第4章−1話
その日は学校全体が騒がしかった。
騒がしい、というよりかは全体としておしゃべりの種類が違っているような、いつもなら他愛のない話で盛り上がっているはずの生徒たちが、今日はありがちじゃないようでありがちな話についつい興奮していた、といった感じだ。でもその興奮を簡単には表に出すことはさずかにはばかられるようで、生徒たちは裏でおどる感情を押し殺している。声を縮めながらも拡大しつつ話すいやらしいその光景は、わたしを震え上がらせた。
息苦しい。
そう感じた瞬間、あっ、麻里はどこだろう、思って辺りを見回すと麻里はみんなから少し距離をおいて自分のいすに座っていた。
「麻里一体どうしたの? この騒ぎ」
周りのヒソヒソ声に嫌でも合わせないといけない気がしてわたしは半分息だけで、そう麻里に聞いた。
「・・・・・・万引きらしいよ」
麻里は言いたくなさそうにそうつぶやいた。
急に、心臓の鼓動が速くなった。
あれ以来わたしは『万引き』という言葉に敏感になっていた。そのせいからかそれとも他に自分でも気づかない理由があったのか、麻里のつぶやきは臆病なくらい小さかったのによく聞こえた。
「万引き?」
斜め下を向いている麻里の表情は見えないけど、確実にいつもとは違うものが、麻里の中には秘めていた。
話題のテレビの感想批評、昨日起こった出来事の報告、そんな話より万引きという犯罪の話に夢中になっている生徒に対しての奇妙ささえも、一度あった食欲が風船から空気が抜けるみたいに無くなったときのあのもどかしさで消滅した。
「万引きって・・・・・・どうしたの?」
一旦教室から出、教室よりは空気のやわらかい誰もいないトイレでわたしは聞いた。電気の点いていない薄暗いトイレは、まるで小窓からかろうじて入ってくる陽の光で生きているよう。
この前自分が万引きをしようとしていたせいか、実際したわけじゃないのにもかかわらずわたしは不安になり、顔や手から汗があふれ出て、息が上がっていた。
あまりにも静かすぎる。ドアをピタリと閉めても隙間を見つけて入ってくる廊下からの小さいかつ大きい、口から耳に伝わる声がここにはきちんとあるのに、静かすぎる。
どこからか風の音が不気味に入ってきて、奇怪な音をたてる。なんとなく声が出しにくかった。
「なんで、万引きの話がこんなに学校で、話題になってるの」
それでもなんとか言葉を言ったら、
「うん。それがね、駅前のデパート、なんだって。・・・・・・この学校の生徒の誰からしいんだって。わたしは違うと思うんだけどね」
「そ、それで?」
「うん。わたしは違うと思うんだけど、でもみんな言ってる。この学校の誰かが万引きしたって。けどたぶん、っていうか絶対うわさだよ」
「うわさ? ほんとに? ていうか、うわさでも本当でもいいから、なんでここの学校だって分かるの?」
「うん。本当かどうかは、分かんないんだけどね、店員が商品をカバンに入れるところをね、目撃したんだって、よく分かんないんだけどね。でも・・・・・・それで追いかけたら逃げられたんだって。ただ、誰かがその現場を見てたらしくて、それで、その誰かが先生に見たことそのまま言ったって、それで・・・・・・」
わたしが立てた計画となんとなく似てる。いや、わたしが立てたのは計画じゃなく要望だ。でも麻里がそれを話したら、どうしてだかとても緻密にできた策略のように思えてしまう。
でも、今の麻里は何かに怯えている。少なくとも、麻里のぎこちないしゃべり方から見て取れた。わたしのほうを決して見ようとしない麻里はこれ以上話したくないようで、また話す力も残ってないようで、口を動かすほど冷静な感情ではないようで、ただ、黙りうつむいたままでいる。
「麻里・・・・・・?」
そのときちょうどチャイムが鳴った。
瞬間、それを口実とするかのように麻里はわたしを置いて、トイレから駆け足で出ていった。
「まさか・・・・・・。違うよね」
麻里が万引き。
想像しただけでも息が震える。
「・・・・・・違うよ、きっと」
友達を疑ったらいけない。
わたしを地獄から救ってくれた友達を、疑ってはいけない。
もちろん麻里は一度地獄にわたしを落としたけど、それでもわたしは麻里を嫌いになれなかった。つまりそれほどわたしと麻里には深いつながりがあるはずなのだ。
友達は、信じないといけない。
自分の中に新たな決まりごとを作り上げた。でも、わたしは安心と恐怖が理性と感情のように葛藤することに慣れていず、ただ、足に力をこめて教室へ戻ろうとするだけで疲労感がどっと出た。
「麻里が万引きなんて・・・・・・」
麻里はマンビキなんてしない。
水晶ついたストラップ、を渡してくれたときの麻里のあの笑顔が頭の中でよみがえって、わたしはしばらくしてどうにか半分だけそう思えたのかもしれなかった。