腹の中からの脱出
「さて、どうしたもんか」
物質魔力を足もとに展開し、とりあえず胃液っぽいものに触れないようにしながら、隼人はクレアと相談する。
「脱出方法なんて分からないもんね。食糧はある程度あるから、数日なら大丈夫だろうけど」
「その場合ダイゴンがヤバいだろ。ソロであそこに取り残されてるとなると、戻るにも一苦労だ」
「それ以前に、ダイゴンなら私たちのこと助けようと何かする可能性もあるし」
無茶をして、ダイゴンまで食べられてしまう可能性もあるのだ。なるべく早いうちに脱出した方が良いだろう。
「内側は柔らかいみたいだし、切り刻んで殺すか?」
「それはマズイよ。今振動が無いってことは、ワームは止まってるんでしょ」
「多分な」
自分達が落ちてきた時のような激しい衝撃は無い。時折内臓がグリュッと動くが、それも、移動しているというより、昇華した物を奥に流し込むための動きの様である。
「土の中で殺しちゃったら、私たちの逃げ場が無くなっちゃう」
「そんなの掘って来た穴使って出ればいいだろ」
「それは無理だよ。ワームは掘った穴をしっかり埋めながら進むから」
「マジか」
ジャイアントワームは、その太い体のせいで、地面を掘るとかなり大きな道が出来てしまう。それをそのままにしておいた場合、あっという間に地盤沈下が発生し、土地が荒れるせいでワームの餌が地上に住み着かなくなってしまうのだ。
それを阻止するために、ワームは自分の掘った穴をしっかりと埋めながら進む。なので、ワームの掘った穴を利用することはできないのだ。
今ワームを殺してしまうと、じきに土の中で窒息することになってしまう。
脱出するには、ワームが再び餌を求めて地表へ出るタイミングを見計らって殺す必要があるのだ。
「ならしばらくは待機しかないか」
「そうだね。とりあえずもう少し落ち着ける場所を探した方が良いかも」
いつまでも土山の上で待つというのも何なので、とりあえず落ち着ける場所を探すことにする二人。と、言っても周囲は気持ちの悪い肉に覆われ、足元には胃液の海である。隼人の物質魔力が無ければ迂闊に動き回る事すらできない。
「とりあえずクレアはランプで周囲の明かりの確保を頼む。俺は周辺の土とか集めて、もう少しこの場所を広くするわ」
「分かった。気を付けてね」
クレアに荷物を預け、隼人は足を物質魔力で覆い胃液の海へと降りる。
足裏には相変わらず嫌な感触が伝わってくる上に、時々動くため非常に歩きにくい。その中を慎重に進みながら、胃の動作で崩れてしまった部分の土を再び集める。
そして、もう少し足を延ばして別の土山からも土を拝借。いつもは剣状にしている魔力をスコップにしてクレアが灯りで照らしている土山を広げておく。
しばらくそれを繰り返し、とりあえず人二人が横になれる程度の広さを確保した。
「後はっと」
布を引いて完成と言おうとしたところで、鞄の中に突っ込んだ隼人の手が止まる。
クレアが不思議そうに首をかしげるなか、隼人は鞄の中から先ほどまで自分が着ていた服や靴を取り出す。
それを見て、クレアも目を見開き絶句した。
「早めに脱出できないと、マジでヤバいかもな」
取り出した靴や服は胃液に浸かったせいでボロボロになり、ほぼ原形をとどめない状態になってしまっている。
靴に使われていた鉄製の底でさえそうなのだから、自分達が今足場にしている土も危ない可能性が高い。
足場を失えば、後は自分達が溶かされるのを待つだけの状態となってしまうことに、二人の額から冷や汗が噴き出す。
「胃液がこんなヤバいもんだったとは……」
「着替えといて正解だったね。そのままだったら、皮膚とか危なかったかも」
胃液の染み込んだ服を着たままでは、おそらく皮膚も火傷では済まされない程度の傷を負っていたかもしれないのだ。
着替えるついでにしっかりとふき取っておいてよかったと、クレアはホッと息を吐いた。
「つまり、この土山も時間の問題ってことか。ワームが次の餌を探すまでにどれぐらいかかるんだ? さすがに数週間飲まず食わずってことは無いと思いたいが……」
「それは大丈夫。ワームは一日に一回は動物を捕食するはず。それに、私たちは実際には消化されてないから、空腹はすぐに来るはずだよ。早ければ、半日立たずにまた捕食対象を探し始めると思う」
「なるほど。なら、そこまで長く引きこもる必要はないみたいだな。後は、どのタイミングでワームを殺すかだが」
「胃に土が入ってきた時点でいいはず。ワームが土を飲み込むのは、捕食対象ごと周囲の土を飲み込むからだから」
「そうなのか?」
現代のミミズが土を食べて生きていることを知っている隼人としては、それは初めて聞くことだ。
だが、そこで同時に疑問も浮かぶ。
「ならどうやってこいつは地面を掘ってるんだ? 手がある訳じゃないんだし」
固い土の中を、手も使わず口も使わずに掘り進めるわけがない。
「確かにワームは、口で土を掘り返しながら進むんだけど、口に入った土は、ワームの皮膚の下にある管を通って、直接後ろから排泄されるらしいよ。それで、自分の通った穴を埋めてるんだって」
クレアの説明を聞いて、隼人は魚を思い出す。
魚の鰓が必要な酸素だけを取り出し水を外に押し出すように、ワームにも同じような器官が付いているのだと考えれば、その仕組みも納得がいく。
「じゃあしばらくはじっとして体力の回復か。すぐに食えるもんあったかな」
「干し肉ぐらいしかないんじゃない?」
二人は脱出に備え、走って来た分の体力回復と、昼食も兼ねて食事をとることにしたのだった。
交代で睡眠を取り、数時間が経過した。
「動き出したな」
隼人が体を起こして辺りの様子をうかがう。クレアは、緊張した様子で、荷物を手早くまとめていた。
周囲の肉壁が、今までとは明らかに違う動き方をしている。伸縮を繰り返し、体を捩じるような様子だ。それを、土を掘って動き始めたと判断した二人は、脱出の準備に入る。
クレアが魔導具を全て回収し、隼人は足場が崩れないように、物質魔力で囲って補強する。
「どのタイミングで出るかだね」
「こいつが捕食するときって、足元から飛び出すんだよな?」
「そう、私たちもそうだったでしょ?」
足元の地面が唐突に崩れ、周囲の地面ごと飲み込む。それがワーム捕食方法だと聞いた隼人は、今はまだ待つタイミングだと判断する。
もし、これが地面に飛び出すタイミングならば、体はもっと縦に動き、自分達も今の足場には立っていられないはずだからだ。
「クレア、俺より食道側に立ってくれ」
「分かった」
突然ワームが縦に動き出した場合、捕まる場所の無いここではクレアは胃の下へと落とされてしまう。それを防ぐために、隼人は自分が下の位置になるように場所を調整した。
「緊張するね」
「ほぼ一発勝負だからな」
二人は、ワームの動きに細心の注意を払いながら、その時を待つ。
ガリガリと地面が削られる音が次第に早くなり、内臓の動きも激しくなり始めた。
クレアは、混描族の持ち前のバランス感覚でしっかりと土山の上に立ち、隼人はスパイク状の物質魔力を足裏に展開して倒れないように踏ん張る。
そして、その体がゆっくりと斜めを向き始めた。
「新人君!」
「おう!」
徐々にワームの体が傾き、立っている地面が腸の方へと流される。隼人は、予定通り土山を囲っていた物質魔力を解除すると、それをワームの内臓に向けて深く突き立てる。
一瞬ビクッと激しくワームが動いたが、深く刺さった物質魔力は抜けることなく、隼人たちの足場となる。
「この魔法本当に便利だね」
「俺と幼馴染しか使えないけどな。他の奴には黙っててくれよ。妬まれるのは厄介だ」
「分かってるって。人の魔法を言いふらしたりなんかしないよ」
完全に縦になったワームの体。後は、土が入ってくるのを待つだけだ。
そして、食道が大きくうねった。
ぱらぱらと細かい土が胃へと入り、隼人たちの頬に当たる。
「まだだよ、落ち着いて」
隼人が動こうとした時、クレアが隼人の肩を押さえつけ待ったをかける。
まだ細かい土が降って来ただけなのだ。食道に残っていた物が、ワームの動きで入って来た可能性もある。
もっと確実な、それこそ、隼人たちサイズを石や土の塊が入って来た時こそ、そのタイミングだと、クレアは隼人を落ち着かせる。
「なら、タイミングは任せる。俺はクレアの指示で斬るぞ」
この場面で、冷静に判断できるクレアに、隼人は全てを任せることにした。
「分かった」
クレアは隼人の肩に手を置いたまま、頷くと静かにその時を待つ。
そして――
「今!」
「おう!」
食道の奥に大きな岩が見えた。クレアが隼人の肩から手を放し、隼人は足場以外の魔力を総動員して二本の魔力剣を生み出す。
剣は生み出された状態でさえ、ワームの内臓に突き刺さるほどの長大な剣だ。
「死にやがれぇぇえええ!」
それを水平に、腕をクロスするように振るう。
剣はワームの内臓を抵抗なく斬り裂き、皮膚を破った。
斬れた先から光が飛び込み、外であることを示す。
「やった!」
「脱出するぞ!」
輪切りになったワームが、空中でその体を開いていく。そこに向かって、クレアと隼人は足場を蹴って飛び出す。
「いっけぇぇえええ!」
「とぉぉぉおおう!」
二人が傷口から飛び出す。そこは、地表から遥かに離れた空の中だった。
「マジかよ!」
「これはヤバいんじゃないの!」
強烈な風圧に表情を歪ませながら、二人は落下する。そこで見たのは、自分達が食べられた場所である、避難用の大岩と、そこに立ってこちらに手を振っているダイゴンの姿だ。
そして、真っ二つになったワームは、粒子状になり魔石となって落下していく。
「クレア! 隼人!」
ダイゴンが立っている大岩の下には、大量の石が投げ捨てられており、どうやらダイゴンは石の落下する音を使ってワームをおびき寄せていたのだと分かる。
それのおかげで、隼人たちは全く別の場所から飛び出すことは無かったのだが、それを感謝している暇はない。
「クレア、とにかく俺に掴まれ!」
「どうするの!?」
「どうにかする!」
「全然信用できないんですけど!?」
そう言いながら、クレアは隼人の手を掴み、体を隼人の元へと引き寄せる。隼人はクレアを自分の荷物に掴まらせ、物質魔力を展開させた。
物質魔力は現実的な現象に影響を受ける。だからこそ、大きく広く広げた物質魔力はパラシュートの代わりになる。
しかし、隼人はパラシュートもパラグライダーもやったことが無い。
ただ、テレビで見た映像を頼りに再現したそれが、しっかりと機能するかは、賭けだった。
ガクンッ!
パラシュートを展開した途端、体に大きな衝撃が走り、落下の速度が急激に低下する。
「上手く行ったか」
ホッと胸をなでおろすも束の間、今度は別の問題が発生した。
「新人君、これどこ向かってるの?」
「え?」
隼人の作ったパラシュートは素人知識の物だ。それには当然付いているべき方向制御の物はない。
ただ、風に流されるように、パラシュートは大岩から離れてつつ、ゆっくりと降下していく。
「どこ行くんだろうな……」
「ちょっと新人君!?」
「知らねぇよ! 地面に叩きつけられないだけでもマシだと思え!」
「そうだけど! そうなんだけど!」
「お、お前ら! 待ってくれー!」
風に流されながら、上空で喧嘩する二人を、ダイゴンは必死に追いかけることしかできなかった。
着地出来たのはそれから数分後、かなり風に流され、十一階層の入口付近まで戻ってきてしまっていた。
ただ上空を漂っていた隼人たちは良いが、それを追い掛けて走って来たダイゴンは疲労困憊だ。
「はぁ……はぁ……ふ、二人が……無事で……ゲホッ…………ああ、無事でよかった……」
「お、おう」
「今ダイゴンが一番大丈夫そうじゃないよ……ほら、水飲んで」
クレアから差し出されたコップを呷り、ダイゴンはほうっと息を吐く。
「あいつに食われて、よく無事だったな」
「心配かけてごめんね。ダイゴンもかなり頑張ってくれたんでしょ?」
クレアは、ダイゴンの手を取りながら、少し悲しそうにつぶやく。
ダイゴンの手は、血だらけになっていた。ワームを誘き出すために投げた石。それは、大岩からダイゴンが素手で削り出したものだった。
その際に、手の爪は割れ、皮膚は切れて、皮も激しく剥けてしまっている。見ていてもかなり痛々しい光景だ。
普通ワームに捕食されたら、諦めるものだ。地面に逃げられたワームの中で、まさか生きていられる存在がいるなど、誰も考えない。
しかし、ダイゴンは諦めず石を投げ続けてくれた。それがクレアにはすごくうれしかったのだ。
「ありがとうダイゴン」
「いいさ、お前のためだ」
「ダイゴン……」
「クレア……」
手を繋ぎ見つめあう二人。その顔がゆっくりと近づいていこうとしたところで、大きな咳払いが二人の雰囲気をぶち壊した。
「俺もいること忘れるなよ?」
「あ、あはは」
クレアは頬を真っ赤にしながら、わざとらしく笑い、ダイゴンは顔を俯かせて震えるしかなかった。
「じゃあ、頑張れよ」
「新人君、無理しないでね」
「おう、食料貰っちまって悪いな」
二人が落ち着いたのち、今後をどうするか話し合った結果、ダイゴンとクレアは一旦塔から出ることになった。
ダイゴンの手がなるべく早くしっかりとした治療を受けなければならないものの上に、クレアも笑ってはいるがワームに食われるというショッキングな体験で精神的にかなりまいっていたのだ。
そこで、今持っている食料を隼人に託して、撤収することにしたのだった。
だが、当然隼人はこのまま塔を進む。まだ、蓮華に言われた質の良い魔石の確保が出来ていないからだ。
たかが、ワームに食べられた程度で、怖くなって帰ってきましたなどと言えば、捕食される以上に怖い目にあわされかねない。
隼人には進むことしか道が開けないのである。
「十一階層から二十階層まではこの荒野エリアだ。地面から来る連中は危険だが、大岩が定期的にあるから、いざとなったらそこまで逃げろ。お前なら問題ないだろう」
「ああ」
「それと、二十一階層から三十階層は砂漠になってるから、水の補給は気を付けてね。あそこは、キャンプ地でも川やオアシスがない所もあるから」
「分かった、情報サンキューな」
ダイゴン達から分けてもらった食料をまとめ、隼人は自分のリュックを背負い直す。
「じゃあ二人とも塔の外で会おうぜ」
「ああ」
「またね新人君」
二人に見送られながら、隼人は再び荒野エリアを疾走し始めた。