商人、フリーデ
ゴロゴロと大きな岩が点在し、草はほぼ皆無に等しい。
乾燥した土の緩やかな斜面は、足から体力を奪い、疲労を少しずつ蓄積させる。
傷を治した隼人たちは、当初の予定通り、山岳部の険しい道を歩きフィリスタへと向かっていた。
山岳部の道はまともな舗装もされておらず、ただ獣と人が踏み固めただけで馬車一台が何とか通れる程度の細い道しかない。
道には大小の石が転がり、ブレードギアを使用不能にしていた。
隼人は若干うんざりした表情で、一本道を歩いていく。唯一の救いといえば、斜面の下に続いている広大な森と、その奥に広がる海の雄大な光景だろう。
ちなみに、リュンは歩きにくい地面にうんざりして、早々と空を飛んでいる。
「この山岳部っていつまで続くんだ?」
「だいたいあと三日じゃな。それ以降は標高が下がって下の森に飲み込まれる。まあ、そこまで行けば盗賊どももおらんがのう」
「あと三日も歩き続けないといけないのか。靴が先にダメになりそうだな」
現代から持ち込んだスニーカーとはいえ、これまでの酷使にかなりのダメージが来ている。そろそろ変え時だろうかと考えながら進んでいると、前方に怪しげな人だかりを見つけた。
「リュン、あれなんだ?」
「盗賊連中じゃな。大方、縄張り争いじゃろうて」
リュンが少し上空に上がり高い視線からその人だかりを見てみれば、粗野な恰好をした男たちが剣をぶつけ合っているのが見えた。
戦いは長く続いているのか、斜面には結構な数の死体も見られる。
「どうする? 終わるまで待つか?」
「一本道じゃしのう。両者が疲弊してくれるならそれも良いじゃろ。何か摘まみながら休憩じゃな」
「了解」
隼人は鞄の中から水筒と干し肉を取り出し、コンロで軽く炙ってからリュンに渡す。リュンはそれを嬉しそうに受け取ると齧り始める。
「ふむ、しかし山岳部でここまで大規模な争いも珍しいのう」
「そうなのか?」
盗賊が顔を合わせれば即殺し合いが始まるのかと思っていた隼人は、リュンの言葉に首をかしげる。
「奴らも同業者とは意外と連携するからのう。二三個の集団が揃って大規模な商隊を襲うこともあるぐらいじゃ。じゃから、基本的にあいつらが争うと言うことは少ない。兵士や騎士団の対処にも、数は多い方がいいからのう」
「それもそうか。ってなると、あれはどういうことだ?」
「だから珍しいと言うておるのじゃ。よっぽど仲の悪いもの同士なのか、はたまた内部分裂かもしれんのう」
「ああ、大規模になるとそういうのはあるって聞くな」
しばらく傍観していると、戦いの規模がだいぶ小さくなってきた。そして、リーダーらしき人物が撤退合図を出すと、一団が斜面を下って逃げて行った。
残った盗賊たちは勝ち鬨を上げるように、持っていた剣を高々と掲げながら雄叫びを上げ互いに喜び合う。
そして、倒れた仲間たちから装備を引きはがし始めた。
仲間は仲間だが、死体になれば金の塊である。その辺り盗賊の生活はシビアだ。
「終わったな」
「そろそろ行くかのう」
盗賊たちの様子を見ながら、隼人達は再び道を歩き始める。すると、盗賊の一人がすぐに気付き、声を上げる。
声に反応した全員が一斉に隼人たちを見ると、剣を構えた。
隼人達も戦闘態勢を取ろうとする。しかし、盗賊たちの中で一際大きく、豪華な装備をした男が盗賊たちに武器を降ろすよう命令した。
「どういうことだ?」
「分からん。とりあえずあの男は、こっちと戦いたく無さそうじゃのう」
警戒しながらゆっくりと近づいていくと、その男が声を掛けてくる。
「お前たち、最近この辺りに住み着いた二人組だな?」
「最近っつっても、一か月近く前だけどな」
「それぐらいなら最近だ。ってことは、目的は俺達か?」
「いや、フィリスタに向かう途中だ。邪魔しねぇんなら襲わねぇよ」
「そりゃ助かる。正直、今から戦うのは勘弁したい。お前ら、先に行っておけ」
男は少し安心したように息を吐くと、部下たちに指示を出す。部下たちは隼人達が気になるのか、しぶしぶといった様子で道の先へと駆け足で進んで行った。
「ずいぶん警戒されてるな」
「当然だろ、お前らここら辺の連中にとっちゃ恐怖の対象だからな」
「そんなにか?」
確かにねぐら周辺の盗賊は鬱陶しかったので掃討したのだが、そこまで恐れられるようなことをした覚えは無かった。
首を捻っていると、男が呆れたように眉を顰める。
「自覚なしかよ……お前ら、俺達が溜めた食料全部かっさらうから、こちとら食料の争奪戦が激化してんだよ。さっきのもそれだぜ」
「マジか」
つまり、隼人達が盗賊を襲い食料を奪ってしまったせいで、盗賊たちの食料の総量が少なくなり、争奪戦に。隼人達から奪い返そうとした連中は全て殲滅され、街道を通る商人を襲おうにも、襲いたい盗賊が多すぎるせいで、商人を襲う前に盗賊たちで獲物の取り合いが発生していることになる。そして、その全ての元凶が隼人達なのだから、恐れられて当然と言えば当然だろう。
「つまりこの先に得物の商隊がいると言うことじゃな」
「おうよ、山岳部を通る連中なんて珍しいからな。できれば逃したくねぇんだ。その上、護衛は連れてるし馬車は二台とかなり少ない。団員全員に報酬渡すには、ちと足りねぇぐらいだ」
「そう言うことか。なら今後は少し楽になるかもな」
「どういうことだ?」
「私たちはフィリスタに向かうからのう。取られる心配は無くなると言うことじゃ。それ以上に、盗賊の総数は減っておるから、競合も減るじゃろ」
「マジか! そりゃいい話を聞いた。だが、まずは目先の食料だ。俺ももう行かせてもらうぜ」
「ああ」
男は、駆け足で部下たちが走っていった方向へと向かう。それを見送り、隼人達もゆっくりと歩き始めた。
しばらく歩くと、再び戦闘音が聞こえてくる。
見えてきたのは、二台の馬車とその周囲を守るように立つ鎧姿の男たち。そして、その外周をぐるっと囲む盗賊たちだ。しかし、どうも先ほどの盗賊たちとは別の盗賊のようだ。
その事に疑問を持ち、隼人が周囲を見渡してみると、少し離れた斜面の上から先ほどの盗賊たちが座って観戦していた。
そして、そのリーダーが隼人達に気付き手を振ってくる。恐怖の対象に対する意外にフレンドリーな姿に苦笑しながら、隼人たちはそちらに向かった。
「何してるんだ? 襲わないのか?」
「あいつら、俺達がさっきの連中と争ってる最中に抜け駆けしやがったんだよ」
忌々しそうに戦っている盗賊たちを眺めるリーダー。
「乱戦に持ちこみゃいいじゃん」
「それはダメだ。この山岳に住む盗賊のルールでな、襲ってる連中を後ろから襲わないって決めてるんだよ。そうしないと、安心して狩りもできねぇ」
「なるほどな」
暗黙のルールという奴だ。盗賊どうし、無駄に争って被害を出さないために、意外とこの手のルールはしっかり作られている。もしこれを破れば、周辺の盗賊団から一斉に襲われ潰されることになる。
村八分より厳しい罰を伴うこのルールは、山岳部に住むほぼ全ての盗賊が守っていた。
守らなかったのは、全て蹴散らした隼人たちと、ソロで活動する盗賊たちである。
彼らは、盗賊のアジトからこっそりと食料や金目の物を盗み出す、いわば盗賊の盗賊だ。
「つまり、あいつらが負けてくれるのを待ってる訳か」
「ああ、けど無理だろうな。数が違いすぎる」
馬車をぐるりと囲む盗賊たち。それに対して護衛は十名程度、そのうち三名はすでに弓によって射殺されていた。
逃げようにも、前方も塞がれており馬車が動かせない。完全に詰みである。
「お、そろそろ決まっちまうな。お前ら、撤収準備」
リーダーが仲間たちに声を掛けると、うぃーっと怠そうな声を上げてのそのそと立ち上がる。
その間にも、護衛の一部が倒され、一台の馬車が横転した。
隼人達も移動を開始しようと足を進めた時、横転した馬車の中から慌てて出てくる人影があった。
それを見て、隼人が足を止める。
「どうしたのじゃ?」
「あ、いや。一応顔見知りだったからな」
「知り合いじゃったのか。助けるか?」
「あー、どうすっかな」
「歯切れが悪いのう」
馬車から飛び出してきたのは、ベルデの遊戯場で隼人に助けを求めた名前も知らない女性だった。
知り合いと言えるほどの仲でもないし、かといってこのまま盗賊に捕まるのも、見殺しにされるのもあまり気分が良い物では無い。
それに加え、下手に助けても、今の自分達はお尋ね者である。助けたところで一緒に行動すればフィリスタで通報される可能性も高い。
損得勘定を考えれば、助けない方が良い気もするのだ。
「ほら、俺達お尋ね者じゃん? 下手に助けてもさぁ」
「それは確かにあるのう。しかし、あ奴が商人だと言うのならば、ここで恩を売るのも良いかもしれん」
「どういうことだ?」
「私たちは今後普通に町で補給するということが難しくなるじゃろう。じゃから、商人に町の外まで出てもらって、そこで購入するのじゃ。こんなところを通る奴じゃし、一割ほど高値で買い取ると言えば、多少の危険は冒す可能性もある」
「なるほど」
助けることで手に入る得が相応の物ならば助ける価値もある。
「なら助けてみるか。リュン、先行してくれ」
二人と商隊の距離は少しばかり離れている。リュンに先行してもらい、まず女性を確保しなければ乱入してもただの無駄足だ。
リュンは一つ頷き、血覚を発動させたその翼で斜面を一気に降下する。そして、逃げ出すのに失敗し盗賊に抱えられた女性を、横から掻っ攫った。
「な、なんだ!?」
「横槍か! ルール違反だぞ!」
「邪魔するなら殺せ! 皆殺しだ!」
斜面の反対に抜けたリュンを見上げ、次々に声を荒げる盗賊たち。護衛はほぼ全て殺され、残っているのは腹に槍を差された男だけだ。かなり傷も深く、さすがに助からないだろう。
もう少しで略奪が完了すると言う所で横槍を入れられれば、誰だって苛立つだろう。
しかし、その反対側からさらに理不尽な暴力が迫る。
「うっせ雑魚ども! 俺達は盗賊じゃねぇンだ。んなルール知るかよ!」
隼人が走り寄り、巨大化させた剣を真横に振るう。
それだけで、三割の盗賊が斬り裂かれた。
「あ、あいつは!?」
「やべぇっすよ頭!」
「クソが、こんなところにも出やがるのかよ!」
「野郎ども、相手は二人だ! 囲んで叩け!」
「テメェが頭か!」
声を上げたリーダーらしき人物に向けて、剣を伸ばす。戦いのプロでもないただの盗賊では、その剣は避けられなかった。
隼人と頭、二人の間に立っていた盗賊を貫き、剣はリーダーらしき人物の喉を貫く。
「ぐふっ……」
「ほら、頭は死んだぜ! 来るなら殺す! 逃げるなら、運が良ければ生き残るかもな!」
一撃でリーダーがやられたことに、動揺を隠しきれない盗賊たちに向けて、隼人は問答無用で剣を振るっていく。
一人が斬られた所で、我に返った盗賊たちは逃げだし、また一人が背中から斬られたことで、恐慌状態へと陥る。
一心不乱に逃げ出していくもの、その場で腰を抜かし動けないもの、パニックになり声を上げながら向かって来る者。さまざまだが、そのことごとくを隼人は殺していった。
生き残ったのは、最初から仲間を捨て全速力で逃走した者だけだ。その姿はすでにどこにも見えない。
「ふぅ、久々に暴れたな」
「暴れすぎじゃ。血の匂いがきつぅてたまらん」
「すぐに風で流れるだろ。それよりそっちは?」
「問題ない。驚いて気絶しておるだけじゃ」
肩に担いだ女性を降ろしながら、リュンが答える。
そこに、撤収準備をしていたはずの盗賊たちがやってきた。
「なんだ、お前らもやるのか?」
「いやいやいやいや、あんな殺戮現場見せられたら、誰だって逃げるぞ」
「ならなんだ?」
「そっちの横転した馬車、俺達にもらえないかと思ってな。車軸が壊れてるみたいだし、もう動かせないだろ?」
「ああ、あれか」
盗賊たちによって横転させられた馬車は、車軸がポッキリと折れてしまい、立て直しても動かすことはできないだろう。その上、馬にも何本か矢が刺さっており、かなり痛々しい。
「この辺りじゃ馬は貴重だからな。怪我してても治るレベルなら飼っておきたい」
盗賊たちが近づいて来たのは、それが理由だった。これからフィリスタへと移動する隼人たちに、車軸の折れた馬車は邪魔でしかない。
ならば、その馬車と馬車をひいていた馬を貰えれば、それだけでかなりの利益になる。中身の食料を別けてもらえれば万々歳という奴である。
「それはこいつが目を覚ましたら商談してくれ」
「それだけでもありがたいさ」
リーダーは嬉しそうにうなずき、リーダーと数名の団員を残して盗賊たちをアジトへと撤収させるのであった。
「う……うぅん……」
女性がゆっくりと瞼を上げる。そこに見えるのは、馬車の天井だ。
「私は……」
ぼんやりとした意識の中、次第に気絶する直前のことを思い出す。そして、勢いよく飛び起きた。
「目が覚めたかのう」
「お、目が覚めたか」
勢いよく上体を起こした女性を見ながら、彼女の横に座っていた二人が声を掛けてくる。
「久しぶりだなハニー」
「あなたは……ダーリン!?」
「今一瞬忘れてたろ。俺は隼人だ。こっちのはリュン」
「あ、私はフリーデです。フリーデ商会を営んでいます」
隼人達の自己紹介に、条件反射で名前を返すフリーデ。しかし、すぐに今の状況を思いだし、自分に掛けられていた毛布を手繰り寄せながら、二人と反対側の壁に急いで移動した。
「って、私どうなってるの!? 私の馬車は!? 荷物は!? 盗賊は!?」
「そう一度に聞くでない。気絶する前のことは、ちゃんと覚えておるみたいじゃのう」
「え、ええ」
「なら話は早いな。俺達が助けて、馬車に寝かせてた。馬車は一台ぶっ壊れてるけど、もう一台は無傷。中身も両方取られてない。ここはその馬車の中だ」
「な、なるほど」
「それと、襲ってた連中とは別の盗賊が、壊れた馬車と矢の刺さった馬が欲しいから売ってくれだとさ。交渉は勝手にやってくれって言ってあるが」
「盗賊と交渉ですか……それはちょっと怖いんですが……」
「まあ当然じゃろうな」
つい先ほどまで盗賊に襲われていたのだ。いくら別の盗賊団だとはいえ、フリーデからしてみれば同じ盗賊であることに変わりはない。
「なら売らない? 売らないとなると、馬車は運ばなきゃ全部強奪されるぞ」
「車軸が完全に折れておるからのう。修復は正直かなり難しいぞ。馬も矢が刺さったままで歩かせるのは危険じゃ」
矢が刺さったまま歩かせれば、中の肉や神経を傷つける可能性もある。下手すれば、重要な臓器を傷つける場合だってあるのだ。
売らないならば、この場で矢を引き抜いて傷の手当をしなければならないが、生憎フリーデにも隼人達にもそんな知識も技術も持ち合わせていない。
「分かりました。馬車と馬はお売りします。ただ、交渉に一緒について来てもらえませんか?」
「まあそれぐらいなら」
「かまわんよ」
二人が頷いたことにホッと胸をなでおろしたフリーデだが、その顔を突如上げ、二人の顔をまじまじと見つめる。
フリーデの行動に理解ができず、隼人とリュンはお互いに顔を見合わせて首を捻り、再びフリーデを見る。
当のフリーデは、隼人達に指を差して、ブルブルと体を震わせ始めていた。
「こ、こ……こく…………」
「こく?」
「なんじゃ?」
「国際指名手配の二人!?」
「お、ようやく気付いたか。てか国際指名手配されてんのか」
「まあ予想通りじゃのう」
「つか、知ってる割にはかなり落ち着いて会話してたよな。知らないのかと思ってたわ」
隼人としては、むしろ一目見た時点で怖がられると思ってたため、このタイミングで思い出したように恐怖し出したフリーデに笑いしか出てこない。
それは、リュンも同じようで、口元に手を当てながら顔を逸らしている。
「そ、それは、知り合いだったから思わず……」
隼人の指摘に、フリーデは恥ずかしそうに頬を赤らめる。しかし、それもすぐにひっこんだ。
「それで、私をどうするつもりですか? 助けていただいたのはありがたいんですが、悲しい事に私の商会はかなり小規模ですし、身代金も出せませんよ?」
「ああ、そう言うのは興味ないから気にすんな。知り合いだから助けただけだし」
「そうなんですか?」
「まあ、含むところが無いと言えば嘘になるがのう」
「やっぱり! 私、売られたりするんですか!?」
「安心せい。そちらに不利になるようなことを要求したりはせんよ。これはれっきとした取引じゃ。それよりも、先に外の連中との取引を済ませてしまえ。いつまでも馬をそのままにするのも可哀想じゃろう」
「あ、でもまだ心の準備が……」
「知らん。お主の心より馬の痛みじゃ」
馬車から出ようとするのを渋るフリーデを、リュンは強引に引きずり出すのだった。