フロアボス ダンジョン・スネーク
蛇が隼人を飲み込み、口を閉じようとする。その内側には、無数の牙がびっしりと敷き詰められており、閉じた瞬間、隼人の体は穴だらけになるだろう。さすがのマギアメイルでも、これほど巨大な蛇の顎力に勝てるとは思えない。
隼人は即座に物質魔力で棒を作りだし、つっかえとして蛇の口が閉じ無いように上顎と下顎に突き立てた。
しかし、その棒も次の瞬間には罅が入り、ミシミシと音を立てて今にも割れそうだ。
隼人はその間に、口の中をもう一蹴りし喉の奥へと飛び込む。それと同時に、棒が砕け勢いよく蛇の口が閉じられた。
「ふぅ、危機一髪」
冷や汗を拭う動作をしながら、隼人は閉じた口を内側から眺める。
しっかりと閉じられた口は、開く様子が無い。蛇がまだ口の中にいる隼人を逃がさないようにしているのだ。
そして反対側を見れば、暗闇へと続く一本道。
「そう言えば、こっちの世界に来てから、食われるのはもう二度目か」
食うか食われるかの世界ではあるのだが、ちょっと食われる頻度が多すぎるのではないだろうかと思いつつ、隼人はマギアメイルとマギアブレードを展開する。マギアメイルは消化液対策であり、マギアブレードはとりあえずの試し切りだ。
「せーのっ!」
近場にぶらぶらと揺れている、うってつけの的に向けて、隼人は思いっきり剣を振り抜いた。
ガキンッ!
「なっ!?」
上舌は剣に触れた瞬間、パンチングボールのように激しく揺れながらも隼人の剣を弾いた。
さらに、揺れた上舌が隼人目掛けて迫ってくる。
「あぶねぇ」
とっさに転がって上舌を躱し、距離を取る。
そして、今の自分の姿がひどく恥ずかしいものに思えて、思わず顔が熱くなった。
もしリュンが見ていれば、腹を抱えて笑ったであろうが、そのリュンは飛び去ってしまった。
隼人はそれを悪い事とは思わない。挑戦者の戦い方なんてさまざまなのだ。自分のように正面から立ち向かう者もいれば、矢を遠くから射る者もいる。物陰からの奇襲を得意とする者もいれば、罠を張って魔物を捕らえる者もいる。
ただ戦い方が違うだけで、魔物を倒すという結果は変わらないのだから、好きな方法、得意な方法でやればいい。それが隼人の考え方だった。
「なにやってんだか。まあ、内側から斬り裂くのは無理ってのが分かっただけいいか」
揺れが治まってきた上舌に、傷らしきものは見受けられない。つまり、マギアブレードですら蛇の肉を斬り裂くことはできないのだ。
だが、剣で切れないからといって、すぐにあきらめるのは愚策だ。
世の中、剣よりも傷を作るのに特化した物はいくらでもある。
意識をマギアブレードへと集中し、その姿を変化させる。とりあえず作ってみたのはつるはしだ。やはり、固い物を砕くと言えばこれだろう。
先ほどの反省を生かし、今度は固定されている喉の内側にむけてつるはしを振り下ろした。
グッと先ほどとは違い、つるはしの尖端に僅かだが手ごたえを感じる。
「これはいける……か?」
つるはしが穿ったのは、僅か数ミリの傷。正直、これではどれだけ叩けば外に出られるのか分かった物ではない。むしろ――
「小骨が刺さった感じだろうな……ってことは」
喉の奥に小骨が刺さればどうするか。当然取ろうとするだろう。
隼人が恐る恐る後ろを振り返れば、そこには無数の触手がウネウネと漂っていた。
そして、一斉に隼人に向かって襲い掛かってくる。
「そういうのは女の担当だろ!?」
蛇の中で触手プレイなど真っ平御免である。
隼人はブレードギアを展開し、喉の奥に向かって駆け下りて行った。
強く羽ばたき、さらに加速する。
リュンは、隼人を捕食しても尚追ってくる蛇から、変わらず逃げ続けていた。
「マップを作れんかったのが、響いておるのう」
普通ならば、蛇に追われている時点でマップを利用し、途中の扉を探して、一目散にそこに向かえばいいだけなのだが、狼どもに追われてマッピングを行えなかったため、どこに扉があるのか正確に把握できていない。
それどころか、常に飛び続けていたため、途中に扉があったかどうかすら記憶の中ではおぼろげだ。
そんな状態で、蛇から追われ続けるというのは、精神的になかなか来るものだ。
その上、先ほどの隼人の言葉である。
(こんなところで逃げ回ってちゃ、塔の主に勝てるわけねぇだろ!)
「そんなこと……」
ギリッと歯を食いしばる。
まったくもってその通りだと思う。しかし、だからといって今ここで無暗に突っ込み命を散らすのは馬鹿というものだ。
挑戦者として自分の判断は正しい。リュンはそれを確信できるだけの実績も経験もある。
だからこそ、登頂者なんてものになれたし、今までソロでも生きて来られた。
にもかかわらず、リュンの心の中でその言葉は強く引っかかる。まるで、自分の心臓に杭を打ち込まれたかのように、心が痛む。
それがなぜなのか――分かってしまう自分がいる。
今のままではだめなのだ。
ただ登頂者と呼ばれ、ギルドのメンバーから尊敬を集める。それでは自分の目標とするところに届かない。
リュンは、混竜族の村を出て、一人挑戦者となった時のことを思い出す。
周りの皆からは反対され、親からもダメだと言われ、半ば家出同然に村を飛び出してきた。
彼らを見返してやりたい。
自分はこんなにすごくなったんだと――――
もう、ただのチビではないのだと――――
皆の後ろに庇われるだけの存在ではないのだと――――
そう知らしめるために、飛び出してきたはずなのだ。
なのに今の自分はどうだ。
登頂者と呼ばれ、満足していたのではないのか?
ギルドのメンバーから、パーティーに加わってくれないかと言われ、優越感を感じていたのではないのか?
そこで、もういいかと思い始めてしまっていたのではないのか?
本当に強さを求めるならば、第一歩の塔で登頂者になった後、別の塔へ挑戦しに行くものだ。
しかし、自分はどうしている?
いつまでも第一歩にしがみ付き、ソロで上へと登り魔物を軽く倒してくる日々。
苦戦している挑戦者達を助けて、感謝される日々。
一向に次の塔へと行こうとしない自分。
そんなものが自分のなりたかった存在か?
今の自分は、村の者達に自慢できる姿か?
強くなったと胸を張って言える存在か?
「違う! 私は強くなった!」
頭を振って強く羽ばたく。曲がり角を鋭角に曲がり、壁にぶつかる寸前の速度で突き抜ける。
途中に出会う魔物は無視し、ひたすらに扉を探す。
その行動が正しいと、自分の言い聞かせるように。
そして、二つ目の曲がり角をまがった所で、扉を見つけた。
罠を探っている余裕はない。今のリュンのすぐ後ろには一度は閉じた大口を開けてリュンを飲み込まんと蛇が迫ってきている。
「これが正しい。これが挑戦者として、正しい強さじゃ!」
自分は挑戦者だ。だから、これが正しい。
そう思い込ませ、わだかまりを振り払おうとした瞬間、瞼の裏に隼人の影がちらついた。
その口元が小さく動く。
(お前、弱いな)
確かにそう幻視した。
言葉はリュンの脳髄を駆け抜け、扉に掛けようとしていた手を止めさせる。
まだ、倒していないのだ。この塔で出会った一番強い存在を。
負けたままで、終われるはずがない。負けたままの自分が、強い存在だと言えるはずがないっ!
だから――
「勝手に死ぬことなど、私が許さんぞ! 隼人っ!」
振り返れば、目の前に蛇がいる。
リュンは、隼人と同じように、大口目掛けて飛び込むのだった。
触手たちから逃げてきた隼人は、蛇の体内を進んでいる。にもかかわらず、隼人にはそこが蛇の体内だとは到底思えなかった。なぜなら――
「まるっきり迷宮だよな」
蛇の内臓は石に覆われ、地面もしっかりと舗装されている。
ワームに飲み込まれた時とは大違いの様子に、隼人は呆然とその場で立ち尽くす。
「俺は今どこにいるんだ?」
そんな言葉が出ても仕方のない状態だろう。
追ってきているはずの触手はいつの間にか消えており、辺りはゴゴゴゴゴと蛇の這いずる音のみが反響し、不気味な雰囲気を漂わせていた。
「ふむ、奥に進むか戻ってみるか」
隼人が蛇の中に飛び込んだのは、ワームの時と同じく、蛇を内側から殺そうと思っていたからだ。その方が、蛇の牙に噛まれるよりも遥かに安全であり、確実だと考えていた。しかし、現実は迷宮が広がっており、壁につるはしを突き立ててみても、迷宮と同じように傷一つつかない。
正直、これでは計画が台無しである。
と、なれば後は進むか引くかの二択だ。
進むならば、この後何があるのか全く予想の出来ない場所を歩くことになり、引くならばあの触手が待ち構えているだろう。口を開かせる方法も考えなければならない。
「まあ、行ける所まで行ってみるか」
隼人が選択したのは進むだ。
ブレードギアを展開し、隼人は蛇迷宮を進む。
蛇の体内だけあって、その道はずっと一本道のようだ。そして、途中途中に魔物がいる。
強さ的には、今までいた階層とさほど変わらないように感じる強さで、隼人一人でも十分対応可能だろう。
とすれば
「こいつに食われた魔物なのか?」
見覚えのある二足歩行のトカゲを袈裟切りにしながら、隼人は考える。
もし蛇迷宮が今まで食べた魔物を取り込み、そこに配置するように出来ているのだとすれば――
「無限湧きか。面倒だな」
迷宮の壁から染み出すように現れる魔物。大亀や狼、トカゲや蝙蝠などその姿はさまざまだが、どれも四十階層までで出てくる魔物だ。そして、その全てが隼人目掛けて襲い掛かってくる。
「邪魔だ!」
迫りくる魔物たちを、マギアブレードで一薙ぎに切り払い、道を切り開く。
蛇迷宮であるのならば、蛇の長さが迷宮の長さであるはずなのだ。とりあえず端まで進んでみれば、出口につながる情報も得られるかもしれないと、隼人は迷宮の中を進み続けた。
しばらく進んでみて、隼人は首を捻る。
どうも行き止まりが見えてこないのだ。
ここが蛇の体内である以上、その広さにも限界があるはずだ。蛇の横幅は迷宮の大きさとほぼ同じだったため、中の広さも理解できるが、縦の長さがどうにも長い。
ブレードギアで進んでいるにもかかわらず、すでに二十分以上走り続けて行き止まりが見えないのは、どう考えても長すぎるのだ。
そこで考えられる事は一つ。
「魔法だよな」
魔法で何かしら出口に向かえないようになっていることだ。
それが、幻術系の方向を惑わせるものなのか、それとも空間を歪ませるものなのかまでは分からないが、何かしら魔法が掛けられていることぐらいは隼人でも理解できる。
「どうすっかな」
隼人は魔法に対する知識が乏しい。そもそも、こちらの世界の魔法に関して色々と調べていたのは蓮華であり、その知識を少し教えてもらった程度が隼人の魔法に対する理解度だ。
「蓮華がいれば、なんかしら方法を教えてくれそうなもんだが」
生憎と隼人にこの魔法をどうにかする知識も考えも無かった。
無限湧きし続ける魔物たちを切り払いつつ、隼人はこの後どうするかと考える。
壁を壊すのも無理、魔法を解くのも無理。となれば隼人に残された選択肢は一つしかない。
「戻るか」
入って来た場所から出ること。あの口をどうにか開かせて外に出ることだ。
隼人は百八十度反転し、自分が走って来た方向へと進む出した。
口までは魔法で迷わされることも無く普通に戻ってくることが出来た。どうやら、進む時に限り効くようになっているらしい。
そこで隼人が見たのは、触手に絡まれ身動きの取れなくなっているリュンの姿だ。
「なに、喰われたの?」
「ちがわい! お主のように飛び込んだのじゃ! しかし、口の中に飛び込んでみると、触手が網のように張っておっての。このように囚われてしまった訳じゃ。何なのじゃこの触手どもは!」
「なるほどな」
リュンは蛇の口内の唾液でぬめぬめとした触手によって、両手両足に胴体を拘束され、口の中で宙づりの状態になっていた。
その触手はおそらく隼人がつるはしで突き刺した時に飛び出してきたものなのだろうが、その事を言うと怒りが自分に向きそうだったので、黙っておく。
「逃げ出さないのか?」
「簡単に抜けられるのなら、とっくに抜けておる」
「あの電気バリバリ出して高速移動するやつは?」
全身に紫雷を纏わせるあの技ならば、簡単に抜け出せるのではないかと思う隼人だったが、リュンは首を横に振って否定する。
「この触手、電気を弾きおる。抜け出そうにも、ここまで縛られてしまっておるとのう」
すでにリュンは一度神成りによって触手から抜け出そうと試みていた。しかし、この触手ゴムのように電気を弾く性質を帯びており、払うことが出来なかったのだ。
その上、神成りは自らを雷にするのではなく、電気を帯びて自分の動きをサポートする魔法だ。そのため、そもそも動けないこの状況では意味をなさない。
「ふーん、まあ頑張れよ」
隼人はリュンに一声かけると、牙の並ぶ蛇の口に向かって歩き出す。
「ま、待つんじゃ!」
「ん? どうした?」
「ど、どうしたじゃなかろう! さすがにこの状態の者を放っておくのか!?」
「いや、まあ余裕ありそうだし、いいかなって」
そう言いつつも、隼人の口元には笑みが浮かびっぱなしだ。
「た、確かに余裕はある。抜け出す方法が無い事も無い。し、しかし、じゃからと言って助けない理由にはならんじゃろ?」
遠回しに助けてくれと要求するリュンに、隼人は笑みを深めながら振り返り答える。
「いやいや、プライドの高い登頂者のリュンさんが、新人挑戦者に助けられるなんて、そんな事許せるはずないじゃないですか。だから僕に出来るのは、ここでは何も見なかったことにすることぐらいですよ。安心してください、四肢を触手に拘束されて、宙吊りになった恥ずかしい姿のまま助けを乞うなんて姿、僕は見ていませんから」
要は、宙吊りになった恥ずかしい姿のままで助けを乞えば助けてやらないことも無い。その場合は思いっきり笑うかもしれないが、心の中に留めて他の奴には言わないでやろうということだ。
その意味をリュンもはっきりと理解し、歯を食いしばる。
リュンは隼人に言った通り、抜け差す技が無い事も無い。やろうと思えば力ずくで抜け出すことも可能だ。
しかし、その力を使ってしまうことで今後どうなるか分からない。塔では常に余力を残し、余裕を持って行動するべきなのだ。
そして、余力を残して助かる方法が目の前にある。
その方法を使うには、非常に悔しいが隼人に頼るしかない。
プライドと体力、どちらを取るかリュンは悩んだ。
そして――
「た、助けてください、なのじゃ」
「よく言えました」
リュンは体力を取った。
隼人はマギアブレードでリュンに絡みついている触手を切り払っていく。
ドサッとリュンの体が下に落ち、リュンはすぐさま自分の手足に巻き付いていた触手の切れ端を引きちぎるように取り去り、投げ捨てる。
そして、顔を真っ赤にしながら心の中で誓うのだった。
塔の主に、この屈辱は全てぶつけると。