迷宮区画の魔物
隼人たちの探索は順調に進み、日が傾き始めるころには、三十三階層へと到着した。その間に出会った魔物は、ほぼ全て隼人が倒し、魔石も全て隼人の物となっている。どれも、ビックバイト・タートルと同じぐらいの強さで、最初こそ戦い方に戸惑ったものの、相手の動きが分かってくれば、さほど困るような相手でもなく、比較的順調に進んで来られたと言えるだろう。
リュンは相変わらず隼人の後方から戦闘を眺め、何か隼人がミスするたびに盛大に笑って煽っていた。しかし、そんなリュンも怪我を負うような罠が設置されているような場所ではしっかりと罠を解除してくれるため、無碍にも出来ず、やはりどちらかが手を出さない限りは、とりあえずの不可侵条約が結ばれたまま若干険悪な空気と共に迷宮区画を攻略してきた。
現在は、マッピングの途中で見つけた空き部屋をキャンプ地とし、寝床の準備を進めている所である。
「とりあえず今日はここをキャンプ地として、準備をするかのう」
「だな。だんだん赤くなり始めてるし」
周囲を見渡してみると、昼の時よりも石の色に赤みが掛かってきているように思える。これは、夕日の色が石に反射しているからだ。つまり、外はだんだんと日が傾き赤みを増していることになる。
隼人が自分の腕時計を確認してみても、十七時五分と表示されている。
「とりあえず寝る場所と飯の準備じゃが」
「もちろん別々だろ?」
「当たり前じゃ」
一緒に行動しているとはいえ、チームでもなんでもなくそもそも寝込みを襲われかねない関係なのだから、テントを一つにするなんてことは以ての外であり、近づけることすら憚られる。
必然的に、二人のテントは対角線上に張られることになり、それぞれが部屋の半分を自由に使うと言うことになった。
隼人は鞄の中から魔導ランプを取り出し、部屋の片隅に置く。
リュンも同じように、自分のテントの場所と角の一つにランプを置いた。おかげで、部屋の中はかなりの明るさがある。
「さて、飯はどうするかな」
リュンの高速移動のおかげで、食料に関する心配は全くと言っていいほど皆無だ。早めに使い切ってしまうと思っていた濃縮スープすら少し残っている。
「使い切るか」
乾燥肉を水に付け、その間にスープを薄めて味を調える。野菜系は日持ちのする根菜が残っていたため、それを入れて一煮たちさせた後、柔らかくなった肉とカチカチのパンを放り込み、味が浸透するのを待てば完成だ。
適当に放り込んだだけだが、干し肉の塩気がいい感じのアクセントになる作品である。
そこでふと、隼人は香ばしい匂いに気付き、同じく料理を作っているであろうリュンを見る。
「わお、豪快」
思わず言葉が漏れるほど、リュンの料理は単純だった。
魔導コンロの火に、直接干し肉を炙り、焼けた部分を齧るだけ。もはや、料理と呼ぶのもおこがましいレベルだ。
それがメインとして、他に何かあるのならばまだしも、どうやらリュンの食事はそれだけの様である。
と、リュンが隼人の視線に気づき、肉を噛みちぎりながら睨みつけてくる。
「なんじゃ」
「いや、いつもそんな風なのか?」
「そんな風というと、食事か?」
「ああ、もしかして混竜族は肉だけでも問題ないとか?」
血が混じっている分食生活にも多少の変化があることは知っているが、人間がベースであることには変わりなく、野菜や穀物を取らなければ栄養的には偏るはずなのだが、リュンの食事を見ていると、とてもそうには見えなかった。
「そんなわけなかろう。野菜やパンも食わねば調子は悪くなる。しかし、こんな場所でそんな贅沢は…………お主は美味そうなものを作っておるのう」
リュンの視線は隼人の手元に注がれている。そこには暖かそうな湯気を上げる隼人特性スープだ。パンもふやけて柔らかくなり、腹にたまりやすくなっているおかげで満腹感もしっかりと感じられる上に腹もちも良い代物である。
「まあこれぐらいはな。挑戦者になる時に練習したし。つか、挑戦者ってのはどいつもこいつもまともに飯一つ作れねぇのかよ」
以前、一緒になったチームといい、リュンといい、隼人はまだ挑戦者でまともに料理を作っているチームに出会えていない。もちろんチームベアキャットもその中に含まれている。彼らの時は、隼人が彼らに頼まれ、二人の分の料理も作っていた。
「当然じゃ、そんなものを学ぶ時間があるのなら、自らを鍛えることに集中するからな」
「つっても、それで万全の調子で動けなくなってりゃ、意味ねぇじゃねぇか」
「そんなものは、体調を崩す者が悪いのじゃ! 気合いで何とでもなるわ!」
「なる訳あるか!」
「そんなにいうのなら、それをこっちによこすのじゃ! 一人だけ美味そうなもん食いおって」
「欲しいなら最初から素直にそう言え! 少しは余りもあるから肉となら交換してやる。つか、どうせ肉しか持って来てないんだろ」
「よく分かっておるではないか」
と、言うことで隼人はリュンが焼いていた干し肉を貰い、鍋に残っている根菜スープをリュンへと渡す。
リュンは、カップを受け取ると、どことなく表情をほころばせながら、そのスープに口を付けた。
「むっ」
「なんだ」
「想像以上に美味い……凄い複雑じゃ。こんな粗野な男がこれほどの物を」
「おう、褒めてんのか貶してんのかはっきりしろや。応え次第ではそのスープは奪い返すぞ」
「ふん! これはもう私のもんじゃ! 返せと言われて返すものか!」
「つまりそれ貶してたってことじゃねぇか!」
クラウチングスタートの要領でリュンに向かってダッシュを掛ける。もちろん自分のカップは足元に置いてだ。
リュンは、素早く背中に羽を生やすと、そのまま天井付近まで飛び上がった。
迷宮内と言っても天井の高さは三メートル近くある。そこまで飛ばれてしまうと、隼人では手が出せない。
物質魔力を使えば、捕まえることはできるかもしれないが、それだとバランスを崩したリュンにスープをこぼされる可能性がある。せっかく作った物を無駄にされるのは嫌なので、隼人は物質魔力を使わず、とりあえずの抵抗として、リュンが座っていた場所の近くに残っていた干し肉を全て奪取することにした。
「あ! 何をする!」
「ふん、テントから離れる奴が悪い! この肉はもらっていくぞ!」
「私の干し肉!」
すぐにでも急降下して隼人を攻撃すれば、干し肉を取り戻すこともできるが、リュンは一度口にしてしまった根菜スープを手離すことはできなかった。
悠々と自分のテントに肉を持って帰っていく隼人の背中を、涙を呑んで見送り、スープを啜る。
その味に自分も今更ながら料理を覚えようかと思いながら。
食事を終え、早々に眠りについた二人は、夜明け前に目を覚まし出発の準備を始める。
動ける時間はひたすら動き、暗くなったらさっさと寝るのは挑戦者の常識だ。隼人も塔の中で数日を凄し、その習慣が身に着いていた。
「ほれ、これも食え」
隼人は、自分の朝食用にと用意していたドライフルーツをリュンへと投げる。
突然投げつけられたドライフルーツを、リュンは驚きながらもなんとか落とさずに受け取った。
「急になんじゃ。もう、やるものは何もないぞ」
警戒の色をしめしながら、リュンは手の中のドライフルーツを見つめていた。その眼は誰が見ても分かるほど、ドライフルーツを食べたがっていた。
「昨日肉はもらったからな。それに、案内役のお前が途中でぶっ倒れられても嫌だからな。とりあえず一緒に行動してる間は、料理も分けてやるよ」
それは、昨晩隼人が悩み抜いた上で出した結論だ。
塔の挑戦に慣れているリュンならば、そんなことはないと思うが、万が一肉ばかり食べていたせいで、途中で体調を崩されるようなものなら、自分の目標も遠のくことになってしまう。
簡単に言ってしまえば、リュンのためなのだが、それを素直に口に出すのは負けな気がする隼人は、何か理由を作れないものかと悩んだ末、昨日の夕食時に奪った干し肉のことを思い出した。
そこで、その肉と交換ということで、料理の準備をしてやることにしたのだ。あくまでしてやるであり、立場は自分が上であるということをしっかりと主張しながら。
「…………ふ、ふん。当然じゃ。私の食料を奪っておいて、何もしませんでは許されんよ」
リュンは顔を背けながら、ドライフルーツを齧る。
隼人の突然の申し出を、リュンは驚きながらも受け入れた。それもこれも、昨日のスープが美味すぎたのだ。
前にまともな食事をしたのは、塔に入る前日の夜であり、それから四日近くまともな食事をしていなかった。
朝昼夜ずっと干し肉を齧っていた体は、いい加減他の料理も食べさせろと、色々な方法で主張してきていたが、それをことごとく無視していたリュンに隼人のスープは強烈過ぎたのである。
「じゃあ決定な。んじゃ飯食って出発するぞ」
「分かっておる」
手早く朝食を食べ終え、テントを片付け出発の準備を済ませる。
「今日は四十までは進む予定じゃ。雑魚どもは瞬殺していくぞ」
「あいよ。ここら辺の魔物にも大分慣れてきたし、魔石も小さいのは大分溜まってるしな。切り捨てる勢いで行くぜ」
リュンが部屋の扉をゆっくりと開け、周囲を伺う。
部屋の中に魔物が突然湧くことはないが、部屋の周辺はそうではない。
入った時にいなかったからといって、出る時にもいないとは限らいないのだから、注意するのは当然だ。
扉から顔だけを出したリュンが、周囲を伺い、何もいないことを確認して通路へと飛び出す。隼人もその後に続いて部屋を出た。
「右来てるぞ!」
「言われんでも分かっておるわ!」
リュンが視線を向けることもせず、右腕を無造作に振るう。それだけで、飛びかかってきた灰色の狼型の魔獣が殴り飛ばされ、壁へと叩きつけられる。その間にも、別の狼が波状攻撃のようにリュンへと跳びかかってきた。しかし、それを苦にする様子もなく、リュンは一度羽ばたき空へと舞い上がることで躱す。
躱された狼は、その目標をリュンの隣を走っている隼人へと向けるが、その時にはマギアブレードによって串刺しになり、仲間の狼に向けて投げ捨てられていた。
現在三十七階層。昼過ぎにはこの階層に到着した隼人たちは、そこで待っていましたと言わんばかりの大量の狼型の魔物によって囲まれたのだ。
数は数えるのもアホらしくなるほど通路にあふれており、切り捨てた端から別の狼が補充される。
最初こそ、全滅を目指して戦っていた二人だったが、弱い上にわらわらと湧いてくる狼たちにいい加減嫌気がさし、逃走することにしたのだ。
しかし、相手は狼。簡単に逃がしてくれるような相手ではない。
リュンは羽を使い、隼人はブレードギアを使って通常ではありえない速度で移動しているのにも関わらず、狼たちはぴったりとその後を付いて来ており、隙あらば先ほどのように飛びかかってくる。もし、それに足を止めでもすれば、すぐさま後ろを追いかけてきている大量の狼によって囲まれ袋叩きにされるだろう。
「鬱陶しいな」
「しかたあるまい。こいつらはこの階層で適応するために集団になったのじゃろう。それだけここの魔物はヤバい連中が揃ってるという訳なんじゃから」
「とっとの絶滅してりゃ良いのによ」
再び跳びかかって来た狼を切り捨て、剣に刺さったままの狼を後方へと投げ捨てる。それにぶつかった狼が何匹かを巻き込んで転び、集団に小さく穴が開いた。しかしそれも束の間周囲の狼が瞬く間にその穴を埋め、広がった隙間もいつの間にか追いついてきた別の狼が埋めてしまう。
「こういう時はどうしてたんだよ」
「ひたすら逃げじゃな。こいつらにもリーダーはおるが、それがどいつなのかは検討もつかん。跳びかかってくる奴らではないことは確かじゃがな」
「そりゃそうだろうよ!」
リーダーが跳びかかって切り捨てられれば、その時点でこの集団は崩壊する。そんな愚策をこの階層を生き抜いてきた魔物が行うとは到底思えない。
ここはひたすら逃げるしかないのだ。
「マッピングも出来やしねぇし」
「仕方なかろう。この階はひたすら動き回って階段を探す。遅れるでないぞ」
「はいはい」
リュンが一度羽ばたき、速度を上げる。隼人はそれに追随するため、ブレードギアの回転数を上昇させ、地面に火花を散らしながら迷宮内を駆け抜けていく。時折正面からも魔物が来るときもあるが、リュンは飛んでいるため一切気にする必要も無く、隼人は壁を使い敵の横をすり抜ける。
すれ違いざまに足を切っておけば、その魔物が狼の進路を妨害するのでありがたかったりもした。
そして三十分ほど走り続けた所で、相変わらず階段は見つからなかったが、狼たちの動きに変化があった。
「引いてく?」
「そのようじゃのう」
突如、狼たちが隼人たちを追うのを止めて、各々に通路の角へと走り去ってしまったのだ。
「どういうことだ? 縄張りの外にでも出れたのか?」
「馬鹿を言うでない。この塔全部が魔物の縄張りじゃ。あいつらが諦める理由など一つしか無かろうが」
「それは?」
「自分達ではどうしようもない存在が現れる場合じゃよ」
リュンが自分達が進もうとしていた通路の曲がり角を睨みつける。
隼人も同じようにそこに注目していると、カチッカチッと動物の爪が石に当たる独特の足音が聞こえてきた。
「強敵ってことだな」
隼人はマギアブレードを握り、いつでも攻撃できるように、腰を低く落とし通路を見据える。
そして、その存在がゆっくりとその姿を現した。
緑色の皮膚に規則正しい鱗が並び、手の先には鋭利な爪が伸びている。
鋭く細い目は金色に輝き、隼人たちを睨みつける。
「トカゲだな」
「二足歩行のトカゲ、混血のなりそこないのような姿じゃが、全く関係ないぞ?」
「分かってるよ。ここにいる連中は全員魔物だしな。つか、あいつがそんなにヤバい奴なのか? そこまで脅威には感じないが」
確かに鎧を纏った二メートルほどのトカゲは、魔物としてはかなり強い部類に入るのだろうが、隼人には狼たちが一斉に逃げ出すほど危険な存在とは思えなかった。何せ、自分達に大量の仲間を殺されながらも平然と追ってくる連中なのだ。トカゲの一匹程度ならば、数で圧倒できるはずである。
「そうじゃな。確かに強いが、そこまで危険な相手では無いのう」
「ってことは……」
「奴の後ろから来るぞ!」
リュンが大きく羽ばたくと同時に、トカゲが叫び声を上げ、その体が一瞬にして影に飲み込まれる。
「全力で逃げるぞ! 奴はマズイ!」
「見りゃ分かる!」
隼人も体を反転させ、元来た道を全力で疾走する。それを追ってくるトカゲを殺した魔物。
高さは三メートル、横幅は五メートル。
巨大な口を開き、ものすごい勢いで隼人たちに迫りくる存在は、極太の蛇だ。
隙間から横を通り抜けることを許さず、攻撃しようにも見える部分は口だけで、そこには大量の牙が並び、少しでも近づこうものならばその舌に囚われ噛み砕かれるだろう。
ビックバイト・タートルも同じような存在だが、その脅威度は比べるまでもない。
「あいつ何もんだよ! 明らかに別格だろ!」
今まで見てきた中でも飛び切りのヤバさを誇る魔物に、隼人は焦る。
「奴は三十一から四十階層のフロア管理者じゃ! ああやって魔物を喰らい、フロアのレベルを調整しておる」
「コッケ先生だっけ!? あれと同じってことか!」
「奴とは比べ物にならんほど強いがな! なんで十階層分を全て管理しておるんじゃ」
「フロアの移動もできるのかよ!」
「管理者じゃからな! とにかく今は部屋のある場所まで逃げるぞ! 奴を倒そうなどと考えるな。近づいただけで噛み砕かれると思え」
その助言に、隼人は眉を顰めた。
自分は何のためにここまで登って来たのか。塔の主を倒すためじゃなかったのか。
塔の主が、塔の中に出てくる魔物より弱いとは思えない。つまり、今真後ろに迫ってきている魔物よりも強いはずなのだ。
にもかかわらず、ここでひたすら逃げていていいのだろうか――
「いい訳ないだろ」
「おい、何をするつもりじゃ!」
急にブレーキをかけ、その場で剣を構える隼人に、リュンは驚いて声を上げる。
「奴を倒す。最上階まで行くんだ。こんなところで逃げ回ってちゃ、塔の主に勝てるわけねぇだろうが!」
「そう言う問題か! 死ねば最上階まで行くことも出来んのだぞ!」
「勝ちゃいいんだよ! 勝ちゃな!」
「勝手にしろ!」
リュンはそう言い残し、飛んで行ってしまう。その間にも、蛇は隼人の目の前まで迫り、舌を伸ばして隼人を捕らえようとして来た。
「そんなことしなくても、こっちから飛び込んでやるよ!」
隼人はその舌を切り払い、迫りくる蛇の口に向かって飛び込むのだった。