私と空想
空想の中ではすべて自分の思い通りだ。そうでしょ?
例えば、君が好きなバンドのミュージックビデオを見るとする。はじめは、イヤフォンのほうから君の脳みそを支配してくるかもしれない。でも君はなんだって出来るんだよ。その約四分間、支配されてしまうのは君じゃない。わかるかい?君は能動的に動くべきだ。
高校の頃好きだった人が言っていた。私は彼のぶっ飛んだ発想が好きだった。私は既に、彼の言動に支配されていた。恋は盲目とはよく言ったものだ。彼が好きだったものはすぐ好きになったし、今でもそれが私を構成するものの一つだと言っていい。
しかし、彼とは結局卒業まで何の進展もなく、私たちは別々の大学へ進学し、連絡を取らなくなった。今になって、あの時勇気を出さずによかったと思う。私と彼が一緒になったとしても、私の自己嫌悪で幕を閉じる未来が容易に想像できる。
「君は能動的に動くべきだ、か・・・。」
彼と連絡を取らなくなってからずいぶん長い月日が経ったが、こうやって頻繁に私は空想の世界の彼に会いに行く。彼の好きだった事をしている時が唯一彼とつながっていられる気がしたからだ。
今日も彼の好きだったバンドのミュージックビデオを眺めている。メンバーのうちの一人が、砂漠の上の満月が描かれたTシャツを着ている。その絵の中に飛び込むと、プールに潜った時のようにバンドの歌が聞こえてくる。その歌をBGMに、歩きにくい砂漠をばっふばっふと彷徨い、あれやこれや考える。本当は何も考えたくないが、「何か見つけなければならないな。」という考えが頭の中をぐるぐるしている。しかし本当にやらなければならない事がある時は、空想に浸ってなんかいられないのだ。それでも得体の知れない焦燥感は消えない。この世界のぼんやりとした春のような天気がいけないのだ。いっそのこと突風でも吹いてくれ。
今飛び立てよ
飛び立てよ
バンドの曲の終盤を知らせる歌詞が聞こえる。ドラムの音が加速して、私の中で何かが外れたような気がした。私はパソコンの前にいる、現実の私の抜け殻に入り込み意識を取り戻した。
いくら自分が強くなって、自分の中のもう一人の自分と対話し続けても、寄り添う誰かには勝てない。ぽっかり空いた穴を自分一人で埋めようとするのは、エスカレーターを逆走して登っていくようなもので、いつか疲れてまた落ちていくのが目に見えている。
ああ、彼がまだ生きていれば。
飛び立てよ
成人式を二週間後に控えた日、彼は突然死んだ。早く彼に会って、高校の頃の事や大学の事を話したかった。あわよくば、卒業時出せなかった勇気を出してみようかとも考えていた。その願いは叶わなかったが、空想の世界でならあの頃と変わらない姿で会えると自分を言い聞かせた。でももう限界だと悟ったので、あなたと同じ世界に行こうと思う。
私の人生のうちでいちばん最後が、いちばん能動的になれた瞬間だった。
「私と空想」
空想の中ではすべて自分の思い通りだ。そうでしょ?
例えば、君が好きなバンドのミュージックビデオを見るとする。はじめは、イヤフォンのほうから君の脳みそを支配してくるかもしれない。でも君はなんだって出来るんだよ。その約四分間、支配されてしまうのは君じゃない。わかるかい?君は能動的に動くべきだ。
高校の頃好きだった人に、僕はこう言った。だがこの言葉は僕が全部考え出したものではなく、当時好きだったバンドの歌の歌詞から勝手に解釈したものだ。僕はそのバンドのぶっ飛んだ発想が好きだった。当時僕は、そのバンドの歌詞に支配されていた。いや、今でもそれが僕を構成するものの一つだと言っていい。
ところで、その彼女とは結局卒業まで何の進展もなく、別々の大学へ進学し、連絡を取らなくなった。今になって、あの時勇気を出せなかったことを本当に後悔している。僕と彼女が一緒になったとしたら、未来が良いほうに変わったのではないだろうか。少なくとも現在の状況には至らなかったと思う。
「君は能動的に動くべきだ、か・・・。」
これは半分僕自身に言った言葉なのかもしれない。初めてこのバンドの歌に出会った時から、その歌詞やボーカルの人の喋る事を疑いもせずスポンジのように吸収して、自分のものにしてそんな自分に酔っていた。だが大学入学後、僕は擦れに擦れてそれまでの自分とは違う人間になっていったと思う。彼女と長い間連絡を取らなくなったのは、大学へ入って変わってしまった僕を受け入れてもらえないと思ったからだ。彼女には高校の頃のままの僕だけを見ていて欲しかった。そして僕は頻繁に空想の世界の彼女に会いに行った。僕の空想の中だけなら、すべてが思い通りだったからだ。
その日も友人の車の後部座席でお気に入りの歌を聴いていた。その歌をBGMに、額にそよそよと風を浴びながら彼女の事を考える。本当は何も考えたくないが、「あの時ああすればよかった。」という考えが頭の中をモヤモヤさせている。しかし過ぎた事はもう変えられない。これからどう生きるかなのだ。僕の頭に浮かんだのは、こんな誰かの手垢のついたようなありきたりな事だったが、初めて自分の中から湧いた、心から実感できた言葉だった。僕は空想に浸ってなんかいられないのだ。それでも得体の知れない焦燥感は消えない。このぬるい春のような風がいけないのだ。いっそのこと冷たい突風でも吹いてくれ。
今飛び立てよ
飛び立てよ
バンドの曲の終盤を知らせる歌詞が聞こえる。ドラムの音が加速して、僕の中で何か決心が固まったような気がした。
日が暮れるころには、僕は彼女の住む町の駅にいた。久しぶりに彼女に連絡を入れ、彼女のアパートまで歩いた。ドアを開けるなり「久しぶり。」と言う、あの頃と何も変わらない風貌をした彼女に安心した。彼女と対称的に変わり過ぎた僕に驚いた様子も見せず、何も詮索してこなかった。その数分後、僕は死んだ。
飛び立てよ
早く彼女と、高校の頃の事や大学の事を話したかった。そして今日こそは、卒業時出せなかった勇気を出すつもりでいた。その願いはとうとう叶わなかった。なぜ彼女が僕を殺したのか、僕には何となくわかる気がした。彼女はあの頃の僕を彼女の空想の世界で生かしておきたかったのではないかと思う。それは彼女の自由だし、彼女は何も悪くないのだ。
僕の人生のいちばん最後に、彼女のいちばん能動的な姿を拝めたことが嬉しい。
翌朝、あるアパートの一室で、冷たくなった愛する者の横で目覚め、彼がかつて愛したバンドの動画をパソコンで眺める女がいた。