第5章−1話
翌日、麻里は学校を休んだ。
その日季節は12月でもうすぐ冬休み、昨年新しく取りつけられた暖房がはたらいて教室の中は外よりまだ暖かく、冷たい感情も溶かしてしまいそうだ。
そんな中、青井先生の顔は心配そうに青ざめていた。
「渡辺さんは風邪でお休みです」
と先生が言ったときも、
「青井先生こそ風邪なんじゃないですかぁ」
と生徒の一部がからかったくらいだ。
わたしはその理由がだいたい分かっていたけれど、あえて分かっていないように自分の中で推測を押し殺した。
ホームルームが終わって生徒が授業の準備を始めるのを見てから、青井先生はわたしを手招きして呼んだ。
「実際は渡辺さんからは何の連絡も来てないの。お家のほうに念のため電話したんだけど、誰もでなくてね。渡辺さんの家共働きだからそれも当然なのかもしれないんだけれど。なんか、不安なのよね。こう胸の辺りが騒ぐって感じかな」
そう心配気に青井先生は言った。
耳打ちされて、先生の声で震える空気がそのまま耳に入ってきても、それでもまだわたしは、危機感を感じていなかった。いや、感じないよう努めていた。
実はわたし、学校に登校してからずっと、一つのことに対してばかり考えていた。だから行動も思うことも全て、その執着する事柄にプラスになるものかマイナスになるものかしっかり判断してから口で言い、心で感じるようにしていた。
「このままで、あなたは大丈夫ですか?」
いくら聞いたってまともな答えが返ってくるはずない。
自分に優しく接したところで、どうにかなるわけもない。
気づいたらこう、悲観的になっている。
感情の浮き沈みが昨日から激しい。
こんなのを、多感期っていうんだろうか。
この日の最後、3学期に予定されている席替えまで待てないとの生徒の声をうまく静めることができなかった青井先生は、急遽くじを作り始めた。しばらくしてできた、袋から取り出した番号と同じ出席番号の人が現在座っている席に移動する、という簡単な仕組みのくじびきを使って、わたしたちは完全にどこの席になるか全く予測不能の席替えをした。
結果、わたしの隣は友永くんで、斜め前は麻里になった。
麻里が休みということでわたしが麻里の代わりに引いたのだが、まさかこんな偶然あるのだろうか。いや、これは偶然じゃない。被害者、弁護人、警察、そういう身近な存在ながらも対立している複雑な関係になるよう、わたしたち三人はコントロールされていたのだ。
「渡辺さん、どうしたのかなぁ」
ため息をつくように友永くんは、空いた麻里の席を見て言った。
間近で聞くとより透きとおっている声は、たとえどれだけ残酷な言葉さえも慰めの言葉と思ってしまいそうだった。この人が、嘘の情報を先生に流した。わたしを万引き犯だと偽って、証言した。
「風邪、って先生、言ってなかった?」
まともに見るのに耐えられないわたしは、独り言と友永くんにとられてもおかしくないほど小声で、机の隅にある1cmほどの深い傷を見ながら言った。
「そうかな。昨日、ぼく見たんだよ。渡辺さんが、先生と一緒に相談室に入ってくの。あそこ、知ってると思うけど基本的に出入り禁止なんだ。先生の許可がないとあそこは使うことができない。実際あの部屋では秘密の話しあいがされているってうわさだから、たぶん渡辺さんは先生に言ったんだよ、他の生徒に漏れてはいけない事実か何かを。知りたいなぁ。渡辺さんが知っている事をぼくが知らないなんてあまりにも不公平だよ」
「ねぇ」
気づいたら、わたしは友永くんをにらんでいた。
分かりつつも抑えていた感情が、にらみとなって表れた。
きつくにらんでいるうちに目がパサパサ乾いて痛くなる。その目には、友永くんしか映っていない。周りの生徒の顔は、ジェットコースターに乗っている間通り過ぎていくだけの風景のようにぼやけ、そこにあるとは思えないほど薄い。ずっと彼をにらんでいると、涙が目の奥からにじみ出てきた。でもまばたきはできない。わたしの目はすでにまばたきという行動の存在すら忘れていた。
「ねぇ」
わたしは聞いた。
「あなた一体何?」
周りの音も何もかもが耳に入らない。席替えでの歓声も後悔も共感も、全て消え死んでしまうようだ。目の神経しか働いていない。そう思えるくらいの無音の世界。
わたしの視線の先にいる彼は、にゅっと唇の端をゆがませた。