第7章−3話
「・・・・・・市村さん?」
どこか聞き覚えのある声。
というより、わたしはついほんの数十分前かそれくらいに、そいつと話した。
「と、友永・・・・・・」
全部あんたのせいよ。
あんたさえいなければ、わたしも麻里も普通に出会えてたのに。
いや、もしかすると友永祐一がいたからこそ、わたしたちは巡り会えたのかもしれない。そもそも、麻里がわたしに最初声をかけたのは、ともだちのいないわたしと思いを分かち合いたかったからであって、友永祐一が麻里をいじめなかったらわたしは、麻里と知り合えてなかったのかもしれない。
ついついそう思うと、どうしても友永祐一を本気で憎めない。
いきなり心を、そんな感情がざわつかせる。
「友永くん、何、今ごろ・・・・・・謝りにきたの?」
わたしは友永祐一のひざ辺りを見ながら聞いた。
「いや。ただ、さぁ。悪いなぁって。二人に悪いなぁって」
「だから、それを謝るって言うんだよ」
今なお心を揺らす思いを、口の言葉でかき消そうとした。
「あ、そうなんだけどさ。でも、おれ市村さんの言う事を聞いていたら、だんだんひどいことしたなぁって思えてきてさ。おれ、昔から自分がそういう人間だって分かってたんだ。後悔先に立たずっていうやつ?ちょっと違うかもしんないけど。でも、後悔したって変えれないことはたくさんある。だから、おれは時々人から見れば悪魔みたいに思えてしまうのかもなぁって」
「うそ」
「えっ」
「どうせ、それも口先だけなんでしょ。あんたは、ついさっき本性を見せた。人間の裏を中学生のわたしに見せた。けっこう辛かったんだから。だから、わたしはもうよっぽどのことがないとあんたの言う事を真に受けない。これくらいのこと言われることくらいは覚悟して、ここまで来たんだよね」
自分でも言ってて思った。
なんで、わたしは現実から目をそらすのだろう。
今すべきことはこのインターホンのスイッチを押して、麻里の無事を確認すること。無事ならそれでいい。またわたしの思い込みだったとしても、それでいい。麻里がいるなら充分。そう考えているのに、やっぱりわたしはこんなふうにそらしてしまう。例えば今のように、いつのまにかわたしは友永祐一に八つ当たりしている。こんなことしたって何も変わらないのに。
最低なのは、友永祐一でももちろん麻里でも青井先生でもなく、他でもないわたし、市村香織13才少女。こう認めさえすれば、全て変わりそうな気がする。でもできない。自分一人じゃ、どうせ何もできない。
「分かってる」
「・・・・・・」
「分かってるんだよ、おれ。市村さんにも渡辺さんにも、到底許してもらえないって。だから、何かそのぶん力になりたくて。そうだ、そのケータイ貸して」
友永祐一はそう言うと、素早くわたしの手からケータイを奪い取り、電源が入れたままになっていたケータイを滑らかに操作し、あっというまに電話をかけた。
「どこに、かけてるの」
「決まってんじゃん、渡辺さんのとこ」
「で、でも・・・・・・麻里の家はここだよ」
「苦しんでんだろ、渡辺さん。そうだよ、おれのせいだよ。おれのせいで、渡辺さん不登校になりかけてるんだろっ。そんな状態の人間が、誰からか分からないインターホンの音に反応して上手い具合に出てくれると思うか。おまえ以外の人間と会いたいなんて、思うか・・・・・・」
泣いている。
友永祐一が、友永くんが泣いてる。
目をいっぱいに潤ませている。
言葉が出なかった。
この人は、本物だ。
彼を疑っていた自分が間違っていたことに気づき、胸がキュンッと痛んだ。
「あっ、もしもし!?おい渡辺、家の中にいるのか?」
「ちょっ・・・・・・ちょっと友永くん、麻里、出たの?」
「あ、あぁ。で、渡辺、どこにいるんだ、今・・・・・・えっなんて?聞こえないんだけど・・・・・・いや、渡辺の声が小さいんじゃなくて・・・・・・そう。周りがうるさい。もしかして街中かどこか?迷ったんだったら探しに行くけど。それとも駅・・・・・・じゅ、10階!?」
「友永貸して」
わたしは呼び捨てで呼んだ友永からケータイを強い力でひったくっていた。寒さでかじかんだ手が動揺と恐ろしさのあまりブルブル震え、ケータイをうまく持てない。それでも両手でどうにか支え、わたしは麻里と声だけつながったのだ。
「麻里、麻里!どういうこと?10階ってどこ?」
返事はない。
ただ、都会より少し静かな騒音だけが聞こえる。
「ねぇ麻里っ!麻里ったら!」
「貸せ」
今度は友永がケータイをわたしから取った。
「おい渡辺。絶対に、絶対にそこから動くなよ。おれのせいだ。謝る。だから・・・・・・お願いだよ。死ぬな、死なないでくれ。とりあえずそこに座っとけ。何よりおまえの友達の市村が心配してんだよ。だからさぁ、頼む。おれのことなんて、おれのことなんて許さなくていいから、とにかく待っていろ。助けに行くから」
冬なのに汗が出てきた。
怖い。
怖すぎる。
足が、体の全てが拒んでいる。
「行くぞ市村」
動けない。
動こうとしても、足が言うことを聞いてくれない。
「こんなとこにいたってしょうがねぇだろ。渡辺がこのままどうなったっていいのかよ。おれ今さらこんなことするなんて、どうかしてるし最低だよ。自分でも最悪だって感じてる。でもさぁ、いまだに躊躇してる渡辺も、おれはどうかと思う。
おれさ・・・・・・おれ見てたんだ、職員室でおまえが先生に頭下げてるとこ。あの時はバカだなぁって、おれの思うつぼにはまってるなぁって笑ってたけど、今なら言える。おれ、本当はおまえが誰かの役に立ちたいって望んでること。友達なんだろ、おまえと渡辺。だったら助けてやれよ。友達のために先生に頭下げるくらいのプライド捨てられたなら楽勝だろ、これくらい。それにこのままだったら渡辺・・・・・・何しでかすか分からない。それでもいいのかよっ!」
良いわけない。
麻里がどうにかなって、良いなんて全く思わない。
けど、わたしは臆病だから。
先生には頭下げたけど、行動力はない、臆病な人だから。
「渡辺にはおまえしかいないんだよ。友達がいなくておまえが渡辺しか頼るものを持ってなかったように、渡辺もおまえ以外を必要としてないんだよ」
友永の言葉一つ一つが胸に突き刺さった。
わたしはバカだ、麻里をいじめていた友永よりも麻里を分かっていない。ただ、麻里がいることだけに意味があると心のどこかで考えていたから、麻里そのものを一人の人格として見ていなかった。
わたしは麻里を助けないといけない。
臆病でも、何かできるかもしれない。
「行こう友永」
「い、市村・・・・・・」
「早く行かないと。ぐずぐずしてる場合じゃないよ。ほらっ、友永っ、つっ立ってないで。お願いだから早くっ!」
「あ、あぁ」
わたしと友永は、ゴミ収集所に運ばれ終えたもはや原型さえ満足にとどまっていないであろう、行方不明になった大切なアルバムを探し出すかのように走った。必死で麻里の姿を探した。こういう時は普通相手が行きそうな場所、というのを重点に置いてそこをくまなく見るのだろうけれど残念な事にわたしは麻里のそれを知らなかった。たとえ知っていたとしても、そこが10階建てかなんて分かりもしないだろう。
改めてわたしは自分を嫌った。
麻里の心を知らない己を憎んだ。
だから、手当たり次第に走り続け麻里の名前を呼んだ。今感情に振り回されていたら、現状がどう悪化してもおかしくない。
学校の屋上、というのも一瞬考えてみたけれど、あそこは高い、友永が今日もたれていたフェンスがあるから・・・・・・飛び降りることができない。可能性としては、この辺りから500メートルほど進めばある高い建物。いくつかのその中のどれかでなければ、わたしはどこまでいけるか限界を決められなかった。それくらい本気、わたしは本気だった。
走る。
足の筋肉が痛い。
でも、心のほうがもっと痛い。
昨日からずっと痛かった。
麻里がいじめを告白したときの泣き顔を見てからその後、ごまかすことのできない不安定の感情が一秒一秒、時計の針が動くたびにズンッと響き続けていた。言葉で説明してはいけないと思うほどの罪悪感。他人に抱く怒りと恨み。二つが交差して不安定だった。迷うときには必ず何かが交わっている。そうでなければ誰も悩まないし思うとおりに動けちゃう。麻里はその中間地点にいるのだ。苦しすぎる。心臓の中身をえぐられるくらい恐ろしくて痛い。一旦どちらかに揺れ動いてもまたちょうど真ん中に戻り、今度反対側に傾いてもまた戻る。周りが変わらない限り続く永遠の繰り返し。心のシーソーに乗ったそのとき、よほどのことがないと降りられない。時間と空気の重さがピタリとうまい具合に混ざらないと、心はどちらか一方に傾き続けてはくれない。
わたしはそのことを実体験し、身に染みているから本気なのだ。
だから、痛くても走れるのだ。
「おい・・・・・・あの子大丈夫なのかよ」
不意に、そんなことを言う声が聞こえた。
足が止まる。
ゆっくりと上を見上げる。
10階建ての古いマンション。
その頂上の角。
柵もフェンスもない危険なそこに、
麻里は立っていた。