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第7章−4話

風一つ吹けば、麻里がどうなるか。

もはや、想像する必要もなかった。

「麻里・・・・・・麻里っ!麻里っ!」

「渡辺っ、おいっ、渡辺っ!」

わたしと友永の叫びは人ごみの声でかき消される。それでも大声で、何度も何度も麻里の名前を叫んだ。もうわたしと友永はいつ泣きながら死んでもおかしくない状態だった。

なのに、無関係な見物人が邪魔する。みんな自分の見知らぬ人間だからこんな風に平気で心配できる。といっても全てがこの人達のせいというわけではなくて、それでなくともここからの麻里との距離は遠いから、静寂の中だとしても声は届かない。

「麻里っ今行くからねっ」

聞こえなくても、伝わると信じてそう麻里に向けて言ってから、わたしと友永はマンションの屋上へ続く階段を駆け上った。エレベーターを待ってる時間がいやで階段を選んだ。

一段一段が重い。だとしても、止まるわけにはいかない。一瞬でも早く麻里の近くに行って言わないといけない。わたしは麻里が大好きだし大切な友達だよって。だから、あきらめてはいけない。疲れを感じなかった。全くといっていいほど、途中で他の何かを頭がよぎるなんてことはなかった。

気持ちだけで人は限界を超えられる。

わたしは自ら思い知った。

コンクリートの冷えきった階段を上り上った末、そこには広いねずみ色の床があった。

殺風景。

その何も無い虚しい場所で、一人の中学生が空を眺めている。

後ろ姿だけの影が伸びた、表情が見えないその子の名を、わたしは乾いた喉で呼んだ。



「麻里」

呼んだ。

「どうしたの、こんなところに来て」

振り向かずに麻里はそう言った。

あまりにも幼い強がりの声に、胸が締めつけられた。

14才。

まだ14年間しか生きていない、言い換えれば14年もの長い間ここまで生きてきたのかもしれない、そんな麻里。

麻里の表情は今、苦しんでいるだろうか。それとも、また前のように無理に我慢して笑っているのだろうか、涙が頬を伝っているのだろうか。無表情かもしれない。

どちらにしてもこの微妙な回転を繰り返す時期。

わたしは共感できた。

どうしても常にある不安をごまかすために演じてしまう。よく分かった。そのぶん痛んだのだ。一緒に気持ちをわかちあうというのはこういうものだ。1つの大きな塊、苦しみの塊を半分に割って互いに支えあう。だから、わたしが今感じてる胸の痛みは麻里がこれまで抱えてきた痛みの半分かそれ以下。その程度なのだ。

だからって死んじゃっていいの?

わたしだけでは麻里以上の重みを背負う事はできないの?

麻里の背中を見て聞いた。

瞬間、麻里がほんの少し空中に身をゆだねたように見えた。

「ダメッ!」

わたしは麻里のところへ足を伸ばした。

ほんの数歩先の位置だった。

一歩一歩のたびに固い床と靴底が当たる感触がある。あと半歩。もうすぐそこにある。手を伸ばす。10センチ。5センチ。あとちょっと。1センチ。触れそうになる。・・・・・・手が届く・・・・・・後もう少し・・・・・・。

届いた。麻里の肩に、手が届いた。あった。麻里はいた。感触がきちんと感じ取れる。まだほんのり温かい。生きている。引っぱる。抵抗は全くなかった。二人そろって、地べたに体から倒れこんだ。背中が一瞬痛んだ。ゆっくり目を開ける。麻里の額が目の前にある。

・・・・・・助かった。

麻里は助かったのだ。

わたしは思わず麻里をそのままの姿勢でぎゅっとした。

「嘘・・・・・・」

ぎょっとした。

麻里の温かさが普通より格段にぬるい。

体温じゃなくてもっと、心の温度が低いのを感じたのだ。

この冷たさは麻里の深い傷を表しているのだと思うと辛かった。

「渡辺・・・・・・市村」

友永がそう名前を言う。そして、友永の足の力が抜けて地面に崩れるドンッという音がした。

「ほんとによかった・・・・・・」

表情の分からない友永は嬉しそうにつぶやく。

わたしはコンクリートの上で涙を流すことなく泣いていた。

麻里はちゃんとここにいる。助かった。安心があった。でも、同時に悲しみもあった。心でしか説明できない言葉を使って表現できない感情。わたしは麻里の手に触れた。

「どうして」

瞬間、コンクリートに座る麻里がうつむき気味につぶやいた。

「どうして・・・・・・いるの」

誰かに問うまでもなく、麻里は肩を震わせていた。

そりゃそうだろう。自分のしたくないことを強制的にさせられ、仕舞いには万引きという犯罪の域まで及んでしまう。どんな14才でも簡単に忘れたり捨て去ったりなんてできないだろうし、自分をここまで追い込んだ相手を受け入れるなんて普通すぐには無理だ。

わたしは考えた末黙ったまま唇を噛んでいる友永に、

「謝って」

強く鋭く言った。

「わたしも謝るから」

冷たいかつ優しい風が、ヒィューという音で吹く。その吹かれた風はわたし、麻里、友永の、それぞれのボロボロになった心を羽毛で柔らかくふわりと包むようにしばらく囲み抱いた。

「ごめん・・・・・・ごめんなさい」

友永の吐かれた息が鮮やかに白く彩られ、そのまま溶けた。

頭を深く下げた友永の頭頂部のつむじはきりっとしている。

それでも麻里は、なお友永を恐れているように友永に背を向けるような形でいる。わたしは体を半回転させ、麻里と向かい合った。そんなわたしの行動に気づいたのか、麻里はゆっくりと、顔を上げた。

涙を我慢している表情だった。あまりにも強く、そして弱い麻里を見ていると痛々しくてたまらない。

「ごめんね、麻里」

わたしは苦しくてもしっかりと麻里を見て言った。そして着ているコートを脱ぐと、麻里が着ている長袖のシャツと水色のセーターの上にそれを軽く重ねた。学校からそのまま走ってここまで来たから、着ていたコートは学校で指定されたタイプの黒い素っ気ない物だったけど、ものすごく麻里は見た目明るくなった。少なくとも、人間としての温かさは取りもどしたように思えた。

「わたし、麻里にいてほしい・・・・・・ずっと、一緒にいたい」

麻里を、わたしはもう一度抱いた。

麻里の心臓の音が直接、伝わってくる。

とても、温かい。

そう感じた。

同時に、麻里の我慢していた目から・・・・・・涙があふれ出た。

たった一滴、たった一滴だけど、その中には今までの様々な思いがぎゅっと凝縮されているような気がした。この一滴が、麻里の心を締めていた複雑にからまるひもをほどいたように見えた。

本当の自分を全て表に出した麻里。

わたしは自分で自分を追い込んでいたいつしかの時の記憶を思い出しながら、泣きじゃくる麻里の背中をさすっていた。


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