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夜を歩くヤビト、銀色の夜にハモニカ

 祈りながら、窓の光を見ていました。ベッドのなかで、遠くで、ハモニカの音が聴こえてきました。なるほど、今夜は銀色の夜でしたかね。ヤビトが夜を歩いているのですから、そうなのでしょう。うつらうつらとしていましたが、ぼくはヤビトに会いたくなりました。ヤビトと最後に会ってから、いくつかの銀色の夜が過ぎていました。だから、ぼくはヤビトに会いたくなったのです。

 窓を開け、外の空気を確かめました。雨上がりの銀色の夜はひんやりと冷たかったので、ぼくは洋服ダンスの中から淡い緑のスーベニアジャケットを選んでひっかけました。近頃はとんと着ることのなかったスーベニアジャケットでしたが、近頃の女の子がよく着ているのを見ていて、ぼくならもっとかっこいいのを着ますよ、リブは赤ですよ、そんなことを考えていたのです。

 ヤビトの家までは歩いてゆきます。夜中でもないのに、雪でもないのに、外は静かで、暗がりになにかが息を潜めて隠れているような感じがします。階段の踊り場には、お腹が半分以上なくなったスズメバチが動かなくなっていました。ぼくが仕事から帰って来た時のスズメバチはまだ生きていて、飛ぶ力もなく刺す針もないと言うのにぼくを威嚇していたのです。ぼくはスズメバチのお腹をちぎったのは誰だろう? と考えながら、それでもスズメバチが怖かったのです。刺す針もないのに! それでも、スズメバチは怖いのです! スズメバチは、死んでいました。仰向けになって、なにかを抱きとめるような格好で、死んでいました。死因はお腹のちぎれだと推測します。羽化に失敗して、ねじれてしまった羽のアブラゼミの真っ黒に光る目を思い出しました。虫の死は、いつも悲しいのです。あのアブラゼミはじっとしていましたが、どうやって死んだのでしょう? どうやって死ねたのでしょう? 飛ぶことが叶わなかった、あのアブラゼミは、きっと自殺さえできずに……。


 銀色の光の中、ボスがぼくを見ていました。ぼくと目が合うと、不自由な後ろ足を引き摺りながら、とってっとってっと、ぼくの方へと歩いて来ました。

「ボス、お腹が減っているのですか」

「なーう」

「君は痩せましたね」

「なーう」

「ボス、君は死ぬのですか」

「なーう」

 ボスはぼくの足にまとわりついて、離れやしません。顎の下を撫でると、喉を鳴らしていました。ぼくは鼻の奥が、つん、としたので急いで部屋に戻って、ユンファが食べるはずだった食べものを持ってきました。もう、ユンファはここにいません。毛布にくるまったまま、戻ってきませんでした。でも、何処かにいると思うのです。ユンファがいなくなるとは思えないのです。実際、どこかに隠れているように思うのです。ぼくがモニターを見ているときは、ソファーの肘掛けに跨がっていたり、冷蔵庫の横で目を光らせていたりするのではないでしょうか。ぼくがシャワーを浴びているときは、電話の横の壁を引っ掻いたり、ストローの袋をちょんちょんとつっついたりしているのではないでしょうか。

 ボスはハツハツ言いながら食べていました。ぼくは何も言わずに、歩き出しました。

 ヤビトはもう家に戻っている頃合いでしょう。ボスがいなければ、ぼくはもしかしたら誰もいない家に行っていたのかもしれません。ノックをしても何も応えてくれないドア。もう一度ノックをしても無駄だとわかっていながら、ぼくはきっとノックをするのです。どうせ無駄だとわかっていながら……。痛みがあるとわかっていながら……。ボス、ありがとうございます。何処かで、ぱあんと何かが破裂したような音が聴こえました。きっと何かが破裂したのでしょう。


 ヤビトの家の窓の光を見て、安心しているぼくを見ました。早足になります。少し、止まり、ゆっくりと歩き出します。湿った道路が銀色の光を受けて更に小さな道を作っています。その道を歩きました。

 ドアをノックすると家の中から、「どなた?」ヤビトの声がします。ヤビトは家にいるに違いありません。

「ぼくです」

「レオですか。どうしたのです?」

 そう言いながら、ヤビトがぼくを部屋の中に招き入れてくれました。

「君のハモニカの音が聴こえたものですから。祈っていたのですが、君に会おうと思ったのです」

「いま帰ってきたところです。レオはまだ神を探しているのですか」

 ヤビトが向こうの部屋でごそごそやりながら言っていました。

「ええ。ぼくがどう生きていけばいいのか教えて欲しいのです。神なら知っていると思うのです。ヤビトは知らないと言いましたから」

「まったくもう。やりますか」

 そう言って、ヤビトは煙をぼくに勧めました。

「やりましょう」

 煙をやると、頭の中がじんじんして、目がちりちりして、お腹が空きます。お腹、スズメバチ……。

 ヤビトがレコードをかけてくれます。遠い遠い昔の音楽です。ぱちぱち音のする、恋の音楽です。


 ありったけの愛とキスできみをさみしくなんてさせない

 きみがいなくちゃこの世界なんて意味ないよ

 ずっとずっとこんな夜を待っていたんだ

 おねがいじらさないで

 星がとってもきれいだしきみがこんなに近くにいる

 ぼくのどきどきが聞こえるだろ

 ちっちゃい声でいいよ好きって言ってみて

 それでぜんぶがうまくいくから

 ずっときみだけを見つめているから


「やつらに尾けられちゃないでしょうね?」

 突然、ヤビトが冷たくなったような気がして、ハッとしました。

「まさか、ぼくみたいなものをわざわざ……」

「いいえ、最近ではわりとよくあることです。やつらもいよいよ気づき始めたようです」

「そんなこと……一体どうして……」

 ぼくの頭の中に真冬の冷たい風が吹きつけるような気分です。どうして……どうして……。

「裏切りです。確証はないのですが。それしか考えられません」

 ヤビトの顔が悲しく、悲しそうに、少し怒っている……? 裏切りですって? ヤビトはぼくの裏切りを疑っていますか? いいや、そんなことはありません。ヤビトはぼくを信じています。ですが、ぼくがへまをするかもしれないと疑ってはいるようです。裏切りの、可能性を、考えよ。ウラギリノ、カノウセイヲ、カンガエヨ。

 ヤビトはきっと、そう言っているのでしょう?


 さあみんな来いよ

 今夜は弾けようぜ

 ジーンズにはちょっぴり金が入ってるから

 パーッと一気に使っちゃおう

 今週はずっと面倒事で手一杯だったんだ

 家族はみんな外出中

 だからみんな来いって

 彼女が一番大好きだけど

 今日は他のコと踊っちゃおう

 家が揺れるほどステップ踏んでさ

 こんな曲かけたらじっとなんてしてられないだろ

 大騒ぎになるだろうから

 誰か見張りに立てなくちゃね

 だって家族がいきなり帰って来たら

 めちゃくちゃ怒られちまう

 映画をみるの禁止されたりさ

 お前らと遊べなくなったりさ

 まあいっか

 みんな来いよ

 早く来いってば

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