第4章−3話
「どうしてですか」
先に沈黙を破ったのは、わたしのほうだった。
「どうして、そうなるんですか。わたしは万引きなんてしていないしもちろん麻里だってそうです。なのに、なんで? ・・・・・・青井先生は、教師じゃないんですか」
死にそうだった。すごく疲れて、死にそうだ。
「友永くんって知ってるわよね」
「・・・・・・えっ?」
「市村さんと同じクラスの、友永裕一くん」
知ってるもなにも、友永くんは唯一男子でわたしに暴言を吐いたりいじめたりしなかった子だ。麻里のようにいじめを止めてくれたりはしなかったけれど、それでもとてもクラスメイトから信頼されていて、学級委員の投票も確か彼にほぼ満場一致で決まっていた。おまけに成績優秀スポーツ万能、どこをとってもすばらしいとしか言いようのない人間の見本のような雰囲気を友永くんは放っているし、実際テストの点も運動会のリレーのアンカーも完璧としかいいようのないものだった。まさに、万引きなんてものとは、無縁の性格。
そんな彼が、どうして万引きの話に関わってくるのだろう。しかも、わたしが万引き犯と疑われている話に。
「あの、どうして友永くん、がこの話に出てくるんですか。だって友永くんはわたしとも・・・・・・友達とかそういう関係じゃないしそれに、万引きなんてするような人じゃないし。たぶん麻里ともつながりがあるなんて思えないし、それに・・・・・・」
「どちらにしても」
青井先生は力強い口調で言った。
「どちらにしても、渡辺さんには友永くんとの何かしらの関係があったと先生は思います」
「な、なんでですか」
わたしの問いかけにしばらく間を置いてから、先生は話し始めた。
「『香織は万引きなんてしない』。渡辺さんが今日の昼休み、わたしに言った言葉です。そして昨日の朝、友永くんは『市村さんが万引きをしたところを、ぼく目撃しました』。そう言ったの」
よく、先生の言っている意味が分からなかった。
いきなり友永くんがこの話に出てきていまだに正直困っていた。
「つまり、渡辺さんはあなたの万引きを否定した。なのにどうしてだか友永くんはあなたの万引きを肯定した。あきらかに矛盾してるの。これがどういうことを意味しているか市村さん分かる?」
「いえ・・・・・・ただ、その友永くんがどうしてしてもいないわたしの万引きを・・・・・・目撃したと言ったのか理解できません。だってしてもいないことを勝手にしたって噂されても。とても迷惑です」
「そんなやわなこと言ってる場合じゃないのよ。校長先生も教頭も、すっかり友永くんの言う事を信じてる。そりゃそうよね。だって友永くんは模範の生徒だもの。とても渡辺さんに敵う相手じゃないわ」
「あの、先生? おっしゃってることがよく分かりません」
本当は分かっていた。
簡単に解釈すると、近頃の大人は日頃の行いがよい生徒の証言を信じる傾向にある、ということだ。理由は分からないけどとにかく友永くんはわたしを万引き犯に仕立てようとしているらしい。それを麻里は懸命に否定してくれている。でも最初に述べたように、校長や教頭は麻里を信じず友永くんだけを信じている。
ここまで冷静にこんな考えができる自分に、述べたなんていう、なかなか中学生の会話で使わない言葉が浮かんだわたしに、鳥肌が立った。
「この学校は教育方針が厳しいの。それでなくても万引きは犯罪行為。一般的な公立校でも自宅謹慎が当り前。だからこのまま市村さんが万引き犯、なんていうふうに思われちゃったら・・・・・・おそらく、いや確実に市村さん」
「はい」
「あなたは停学処分よ」
停学。
この二文字は、『死ね』の手紙と同じくらいのダメージをわたしに与えた。
停学、というのはまさに停学だ。
停学になったらわたしはどうなるのだろうかと考えただけで、背筋にぞくっと寒気が走った。
学校がとりあえず楽しい今、これからしばらく学校に来ることを禁じます、なんて変な紙のようなものを親と共に呆然と立ち尽くす校長室で見せられたら一体どうすればいいのか。親がわたしに失望するのは別にいいけど、この先の未来が心配になる。
不安が渦を巻いて頭をパニックにさせた。
けど、それよりも一つホッとしたことがあった。
たとえ麻里が万引き犯だとしても、いやそんなことはないのだけれど、もし麻里が万引きのようなものをやったとしても、麻里が罪に問われることはない。ただ、そのかわりに友永くんという模範的な証言者がいるのだからかなりの確率でわたしはこのままだと万引き犯というレッテルをはられ、停学処分となる。
ピンときたようで、ピンときてほしくなかった。
「ありがとうございます、先生」
迷った末出てきた言葉はこれだった。
お礼を言うわたしに、先生は無言のまま目で問いかけた。
わたしはその問いかけに答えた。
「最初先生はわたしに脅すような言い方で話していたけど、でもそれは間違いだったんだって。やっぱり普段の青井先生は優しいからこういう緊急事態のときも優しいんだって、改めて思った。教師なんだって思った。わたしより絶対に友永くんのほうが真面目なのに、わたしと麻里の言うことを信じてくれて、とても嬉しかったんです。だから、ありがとうございます、青井先生」
言う事も冷静で素直だ、素直すぎる。
もしかすると、まだわたしは理解できていないのかもしれない。
何の関係もないはずの友永くんに、恨まれるはずのない友永くんに、万引き犯というとても低い位置に自分が落とされかけているということを理解してないのかもしれない。
いや、わたしはいじめられて精神的に強くなった。
これくらいのことで、負けたりはしない。
いつもでは想像のつかないくらい強気さに、わたしは戸惑ってなぜかとても不安になった。本当にこのままで大丈夫なのだろうか、と。
「こちらこそ、ごめんなさいね。つい尋問のような聞き方しちゃって。わたし市村さんを信じてるはずなのに」
「・・・・・・」
「言い訳させてもらうと、わたしあいにくまだ教師5年もやってないから、生徒の心なんて分かってるようで分かってないのよ、こればっかりは自分でもいけないって思ってるんだけどね、なかなか直せない。それにわたし、生徒はみんな同じだと思う。だから、友永くんのことも信じてる。もちろん渡辺さんのことも市村さんのことも。わたし誰を信じればいいか、どうすればいいか分からなかったの。だから、100パーセント市村さんが万引きを否定できる意思を持っているのかなぁって、それを確かめようと思って。それだけだったの・・・・・・それだけだったのに・・・・・・けっこうきつい事言っちゃったりして。本当にごめんなさい」
青井先生は頭を下げた。
「せ、先生。やめてください。それよりも、どうにかしないと。誰が本当の万引き犯なのか調べるんじゃなくて、この学校の生徒は万引きなんてしないっていう決定的な証拠を見つけるんです。そうすればわたしの無実の罪も晴らされるし、学校からもややこしい問題がなくなる。完璧じゃないですか」
奇妙なくらい頭が冴えた。
自分が天才的な弁護士になったような気がした。
本当に、いつからわたしはここまで楽観的になったのだろうか。あまりにも不自然で、そう疑問に思った。なんとなくわたしの楽観さは、今にもはちきれそうな感情を抑えようとする必死の楽観さに思えてしょうがなかった。
自分に聞く。
「このままで、あなたは大丈夫ですか?」