝也も僕たちを待っていたようだ。

「どうだ、俺のスカイライン。もう、事故車だなんて言わせないぞ」

確かに、勝也にしては素晴らしい出来栄えだった。

「勝也、お前すごいな。ちょっと見せてみろよ」裕太は勝也のスカイラインを手にとって見た。勝也もカウンタックと宇宙戦艦ヤマトを見た。

「裕太も浩介もすごいな。去年とは全然違うな。俺たちも来年は四年生だからな、いつまでも、事故車作っててもしょうがないよな」

「よし、じゃこれを明日修治君にプレゼントしよう」

「じゃ、明日ね」そう言って僕たちは家に帰った。


 今日は、修治君とお別れの日だ。僕たち三人は、それぞれ自信作を持って修治君の家に集まった。修治君のパパとママが一生懸命車に荷物を詰め込んでいた。

 僕たちを見つけると修治君が家から飛び出してきた。

「おはよう。今日でお別れだね」

「うん。こればっかりはしょうがないよ。これ俺からのプレゼント」裕太はそう言って、カウンタックを修治君に渡した。

「俺も、これ。結構自信作なんだ。一生懸命作ったんだぞ」勝也もスカイラインを渡した。

「これ、宇宙戦艦ヤマト。本当は戦艦大和の予定だったんだけど」

「みんな、これ本当にもらっていいの?今年サンタさんにお願いしたものじゃないか」

「いいんだよ。俺たち友達だろう。だから、大事なものをあげるんだ」勝也はそう言うと、ポケットから棒を三本取り出して修治君に渡した。それは、ホームランバーの「あたり」の棒だった。

「これ、今年当たったやつとっておいたんだ。修治君にあげるよ」

「お前、それもあげるのかよ、すげーな」裕太は感心したようだ。

「みんな、ありがとう」修治君は嬉しそうな、寂しそうな顔をした。

そして、修治君は泣きながら「みんなも僕のこと忘れないでね」と言って、それぞれにピンクの小さな石をくれた。

「これは、すごく大事なものなんだ。だから、お守りだと思ってずっと持っていてね」

「うん、分かった」僕たちもみんな半ベソをかいていた。

「修治、それそろ行くぞ」修治君のパパが呼んだ。

「みんな元気でね」

「修治君もね」

 僕たちは修治君の車が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。


     8


 僕たちは四年生になった。そして、いつのまにか修治君のこともすこしづつ頭から離れていった。

修治君からもらった小さなピンクの小さな石は、いつも、筆箱の中に入れて置いた。これを入れておくと、修治君のように頭がよくなる気がしたからだ。勝也もそれを真似して、筆箱に入れていた。裕太はランドセルにつけてある、交通安全のお守りの中に入れていた。

「おい勝也、今日はきのこ爺さんの家のイチゴを食べに行こうぜ」

裕太が勝也を誘った

きのこ爺さんはなんだかんだと言っても、野菜や果物を作るのは上手だった。それは僕たちが一番良く知っていた。春はなんと言ってもイチゴだった。もちろん、きのこ爺さんに断って食べる訳がない。悪い言葉で言うとドロボーだ。

「よし、今日はでかいのを食うぞ」僕たちも悪いことをしているとは分かっているので、食べるのは、一人一個と決めていた。

 学校が終わると、真っ直ぐきのこ爺さんの家に向かった。ところが、今日はじいさんが畑にいた。

「お前ら、今日は俺がここにいて、イチゴ食えなくて残念だな」どうやら気付かれていたらしい。でも、きのこ爺さんは、僕たちがタヌキの件を黙っていたので、最近ちょっと優しくなった。

僕たちはなにも言わずに沢に向かった。春の日差しは柔らかで、その日差しを受けて、山の緑は少しづつ息を吹き返しているようだった。山の新芽は、なんというかフワッフワッと、赤ちゃんの髪の毛のような感じで、そこここに芽吹いていた。遠くの山を見ると、山の上にはまだ雪が残っていて、かすんだ感じにその緑が見えた。まるで、有名な画家の描いた絵のようだった。


「勝也、今日はダメだ。きのこ爺さんがいたんじゃ、イチゴは食えない」裕太が言った。

「しょうがない。でも、俺たちが食ってたのバレてたな、浩介お前ばらしたのか」

「言うわけがないよ。でも、イチゴ食べたいな・・・なんだよ、そういえば、家で作ってるんだよ。家に行けば食べれるよ」

「いや、隠れて食うから、うまさが増すんだ。まさに、隠し味とはこのことだ」最近勝也は、天然なのか、頭がいいのか分からないことを言うようになった。

「でも、春は気持ちいい」そう言うと僕はランドセルを枕にして、寝そべって空を見上げた。みんなも同じように空を見上げた。

「修治君元気かな」勝也が懐かしそうに言った。

「修治君のことだ、どこでもちゃんとやってるよ。でも、最初修治君を宇宙人だと思ってたもんな。あの時計のせいでさ」そう言うと裕太はハッとして、僕達が、宇宙人の落とした時計を置いた場所を見た。そして「あれ・・・やっぱり・・・いや・・・そんなはずは・・・でも・・・分からない」と腕組みをした。眉間にしわまで寄せて考えているようだ。僕と勝也はそんな裕太を黙って見ていた。

「解けない謎があるんだ」裕太が言った。

「修治君のママの時計はデジタル時計だというのは分かった。でも、よくよく思い出すと、ここで見つけた時計と、修治君のママの時計はまったく同じ時計だ。それに、修治君のママが時計をしていた時は、ここに時計がなかった。って言うことは・・・」

「やっぱり修治君は宇宙人だったってこと?」勝也は起き上がった。

「別にいいじゃないか、例え修治君が宇宙人でもかまわないよ。僕たち四人は友達だもん」僕は筆箱に入れておいた、修治君からもらった石を手に取り、それを眺めながら答えた。

「そうか・・・そうだな・・・浩介の言う通りだ。修治君が宇宙人でも怪獣でも、俺たち友達だもん。だけど、なんとなく気になるというか・・・」裕太はまた、腕組みをした。

「そういえば、UFO見たときもこんな感じだった。勝也覚えてるか」僕は勝也を見た。

「覚えてるよ。ほら、あそこ。あんな感じでカクカク動いていたんだよ・・・・・そうあんな感じで・・・・・やばい、本物だ!」

 僕たちは、ランドセルを持つといっせいに逃げ出した。

「逃げろー!」

 しかし、その光はグングン僕たちのところへ向かってきた。しかし一番先を走っていた僕が石につまずいて転んでしまい、勝也も裕太も僕の体にぶつかって転んでしまった。今度こそもうだめだと思った瞬間、UFOは物凄い音を立てて、僕たち三人の上に着陸した。幸いなことに、UFOの胴体と地面にすきまがあったので、僕たちは潰されずにすんだ。

 しかし、UFOは眩い光を放っており、僕は目がくらんで何も見えずUFOがどんな形をしているのかまったく分からなかった。

 目の痛みに耐えられなくなった僕はぎゅっと目を閉じた。そして、恐怖とUFOの着陸の衝撃で気を失いそうになるのを必死でこらえていると、大きな着陸音でキーンと鳴っていた耳から話声が聞こえてきた。

「どう、ここに来れるのはこれで最後だけど、宿題は終わったの?」

「うん、あとはこの絵に色を塗れば終わるんだ。やっぱり写真じゃどうしても色が分からなくて」

「この子ったら、ここに来るといつも目が輝いてるわ。よっぽどここが気に入ったのね」

「私もそうだよ。こんなに綺麗に星が見える場所はないからね」

「そうね、ここは空気もおいしいし、みんないい人だったわ。それにこの景色。また、こんなところでのんびりと生活したい。でも、もう来れないと思うとなんだか寂しいわね」

「どれ、ちょっとパパに絵を見せてごらん・・・ほお、なかなか上手に描けているじゃないか。これはみんなで遊んでいるところだね。この子たちはいつも遊んでいた友達だね」

「そうだよ。この三人が友達で、これが僕なんだ」

「そうか。みんな仲良く遊んでいたからね。でも、あの子たちは、ここがあんなことになるなんて・・・なんだか可哀想な気がするね」

「うん、だから、みんなのためにこの絵を描くんだよ。僕らがこんな素敵なところで遊んだって、忘れて欲しくないから」

「そうね、きっとみんなも分かってくれると思うわ」

「・・・この声は・・・」僕は聞き覚えのあるその声を聞くと、ほっとして、すーっと意識を失ってしまった。


「グオーン」という物凄い音と、「ピカー!」と眩しい光で僕は意識を取り戻した。

「あれ?なんでここに寝ているんだろう」気がつくと僕は左手にピンクの石を握り締めたまま寝ていた。隣では勝也と裕太が気を失っている。汗びっしょりの体を上半身だけ起こし、僕は二人の体を揺さぶった。

「おい、裕太!勝也!起きろ」

「あれ?なんでこんなところで寝てるんだ?」勝也はポカンと口を開けたまま僕の顔を眺めた。

「ふあー、なんだか耳がキンキンするな」裕太も同じように口をポカンと開けたまま空を見上げた。

 僕は立ち上がり、二人の顔を見回しながら言った。

「さっき、UFOを見ただろう?やっぱり修治君は宇宙人だったんだ。あのUFOに乗っていたんだよ」

「へっ?」というと二人は顔を見合わせた。そして怪訝な顔をして僕を下から覗き込んだ。

「どうしたんだよ。さっきのUFOのこと、あれには修治君が乗っていたんだぞ!」僕は大きな声でどなった。

 裕太はもう一度勝也の顔を見てからゆっくりと僕の顔を見た。

「浩介。お前何言ってんだ?俺たちUFOなんて見てないぞ。それにシュウジって誰だ?」

「えっ!何言ってんだよ、ここで一緒に遊んだだろう。それにさっきも修治君の話をしてたじゃないか!」

「さっきはいちごの話をしてただろう?きのこ爺さんが畑にいて食べられなかったって」勝也はそう言ってランドセルについた埃をはらった。

「俺、帰る。なんだか耳がキンキンしてさ」おでこを手で叩きながら勝也がランドセルを背負った。

「俺も」裕太も同じようにランドセルを背負った。

「ちょっと待ってよ、どうしてあんなに楽しく遊んだのに忘れちまうんだよ。俺たちと修治君は友達だろう。なあ、そうだろう!」

「浩介、お前夢でも見たんじゃないのか。俺はシュウジって奴と話した覚えもなければ、遊んだ記憶もない」裕太はそう言うと、くるっと回り僕に背を向けて歩き出した。勝也もその後に続いた。

「お前ら・・・お前ら、本当に忘れちまったのか!なんでだよ!」

僕の大声が聞こえたのか聞こえていないのか、二人は首をぐるぐる回したり、手で頭を叩きながら帰って行った。僕は二人に忘れられてしまった修治君が可哀想で、それが悔しくて涙があふれ出て止まらなかった。

 しばらくすると、ざくざくと足音が聞こえてきた。

「浩介、どうしたんだ一人で」後ろを振り向くと、そこにはきのこ爺さんが立っていた。

「じいさんは見ただろう?」

「何を見たんだ。何も見てないぞ」

「UFO見なかったの?そこには修治君もいたんだ」僕は聞いた。

「UFO?UFOなんてあるわけないだろう。それにそのシュウジというのは誰だ」

「修治君は、ほら、東京から転校してきた子だよ」

「東京から転校してきた子なんていたか?お前らいつも三人だったじゃないか」

「えっ!」

「お前、タヌ・・・いや、キツネにでもバカにされたんじゃないのか」

「そうだよ、じいさん、タヌキに騙されたとき、俺たち三人の他にもう一人いただろう」

「あの時は、三人だけだったじゃないか。なにを言ってるんだ。ついに頭までおかしくなったか」そう言うときのこ爺さんは、家の方へ戻って行った。

「どうして」僕はどうして修治君のことをみんな覚えていないのか不思議でならなかった。

「そうだ!学校に言ってみよう。三郎先生がいたら確かめてみればいい。きのこ爺さんはボケてるのかも知れないからな」僕はランドセルを背負うと学校へ走った。

 学校に着くと三郎先生が外で草むしりをしていた。

「おっ手伝いにきたのか。暖かくなってきたら急に草が生えてきてな。よし、お前も手伝え」

「今、とっても急がしいんだ。ねえ先生、修治君って覚えてるよね」

「ああ、修治な、覚えてるよ。でも、なんでお前、修治のこと知ってるんだ」

「だって友達だもん」

「友達?何を言ってるんだ。修治は俺の高校の同級生だぞ。なにか勘違いしてないか」

「勘違いしてるのは先生の方だよ。ほら、夏休みが終わって、東京から転校してきた修治君だよ」

「は?そんな子いなかったぞ。お前らの学年の男は、浩介、裕太、勝也、それだけ」

 僕はそれを聞いて唖然とした。三郎先生の顔はうそを言っている顔には見えない。どうして三郎先生まで修治君を忘れてしまうんだ。

「先生、去年の運動会の写真見せてよ」

きっと写真には僕たち四人が写っているはずだ。そう思い先生にお願いした。

「面倒くさいな、まったく」そう言うと三郎先生は職員室に入っていった。僕もそれに続いて職員室に入った。

「ほら、運動会の写真」

 ペラペラとアルバムをめくっていった。三年生の八十メートル競走のスタートの写真がある。そこには僕と裕太と勝也の三人がいっせいにスタートしている写真があった。でも修治君はいなかった。

「どうだ、お前たち三人だけだろう」


「ありがとうございました」ようやく言葉を発した僕は、とぼとぼと職員室を出た。ちょうど、そこに幸恵ちゃんと久美子ちゃんが通りかかった。

「また、三郎先生に怒られたの」幸恵ちゃんと久美子ちゃんはにやにやしていた。

「違うよ。ちょっと三郎先生に運動会のアルバムを見せてもらってたんだ。ねえ幸恵ちゃん、修治君て子分かる?」

「シュウジ君?知らないよ。久美子分かる?」

「私も知らない。でもなんでそんなこと聞くの」

「いや、なんでもないよ・・・」

 

なんでみんな修治君を覚えていないんだ。僕は学校のブランコに座り黙って下を向いていた。悔しくて、また、目から涙があふれ出た。その涙がぽたっと僕の左手にあたった。

「そうだ!」僕は、そーっと左手を開いた。そこには修治君からもらったきれいなピンク色の石があった。

「やっぱり修治君は、僕たちの友達なんだ!」僕はもう一度その石を左手でぎゅっと握り締めた。

それは、僕と裕太と勝也と修治君がここで一緒に遊んだことを証明するものだった。どうして、裕太と勝也、それにみんなが修治君を忘れてしまったのか、それは分からない。もしかすると、修治君は地球を偵察にきた悪い宇宙人かも知れない。それを隠すために最後にピカーと光ってみんなの記憶を奪ったとも考えられる。

 いやそれは違う、最後に「みんなのためにこの絵を描くんだよ。僕らがこんな素敵なところで遊んだって、忘れて欲しくないから」修治君はそう言っていた。そんな優しい修治君が悪い宇宙人なんてことはありえない。きっといい宇宙人なんだ。でも、宇宙人だってことを知られては困るから、みんなから記憶を奪ったんだ。

でも、どうして僕だけ忘れていないんだろう。僕の宇宙戦艦ヤマトが気に入ったから修治君は記憶を消さなかったのかな。確かにあれは自信作だったけど、裕太のも勝也のもかっこ良かったと思うし。

「そうか!」

 僕は、もう一度左手を開いた。

「そうか。この石か。きっと、この石を持っていたからなんだ。きっとこの石には不思議な力があるんだ」

 僕は空を見上げた。「みんな修治君を忘れてしまったけど、僕たちは友達だよね。もう会えないかも知れないけど、僕たちは友達だよね」



     9


 僕は、汽車に乗り込んだ。ディーゼルエンジンが唸りを上げると、汽車はゆっくり動きだした。見渡す限りの田んぼは青々と茂り、まるでじゅうたんのようだった。秋になると黄金色に変わり、実りの秋を実感させてくれる。そして、空はどこまでも青く、そこに流れる川は澄んでいた。

汽車はしばらく、盆地を走っていたが、やがて、山をぬって、山に張り付くように汽車は走った。ふと見ると、線路の下を通っている道路は車がほとんど走っていなかった。そりゃそうだ、この辺は過疎化が進んで、住んでる人も減ってきている。一見無駄な道路のようだが、なにかあったときには大切な道路だ。この汽車も同様に年寄りが医者に行くときや買い物に行くときには大切な足となる。

向かいの山を見ると、林道のようなものが見えた。あれは僕の親父が勤めていた建設会社が作ったものだ。あれは確かに無駄といえば無駄かもしれない。でも親父があそこで働いていたから、僕は大学にも行けたし、そこそこの職にも就けた。あまり文句も言えない。

 汽車は最後のトンネルを抜けた。もうすぐ駅に到着する。ギギーと鈍い金属音を出して汽車は止まった。降りたのは僕も含めて二人だった。よく見るともう一人は近所のおばちゃんだった。

「浩介帰ってきたのか。一人か?」

「ええ、みんな忙しくて、一人で帰ってきました」

「そうか。まあ、父ちゃんも引越しの準備で大変だからな。手伝っていくんだろう」

「そうです。まあ、あまり長くは居れませんけど」

 僕は、タクシーを呼んだ。この村で一台だけのタクシーだ。今日は忙しいらしく、三十分ほど待ってくれと言われた。歩いて帰れないことはないが、歩けば一時間はかかる、しかも山あり谷ありの道だ。運動不足の体にはちょっとこたえるので、僕はタクシーが来るまで、駅の椅子に腰掛けて待つことにした。

 ここから見る景色は、昔と変わっちゃいない。青い空に、緑の山、川のせせらぎ。空気も変わっちゃいない。まったく昔のまま澄んでいる。

急にトラックが何台も、ディーゼルエンジン特有のにおいを振りまいて、駅前の道路を走っていった。それを見てフーっとため息がでた。今のトラックも、大きな町の生活用水確保のために造られるダム工事現場で働いているんだ。そして、そのダムのお陰で、僕の実家は水の下になってしまうのだ。

 人間の豊かな生活を守るため、ここには、水力発電所のダムもある。ここで発電された電気や、貯められた水を使っている人達は、当たり前のようにその恩恵を受けているのだろう。

 それがいけないこととは思わないが、それによって、故郷を奪われる人間もいるんだってことは分かって欲しい。大多数の人間の豊かな生活は、自然や少数の人間の犠牲の上に成り立つこともあるんだってことを。一生のうち一回くらいはここにきて、みなさんが辛い思いをしたお陰で、私達の生活は成り立っています。そう言ってもらいたい。

 タクシーがやってきた。

「浩介じゃないか。今年はお前のところも大変だな。そういえば、父ちゃん達の住むところ決まったみたいだな」

「ええ、いいところがあったって聞いてます」

「どうだ、子供達は元気か」

「もう、親と一緒に来るなんて言わないんで、ちょっと寂しいですよ」

「ははは、大丈夫、そのうち戻ってくるさ」

 そんな話をしながら、十分で家に着いた。親父とお袋は、せっせと引越しの準備をしていた。

「ただいま」

「おかえり。ちょうど良かった。仏壇運ぶの手伝ってくれ。俺と母ちゃんだけじゃ重くて運べないんだ」

 昔の親父だったら、一人で運んでいただろう。でも、寄る年波にはかなわない。僕は仏壇運びを手伝った。そこにはじいちゃんとばあちゃんの写真もあった。もちろん、戦死したおにいちゃんの写真もあった。戦死したおにいちゃんの写真をみると、自分より大分若いことに改めて驚かされた。

 一息ついて、みんなでお茶を飲んだ。お茶は水道水を沸かしたお湯でいれたものだ。でも、やっぱり美味かった。

僕の自宅では、ご飯を炊いたり、飲み水に使う水は、浄水器で浄水したものを使っている。でもここは、そのまま水道水を使っても美味い。これは浄水器もかなわない。

「あ、そうだ、着いたら連絡くれって言われていたんだ」僕はポケットに入っていた携帯を取り出して自宅に電話をかけようとした。しかし、携帯の画面には「圏外」の文字が出ていた。家の電話を使って電話を入れた。確かにこういうところは都会に比べて不便なところではある。

「今、着いたよ。ああ、明後日帰るよ。うん、それじゃ」電話を切って、また、美味しいお茶を飲んだ。

「浩介、ここが、今度住むところの住所だ。電話番号が決まったら、連絡するから」

「分かった。でもここを離れるなんて思っていなかったでしょう」

「想像もしなかったし、できれば出て行きたくないのが本音だ。でも、ダムができるのはもう決まったことだし、今更、しょうがないさ」親父は寂しそうだ。お袋も同じ気持ちだと思う。

それは、僕も同じだ。年に何回も帰ってくる訳じゃないが、自分が生まれ育った故郷がなくなるのは、なんともいえないくらい寂しいものだ。旧ソ連のとき、亡命者が命をかけて故郷に帰る話を聞いたことがあるが、その気持ちは、今は分からないことはない。

 一息入れて、また、引越しの準備を始めた。昔の思い出の品がいっぱい出てきた。それをまとめて、いらないものは捨てた。捨てるといっても、物を見るといろんなことを思い出して、その度「ああだ、こうだ」とみんなで話始めるものだから、なかなか、引越し準備ははかどらなかった。

「あれ、これは」それはピンク色した小さな石だった。昔、僕が使っていた筆箱の中に入っていた。「こんなところにあったのか」僕はそれをポケットにしまいこんだ。

「ああ疲れた。今日は終わりだ」親父はそういうと畳に座って、肩をたたいた。

「夕ご飯作るから、浩介も休んだら」

「じゃ、ちょっと出かけてくる」僕は子供の頃いつも遊んだ沢に向かった。ピンクの石を見て、あの沢を思い出した僕は、靴を履いて外へ出た。途中おやしろにも行ってみた。ダムができればここも水没してしまうが、お地蔵さんは、別の場所に移されるらしい。

いまもおやしろはきれいにしてあった。もう、ここで遊ぶ子供もいないせいか、お地蔵さんは整然と前を向いていた。でも、お地蔵さんはなんだか寂しそうだった。本当は子供達がここで遊んでいるのを見るのが楽しかったのだろう。

 道を歩いていると、見えるはずの学校が見えなかった。そうだ、何年か前に取り壊されたんだった。いろんな思い出の詰まった学校は、跡形も無くなっていた。でも、校庭は残されていた。近所の年寄りがここでゲートボールをしているらしく、四角く線が引いてあった。でも、まもなくここも水の下になってしまう。

 きのこ爺さんの家もなかった。きのこ爺さんは、ばあさんに先立たれ、十年程一人で生活していたようだが、ある朝ポックリと死んでしまったらしい。

 後で聞いた話によると、子供たちが気持ちよく遊べるようにおやしろを掃除したり、通学のとき危ないからと道路にはみだした木の枝を切ったりしていたらしい。きのこ爺さんには叱られた思い出しかないが、今考えれば、あの頃は叱られて当然のことをしていただけで、本当は優しい人だったんだと思う。

ふと僕はあの親子連れのタヌキを思い出した。あのタヌキももう死んでいるだろう。しかし、僕の頭の中には、今もはっきりと、親ダヌキがきのこ爺さんから逃げ出して、子ダヌキと山に帰っていくところが思い出された。


 沢に行くと、先客がいた。

「あれ、裕太、勝也じゃないか」

「おお、浩介も帰ってきたのか」裕太が手を振った。勝也も手を振っていた。

 裕太は今、小学校の先生をしている。裕太のイメージからして、先生は似合わないと思っていたが、今見るとメガネも似合ってるし、確かに先生らしく見えないこともない。

勝也は自動車整備工場を経営している。あのプラモデルを思い出すと、心配でしょうがないが、修理するのは上手らしい。お金のことはしっかりものの奥さんが管理しているそうだ。でも、昔に比べて大分太ったし、髪の毛も薄くなってきていた。

 僕たちは、前のように岩に腰を下ろした。そして全員言った。

「よっこらせーのどっこいしょっと」みんなで笑った。

「ここも、水の下になっちまうんだって」勝也が言った。

「寂しいな」みんな同じ気持ちだった。

「しかし、久しぶりだな、三人一緒に揃うなんて」裕太は勝也を見た。

「本当だ。いや実は、今日、実家の片付けしてたら、たまたま昔使ってた筆箱の中にピンクの石を見つけたんだ。そしたらここを思い出したんだよ」勝也はポケットから石を出した。

「同じだよ、僕も筆箱の中でこの石見つけたんだ」

「おい、俺もだよ。今日実家で、昔使ってたランドセルの中を見たら、お守り袋があったんで、中を見たらこいつがあったんだ。で、なんとなくここに来たくなってさ」

「もしかしたら、修治君が来るかもしれないぞ」

「誰だっけ?そのシュウジ君って」裕太と勝也は僕の顔を覗き込んだ。

「僕たちの、友達さ」

「そんな奴いたっけ?」

「お前ら、冷たい奴だな。まあいい、昔のように空を見ようぜ」僕はにやにやして言った。

みんな岩の上にゴロンと横になった。空と山と水の音と、新鮮な空気を惜しむように僕たちは遠くを見ていた。

「よく、ここで遊んだよな。服も靴もビシャビシャにしてさ。帰るたびに怒られたっけ。こんなきれいなところで遊んでたなんて、今思うと贅沢だね」僕は懐かしく昔を思い出した。

「確かにそうだな。でも、ここがなくなるって聞かなきゃ、もうここにはこなかったかも知れないね。俺たち、この景色が当たり前だと思ってたし、この景色はずっとここにあるもんだと思ってたもん」裕太は手元の石を子供の頃のように沢に投げていた。

勝也は近くにあった草を取ってゆらゆら揺らしながら「みんなでもう一度ここで遊びたいよ」そう言った。

勝也がそう言うと、ポケットにあったピンクの石が光った。裕太と勝也の石も光った。それは、ゆっくりと動き出して、スーッと僕たちの上で合わさったかと思うと、空中にここの景色を映し出した。それは、よく見ると、子供の頃の僕と裕太と勝也、そして修治君が、わいわい騒ぎながらコンバットごっこをしている映像だった。

 僕たちは驚きで声が出なかった。ただ、黙ってその映像を見ていた。でも、なんとなく懐かしさを覚えたのは、僕だけではあるまい。おそらく裕太と勝也も同じ思いだっただろう。しばらくピンクの石はその映像を写していた。一分程経つとフッと映像は消えた。そして、ピンクの石は三人それぞれの前で、徐々に大きくなり三枚の絵になった。僕たちはその絵を手に取り眺めた。その絵は子供が描いたような絵で決して上手なものではないが、何故か僕たちの心を捉えて離さなかった。僕たちは、誰もなにも話さずただその絵をじっと眺めていた。


「一体、これは何なんだろう」裕太がようやく口を開いた。

「友達からの送り物だと思う」僕はこれは修治君からのプレゼントに違いないと思った。僕は修治君とのことを忘れることはなかったし、修治君との思い出はいつも頭の中で鮮明に映像となって描くことができた。そして、この絵を見て、今まで分からなかったことが全て解決した気がした。

「友達?」勝也が僕の顔をじっと見つめた。

「そうさ、友達さ。ほら、絵をみてごらん。僕らの他にもう一人いるだろう。これが僕たちの友達さ」

「俺は、覚えていないな」裕太は首を振った。勝也もしかめっ面をして首をかしげた。

「この子は、宇宙人さ。きっとここが気に入ったんだ。だから、こうやって、ここの絵を僕たちにプレゼントしたんだと思う」

「宇宙人!お前、本当にそんなこと信じているのか」勝也はにやけた顔をした。

「そうさ。よく考えてみろよ。今の科学で、こんな手品みたいなことが出来るか。出来るのは宇宙人しかいないだろう」

「確かに、現代の科学で今のことを説明するのは難しいと思う。でも、俺は宇宙人と遊んだ覚えはないし、当然知り合いもいる訳がない」裕太はそう言うと絵をじっと見つめた。

「なんで浩介は覚えてるんだ」勝也が言った。

「当然だろう、友達なんだから」

「俺はバカだから忘れるかも知れないけど、裕太が覚えていないのはおかしいよ」

 僕は、今まで「俺は、宇宙人を見たんだ」と誰にも言ったことはない。それは修治君に対する裏切りだと思っていたからだ。しかし、裕太と勝也は別だ。僕は修治君のことを全て話した。一緒に遊んだこと、UFOに乗っていたこと、そして、最後に僕たちのために絵を描いたことを。二人は黙って聞いていた。

「そうか。そういうことだったのか。どうりでこの絵には、なにか特別な思いが込められている気がしたのか」裕太は、また黙って絵に視線を落とした。勝也も何も離さずに絵をじっと見ていた。


「ほら、見ろよ」僕は夕日に向かって顔を上げた。

「きれいだな。だけど、これでここも見納めだ」裕太は大きなため息をついた。

「でも、この絵があれば、いつもここに帰ってこれるじゃないか」勝也が僕と裕太の肩をポンと叩いた。僕たちは頷いた。


「さあ、帰ろう」裕太が言った。僕たちはそれぞれの手に修治君からのプレゼントを持って、昔のように三人横並びに歩きながら家路についた。

「しかし、そのなんだ、修治君はいいプレゼントを贈ってくれたよな。これは最高のプレゼントさ。俺がUFO作るから、お前ら一緒にお礼に行こうぜ」勝也が言った。

「勝也の作るUFOには乗りたくないな。でもさ、本当にいいプレゼントだと思うよ。俺たち三人が、最後にあそこに集まった時にあのタイミングで出されたんだからな」

「!」

 僕は裕太のその言葉で全てが分かった。僕は大きな勘違いをしていた。

「そうか!分かった!」僕は大声で叫んだ。裕太と勝也が驚いて僕の顔を覗き込んだ。

「そうか。僕は大きな勘違いをしていた。修治君は、修治君は、未来の人間だったんだ」

「未来の人間?」裕太が聞き返した。

「そうさ。だってそうだろう。ここがダムでなくなることはあの頃の僕たちは分かるはずがない。もちろん、大人だって知らないはずだ。なのに、なんで、ここがなくなるって知ってたかのように、あそこの絵を僕たちにプレゼントしたんだ。それに、なんで、今日なんだ。それは、僕たち三人が最後にあの場所に集まるって知ってたからじゃないか」

「それを知っているのは、未来を知っている人間しかいない、ってことだな」裕太の言葉に僕は頷いた。

「ってことは、今の俺たちを修治君は見ていたのか」勝也はそう言うと後ろを振り返った。僕と裕太も同じように後ろを振り返った。


もう、辺りではヒグラシが鳴いていた。昔だったら「帰る時間だよ」と言っているように聞こえた。でも、今日の僕たちはこの景色をずっと見ていた。もう二度と見れないこの景色を。心の中のネガにはっきりと焼き付けるように。

しかし、景色は奪い取られても、僕たちの思い出は、僕たちの心がある限り誰にも奪えない。僕たちだけじゃない、ここに住んでいる人間、植物、生き物、全てがここで生活していた事実は誰にも奪えないのだ。そして、それは僕たちの心の中でずっと生き続けていくはずだ。そう、未来までそれは僕たちの心の中に・・・。


どの位、そのままでいただろうか。

「そうか、修治君は俺たちの子孫だったのか」裕太は遠くを見るように言った。

「と言うことは、修治君が乗っていたのはタイムマシンだったのか。おい勝也、お前タイムマシン作れるか?」僕は勝也の肩を叩いた。

「いや無理だ。UFOなら作れると思ったけど、タイムマシンは作れない。これじゃお礼に行けないや」勝也は笑った。僕も裕太も笑った。おそらく修治君も遠い未来で笑っているだろう。


     8


 僕たちは四年生になった。そして、いつのまにか修治君のこともすこしづつ頭から離れていった。

修治君からもらった小さなピンクの小さな石は、いつも、筆箱の中に入れて置いた。これを入れておくと、修治君のように頭がよくなる気がしたからだ。勝也もそれを真似して、筆箱に入れていた。裕太はランドセルにつけてある、交通安全のお守りの中に入れていた。

「おい勝也、今日はきのこ爺さんの家のイチゴを食べに行こうぜ」

裕太が勝也を誘った

きのこ爺さんはなんだかんだと言っても、野菜や果物を作るのは上手だった。それは僕たちが一番良く知っていた。春はなんと言ってもイチゴだった。もちろん、きのこ爺さんに断って食べる訳がない。悪い言葉で言うとドロボーだ。

「よし、今日はでかいのを食うぞ」僕たちも悪いことをしているとは分かっているので、食べるのは、一人一個と決めていた。

 学校が終わると、真っ直ぐきのこ爺さんの家に向かった。ところが、今日はじいさんが畑にいた。

「お前ら、今日は俺がここにいて、イチゴ食えなくて残念だな」どうやら気付かれていたらしい。でも、きのこ爺さんは、僕たちがタヌキの件を黙っていたので、最近ちょっと優しくなった。

僕たちはなにも言わずに沢に向かった。春の日差しは柔らかで、その日差しを受けて、山の緑は少しづつ息を吹き返しているようだった。山の新芽は、なんというかフワッフワッと、赤ちゃんの髪の毛のような感じで、そこここに芽吹いていた。遠くの山を見ると、山の上にはまだ雪が残っていて、かすんだ感じにその緑が見えた。まるで、有名な画家の描いた絵のようだった。


「勝也、今日はダメだ。きのこ爺さんがいたんじゃ、イチゴは食えない」裕太が言った。

「しょうがない。でも、俺たちが食ってたのバレてたな、浩介お前ばらしたのか」

「言うわけがないよ。でも、イチゴ食べたいな・・・なんだよ、そういえば、家で作ってるんだよ。家に行けば食べれるよ」

「いや、隠れて食うから、うまさが増すんだ。まさに、隠し味とはこのことだ」最近勝也は、天然なのか、頭がいいのか分からないことを言うようになった。

「でも、春は気持ちいい」そう言うと僕はランドセルを枕にして、寝そべって空を見上げた。みんなも同じように空を見上げた。

「修治君元気かな」勝也が懐かしそうに言った。

「修治君のことだ、どこでもちゃんとやってるよ。でも、最初修治君を宇宙人だと思ってたもんな。あの時計のせいでさ」そう言うと裕太はハッとして、僕達が、宇宙人の落とした時計を置いた場所を見た。そして「あれ・・・やっぱり・・・いや・・・そんなはずは・・・でも・・・分からない」と腕組みをした。眉間にしわまで寄せて考えているようだ。僕と勝也はそんな裕太を黙って見ていた。

「解けない謎があるんだ」裕太が言った。

「修治君のママの時計はデジタル時計だというのは分かった。でも、よくよく思い出すと、ここで見つけた時計と、修治君のママの時計はまったく同じ時計だ。それに、修治君のママが時計をしていた時は、ここに時計がなかった。って言うことは・・・」

「やっぱり修治君は宇宙人だったってこと?」勝也は起き上がった。

「別にいいじゃないか、例え修治君が宇宙人でもかまわないよ。僕たち四人は友達だもん」僕は筆箱に入れておいた、修治君からもらった石を手に取り、それを眺めながら答えた。

「そうか・・・そうだな・・・浩介の言う通りだ。修治君が宇宙人でも怪獣でも、俺たち友達だもん。だけど、なんとなく気になるというか・・・」裕太はまた、腕組みをした。

「そういえば、UFO見たときもこんな感じだった。勝也覚えてるか」僕は勝也を見た。

「覚えてるよ。ほら、あそこ。あんな感じでカクカク動いていたんだよ・・・・・そうあんな感じで・・・・・やばい、本物だ!」

 僕たちは、ランドセルを持つといっせいに逃げ出した。

「逃げろー!」

 しかし、その光はグングン僕たちのところへ向かってきた。しかし一番先を走っていた僕が石につまずいて転んでしまい、勝也も裕太も僕の体にぶつかって転んでしまった。今度こそもうだめだと思った瞬間、UFOは物凄い音を立てて、僕たち三人の上に着陸した。幸いなことに、UFOの胴体と地面にすきまがあったので、僕たちは潰されずにすんだ。

 しかし、UFOは眩い光を放っており、僕は目がくらんで何も見えずUFOがどんな形をしているのかまったく分からなかった。

 目の痛みに耐えられなくなった僕はぎゅっと目を閉じた。そして、恐怖とUFOの着陸の衝撃で気を失いそうになるのを必死でこらえていると、大きな着陸音でキーンと鳴っていた耳から話声が聞こえてきた。

「どう、ここに来れるのはこれで最後だけど、宿題は終わったの?」

「うん、あとはこの絵に色を塗れば終わるんだ。やっぱり写真じゃどうしても色が分からなくて」

「この子ったら、ここに来るといつも目が輝いてるわ。よっぽどここが気に入ったのね」

「私もそうだよ。こんなに綺麗に星が見える場所はないからね」

「そうね、ここは空気もおいしいし、みんないい人だったわ。それにこの景色。また、こんなところでのんびりと生活したい。でも、もう来れないと思うとなんだか寂しいわね」

「どれ、ちょっとパパに絵を見せてごらん・・・ほお、なかなか上手に描けているじゃないか。これはみんなで遊んでいるところだね。この子たちはいつも遊んでいた友達だね」

「そうだよ。この三人が友達で、これが僕なんだ」

「そうか。みんな仲良く遊んでいたからね。でも、あの子たちは、ここがあんなことになるなんて・・・なんだか可哀想な気がするね」

「うん、だから、みんなのためにこの絵を描くんだよ。僕らがこんな素敵なところで遊んだって、忘れて欲しくないから」

「そうね、きっとみんなも分かってくれると思うわ」

「・・・この声は・・・」僕は聞き覚えのあるその声を聞くと、ほっとして、すーっと意識を失ってしまった。


「グオーン」という物凄い音と、「ピカー!」と眩しい光で僕は意識を取り戻した。

「あれ?なんでここに寝ているんだろう」気がつくと僕は左手にピンクの石を握り締めたまま寝ていた。隣では勝也と裕太が気を失っている。汗びっしょりの体を上半身だけ起こし、僕は二人の体を揺さぶった。

「おい、裕太!勝也!起きろ」

「あれ?なんでこんなところで寝てるんだ?」勝也はポカンと口を開けたまま僕の顔を眺めた。

「ふあー、なんだか耳がキンキンするな」裕太も同じように口をポカンと開けたまま空を見上げた。

 僕は立ち上がり、二人の顔を見回しながら言った。

「さっき、UFOを見ただろう?やっぱり修治君は宇宙人だったんだ。あのUFOに乗っていたんだよ」

「へっ?」というと二人は顔を見合わせた。そして怪訝な顔をして僕を下から覗き込んだ。

「どうしたんだよ。さっきのUFOのこと、あれには修治君が乗っていたんだぞ!」僕は大きな声でどなった。

 裕太はもう一度勝也の顔を見てからゆっくりと僕の顔を見た。

「浩介。お前何言ってんだ?俺たちUFOなんて見てないぞ。それにシュウジって誰だ?」

「えっ!何言ってんだよ、ここで一緒に遊んだだろう。それにさっきも修治君の話をしてたじゃないか!」

「さっきはいちごの話をしてただろう?きのこ爺さんが畑にいて食べられなかったって」勝也はそう言ってランドセルについた埃をはらった。

「俺、帰る。なんだか耳がキンキンしてさ」おでこを手で叩きながら勝也がランドセルを背負った。

「俺も」裕太も同じようにランドセルを背負った。

「ちょっと待ってよ、どうしてあんなに楽しく遊んだのに忘れちまうんだよ。俺たちと修治君は友達だろう。なあ、そうだろう!」

「浩介、お前夢でも見たんじゃないのか。俺はシュウジって奴と話した覚えもなければ、遊んだ記憶もない」裕太はそう言うと、くるっと回り僕に背を向けて歩き出した。勝也もその後に続いた。

「お前ら・・・お前ら、本当に忘れちまったのか!なんでだよ!」

僕の大声が聞こえたのか聞こえていないのか、二人は首をぐるぐる回したり、手で頭を叩きながら帰って行った。僕は二人に忘れられてしまった修治君が可哀想で、それが悔しくて涙があふれ出て止まらなかった。

 しばらくすると、ざくざくと足音が聞こえてきた。

「浩介、どうしたんだ一人で」後ろを振り向くと、そこにはきのこ爺さんが立っていた。

「じいさんは見ただろう?」

「何を見たんだ。何も見てないぞ」

「UFO見なかったの?そこには修治君もいたんだ」僕は聞いた。

「UFO?UFOなんてあるわけないだろう。それにそのシュウジというのは誰だ」

「修治君は、ほら、東京から転校してきた子だよ」

「東京から転校してきた子なんていたか?お前らいつも三人だったじゃないか」

「えっ!」

「お前、タヌ・・・いや、キツネにでもバカにされたんじゃないのか」

「そうだよ、じいさん、タヌキに騙されたとき、俺たち三人の他にもう一人いただろう」

「あの時は、三人だけだったじゃないか。なにを言ってるんだ。ついに頭までおかしくなったか」そう言うときのこ爺さんは、家の方へ戻って行った。

「どうして」僕はどうして修治君のことをみんな覚えていないのか不思議でならなかった。

「そうだ!学校に言ってみよう。三郎先生がいたら確かめてみればいい。きのこ爺さんはボケてるのかも知れないからな」僕はランドセルを背負うと学校へ走った。

 学校に着くと三郎先生が外で草むしりをしていた。

「おっ手伝いにきたのか。暖かくなってきたら急に草が生えてきてな。よし、お前も手伝え」

「今、とっても急がしいんだ。ねえ先生、修治君って覚えてるよね」

「ああ、修治な、覚えてるよ。でも、なんでお前、修治のこと知ってるんだ」

「だって友達だもん」

「友達?何を言ってるんだ。修治は俺の高校の同級生だぞ。なにか勘違いしてないか」

「勘違いしてるのは先生の方だよ。ほら、夏休みが終わって、東京から転校してきた修治君だよ」

「は?そんな子いなかったぞ。お前らの学年の男は、浩介、裕太、勝也、それだけ」

 僕はそれを聞いて唖然とした。三郎先生の顔はうそを言っている顔には見えない。どうして三郎先生まで修治君を忘れてしまうんだ。

「先生、去年の運動会の写真見せてよ」

きっと写真には僕たち四人が写っているはずだ。そう思い先生にお願いした。

「面倒くさいな、まったく」そう言うと三郎先生は職員室に入っていった。僕もそれに続いて職員室に入った。

「ほら、運動会の写真」

 ペラペラとアルバムをめくっていった。三年生の八十メートル競走のスタートの写真がある。そこには僕と裕太と勝也の三人がいっせいにスタートしている写真があった。でも修治君はいなかった。

「どうだ、お前たち三人だけだろう」


「ありがとうございました」ようやく言葉を発した僕は、とぼとぼと職員室を出た。ちょうど、そこに幸恵ちゃんと久美子ちゃんが通りかかった。

「また、三郎先生に怒られたの」幸恵ちゃんと久美子ちゃんはにやにやしていた。

「違うよ。ちょっと三郎先生に運動会のアルバムを見せてもらってたんだ。ねえ幸恵ちゃん、修治君て子分かる?」

「シュウジ君?知らないよ。久美子分かる?」

「私も知らない。でもなんでそんなこと聞くの」

「いや、なんでもないよ・・・」

 

なんでみんな修治君を覚えていないんだ。僕は学校のブランコに座り黙って下を向いていた。悔しくて、また、目から涙があふれ出た。その涙がぽたっと僕の左手にあたった。

「そうだ!」僕は、そーっと左手を開いた。そこには修治君からもらったきれいなピンク色の石があった。

「やっぱり修治君は、僕たちの友達なんだ!」僕はもう一度その石を左手でぎゅっと握り締めた。

それは、僕と裕太と勝也と修治君がここで一緒に遊んだことを証明するものだった。どうして、裕太と勝也、それにみんなが修治君を忘れてしまったのか、それは分からない。もしかすると、修治君は地球を偵察にきた悪い宇宙人かも知れない。それを隠すために最後にピカーと光ってみんなの記憶を奪ったとも考えられる。

 いやそれは違う、最後に「みんなのためにこの絵を描くんだよ。僕らがこんな素敵なところで遊んだって、忘れて欲しくないから」修治君はそう言っていた。そんな優しい修治君が悪い宇宙人なんてことはありえない。きっといい宇宙人なんだ。でも、宇宙人だってことを知られては困るから、みんなから記憶を奪ったんだ。

でも、どうして僕だけ忘れていないんだろう。僕の宇宙戦艦ヤマトが気に入ったから修治君は記憶を消さなかったのかな。確かにあれは自信作だったけど、裕太のも勝也のもかっこ良かったと思うし。

「そうか!」

 僕は、もう一度左手を開いた。

「そうか。この石か。きっと、この石を持っていたからなんだ。きっとこの石には不思議な力があるんだ」

 僕は空を見上げた。「みんな修治君を忘れてしまったけど、僕たちは友達だよね。もう会えないかも知れないけど、僕たちは友達だよね」



     9


 僕は、汽車に乗り込んだ。ディーゼルエンジンが唸りを上げると、汽車はゆっくり動きだした。見渡す限りの田んぼは青々と茂り、まるでじゅうたんのようだった。秋になると黄金色に変わり、実りの秋を実感させてくれる。そして、空はどこまでも青く、そこに流れる川は澄んでいた。

汽車はしばらく、盆地を走っていたが、やがて、山をぬって、山に張り付くように汽車は走った。ふと見ると、線路の下を通っている道路は車がほとんど走っていなかった。そりゃそうだ、この辺は過疎化が進んで、住んでる人も減ってきている。一見無駄な道路のようだが、なにかあったときには大切な道路だ。この汽車も同様に年寄りが医者に行くときや買い物に行くときには大切な足となる。

向かいの山を見ると、林道のようなものが見えた。あれは僕の親父が勤めていた建設会社が作ったものだ。あれは確かに無駄といえば無駄かもしれない。でも親父があそこで働いていたから、僕は大学にも行けたし、そこそこの職にも就けた。あまり文句も言えない。

 汽車は最後のトンネルを抜けた。もうすぐ駅に到着する。ギギーと鈍い金属音を出して汽車は止まった。降りたのは僕も含めて二人だった。よく見るともう一人は近所のおばちゃんだった。

「浩介帰ってきたのか。一人か?」

「ええ、みんな忙しくて、一人で帰ってきました」

「そうか。まあ、父ちゃんも引越しの準備で大変だからな。手伝っていくんだろう」

「そうです。まあ、あまり長くは居れませんけど」

 僕は、タクシーを呼んだ。この村で一台だけのタクシーだ。今日は忙しいらしく、三十分ほど待ってくれと言われた。歩いて帰れないことはないが、歩けば一時間はかかる、しかも山あり谷ありの道だ。運動不足の体にはちょっとこたえるので、僕はタクシーが来るまで、駅の椅子に腰掛けて待つことにした。

 ここから見る景色は、昔と変わっちゃいない。青い空に、緑の山、川のせせらぎ。空気も変わっちゃいない。まったく昔のまま澄んでいる。

急にトラックが何台も、ディーゼルエンジン特有のにおいを振りまいて、駅前の道路を走っていった。それを見てフーっとため息がでた。今のトラックも、大きな町の生活用水確保のために造られるダム工事現場で働いているんだ。そして、そのダムのお陰で、僕の実家は水の下になってしまうのだ。

 人間の豊かな生活を守るため、ここには、水力発電所のダムもある。ここで発電された電気や、貯められた水を使っている人達は、当たり前のようにその恩恵を受けているのだろう。

 それがいけないこととは思わないが、それによって、故郷を奪われる人間もいるんだってことは分かって欲しい。大多数の人間の豊かな生活は、自然や少数の人間の犠牲の上に成り立つこともあるんだってことを。一生のうち一回くらいはここにきて、みなさんが辛い思いをしたお陰で、私達の生活は成り立っています。そう言ってもらいたい。

 タクシーがやってきた。

「浩介じゃないか。今年はお前のところも大変だな。そういえば、父ちゃん達の住むところ決まったみたいだな」

「ええ、いいところがあったって聞いてます」

「どうだ、子供達は元気か」

「もう、親と一緒に来るなんて言わないんで、ちょっと寂しいですよ」

「ははは、大丈夫、そのうち戻ってくるさ」

 そんな話をしながら、十分で家に着いた。親父とお袋は、せっせと引越しの準備をしていた。

「ただいま」

「おかえり。ちょうど良かった。仏壇運ぶの手伝ってくれ。俺と母ちゃんだけじゃ重くて運べないんだ」

 昔の親父だったら、一人で運んでいただろう。でも、寄る年波にはかなわない。僕は仏壇運びを手伝った。そこにはじいちゃんとばあちゃんの写真もあった。もちろん、戦死したおにいちゃんの写真もあった。戦死したおにいちゃんの写真をみると、自分より大分若いことに改めて驚かされた。

 一息ついて、みんなでお茶を飲んだ。お茶は水道水を沸かしたお湯でいれたものだ。でも、やっぱり美味かった。

僕の自宅では、ご飯を炊いたり、飲み水に使う水は、浄水器で浄水したものを使っている。でもここは、そのまま水道水を使っても美味い。これは浄水器もかなわない。

「あ、そうだ、着いたら連絡くれって言われていたんだ」僕はポケットに入っていた携帯を取り出して自宅に電話をかけようとした。しかし、携帯の画面には「圏外」の文字が出ていた。家の電話を使って電話を入れた。確かにこういうところは都会に比べて不便なところではある。

「今、着いたよ。ああ、明後日帰るよ。うん、それじゃ」電話を切って、また、美味しいお茶を飲んだ。

「浩介、ここが、今度住むところの住所だ。電話番号が決まったら、連絡するから」

「分かった。でもここを離れるなんて思っていなかったでしょう」

「想像もしなかったし、できれば出て行きたくないのが本音だ。でも、ダムができるのはもう決まったことだし、今更、しょうがないさ」親父は寂しそうだ。お袋も同じ気持ちだと思う。

それは、僕も同じだ。年に何回も帰ってくる訳じゃないが、自分が生まれ育った故郷がなくなるのは、なんともいえないくらい寂しいものだ。旧ソ連のとき、亡命者が命をかけて故郷に帰る話を聞いたことがあるが、その気持ちは、今は分からないことはない。

 一息入れて、また、引越しの準備を始めた。昔の思い出の品がいっぱい出てきた。それをまとめて、いらないものは捨てた。捨てるといっても、物を見るといろんなことを思い出して、その度「ああだ、こうだ」とみんなで話始めるものだから、なかなか、引越し準備ははかどらなかった。

「あれ、これは」それはピンク色した小さな石だった。昔、僕が使っていた筆箱の中に入っていた。「こんなところにあったのか」僕はそれをポケットにしまいこんだ。

「ああ疲れた。今日は終わりだ」親父はそういうと畳に座って、肩をたたいた。

「夕ご飯作るから、浩介も休んだら」

「じゃ、ちょっと出かけてくる」僕は子供の頃いつも遊んだ沢に向かった。ピンクの石を見て、あの沢を思い出した僕は、靴を履いて外へ出た。途中おやしろにも行ってみた。ダムができればここも水没してしまうが、お地蔵さんは、別の場所に移されるらしい。

いまもおやしろはきれいにしてあった。もう、ここで遊ぶ子供もいないせいか、お地蔵さんは整然と前を向いていた。でも、お地蔵さんはなんだか寂しそうだった。本当は子供達がここで遊んでいるのを見るのが楽しかったのだろう。

 道を歩いていると、見えるはずの学校が見えなかった。そうだ、何年か前に取り壊されたんだった。いろんな思い出の詰まった学校は、跡形も無くなっていた。でも、校庭は残されていた。近所の年寄りがここでゲートボールをしているらしく、四角く線が引いてあった。でも、まもなくここも水の下になってしまう。

 きのこ爺さんの家もなかった。きのこ爺さんは、ばあさんに先立たれ、十年程一人で生活していたようだが、ある朝ポックリと死んでしまったらしい。

 後で聞いた話によると、子供たちが気持ちよく遊べるようにおやしろを掃除したり、通学のとき危ないからと道路にはみだした木の枝を切ったりしていたらしい。きのこ爺さんには叱られた思い出しかないが、今考えれば、あの頃は叱られて当然のことをしていただけで、本当は優しい人だったんだと思う。

ふと僕はあの親子連れのタヌキを思い出した。あのタヌキももう死んでいるだろう。しかし、僕の頭の中には、今もはっきりと、親ダヌキがきのこ爺さんから逃げ出して、子ダヌキと山に帰っていくところが思い出された。


 沢に行くと、先客がいた。

「あれ、裕太、勝也じゃないか」

「おお、浩介も帰ってきたのか」裕太が手を振った。勝也も手を振っていた。

 裕太は今、小学校の先生をしている。裕太のイメージからして、先生は似合わないと思っていたが、今見るとメガネも似合ってるし、確かに先生らしく見えないこともない。

勝也は自動車整備工場を経営している。あのプラモデルを思い出すと、心配でしょうがないが、修理するのは上手らしい。お金のことはしっかりものの奥さんが管理しているそうだ。でも、昔に比べて大分太ったし、髪の毛も薄くなってきていた。

 僕たちは、前のように岩に腰を下ろした。そして全員言った。

「よっこらせーのどっこいしょっと」みんなで笑った。

「ここも、水の下になっちまうんだって」勝也が言った。

「寂しいな」みんな同じ気持ちだった。

「しかし、久しぶりだな、三人一緒に揃うなんて」裕太は勝也を見た。

「本当だ。いや実は、今日、実家の片付けしてたら、たまたま昔使ってた筆箱の中にピンクの石を見つけたんだ。そしたらここを思い出したんだよ」勝也はポケットから石を出した。

「同じだよ、僕も筆箱の中でこの石見つけたんだ」

「おい、俺もだよ。今日実家で、昔使ってたランドセルの中を見たら、お守り袋があったんで、中を見たらこいつがあったんだ。で、なんとなくここに来たくなってさ」

「もしかしたら、修治君が来るかもしれないぞ」

「誰だっけ?そのシュウジ君って」裕太と勝也は僕の顔を覗き込んだ。

「僕たちの、友達さ」

「そんな奴いたっけ?」

「お前ら、冷たい奴だな。まあいい、昔のように空を見ようぜ」僕はにやにやして言った。

みんな岩の上にゴロンと横になった。空と山と水の音と、新鮮な空気を惜しむように僕たちは遠くを見ていた。

「よく、ここで遊んだよな。服も靴もビシャビシャにしてさ。帰るたびに怒られたっけ。こんなきれいなところで遊んでたなんて、今思うと贅沢だね」僕は懐かしく昔を思い出した。

「確かにそうだな。でも、ここがなくなるって聞かなきゃ、もうここにはこなかったかも知れないね。俺たち、この景色が当たり前だと思ってたし、この景色はずっとここにあるもんだと思ってたもん」裕太は手元の石を子供の頃のように沢に投げていた。

勝也は近くにあった草を取ってゆらゆら揺らしながら「みんなでもう一度ここで遊びたいよ」そう言った。

勝也がそう言うと、ポケットにあったピンクの石が光った。裕太と勝也の石も光った。それは、ゆっくりと動き出して、スーッと僕たちの上で合わさったかと思うと、空中にここの景色を映し出した。それは、よく見ると、子供の頃の僕と裕太と勝也、そして修治君が、わいわい騒ぎながらコンバットごっこをしている映像だった。

 僕たちは驚きで声が出なかった。ただ、黙ってその映像を見ていた。でも、なんとなく懐かしさを覚えたのは、僕だけではあるまい。おそらく裕太と勝也も同じ思いだっただろう。しばらくピンクの石はその映像を写していた。一分程経つとフッと映像は消えた。そして、ピンクの石は三人それぞれの前で、徐々に大きくなり三枚の絵になった。僕たちはその絵を手に取り眺めた。その絵は子供が描いたような絵で決して上手なものではないが、何故か僕たちの心を捉えて離さなかった。僕たちは、誰もなにも話さずただその絵をじっと眺めていた。


「一体、これは何なんだろう」裕太がようやく口を開いた。

「友達からの送り物だと思う」僕はこれは修治君からのプレゼントに違いないと思った。僕は修治君とのことを忘れることはなかったし、修治君との思い出はいつも頭の中で鮮明に映像となって描くことができた。そして、この絵を見て、今まで分からなかったことが全て解決した気がした。

「友達?」勝也が僕の顔をじっと見つめた。

「そうさ、友達さ。ほら、絵をみてごらん。僕らの他にもう一人いるだろう。これが僕たちの友達さ」

「俺は、覚えていないな」裕太は首を振った。勝也もしかめっ面をして首をかしげた。

「この子は、宇宙人さ。きっとここが気に入ったんだ。だから、こうやって、ここの絵を僕たちにプレゼントしたんだと思う」

「宇宙人!お前、本当にそんなこと信じているのか」勝也はにやけた顔をした。

「そうさ。よく考えてみろよ。今の科学で、こんな手品みたいなことが出来るか。出来るのは宇宙人しかいないだろう」

「確かに、現代の科学で今のことを説明するのは難しいと思う。でも、俺は宇宙人と遊んだ覚えはないし、当然知り合いもいる訳がない」裕太はそう言うと絵をじっと見つめた。

「なんで浩介は覚えてるんだ」勝也が言った。

「当然だろう、友達なんだから」

「俺はバカだから忘れるかも知れないけど、裕太が覚えていないのはおかしいよ」

 僕は、今まで「俺は、宇宙人を見たんだ」と誰にも言ったことはない。それは修治君に対する裏切りだと思っていたからだ。しかし、裕太と勝也は別だ。僕は修治君のことを全て話した。一緒に遊んだこと、UFOに乗っていたこと、そして、最後に僕たちのために絵を描いたことを。二人は黙って聞いていた。

「そうか。そういうことだったのか。どうりでこの絵には、なにか特別な思いが込められている気がしたのか」裕太は、また黙って絵に視線を落とした。勝也も何も離さずに絵をじっと見ていた。


「ほら、見ろよ」僕は夕日に向かって顔を上げた。

「きれいだな。だけど、これでここも見納めだ」裕太は大きなため息をついた。

「でも、この絵があれば、いつもここに帰ってこれるじゃないか」勝也が僕と裕太の肩をポンと叩いた。僕たちは頷いた。


「さあ、帰ろう」裕太が言った。僕たちはそれぞれの手に修治君からのプレゼントを持って、昔のように三人横並びに歩きながら家路についた。

「しかし、そのなんだ、修治君はいいプレゼントを贈ってくれたよな。これは最高のプレゼントさ。俺がUFO作るから、お前ら一緒にお礼に行こうぜ」勝也が言った。

「勝也の作るUFOには乗りたくないな。でもさ、本当にいいプレゼントだと思うよ。俺たち三人が、最後にあそこに集まった時にあのタイミングで出されたんだからな」

「!」

 僕は裕太のその言葉で全てが分かった。僕は大きな勘違いをしていた。

「そうか!分かった!」僕は大声で叫んだ。裕太と勝也が驚いて僕の顔を覗き込んだ。

「そうか。僕は大きな勘違いをしていた。修治君は、修治君は、未来の人間だったんだ」

「未来の人間?」裕太が聞き返した。

「そうさ。だってそうだろう。ここがダムでなくなることはあの頃の僕たちは分かるはずがない。もちろん、大人だって知らないはずだ。なのに、なんで、ここがなくなるって知ってたかのように、あそこの絵を僕たちにプレゼントしたんだ。それに、なんで、今日なんだ。それは、僕たち三人が最後にあの場所に集まるって知ってたからじゃないか」

「それを知っているのは、未来を知っている人間しかいない、ってことだな」裕太の言葉に僕は頷いた。

「ってことは、今の俺たちを修治君は見ていたのか」勝也はそう言うと後ろを振り返った。僕と裕太も同じように後ろを振り返った。


もう、辺りではヒグラシが鳴いていた。昔だったら「帰る時間だよ」と言っているように聞こえた。でも、今日の僕たちはこの景色をずっと見ていた。もう二度と見れないこの景色を。心の中のネガにはっきりと焼き付けるように。

しかし、景色は奪い取られても、僕たちの思い出は、僕たちの心がある限り誰にも奪えない。僕たちだけじゃない、ここに住んでいる人間、植物、生き物、全てがここで生活していた事実は誰にも奪えないのだ。そして、それは僕たちの心の中でずっと生き続けていくはずだ。そう、未来までそれは僕たちの心の中に・・・。


どの位、そのままでいただろうか。

「そうか、修治君は俺たちの子孫だったのか」裕太は遠くを見るように言った。

「と言うことは、修治君が乗っていたのはタイムマシンだったのか。おい勝也、お前タイムマシン作れるか?」僕は勝也の肩を叩いた。

「いや無理だ。UFOなら作れると思ったけど、タイムマシンは作れない。これじゃお礼に行けないや」勝也は笑った。僕も裕太も笑った。おそらく修治君も遠い未来で笑っているだろう。




 

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― 新着の感想 ―
[一言] えっと、数分で読める短編は無いのですね。 出来ればそういうのから読みたいなぁ、と思いました。
2009/08/24 20:12 退会済み
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