イゾイー家
「さて、とりあえず知りたいことは分かったし、この家の住人と顔合わせでもしておきましょうか」
「イゾイー家の連中ってことか?」
「一応私が継承権第一でほぼ実権を握っているとはいえ、隼人には他人の家に厄介になるんだから、家の人には挨拶ぐらいしておきなさいよ」
「それもそうか――でも男爵自身はほぼ人形状態なんだろ?」
蓮華の尋問もとい拷問のおかげで、男爵自身は完全に精神崩壊を起こし、生きた人形となってしまっている。挨拶などできる状態ではないはずなのだ。
「けど、奥さんや娘はこの家で普通に生活しているからね。食事時にも顔を合わせるだろうし」
「それもそうか」
隼人は蓮華の客人という立場でこの家に厄介になることになる。
そうなると、隼人の食事は必然的に住人と同じタイミングになるのだ。別に一人だけ部屋でということも無理ではないが、蓮華は、隼人程度の為にメイドたちに面倒を掛けさせるつもりはなかった。
使用人としての立場はしっかり理解させるが、基本的に自分の配下には優しいのが蓮華である。
「じゃあ行きましょうか。アリスもいらっしゃい」
「……」
蓮華がティーカップに残っていた紅茶を飲みほし、立ち上がる。アリスの声を掛ければ、アリスも無言で立ち上がる。
無言なのは当然なのか、蓮華は気にした様子も無く扉へと向かう。すると、アリスは小さな歩幅でトテトテと蓮華の後ろについていった。
真っ白なドレスと、頭のリボンが相まって、まるで白兎のように見え、隼人はホッコリと和みながらソファーから立ち上がり、蓮華の後を追うのだった。
廊下に出るとロウナが部屋の横に立っていた。メイドとして、何か用事を言いつけられた時の為に待機していたのだ。
「ロウナ、奥様とシシルはどこ?」
「この時間ですと、お二人ともサロンにいらっしゃるはずです」
「ちょうどいいわね」
蓮華は呟いて、足を進めようとし、思い出したように振り返る。
「そうだ、ロウナ。あなた今日から隼人付きのメイドになりなさい。身の回りの世話は任せるわ」
「わたくしがですか?」
突然の言いつけに、驚くロウナ。当然だろう、今まで雑務メイドとして家事全般をこなしてきたロウナは、誰かの専属になったことなど無い。
専属になるメイドは、大抵の場合がその屋敷の中でも最も技能の高いメイドが選ばれる。それは、主人や客人に対して、万が一の失礼があってはいけないからだ。故に、誰かの専属になるということは、それだけメイドとしての能力を認められたことになる。
普段ならば喜んで話を受ける所だが、ロウナは自身の技能はまだ未熟だと感じていた。
それもそのはず、ロウナはまだこの屋敷で働き始めて半年なのである。先輩のメイドでは、ベテランで十年以上働いている者もいれば、ロウナの次に新しいメイドですら三年は働いている。
そんな、先輩メイドたちを差し置いて、自分が専属になってもいいのだろうかという懸念もあった。
「ええ、何か問題ある?」
「私はまだ未熟ですし、何か失礼があると……」
「大丈夫よ、隼人だし」
蓮華は一瞬隼人を見て、フッと笑うとそう答えた。
「おう、それはどういう意味だ、こら」
「なによ、客人で丁重にもてなせとでもいう気? ずいぶん図々しいわね」
「いや、別にそう言うつもりはねぇけどよ。なんか今スゲー馬鹿にされなかったか?」
「気のせいじゃない?」
口ではそう言いながらも、蓮華の目線は窓の外へと泳いでいた。
「とにかく、ロウナは隼人付きになりなさい」
「承知しました。ハヤト様、いたらないところがあるかと存じますが、よろしくお願いします」
ロウナが深々と頭を下げる。
「お、おう。よろしく」
「それと隼人」
「なんだ?」
「あなたは落ち着いたら塔に登って魔石を採ってきなさい。どうせギルドに行くと色々聞かれるだろうし、家が直接買い取ってあげるわ。タダ飯ぐらいは許さないわよ」
現状、隼人を匿う価値はイゾイー家には存在しない。ただ、蓮華の幼馴染だからという理由で匿ってもらっているに過ぎないのだ。
だが、蓮華はそれを許すほど甘くはない。
客人として扱って欲しければ、何かイゾイー家に貢献しろということである。
隼人もその考えには特に文句は無かった。
もともと、タダ飯ぐらいになるつもりも無く、何もやる事が無ければ家事でも手伝おうかと思っていたぐらいだ。
「了解。とりあえず明後日ぐらいから潜るかな。明日は準備で、二週間か三週間ぐらい。もしかするともう少し伸びるかもしれないけど」
前回が四日で十階層まで到達出来た。今回はとりあえず行ける所まで行くつもりだが、フィールドが荒地や砂漠に変わる以上、相応の装備を準備しなければ危険である。
明日はその為の道具を探す予定だった。
「そう、食料ぐらいならこっちで準備してあげるけど?」
「いや、その辺りも自分で集めるのに慣れないとな。あんまり頼り切りになると後が辛くなりそうだ」
「そうね。良い判断だと思うわよ。さて、立ち話しはここら辺にしておきましょう」
蓮華が再び歩きだし、隼人たちはその後に続いて廊下を進んで行った。
階段を下りて、西側の通路を進む。ちょうど、隼人たちがいた部屋の真下辺りに来たところで、蓮華の足が止まった。
「ここよ」
そう言ってノックをすると、中からメイドが顔を出す。ロウナと違い、かなり熟年のメイドだ。
「レンゲ様でしたか」
「奥様とシシルがここにいるって聞いたんだけど」
「はい、ちょうどリバーシの決着がついたところです」
「いいタイミングね」
メイドが扉を大きく開き、蓮華が中へと足を踏み入れる。隼人たちもそれに続くと、部屋の全容が見えてきた。
豪華なシャンデリアに照らされた部屋は、サロンと呼ぶにふさわしい輝きがあった。
数人が座れる巨大なソファーや、壁際にならぶ絵画、とても日常的に使えるとは思えない細やかな細工が施された食器が棚に並び、ガラス細工がシャンデリアの明かりを屈折させ輝く。
一般人がいれば、まず間違いなくその輝きに呑まれてしまうだろう。しかし、そこには芸術品に呑まれず、むしろその光に照らされ一際輝く二人の人物がいた。
「あら、レンゲさん」
「レンゲお姉さま!」
部屋に入って来た蓮華を見て、イゾイー夫人テシルは微笑み、その娘シシルは立ち上がって蓮華の傍に駆け寄ってくる。
テシル夫人は、三十台後半の落ち着いた雰囲気のある女性だ。髪を頭の上でぐるぐると巻いてまとめたいかにも貴族の妻ですといった様子である。
一方のシシルは、まだ幼さが残る明るい雰囲気の女子だ。蓮華のことをお姉さまと呼んでいたことからも分かる通り、年は蓮華より年下の十三歳。整った顔立ちは、母親似だと思わせるスラッと通った鼻筋と、青い瞳が特徴的である。金髪が腰まで流れており、蓮華に駆け寄った際にふんわりと広がった髪からは、ほのかに花の香りがする。
「聞いてくださいお姉さま! お母様ったら酷いんですよ!」
「あら、どうしたの?」
「いつもボードの四隅ばっかり取るんですもの! あれじゃ勝てっこないわ!」
ぷっくりと頬を膨らませるシシルに、蓮華は苦笑しながらその頬を指先で突く。
プスッと空気が抜け、その音が恥ずかしかったのかシシルは僅かに頬を赤くした。
「あれはそう言うゲームよ。端っこはとられにくく、四隅はどうやってもとられない。だから、ゲームを有利に進めたかったら、四隅を取るように駒を置いていかないといけないわ」
「難しいですわ!」
「まあいい頭の体操になるんじゃないかしら。それより紹介したい人がいるんだけど、良いかしら?」
蓮華は自分の体を扉の正面からどけて、隼人の姿を見せる。
すると、シシルは若干緊張を含んだ表情で蓮華の体に隠れてしまった。先ほどまで蓮華に見せていた笑顔は、完全に消滅してしまっている。
一方のテシル夫人は、にこやかにほほ笑んだままだ。
「そちらの男性ですか?」
「ええ、前に話してた私の幼馴染よ」
「挑戦者の隼人だ。よろしくな」
人間初見の印象が大事。隼人もそれにならって、笑顔でシシルに向けて手を差し出す。
すると、シシルは一瞬ビクッと肩を震わせると、完全に蓮華に隠れてしまった。
差し出したままの手を戻し、隼人は困った表情で頬を掻く。
「俺何かした?」
「大丈夫よ。今のはなかなか正しい挨拶だったわ。ただシシルはちょっと人見知りで男性が苦手なのよ。今まで近くにた男性が、あの執事と父親だからね」
「ああ、なんとなく理解した」
あの執事といえば、初老にもかかわらず猛者の雰囲気漂う、とてもただの執事とは思えない老人と、蓮華の話によれば、自分の娘をいやらしい目で見ていた女好きの父親なのだから、男性が苦手になるのも当然だろう。
「ならなるべく近づかないか、近づくときは一声かけた方が良いか」
「出来るならそうしてあげて。って言っても、隼人って明後日には塔に行くんでしょ? 実際ほとんど会うことは無いと思うわよ?」
「それもそうか」
明後日には出発し、二三週間、長ければそれ以上帰ってこないのだ。今無理して慣れてもらう必要はない。
そう結論をだし、とりあえず今日明日はあまり近づかないことで決着する。
「だからシシルも安心しなさい。それに、隼人はしっかり私が管理しているから、安全よ」
「俺はペットかなんかか……」
「今の状態はそれに近いわね。ペット扱いが嫌なら、結果を残しなさいよ」
「はいはい。で、そちらの女性が」
「初めましてハヤトさん。ロア・ヴァロッサ・イゾイーの妻、テシル・ヴァロッサ・イゾイーです」
こちらはシシルとは違い、結婚もしているだけあって男性にもなれているのだろう。丁寧な挨拶をしてきた。
「初めまして、斎賀隼人です。こっちじゃ隼人斎賀か?」
「そのままでもいいわ。サイン諸島連合だと、私たちの呼び方とさほど変わらないから」
「了解。短い間ですがよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いしますね」
こちらはしっかりと握手を交わし、挨拶を済ませる。
「さて、二人の紹介は終わったし、後はロアの所ね」
「ロア? 男爵だっけ?」
「もう、男爵とは呼べる状態か怪しいけどね」
蓮華はおどけるように肩を竦ませる。
テシルもシシルも、今のロアの状態を知っているため、苦笑気味だ。ここで憐憫が出て来ないのは、ロアの人柄が物語るところだろう。
「隼人さん、またお食事の時にでもお話ししましょう。色々とレンゲさんのことも聞きたいわ」
「余計な事言ったら、騎士団に突き出してあげるからね」
「それ洒落にならねぇから!」
軽口を交わしつつ、二人と別れロウナを含めた三人は再び廊下を進む。
「今度はどこに向かうんだ?」
「家族の部屋は基本的に二階に集めてあるんだけど、ロアは正直寝たきりみたいなものだし、色々と面倒だから、一階の一番奥の部屋に押し込んであるのよ」
「ほんと、男爵の扱いとは思えねぇな」
西側の廊下をさらに奥へと進み、突きあたりまで来た。
そこには他の部屋が両開きなのに対し、小さな扉が一つだけ。灯りもほとんどつけられておらず、太陽の光もあまり入ってこないジメッとした場所だった。
「ここよ」
蓮華がポケットから鍵を取り出し、扉に差し込む。
「鍵かけてるのか?」
「人形状態って言っても、いつ覚醒するかは分からないからね。暴れられても面倒だから、一応隔離してあるの。もちろん、世話係も屈強な執事たちよ」
「そりゃ可哀想なこって」
もはや呆れにも似た感情を抱きながら、扉が開かれるのを待つ。
蓮華が鍵を開け、中に入る。そこは、ベッドと衣装棚が置かれているだけの簡素な部屋だ。
「もともと物置だったんだけどね」
隔離部屋を作るのにちょうどいいと、蓮華がちゃちゃっと改装させたのだ。
角部屋のため南からの光は入らず、小さな西側の窓から僅かな光が入る程度で、昼だというのに非常に暗い。
蓮華が魔導ランプに灯りをつけて、ベッドへと近寄る。隼人もそれについていけば、ベッドの上で目を開けたまま横になる男性を見つけた。
容姿を一言で表すのならば、カエルだろう。
でっぷりと蓄えられた脂肪は、横になることで垂れ下がり、顔の表面積を広げている。
脂ぎった皮膚は、良く分からない光沢を放ち、焦点の合わない目と相まって非常に不気味だ。
正直、隼人にはこれが生きているとは思えなかった。
「これがこの家の主人、ロア・ヴァロッサ・イゾイーよ。親は優秀だったみたいだけど、子供は典型的なダメ息子ね。欲望に忠実で我慢を知らない。すっごく扱いやすいわ」
「正直コメントに困る」
「まあそうでしょうね。とりあえずここの主な住人はこれだけよ。後はメイドとか執事とかが何人かいるけど、まあいいでしょう」
本当に顔を見せるだけだったのか、蓮華はそそくさと部屋を出ていく。
隼人もそれを追って、部屋を出た。