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街の中にリデル教団、中のあずき色の扉の中へ

 ぼくは神を信じるなと自分に言い聞かせていましたか? 神を信じるのは恐ろしいことだと思っていましたか? 神を信じるべきだと思っていますか? ぼくは何を信じていますか?

 灰色の街の風景はどこでもかわりばえしないように見えますが、ようく目を凝らすと驚くべき多様性を持っていることがわかります。どこにでもあるような雑居ビルだって、目線を上げてみると、歯医者さんとかマッサージ屋さんとかに混じって、変てこなものが沢山あるのです。それぞれで、それぞれが、好き勝手に看板を掲げて、まるで、曼荼羅です。もっと大きな目で見てみたら、きっと、すごいです。それを見ながら煙をやったら、ぼくはどうなってしまうでしょう。二度と戻って来れなくなるかもしれません。

 ぼくを作っている全てのものを細かく細かく分解して、適当に配置したら、灰色の街のようなものができるのでしょう。ただ、適当に配置することがどれだけ難しいか! 意志を離れて何かを配置するには、それぞれに意志を持ってもらうしかないように思えるのです。そう考えると、やはり灰色の街というものは途方もないのです。光と音と暗闇、それに欲! 蠱惑的な蠢きです! ぼくが灰色の街の繁華街で頭が痛くなってしまうのは、当然のことなのです。

 この灰色の街で、あの立派な建物の中で、あの女性は今日もお仕事でしょうか。それとも、ぼくと一緒で今日はお休みなのでしょうか。お休みだとしたら、あの女性はいまは何をしているのでしょうか。恋人と一緒に、甘いケーキでも食べているのでしょうか。一人でぶらぶらと、この灰色の街で、本屋さんに寄って、ゴシック小説のページをぱらぱらとしていたら……! 大好きな洋服屋さんに立ち寄って、素敵なワンピースを見つけて買って帰ろうかと真剣に悩んでいたら……! 手挽きのコーヒーミルと焙煎したコーヒー豆を抱えて、これからの休日の香りのひと時に思いを馳せていたら……! 

 あの女性がこんなことを言っていたらどうしましょうか。

 わたしの職場、すごく仕事を一生懸命にやっているひとがいるの。最近入ったひとなんだけど、お客さんにも愛想良くて、いつも笑顔で、機転も利いて、おしゃべりも上手で、なにしろすごい人だわ。だけど、そのひと、変なの。裏に行くと、さっきまでの笑顔はなくなって、誰とも話したくないって感じで、目つきもちょっと悪くなって、ほんの少し恐い感じ。でも、わたし、あのひとすっごく優しいひとだと思うわ。だって、あのひとが読んでいた本、わたしも大好きな本だったもの。わたし、あのひとと話したいと思うわ。あのひとって、本当は、どんなひとなんでしょう?

 大通りから脇に少し入ると、あまりにも若い恋人同士が抱き合って、キッスをしています。なんと濃密なキッス! ぼくは慌てて、目を逸らしました。見たい、じっと見続けていたい気持ちがありました。邪魔をしてやりたい気持ちもあります。それよりも……。

「着きましたよ」

 うす汚れたあずき色の扉には、「リデル教団」と書かれたプレートがほんの少しだけ斜めに傾いて、貼付けてありました。ぼくはリデル・ネイションのことをすっかり頭の中から追いやって、あの女性のこと、いえ、あの女性から見たぼくのこと、願望、に心奪われていたことに気づいて、顔が熱くなりました。階段をいくつ上がってきたのか忘れましたが、この建物は全体的に薄暗く、少しばかりひんやりとして、かびのにおいがします。

「安心してください。とって食おうってわけではありませんから」

 なにかを気取られた感じで貴女に言われました。

「いいえ。違うのです。そんなんじゃあ、ないのです」

 ぼくは突然、あの女性との距離が遠くなってしまったように感じました。結局のところ、ぼくは灰色の街の中にいるあいだは、期待しているのです。何もかもが起こるのだから、何か素敵なことも起こるのではないかと期待しているのです。リデル教団のプレートの前では、素敵なことが起こるような気にはなりません。ここは灰色の街の中の中です。そして、ぼくはいまから更にその中に入るのです。素敵なことはここまでついてくるわけがないのです。閉じられた空間で、閉じられた経験をするのでしょう。ぼくがここにいることを知ったら、あの女性はどんな顔をしますか? どんなことを思いますか? そもそも、あの女性はぼくの存在を知っていますか? ぼくは、レオです。覚えてください、レオです。忘れないでください、レオと言います。レオと呼ばれる存在です。レオと認識する存在です。レオです。お願いします。知っていてください。見ていてください。

「どうぞ、お入りください」

 貴女はそう言って、ぼくを入れてくれました。おかしな部屋です。とりたてて騒ぐほどではありませんが、なんとなく居心地のわるいよそゆきのにおいが鼻をつきます。このにおい、どこかで……何でもない日常のどこかに……忘れられた記憶のすみっこの方に……ほんのかすかに残っているような気がするのです。だいたい、ぼくは鼻がいいのです。一度嗅いだことのあるにおいは忘れるようなことがない……ので……このにおいは、そうでした、あの女性とすれ違ったときのにおい、淡いフレグランスのにおいです! ぼくの頭のなかで、火花がぱちぱちと騒いでいるのがわかりました。体中の熱があっちにいったり、こっちにきたり、たいへんです。これは一体どういうことでしょう? まさに爆発! 一発で全部が吹き飛びました! ぼくは大丈夫ですか? どこも吹っ飛んでいませんか? ぼくの脚は震えています!

「あら、姉さん。お帰りなさいまし」

 あの女性が、振り返って言いました。思っていたよりも低い声です。小鳥のような声ではありませんでした。切れ長の鋭い目! 今日はお化粧をしていないのですね! 姉妹だったのですね! 似ているはずです。 

「まあ」

 そう言って、あの女性は、姉さんとぼくをかわるがわるに見て、きょとんとしています。そりゃあそうです。ぼくはきょとんを通り越しています。

「あなたは確か……」

「あらあら、お知り合い?」

 ぼくはもじもじしてうつむいていました。何を話していいのやら、ぼくの理解をあまる現実です。もし、これが現実であればですが、いまのところは現実なのでしょう。だいたい、夢の中で変なことが起きたって現実だろうかなんて考えないのです。この女性がぼくの目の前にいたって、すんなりと受け入れるでしょう。夢ならば、です。これは現実だろうかと考える時点で、ぼくは現実だと判断します。もし、これが夢なら、ずいぶん長い夢ですね! 早く起きなければ寝坊するかもしれませんね!

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