第1章−3話
「わたし市村さんと友達になりたいな」
体育の授業を誰もいない教室の窓からぼんやりながめていたら、突然言われた。
彼女――渡辺麻里はいじめられていないけどクラスでどこか浮いている、ただただ孤独なだけの存在。かといって無視されてるわけでもない。それに最近はあまりそんな様子はないようだけど、1学期の間は実に上手くクラスのいろんなグループと混じって会話していたようだ。いわば、嫌いだけどチャーハンか何かに入れさえすればどうにか食べられちゃうようなグリンピース、と三つ子くらい似た存在だったと思う。
そんなわたしとは同じようでどこか違うような渡辺麻里に話しかけられたわたしは動揺しているかと思えば、思ったより平常心でいた。
「友達になりたいな」
黙っていたら、また言われた。
ものすごく危険な雰囲気を出している渡辺麻里の体を吟味したらさらに全身の毛が逆立って注意信号を示し、素直すぎると変わりものに思われちゃうよ、そう忠告したくなった。
「なんでここにいるの」
わたしは警戒の姿勢でそう聞いた。
「あ・・・・・・実はわたしも体操服忘れちゃって。市村さんもでしょ?だから教室にいるんだよね。見かけによらず意外におとぼけさんなんだね、市村さんって。わたし個人としては、市村さんけっこうしっかりしたイメージがあるから」
「離れたほうがいいと思う」
「えっ?」
「わたしと一緒にいたら、渡辺さんもこうなるよ」
はさみでジョギジョギにカットされた自分の体操着をカバンから出して、わたしは渡辺麻里に見せた。
今朝体操着がめちゃくちゃになっているのを発見したときの怒りとやるせなさ。わたしは体育が苦手だ。出来れば苦手なことはしたくないけど、それを他人から強制的に禁止させられるのは耐え難かった。
「嫌でしょ、渡辺さんだって、楽して生きたいでしょ」
必死に涙をこらえていたわたしをクスクス笑っていたクラスメイト。そしてそれを見ているだけの、いわゆる傍観者としてわたしをよりいっそう孤独な存在として作り上げる渡辺麻里を、呪うように見つめて言った。
「あぁ・・・・・・そうだったよね」
少し呆然の顔でつぶやいた渡辺麻里。
わたしに対して申し訳なく思っているのだろうか。
「でも、大丈夫だよ」
彼女はこう続けた。
いじめられている人間に手を差し伸べることなんて、普通自殺行為同然だ。なのに、渡辺麻里はそれを認識していないのか全く怯える様子を見せない。
あまりにも矛盾しすぎている。
渡辺麻里と一般という言葉のために、矛盾というものがあるような気がする。
お腹の辺りがくすぐったい。
思わず、笑いそうになった。
久しぶりに、心から笑えそうになった。
わたしの返答を待っているようでポカーンとしているようにも見て取れる渡辺麻里の顔には、笑うしかなかった。
「おかしいんだね、渡辺さんは」
結局、わたしの口はそんな言葉を言ったのだった。
この日から渡辺麻里とは、関係が深まった。すがるものが無かったわたしには、そう思えた。休み時間には必ず一緒にいるし、移動教室も一緒にする。たまたま席が近かったから、麻里の教科書はいつしかわたしとの共用のものとなっていた。そのおかげか、今までの孤独感と絶望感で傷ついていた心の傷は少しずつだけどいやされていた。相変わらずその後もいじめは続いていたけれど、そのときは必ずといっていいほど麻里は止めに入ってくれたから、いつしか、靴箱もある程度おちつきを取りもどすようになった。
そして、いじめはなくなった。
皆に受けいられるようになったのだ。
まだまだチャーハンに混ざったグリンピースにも及ばない位置だったけど、とにかくわたしは幸福だった。そしてわたしがこんな生活をしていることを信じられずにもいた。けれども疑念なんて湧かなかった。いつしか、あのとき覚えた恨みの感情も現実から逃げるための方法探しも、脂で汚れた皿が水とスポンジできれいになるみたいに浄化されていったはずだった。