物質魔力
歩き始めて半日。隼人はずっと続く同じ風景に飽き飽きしていた。
最初こそは、ここが異世界なのだと思えれば、見えてくる風景がただの草原や森であっても面白いと思えたが、さすがに半日も経てば飽きてくる。
小説のように動物が襲い掛かってくることも無く、商人やお姫様が盗賊に襲われていることも無い。
遠くにいる野良馬が呑気に草を食んでいる程度だ。
「なぁ、今どこら辺?」
そう問いたくなるのも仕方のない事だろう。
「それさっきも言ったわよ……何疲れたの?」
「んなこたねぇよ。ただ飽きた」
疲労としてはまだまだ余裕がある。そもそも異世界で数日間歩き続けることを想定して鍛えたのだ。草原を半日歩いたところで疲れるような軟な体ではない。
それは蓮華も同じで、涼しい顔をして歩いている。
「ずっとおんなじ草と木ばっかり。ここらでいっちょ異世界らしくドンとドラゴンでも来てくれないかね~」
「ある訳ないわね。この世界、野良の魔物なんて存在しないんだから」
「辛い現実……」
そう、この世界には野良の魔物が存在しない。だが決してペットならいると言うわけではない。
この世界で魔物と呼ばれる存在は、ごく僅かな決められた場所にしか発生しないのだ。
それは一般的に『塔』と呼ばれる、この世界に六つあるとされる巨大な建造物だ。
誰が何の目的で作ったのかは分からず、そもそもこの世界の技術では作る事すらできないはずの、巨大で特殊な塔。その中にだけ魔物は存在するのである。
挑戦者と呼ばれる言わば冒険者のような存在が、その塔に挑み、魔物と戦って金を稼いでいることも知っており、隼人の異世界での当面の目標は、挑戦者の頂点に立ち、全ての塔を攻略することだった。
「そんなに暇なら物質魔力について色々調べて欲しいんだけど。癪だけど、魔力に関しては隼人の方が扱いは上手いみたいだし」
物質魔力。それは、蓮華が暫定的に決めた自分達の魔力の名称だ。一般的な魔力が物質には一切物理的な影響を及ぼさず、魔法として改変しなければ事象を起こさないのに対して、物質魔力は魔力そのものが物質に干渉する力を持つことから、この名前を付けた。
「まあ、感覚的なもんみたいだからな。何すりゃいいんだ?」
「持続時間とか、最高硬度とか、変化の限界とか、対応する範囲とか調べて欲しいの。これぐらいなら歩きながらでもできそうだしね。あと、物質魔力を使って疲労するのかも知りたいわね。武器にするならこれぐらいは知っておかないとまずいでしょ?」
蓮華の意見に、隼人は確かにと頷く。
今後、自分の命を預ける武器になるのだ。その特性はしっかりと知っておくべきだろう。ついさっきも、その威力を知らずに岩を粉砕して危うく死にかけたのだ。物質魔力で防御できたこと自体が幸運だったと言えよう。
もし、物質魔力で防御するという発想が無かったら。
もし、物質魔力に破片を防ぐだけの強度が無かったら。
もし、物質魔力を体のどこからでも出すことができ無かったら。
もし、物質魔力の出現する速度が少しでも遅かったら。
先ほどのことだけでも、隼人はこれだけの幸運に見舞われて助かることが出来たのだ。そんな幸運は何度も続く物ではない。
ならば、事前に幸運を必要としない状態にしておくのがベストというものだろう。
「そうだな。んじゃ何から始める? 持続時間とかは他のを調べながらでもできるよな?」
「まあそうだけど、できれば正確な時間が知りたいから、後で時計のタイマー使うわ。それよりも範囲ね。これだけ広い草原なんだし、距離ができてもしっかり確認できるわ」
「了解、俺は棒状にして伸ばせばいいのか?」
「ええ、お願い」
隼人たちは、歩きながら自分達の武器について調べていった。
一日の大半を歩き続け、目標のある森から一キロほどの場所まで来た。
蓮華の糸で周囲の草を刈り作り出した空間に、隼人が周囲から集めてきた枝と石を組んでたき火を作る。
火種は蓮華がしっかりと持ちこんでいたライターだ。文明の利器万歳である。
さらに、夕食だと取り出した食材がインスタントラーメンなのだから、ここが本当に異世界なのか疑いたくなるレベルだ。
「じゃあ物質魔力に関して分かったことを簡単にまとめるわよ」
たき火を挟んで向かい合うようにして座りラーメンを啜りつつ、隼人たちは今日の移動中に調べたことに関して確認を行う。
手元には蓮華から渡されたメモ帳があり、そこに結果と考察が記されていた。
・棒が手首程度の太さで伸びた範囲は三メートル。糸のように細くすると九メートル程度まで伸びる。
使える魔力の量は、今後魔力の使い方に慣れてくれば、その量が増える可能性あり?
・物質魔力は体に繋がっている部分が無いと消滅する。
物質魔力を球体にして飛ばしたり、糸状の物質魔力を途中で切り離したりすると、普通の魔力に戻り空気中に溶けてしまう。あくまで、自分達が直接魔力をコントロールしていることが重要。
・硬度は不明。基本的に物質魔力が有利。
岩や木程度では簡単に吹き飛ばしてしまうため、測定できない。町に着いたら要検証。
・変幻自在で自分達のイメージでどのような形にもなる。
柔らかくすることも可能。応用の幅が広い。
・持続時間
「」
最後の項目が何も書かれていないのは、まだ計っていないからだ。移動中、何度となく物質魔力をひっこめたり切り離したりしたため、正確な時間は分からないのである。
隼人としては、使っていた感じそのような制限は無いような感じがしていたので、これはそれほど気にしていなかった。
「だいたいのことが分かってきた感じだな」
メモをざっと読んで、感想を述べる。
「ええ、これぐらい分かれば今は十分かしらね。ただ、この防御方法が魔法にも効くかが調べられなかったのが少し痛いかしら」
「俺達じゃ魔法は使えないしな」
明日襲う予定の盗賊団には、三人の魔法使いが確認されている。
その魔法使いが使う魔法に対して、物質魔力がどれほど有効に働くかは未知数だ。もし物理的な防御力と同じ程度で働くのなら良し、逆に魔法にはめっぽう弱い可能性も考えられるため、油断はできない。
「個別に襲えれば、調べるチャンスもありそうだけど」
「まあそれは相手次第ね。じゃあ私はそろそろ寝るわ」
「え、もう?」
日は沈んだとはいえ、本当に沈んだばかりだ。時刻的にはまだ十八時である。そんな時間に眠ると言い出した蓮華に、隼人は驚いた。
「一応たき火の番はいるでしょ? 魔物がいないとはいえ、普通の獣はいるんだから」
「まあそうだけどそれにしても早すぎないか?」
「明日のこともあるわ。盗賊の根城を襲うなら、早朝の方が良いでしょ? 起きてる人間を殺すのと、寝てる人間を殺すのじゃ後者の方がはるかに楽よ」
「ああ、そう言うことか」
何も襲撃は昼間に真正面から行く必要などどこにも無いのだ。相手の居場所が分かっているのだから、朝駆けをした方が効率が良いに決まっている。
「日の出前には出発するから、今から寝るの。交代は五時間後ね」
「了解」
時計のアラーム機能をセットして蓮華が立ち上がり、自分の荷物の元まで行くと、メインのリュックより一回り小さい鞄を開き始めた。
「それ何が入ってんの?」
「これ? これはこうするのよ」
蓮華は鞄の中から円盤状の布のような物を取り出し、誰も無い方に向けて放り投げる。
すると、布は瞬く間に開き、一瞬にして一人用のテントが出来上がったのだ。
「便利よね、こんなコンパクトになって、凄く軽いし開くのも一瞬。しまう時もフレームごと捩じるように折りたたむだけなんて、便利な時代になった物よね。強度が少し物足りないから、嵐とかだと危ないけど」
「この世界だと完全にオーパーツだろそれ……」
蓮華は組みあがったテントをたき火の近くに設置して、入口を開く。中は天井が低く人一人が横になれる程度の広さだ。感覚的には寝袋の空間バージョンだろう。
「てかそんなもん持ちこんでたのかよ。雰囲気ぶち壊してんな、まあ便利だけど」
せっかくの異世界なのだから、もっと野営っぽい事をすると思っていた隼人としては、拍子抜けも良いところである。
隼人としては、地面に布を引いただけの簡単なもので夜空を眺めながら眠るつもりだったのだが、テントがあるのでは星空も見えない。ただ、虫や雨を防げるのはやはり嬉しい。あるなら使ってしまうのが人間だろう。と、思っていたのだが――
「安心して、隼人の分は無いから異世界を満喫できるわよ」
「は!?」
「これは私専用。テントでも乙女の部屋なんだから、男を簡単に入れる訳ないでしょ。勝手に入ってきたら、糸で切り刻むわよ」
「何それズルくね!? そんなもん用意するなら、最初から言っといてくれよ!」
「あら、ちゃんと言ったじゃない。野営の準備はしっかり用意してねって。じゃ、お休み」
「あ、おい!」
蓮華は四つん這いになってテントへと入ってしまい、入口のファスナーも降ろしてしまう。
「あの野郎……こうなる事が分かっててわざとぼかしやがったな」
弱くなってきたたき火に薪を追加し、隼人は小さくため息を吐いた。
結局テントを使わせてもらうことはできず、薄い布一枚を引いた草原で眠ることになった隼人だが、想像以上に固い地面と、炎に惹かれて飛んでくる虫のせいで眠ることが出来ず寝不足のまま朝を迎える。
時刻はまだ四時と深夜と言った方が良いかもしれないが、移動の時間も考えればちょうどいいだろう。
「じゃあ行きましょうか」
「眠い……体中が痛い……」
「ちゃんと準備しておかない隼人が悪いのよ。ほら、荷物背負ってシャキシャキ歩く」
「あー、ちょっと待ってくれ」
「なに、まだ何かあるの?」
蓮華が不満げに眉をしかめる。
「いや、魔力の新しい使い方があるんだよ」
隼人はそう言って地面に座り込むと、足元に意識を集中させイメージを魔力に乗せて具現化する。
足首から下を覆うように魔力が染みだし、足を全てくるむと、足底から二枚のプレートのような物が飛び出す。プレートの間は四本の柱で繋がれており、その柱は円形の物体へと形を変化させる。次第にその輪郭がはっきりしてくることで、蓮華も隼人が何を作ろうとしているのか理解する。
「ローラーブレード?」
「そう、蓮華が寝てる間に作ってみた。ずっと歩くのも面倒だし、こっちの方が移動速度も上がるだろ?」
「舗装された道ならいいだろうけど、ここ草原よ?」
ローラーブレードは基本的に舗装された場所で使うのが当然のことであり、それに合わせて設計してある。多少のクッション機能が備わっているとはいえ、草原の真っただ中ではタイヤが回るとは思えなかった。
しかし、それは隼人も承知の上。ファンタジーに適したやり方で、しっかりと解決策を編み出していた。
「蓮華はまだまだ常識に囚われてんな。ここはファンタジーだぜ、もっと自由な発想をもたねぇとな――じゃあ動け」
隼人の声に合わせて、ローラーブレードのタイヤがひとりでに回り出す。
「どうよ、魔力の操作は自由自在。一部だけを回転させればこんなこともできるみたいだぜ。もちろん、タイヤと靴の設置部分を可動式にして、バイクのタイヤみたいにある程度衝撃を吸収できるようにしてある」
「よくこんなの思いついたわね」
蓮華は興味深そうに、隼人の作ったローラーブレードを眺める。
「歩き続けるのもだりぃしな。かといってバイクみたいなのは魔力が足りないし、最終的にこうなった」
隼人も最初はバイクのような大型の移動手段を作ろうと考えていた。自分の体に触れていれば消えることは無いのだから、座ったまま移動できた方が楽だと考えたのだ。しかし、実際にバイクを魔力で再現してみようとすると、後輪とエンジン部分を作っただけで魔力が足りなくなってしまったのだ。
その為仕方なく座ることは諦め、昔漫画で読んだエンジン付きのローラーブレードを参考に作り上げたのが、この魔力ローラーブレードだった。
「名付けてブレードギア。かっこいいっしょ」
「カッコいいかどうかはともかく、確かに便利そうね。私にもできるかしら?」
「物自体は結構簡単にできるぞ。実際にある物を参考にしてるから、イメージはしやすい。後は乗りこなせるかどうかが問題だな」
実際、ローラーブレードは多少のコツが必要となる。努力でカバーしているとはいえ、体自体は運動音痴な蓮華では、多少難しいかもしれない。
「試してみましょう」
五分程度で蓮華は隼人のブレードギアを模倣し、自分サイズの物を完成させた。
そして、実際に立って動いてみる。
ズザッ……
「想像以上に簡単に転んだな」
蓮華は顔から地面に飛び込んでいた。
鼻の頭を赤くしながら、蓮華は涙目で自分のブレードギアを睨みつける。
「何でこんなに不安定なのよ!」
「そりゃ、縦一列なんだから、多少不安定なのは当然だろ。その分スピードは出しやすいけど」
隼人が作ったブレードギアはローラーブレードを参考にしているだけあって、車輪は縦一列に四個付いたものだ。そのため、スケートなどと同じようにバランスをとるのがいささか難しい。
蓮華が再び立ち上がり車輪を回転させようとするが、恐怖心から内またになっていたせいで両足が一瞬でぶつかり合い再び転んだ。
「ほんと、運動音痴だよな。良く成績トップなんて取れたよ」
「実技なんて、やることは決まってるんだから、それだけ練習しておけばいいのよ。授業は皆がハブにしてくれるから、ほとんどボールとかも回ってこないし」
「それ言ってて悲しくならない?」
あらかじめ内容が分かっているのなら、それを集中して練習すればある程度はカバーできる。その上、周りの女子から煙たがられていた蓮華は、球技などでもボールが回ってくることがほぼ無いに等しい。おかげで、授業中も運動音痴を隠し通すことが出来たのだ。
「別に。和気藹々なんてガラじゃないし」
蓮華は少し拗ねたように頬を膨らませながらそっぽを向く。
「はいはい。んでどうするんだ? 動かせないなら歩くしかないが」
「十分だけ待って。自分用にアレンジするから」
そう言って蓮華は、一旦魔力をスライム状に戻すと、ブレードギアの形を色々と変え始めた。
それを眺めながら、隼人は適当に草原を疾走する。力強く地面を滑り、草の間をすり抜けていく。
時々ある凹凸も、しっかりと衝撃を吸収しているため隼人の足に負担が掛かることは無い。
多少トリッキーな技も決めながら時間を潰し、十分経ったので蓮華の元に戻ってみると、蓮華はブレードギアを装備しながらしっかりと二本の足で立っていた。
「おお、蓮華が立った!?」
「クララじゃないんだから、そりゃ立つわよ」
「どうやったんだ?」
「安定性を重視した形にしたの」
自慢げに胸を張る蓮華の足もとを見れば、ブレードギアは最初とは全く別物になっていた。
まず四つある車輪だが、それは足を挟むように二つずつ設置されており、車の車輪を思わせる構造になっている。
裏面を見れば、車輪の駆動システムもそっくりそのまま車の物が応用されていた。四つの車輪を車軸でつなぎ、中央にあるギアを動かすことで全ての車輪を動かす4WD方式だ。
スプリングもしっかりと装備されており、衝撃の吸収も問題ない。
ローラーブレードと言うよりも、ローラースケートと言った方が良い印象になっている。
「これなら私も問題なく動かせるわ」
「なるほどね。速度も同じくらい出せそうか?」
「問題ないけど、最初は少し慣らしておきたいわ。体感って大分違うんでしょ?」
「だな。なら最初は歩く程度のペースで。慣れてきたら少しずつスピードを上げるか」
「ええ、じゃないと計画に支障が出そうだし」
出発前にグダグダやっていたせいで、大分時間を喰ってしまった。
このままでは、盗賊のアジトに到着するころには完全に日が昇ってしまうだろう。
そうなれば、朝駆けの意味が無くなってしまう。
「じゃあ気を取り直して出発ね」
「おう」
※ブレードギアで空を飛んだり、炎を出したり、時を止めたりはできません。