最終章、大切なこと
その次の日友永はわたしに謝ってくれた。
そして、先生についた万引きの件の嘘についても、ぼくの勘違いでした、と否定してくれた。
「分かった、店の方にはわたしが伝えておく」
と、模範の生徒には必要以上に深く質問をしようとは思わないらしい校長と教頭はそう言ったそうだ。かといってこれが万引き事件の終了、というわけではなくて、麻里は誰に説得されるまでもなく盗った消しゴムを手にし、デパートへ出向き謝った。
デパートの偉い役職らしき人は
「君がそう自分から告白してくるのを待っていたんですよ」
と、考えられないほどの優しさで許してくれ、
「けれど、君のしたことは犯罪です。絶対にしてはいけないことなんですよ」
そう最後に麻里に忠告したそうだ。
こうして半年間に及んだ様々な出来事は今、終わろうとしている。
一つの事を除いて。
そもそも、わたしが万引きの疑いをかけられたのも全て友永のせいだったわけで、わたしは友永が謝るのは当然だと思っていた。でも、友永が今まで麻里をいじめたりわたしが万引きをするところを見たと先生に嘘をついたりしたのも、後で知ったことだが友永には友永なりの事情があった。それを知ったとき、わたしはどうして悪いことはこう連鎖してしまうのだろうと思った。
だいたい人に悪い事を平気でする子なんて家庭に何か問題があるものなのよ。
よくわたしのお母さんだって言うし、ドラマやニュースでも時々そういう言葉が出てくることはある。けれどそれは当たっているようで友永の場合は当たっていなかった。
友永には・・・・・・親がいなかったのだ。
「ちょっと、話があるんだ」
終業式が終わってすぐ、友永は体育館裏にわたしと麻里を呼び出した。というよりかはどちらかというと友永は麻里だけを目的としているようで、わたしはいわゆる仲介役のようなものだった。わたしにはそう思えた。その証拠に、麻里はさっきからずっとわたしを横目でちらちら見ている。わたしが体育館裏に行かないと言ったら麻里は自分もそう言おうと頭の中で準備しているのがバレバレだった。
このままじゃいけない。そう少なくともわたし一人は感じていたけど、それでもしょうがないのかもしれない。麻里はまだまだ友永を信じきれていないのだから。
そのせいか、影で薄暗い体育館裏にいるわたしたち三人の位置はとてつもなく微妙だ。簡単に言えばトライアングルだ。でももう少し詳しく説明すると、わたしからの麻里と友永のそれぞれの距離はほぼ、というか全く同じで、わたしたち三人を線で結んだとしたら二等辺三角形と似た形になりそう。
気まずい。
沈黙が重い。
時計の針が奏でるチクタクの音。場をよりいっそう静寂で包むこの音すらなくて、ただただわたしたちの距離は緊張の白い糸をどこまでもどこまでも永遠と伸ばすばかりだ。
どうすれば正三角形にすることができるのだろうか。どうすればわたし、麻里、友永それぞれの距離を均一にし、固い固い何があっても切れない太い線分で結ぶことができるのだろうか。
考えるのは考えるのだけれど、その答えどころかヒントですら浮かんでこない。
無駄に頭脳を回転させるよりかは、この硬直した空気を一気に裂くくらいの大声で日本語かどうかも不明な発音で叫んだほうがよっぽど賢い。でも、その力だけあればどうにかなる大声、というものが出るほどの余裕は、震える喉には残念ながらない様子。
キンキンとした冷たい風が容赦なく体を刺す。
寒い、寒すぎる。
思わずポケットに手を突っ込んだ、その時。
「あ・・・・・・」
麻里からもらったストラップの感触を、手が察知した。
わたしが初めて嬉し泣きした日。思い出すだけで、目頭が熱くなる。完璧なくらい嬉しかった。あのとき、他の感情はどこにも一切なかった。率直に感動し、胸が温かくなっていた。
「あ、あのさぁっ」
勢いで言っていた。
麻里と友永が二等辺三角形の頂点であるわたしを見つめる。
「あの・・・・・・さぁ」
自分がこの後何を言おうとしているのか全く持って不明だった。
でも、不思議と自信はあった。
今までしょっちゅう行動と考えの間でいた中途半端な自分が、このときは見え隠れすらしなかったのだ。
「麻里、これ、持ってる?」
わたしはケータイをポケットからぎこちない手で取り出し、それとつながったストラップを親指と人差し指でつまんで見せた。すると麻里は無言でうなずいて胸ポケットからそれを出した。
水晶が輝いている。
わたしは、深く呼吸し、
「買いに行かない?今から」
提案した。
「買うって、何をだよ」
「何をって・・・・・・決まってるじゃん、このストラップだよ。友永は知らないんだろうけど、実はこれ、すごいんだよ。麻里が買ってきてくれたんだけどね、魔法がかかってるんだ。このストラップを持っている限り二人は一生離れない。300円なんだよ。びっくりしない?たった300円で、つながりあえるんだよ、ずっと。しかも実証済み。わたしと麻里が、このストラップがただものではないことは保障する。まぁ、たった半年なんだけどね、わたしと麻里が壊れなかったのは。でもこれを買わない手はないって・・・・・・」
言ってる間、なんとなく、頬から耳の先まで赤くなっていくのが感じ取れた。
好きな男子に告白しているわけでもないのに秘密をばらされておどおどしているわけでもないのに大舞台で失敗して恥ずかしがっているわけでもないのに、顔がほんのり熱い。
「だからさぁ、買いに行こう、麻里と友永のぶんも」
強引だと自分でも言ってて思った。
麻里にも友永にもお互い仲良くしあおうという気持ちはない、見たら分かる事だ。友永にはもしかしたら少しならあるかもしれないけど、麻里には皆無だ。当然といえば当然かもしれない。自分を死ぬ決意をするところまで追いつめたのだから、到底許せるはずもない。ましてや、おそろのキーホルダーを持とうとなど、思いもしないだろう。
わたしも友永に万引き犯と勝手に役決めされたことを所詮過去のことだと簡単に忘れられないし、麻里に精神的な苦痛を与えたことはしてはいけないことだ。わたしは友永を許してはいない。でも逆に言えば、だからこそわたしはそんな友永をこのまま放っていてはもっと大変な事が起こるような気がしてならなかった。優しさなのだろうか、これは。自分でもよく分からない。ただ、麻里にも友永にも今の状態のままで生きてほしくはない。引きずったまま、年を重ねてほしくない。それだけははっきりとした思いだった。
「渡辺、おれ、話すよ」
友永が口を開いた。
「そもそも、おれがここに呼んだんだし、まずは話すべきこと話して・・・・・・そのうえで渡辺が良いって言うんだったら、おれは買ってもいいよ・・・・・・魔法のキーホルダーってやつ?なんか女子っぽいけど」
思わずヤッターッと叫びそうになるくらい嬉しかった。
友永にとって魔法のキーホルダーが女子っぽく見えたのをプラスしてでも充分すぎるくらいの喜びと満足感が、心の水槽をあふれるくらいの温水で満たした。
初めてかもしれない、わたしが勇気を出して行動して、それが誰かの心を動かした。
「とりあえず話して」
友永が麻里とおそろのキーホルダーを買ってもいい、と発言したことに相当動揺したのか麻里は、自分の意見が正しいと思っていたのに周りはそれを批判していたからしょうがなく戸惑いながらも他人の意見に賛成した、そんな声のトーンで言った。
「おれ、親いないんだ」
友永は半分下を向きながらおもむろに言った。
わたしは「えっ」と心の中だけで叫んだ。
麻里も無表情で、友永を見ている。
本当に驚いたときほど、言葉と表情でそれをとっさに表現するのは難しいものなのだ。
「突然の報告ってやつ?実はおれ、今施設で育ってるんだ。もう十年になる。おれ、1才かそれくらいのころに・・・・・・そう、捨てられてさ。物心つくずっと前だったから、気がついたときにはもう施設が家、みたいな感じだったんだ。
最初のうちはなんとも思ってなかった。でも一年経って一つ年増えるたびに、だんだん思うようになってきた、おれは不幸なんだなぁって。親に飽きられて・・・・・・いらなくなったがらくたみたいに捨てられて。なんて不幸なんだろうって。
幸い施設での生活は楽しかったけど、やっぱりいつも心は物足りなかった。小学校の入学式も運動会も授業参観も音楽発表会も卒業式も全部、寂しくなる以外の何物でもなかった。その間、自分を見てる人なんて一人もいなかったんだからさ。そりゃそうだよな。親は何だかんだ言って、自分の子を一番愛してる。他の子がどんな活躍をしていようと、記憶には残らないんだよ。で、おれはどんどん腐っていったわけ」
腐る、という表現が人間に対するものではないような気がして、わたしは身震いした。
自分には親がいない、という友永の話を聞いている間、わたしはずっと胸が痛んでいた。
「腐っていった。心が枯れていったんだよ。親がいないから、人よりも他人の幸せに敏感になっていた。人の笑顔を見るのが、だんだん嫌になってきてそのうち・・・・・・妬むようになったんだ。
怖いだろ。おれ自身も怖かったからな。だからせめて、周りにはばれないように良い子っていうやつを演じてた。演じてる間は、ただただ夢中だった。自分を忘れられていた。でも、それも何度も試してるうちに効果が効かなくなってきた。演じてる間も、どこかに本当の自分があって、時々ふっと戻るんだ。そういうときに見る人の笑顔が何よりも、苦痛で嫌いだった」
わたしも嫌いだった。いじめられている間、わたしにない幸せを持っている人を嫌っていた。だからよく分かる。でも、わたしより友永のほうが苦しんできたことは明らかだった。そして今も、友永は一人で悩んでいる。
「おれ、人っていう同じ生き物の中でも、市村と渡辺は特別だった。最初は二人とも友達いなそうで、あ、おれと似てるって思ってた。でもそのうち市村がいじめられるようになって、ずっと前からいじめられてた渡辺が市村と仲良くなって、おれ戸惑った。このままじゃ誰とも共感できないって思うと怖かった。おれの苦しみを分かってくれる人がいなくなるなんて、考えただけで不安になった。
それで、なんでなんだろう・・・・・・おれ、市村と渡辺との間に壁を作りたくなったんだ。それで、渡辺に市村と縁を切れって脅して・・・・・・一度は二人とも仲が悪くなったように見えたけど、そのうち普通に話すようになってて。おれ、あのときは混乱してたんだ。言い訳と思われてもいい。でも、いつのまにか自分の寂しさを紛らわす事以前に、どうやっても不幸にならない市村と渡辺自体が憎くなってきたんだ。
それで・・・・・・それで渡辺に万引きをするよう命令して。最初は渡辺がおれの思うとおりに動くことに快感を覚えていた。でもそのうち、どうせなら市村か渡辺のどちらかを万引き犯に仕立て上げようっていうものすごい悪い感情が生まれてきたんだ。もうおれ、このとき性格が変わってたんだ。で、市村が万引きをしたところを見たって、うそついたんだ。罪悪感の一つも心にはなかった・・・・・・。そればかりかどんどん自分が崩壊していくことが怖くもおもしろくもあった」
どうしてだろう。友永の施設で育っているという告白を聞いてからのほうが、友永が憎くなってくる。自分を正当化しようとどこか必死な友永が今まで見てきた何かと重なり嫌になる。友永はわたしたちに許してもらうために自分の秘密を犠牲にしたのだろうか。だとしたらわたしは、もっと友永を許せなくなる。
飾ってほしくなかった。
全部わたしのせいだって、言ってほしい。
もっと欲望的になってほしい。
今までずっと、一人で抱えてきた望み。でも何かすればするほどそれは遠ざかっていく。わたしは、いじめられていたのだ。なのにこのまま、普通になっていいのだろうか。
「でも今なら言える。おまえら二人には、何をしたって許してもらえないくらいのひどいことをした。改めて謝る、ごめん」
わたしの中で様々な迷いが生まれる中、友永はそう言いかけた。
パチンッッ!
でも最後まで友永が言い終わらないうちに、麻里の平手打ちが友永の頬を命中した。
激しい音。
肌と肌が衝突しあう、何とも言えない痛々しい音。
その音とともに、友永の首が九十度曲がった。
胸の奥から息がこみ上がってくる。
それでも友永を眺めていたら、しばらくして、友永はゆっくりと振り向いた。
途端、わたしの口は思わず半開きになった。
友永の左の頬が、赤くなっている。
「大丈夫?」と声をかけながら手で触ったら、こっちにまでヒリヒリとした電気ショックにかかった直後のような痛みが乗り移ってきそうだった。
でもなぜだかわたしは、心にずっと刺さり続けていた魚の骨が、ポロッと取れたようなこの世のものとは思えない気持ちよさを麻里の言葉と友永の頬から感じていた。その理由は、わたしが今まで気づきもしなかった、麻里が言うこの言葉で分かった。
「昨日からなんかモヤモヤしてた。やっと分かったよ、わたし。友永は謝ってばかりでわたしたちの気持ちを理解しようともしない。一方的に頭下げて、どうにか許してもらおうとばかり。そういうのってね、バカの友永には分かんないだろうけど謝られてるほうからしたら一番嫌な行為なの。それに、謝る友永にとっても、何よりしちゃいけないことなのっ」
あまりの痛さに必死に涙をこらえている友永には悪いけど、わたしは正直これ以上の心地よさは無いんじゃないかと思うくらいスカッとしていた。それに、愛のムチとは違うかもしれないけど、麻里の言葉は友永の一番の弱さをついていた。そのぶんこの平手打ちは何かしらこれからの友永のためになるんじゃないか、そういう予感があった。
「でも、ちょっとは共感してあげる」
麻里は急に穏やかな表情になった。
「香織はもう知ってると思うけど、わたしの家共働きなんだ。といっても生活に困っているからお母さんがしょうがなく、っていう感じで働いているんじゃなくて、二人とも好きでやってるの。
特にお母さんは忙しいみたいで、わたしと会えない日だってある。だからなのかなぁ、わたし、昔から家事っていうやつけっこう頻繁にやってきたと思う。普通、親って勉強しなさいってうるさいもんじゃん。でも、家は違った。勉強するくらいなら家事覚えなさい、手伝いなさい。そればっかり。といっても、わたしがやらなきゃ家はゴミ屋敷になっちゃうから、しょうがなかったんだけど。それにわたし一人っ子だから、平日は基本的に自分で晩御飯つくって一人で食べてる。寂しいなぁって思うこともあったけどでも、慣れっていうのは怖いよねぇ、今じゃこれが当り前になってる。
・・・・・・だからなんとなく分かるの。こんなちっぽけな悩みを抱えているわたしにおれの何が分かるんだよって友永は言いたくなるかもしれないけど、でもわたしはちょっとだけ分かってるつもり」
麻里も友永もそれぞれ別なものを背負っている。
わたしはどうだろう。二人に比べたら、まだまだ幸せといえるのだろうか。よく分からない。それに幸せってどういうものなのかもさえ、いまいちイメージがわかない。でも、一つだけ自信を持って言えるのは、たとえグリンピースみたいな微妙な嫌われ者で脇役の脇役のような存在でもいいから自分らしく、自分らしく生きていればそれでいい。自分を無理に閉じこめずに、嫌なのに自分を変えたりなんてせずに、そうしていれば、いずれどうにかいい方向に向かう。
この半年で、わたしなりに学んだことだ。
「友永のこと、分かってるつもりだよ」
麻里の言葉に、わたしは気づいた。
いつのまにか、麻里もわたしも友永を、友永もわたしと麻里を、それぞれ呼び捨てで呼ぶようになっている。しかも友永は自分のことをぼく、じゃなくておれと呼ぶようになっている。
半年。たった半年で変化するのが、この年代の特徴、だったりするのかもしれない。心の中で様々な大きさと色の波が止んだり揺れ交わったり、を繰り返す。それを楽しめるかどうか。今までのわたしはあまりそれを受け入れようとしなかったけど、これからは極力そんな自分と向き合っていきたい。それから、麻里とも友永とも正三角形を築いていけるようになりたい。
「といっても、誰かに自分の勝手な怒りや恨みをぶつけちゃいけないって思う。だって地球は丸いんだよ。自分がやったことは、一周してちゃんと自分に返ってくる。だからたぶん、誰かに悪いことをしている間は心が後ろに引っぱられるみたいに痛いんだよ」
麻里が照れ気味に言う。
さぞかし恥ずかしいんだろう。
わたしだって、こんなこと思ってても二人の前じゃ言えない。
友永はまだ痛そうに頬をさすっている。でも顔は笑っていた。
わたしはといえば、正直半歩くらいしか進めていない。でもわたしはそれを、いつか大前進するための休息と見ることにする。
三人の靴の下をやわらかな冷気が通り過ぎる。
薄暗い体育館裏が日で照って、空気がふわりと軽くなった。
「グリーンピース」を最後まで読んでくださり、
本当にありがとうございました。
改行が少なく、読みにくい部分もあったと思います。
そこは僕も反省しています。また、内容も分かりにくかったかもしれません。
それでもここまで読んでくださったあなたには、感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
僕がこの小説で伝えたかったことは、正直漠然としている部分もあります。
ただ、これを書いたことによって、自分に甘くて精神的に弱い僕自身、
何かしら成長することができました。
読んでくださったあなたが、僕と同じように何かを感じてくれたら幸いです。
ただ、香織、麻里、友永、それぞれの苦しみを書ききれなかったことが、残念です。
もう少し香織の視点ばかりではなく、2人の視点も描きたかったです。
しかし、今回小説を書いて学んだことは計り知れません。
そういう意味では、3人にはとても感謝しています。
執筆開始から約1ヶ月間、本当にありがとうございました。
またお会いできたら、そのときはまた、よろしくお願いします。
以上、春のやわらかな光が窓から差しこむ、小部屋からの後書きでした。
2008年3月24日 セン
※4月4日の午前中まで、後書きにある登場人物の名前が間違っていました。
指摘してくださった方には、ほんとうに感謝しています。
また、間違いに気づいていても言いにくかった、という方は申し訳ありませんでした。