荒野
日が昇るとともに、隼人たちは行動を開始した。
手早くテントなどを片付け、出発の準備を進める。
「隼人、昨日話した通り、今日は隼人が先頭だ」
「了解。ペースはこっちで作って良いのか?」
ブレードギアを使う隼人と、自らの足で走るダイゴン達では疲労度が違う。もし隼人のペースに合わせることで、疲労するのならばそれは問題だろう。
「昨日より少し早いぐらいなら問題ない。まあ、その心配はないと思うけどな」
ダイゴンの意味ありげな含み笑いに、隼人は首を傾げつつ片づけを済ませていく。
「新人君、こっち終わったよ~」
「こっちもこれで終了だ」
テントの入った袋を鞄に縛り付けている所で、クレアが手を振りながら駆け寄ってきた。
全ての片づけが終了するのに三十分もかからなかった。朝食は片づけている最中に干し肉を齧って済ませてある。
「んじゃ行くか」
「おう」
「れっつごー!」
隼人がブレードギアを発動させ、ダイゴンとクレアが血覚状態になる。
ダイゴン達の準備が出来ているのを確認して、隼人は林道を進み始めた。
そして数時間後――
「おわっ!?」
「大丈夫か?」
突然茂みから飛び出してきた狼の魔物に、隼人はとっさに剣を突き立てる。
出発してから数時間で、隼人は両手の指では数えきれないほどの奇襲を受けていた。本来ならば、警戒しながら進むため、諦める魔物も多いのだが、隼人たちはブレードギアで高速で移動している。そのせいで、周囲への警戒も疎かになっているのだ。
それは、動きの速い魔物たちにとっては格好の獲物であるはずだった。
「あぶねぇ」
隼人は剣を突き刺した魔物の魔石を回収し、鞄へと入れる。小さいものでも、持って来ている魔導具の燃料になるため、捨てるにはもったいない。
そこに、後からやってきたダイゴン達が合流する。
「もう少しゆっくり進んでも良いんだぞ? 気配の察知ができない場合は、奇襲を受けやすい」
「教えてくれてもよくね?」
「それじゃ意味ないじゃん。これは新人君の気配察知の訓練でもあるんだから」
ダイゴン達には、今飛び出してきた魔物の気配がしっかりと分かっていた。そしてその目標が隼人になっていることも。しかしあえて教えなかったのは、隼人に気配察知を学ばせるためだ。
念のため、いつでも助けに入る準備はしていたが、隼人は飛び出してきたのを見た後からでも、物質魔力である程度対応出来てしまっていた。
それが訓練の妨げにもなっている。
気配察知を覚える理由は、奇襲を防ぐためだ。しかし、隼人は奇襲を受けても自力で抜け出せてしまう。一度命の危機にでもなれば、自然と体が気配や殺気といったものを覚える。それが気配察知ができるようになるきっかけとなるはずなのだが、隼人のようにそもそも対処出来ていては、なかなか覚えられないのも仕方のない事だろう。
「とりあえずもう少し速度を落として、周りの気配を気にしながら進んでみろ。このままじゃ、とっかかりすらつかめないまま上の階層に行っちまうぞ」
「しかたねぇか」
隼人は頭をガシガシと掻きながら、ダイゴンの言葉に従うことにする。さすがに、わざわざサポートしてくれている先輩のアドバイスを無碍にするほど傲慢ではない。
「分かった、もう少しスピードは落とす。今日中に十階層突破ぐらいの感覚で行くわ」
「おう」
すでに七階層を終え、八階層の中盤に突入している。このままの速度ならば、十五時ごろには十階層に到達してしまうだろう。
それを半分ぐらいのスピードまで落とし、隼人たちは進むことにした。
「結局何にも分からなかった……」
隼人のつぶやきに難しい顔で返すのはダイゴンだ。クレアはすでに火を起こす準備を進めている。
十階層を突破したのは、予定通り夕暮れに近づいたころだった。
速度を落としたおかげで、魔物の襲撃に対しては多少素早く反応できるようになった隼人だが、それは単に反射神経の問題であり気配を読むことに関しては、全く成長が無い。
ダイゴン達も、まさかここまで隼人の地力が高いものだったとは予想できず、飛び出してくる魔物たちを片っ端から切り殺す隼人を後ろで見ながら、呆然とするしかなかったのだ。
そして、十一階層に入り、すぐ近くにあるキャンプ地で野営の準備を進める。フィールドはすでに荒野へと変貌し、周辺には木の一本も見当たらない。
しかし、まだ入ったばかりの場所ということもあり、この辺りは魔物も少なく、中心部分に比べれば比較的安全な場所だった。
「正直俺の考えが甘かったな。隼人がここまで対応出来ちまうとは思ってなかった。予想だと、途中で不意打ちにあって、押し倒された辺りで助ける予定だったんだが」
一度も押し倒されるどころか、すべて一刀のもとに切り捨ててしまったのだ。成長も何もあった物ではない。
「このまま進むのは危険か?」
「いや、俺達もいるし、そこまで危険ってことも無いだろ。今日の様子を見るに、隼人と正面からぶつかって勝てる魔物はほとんどいないはずだ。ただ問題はソロの時だな」
「地面か……」
隼人は自分が今踏みしめている地面の土を見ながらつぶやく。
荒野に出てくる魔物は主に二種類。
狼や猪、虎のように地上を走る魔物と、モグラやミミズのように地中を移動する魔物だ。
前者ならば、隼人でも容易に対応できるだろうが、気配の読み方が分からない現状、地下から来る魔物に対して、警戒するすべを持たない隼人が、一人で荒野を進むのはかなりの危険が伴う行為だ。
今はクレアたちがいる為、進むのに問題はないが、いずれ必ず障害となってしまうだろう。
「ソロの時はしばらく森までにしておいた方が良いのか?」
「いや、正直隼のレベルだと森じゃ成長できないだろう。一番いいのはどっかのチームに入れてもらうことなんだが」
「そりゃ無理だな」
隼人の事情がそれを許さない。今回もたまたまタイミングが合ったので一緒に登っているだけであり、チームを組んでいる訳でもないのだ。そもそも、ギルドから裏で指名手配されている可能性がある隼人が、どこかのチームに入るという選択肢は無いに等しい。
「まあ、荒野で気配察知に目覚めるかもしれないんだ。今はそんなに急がなくてもいいだろう」
「それもそうだな。気落ちしててもしかたねぇし、とりあえず飯食って体力回復だ!」
「分かってるなら、こっちてつだってよ~。私熱いの苦手なんだから!」
気持ちを切り替え夕食の準備に入ろうとした時、火起こしに苦戦していたクレアから、抗議が上がるのだった。
翌朝、疲労もすっかり抜け、威勢よく荒野のエリアを進み始めた三人だったが、今はその表情に焦りの色がありありと浮かび上がっていた。
「おい! これどうすんだよ!」
「逃げるしかないでしょ!」
「どこまで!」
「大岩がある場所! ダイゴン頑張れ!」
「頑張れなんて言うぐらいなら、自分で走――――」
ズドンッ!!
ダイゴンの抗議が轟音によってかき消される。高らかと舞い上がった土煙から、巨大なワームが飛び出し、隼人たちに襲い掛かって来たのだ。
「あぶねぇ!」
最後尾をブレードギアを使って走っていた隼人は、危うくそのワームの牙に囚われそうになり、間一髪の所で躱した。
ワームは、捕食できなかったのを感じると、すぐさま土の中に潜ってしまい追撃を許さない。
「いきなりジャイアントワームとか付いて無さすぎ!」
ダイゴンの上でクレアが悲鳴にも似た声を上げる。
「珍しい奴なのか?」
「超レアだよ! なんでこんな最初の方にいるのさ!」
「いるんだから仕方がないだろう。とにかく今は逃げ切ることを考えろ」
ダイゴンは、四足を必死に動かしながら、視線をあちこちへと飛ばす。ワームの突進にも耐えられる大岩を探しているのだ。
「倒せないのか?」
逃げることを一番に考えているダイゴンに、隼人はスピードを上げたブレードギアで横に並びつつ問いかけた。
「難しい。できないことも無いが、怪我する可能性も高いし、荷物をやられる可能性もある」
ジャイアントワームは、音で獲物を探す。そのため、動いていれば確実に追って来るし、動いていなくても、それまでの音からだいたいの位置を予想して攻撃を仕掛けてくる知能がある魔物だ。
その上、常に地中に潜っており、攻撃も直接足もとからくるため、非常に厄介な相手なのだ。
戦闘の為に荷物をその場に放り出そうものなら、その音に反応して飛び出してくるため、貴重な道具や食料をまとめて食べられてしまうのだ。
そして、進行している最中に攻撃を喰らった場合、どこかで止まってやり過ごすこともできないと、挑戦者からしてみれば厄介この上ない相手である。
「面倒な奴だな、オイ!」
「だからとにかく今は逃げるんだよ! そろそろ避難所が見えてくるはずだ」
ジャイアントワームに追いかけられながら走り続け、ようやく大岩が見えてくる。
大地の上に置かれた碁石のような形をした大岩には、白い旗がたなびき遠くからでも分かりやすくなっている。
「あれだよ! ダイゴン、新人君、もう少しだから頑張って!」
「おう!」
「あれか! 分かりやすいな!」
三人は速度を上げて、一気に大岩に掘られた階段を駆け上がる。直後、下から突き上げるような衝撃を受け、大岩がぐらぐらと揺らいだ。
「うおっ」
「え? きゃっ」
バランスを崩したダイゴンが大きく尻もちを突き、その上に乗っていたクレアが投げ出された。
クレアは階段を転がり落ち、大岩の外へと飛び出してしまう。
ただ落ちただけなら、すぐに飛び起きれるだろうが、階段で足をぶつけたのか、クレアは表情を歪め足首を押さえて動かない。
「クレア!」
「俺に任せろ!」
隼人がとっさに飛び出し、階段の下へと駆け下りクレアの元へと駆け寄る。
「どこかぶつけたのか」
「ダメ……新人君逃げて。もう真下に来てる!」
「何!?」
クレアが地面へと転がり落ちた瞬間、ジャイアントワームはその音を聞いて行動を開始していた。ただ岩にぶつかった程度で止まるほど、軟な体は持っていないのだ。
そして、隼人が駆け下りた瞬間、足元が一気に崩壊した。
「これは!?」
「くっ」
「クレア! 隼人!」
ダイゴンの叫びもむなしく、隼人とクレアはジャイアントワームに一息に飲み込まれた。
足場の崩壊と共にジャイアントワームに飲み込まれた隼人は、とっさに物質魔力で自分とクレアの体を覆う。
「クソッ」
ジャイアントワームが地面を掘るために体を捻じ曲げる。その度に隼人たちの体は体内壁に打ち付けられ、上下の感覚も分からないほどにかき回される。
幸い、物質魔力のおかげで大した衝撃ではないが、ぐるぐると体を回される感覚が無くなるわけではない。
まるで、樽の中に入れられて坂道を転がされる感覚だ。
「どこまで続くんだ……」
どこかで胃袋のような物があるはず。そう考えながら、ひたすら落下に耐えていると、びちゃっと水に落ちるような音と共に、衝撃が止んだ。
「止まった……のか」
周囲は真っ暗で何も見えない。抱え込んだままのクレアは、落下の際に気を失ったのか、ぐったりとしているが息はしっかりとあるようだ。
「クレア、大丈夫か?」
隼人はクレアの頬を何度か叩いて目を覚まさせる。
「うっ……新人君? ここは」
「ワームの腹ん中だ。たぶん胃だろうな」
物質魔力を解除し、足の感覚だけで立ち上がる。
ズボンにはねっとりとした液が染み込んでおり、靴底から伝わる感覚は、ぐにゅっとしていて気持ち悪い。
「私たち、飲み込まれちゃったんだ」
「飲み込まれた時の脱出方法って知ってるか?」
「そんなの知らないよ。そもそも、ジャイアントワームに飲み込まれてから生還した人って聞いたことないし」
「生還率ゼロ%かよ……けど、ここで死ぬつもりはないしな」
物質魔力を使えば、内側からワームを斬り裂くことは可能だろう。しかし、問題はここが地下である可能性が高い事だ。
たとえ、ジャイアントワームの中から生還出来たとしても、外が地下では逃げ出すことが出来ない。
「足の方は大丈夫か?」
「ちょっと階段にぶつけちゃったみたいだけど、痛みは引いてきた。血覚状態だと、痛みに強くなるから。ただ、無茶はできないかも」
「とりあえず応急処置ぐらいしないとな。幸い、荷物ごと飲み込まれたし」
荷物を降ろす前に飲み込まれたため、隼人の背中にはしっかりとリュックが背負われている。
隼人はそこから魔導ランタンを取り出し灯りをつけた。
突然の光に、クレアが目を細める。
光によって照らされた周囲の光景は非常に気持ち悪い物だ。どくどくと動く肉の壁に、隼人たちと一緒に飲み込まれたのであろう大量の岩と土、床にはねっとりとした液体が溜まっており、その下も肉の床が広がっている。
「あんまりこの液体に触れてるもの不味いか」
「溶かされちゃうかもしれないしね。濡れた物も変えた方が良いかも」
ワームの消化器官に放り込まれた可能性を考えると、液体が酸であることが考慮される。
隼人は、クレアを補助しながら、近場にあった土山へと退避した。