拉致粉砕
夜も更ければ、挑戦者達で賑わっていた町も静まり返る。
どこからともなく聞こえてくる虫の音をBGMに、その影でうごめく者達がいた。
全身を黒服で包み、まるで視線から逃れるようにこそこそと裏路地を進む二人組。案内役だった細身の男シュルストと荒事専門のロドスだ。
二人は静かな裏道を素早く走り抜け、誰にも気づかれることなく一軒の民宿に接近した。
月明かりの影に隠れながら、中を窺う。
裏口からは、食堂の調理場へと続いており、そこはすでに灯りが落とされ闇に包まれている。
シュルストが先に侵入し誰もいないことを確認する。シュルストが手で合図を送れば、もうロドスは隠れる様子も無く堂々とした様子で調理場へと入って来た。
高級な宿ならば、専門の警備員が常駐していたり、高価な防犯装置が設置されている場合もあるが、ただの民宿程度ではそのような装置も無い。
二人は調理場から食堂へ出ると、そのままの足で二階へ向かう
階段の軋む音だけが廊下に響き、不気味な気配を漂わせるが、それに反応する者達はいない。
先行するシュルストは、自分が調べた情報を元に、部屋の番号を確認しながらゆっくりと進み、ロドスは周囲の警戒を担当しているようだ。
と言っても、その警戒の仕方はあまりにも雑である。
一応黒い服こそ着ているものの、腰を落とすことなく胸を張って歩く姿は威風堂々としている。それは、見つかっても大丈夫だという余裕の表れか。はたまた、ただものを知らないだけか――
先行していたシュルストが一つの扉の前で止まる。そして、ロドスに近づくように指示をだし、扉の番号を指差した。
そこに書かれていたのは203の文字。隼人の泊まっている部屋だ。
ドアノブに手を伸ばし、回してみるが、当然鍵が掛かっていて開かない。ロドスはどうするのかと視線で問うが、少し待てとだけジェスチャーをしてポケットから細い金属棒を取り出す。
それを鍵穴に差し込み、カチャカチャと僅かな音を立てた。それだけでカチンと鍵が開く。
あまりの手際の良さに、ロドスも若干目を見張るが、シュルストは軽く肩を竦めるだけで、金属棒をポケットにしまい、ゆっくりと音を立てないように扉を開く。
ワンルームの簡素な部屋は、扉を開ければその全貌が全て見える。
ベッドでは、隼人が侵入者に気付くことなくすやすやと眠っていた。これが、ダイゴンやクレアだったのならば、鍵を開けた時点で侵入者に気付き対処するだけのスキルをもっていたのだが、現代で安全な寝床で寝てきたせいで、隼人は睡眠中に対する危機感が薄かった。
侵入者に気付かない隼人は、ベッドの中ですやすやと無防備な寝顔を晒す。
それを眺める趣味は侵入者たちにはなかった。
シュルストは懐から布を取り出し、そこに薬品を染み込ませる。
ツンとした刺激臭が漂い、一瞬隼人の眉間に皺が寄った。それを起きる兆候かとロドスは構えるが、隼人はすぐに元の表情に戻り、寝息を立て始める。
シュルストは、布にしっかり薬品が染み込んだことを確認すると、ロドスに合図を送る。ロドスは、それを確認して、肩に巻きつけていたロープを隼人の体へと慎重に巻きつける。最初に足、次に手、そして腕、胴体と順番に縛り、隼人を完全に動けないようにした。その間も全く起きる気配のない隼人に、本当にこいつが指定の人物なのだろうかと疑問を持つロドスだったが、それはシュルストの調べることなので、さっさと意識の片隅へと追いやり、自分の仕事を続ける。
隼人をロープで完全に拘束し、それが容易に外れないことを確認してシュルストへと合図を送った。
「押さえておいてください、おそらく一瞬目を覚まします」
「分かった」
最終段階まで来て、初めて二人が声を出す。
シュルストの要求に従い、隼人の体を自分の大柄な体で抑え込む。手も足も動かせない状態で上から抑え込まれてしまえば、普通ならば何もできない。
そして、シュルストが薬品を染み込ませた布を、隼人の口元へと一気に押し当てた。
突然鼻を貫くような痛みに、隼人の意識が覚醒する。
しかし、動こうにも体は何か重いものがのしかかっているかのように動かない。
視線だけ動かせば、暗闇の中に浮かぶ人影が一つ。それは隼人を遊戯場で監視していた男、シュルストだった。
なにを、そう言おうとしても、口を防がれていて声が出せない。そして、次第に視界が霞み、意識が朦朧として来る。
そこで初めて、自分が何やらヤバい事に巻き込まれていることに気付いた。
しかし時すでに遅し、物質魔力を使おうにも、意識が朦朧としていて体外に出すことすらできない。
そして、瞼がゆっくりと降りてくる。
クソッ!
心の中で悪態をつき、隼人は意識を手離した。
頬を叩かれる衝撃に、隼人は自分の意識がゆっくりと覚醒するのを感じる。
重たい瞼を開けば、目の前には誰かの腕。その腕が、隼人の頬に衝撃を与えている原因だった。
「お、起きたか」
「……ここは」
まだはっきりとしない意識の中で、周囲を見渡す。
小さな部屋のようだ。壁は全て煉瓦で出来ており、扉は鉄製だ。一見牢屋にも見えるその部屋で、隼人は手足を縛られた状態で椅子に固定されていた。
「ようこそ、バザロのホームへ。盛大に歓迎するぞ、挑戦者の隼人」
次第にはっきりしてきた意識の中で、隼人は自分が何をされたのかを思い出した。
それと同時に、怒りが込み上げ、四肢に力が入る。
手を動かそうとしても、椅子の手すりに固定されており動かすことが出来ない。足も同様だ。
「てめぇが俺をここに連れてきたのか?」
睨みつけながら尋ねれば、目の前の男は隼人の頬を叩いていた手を握り締め、振り抜いた。
ガッと重い音がして、隼人の視界が大きく揺さぶられる。
「口のきき方に気を付けろよ、小僧」
口の中に鉄さびの味を感じながら、隼人は今の状況を確認する。
両手両足は鉄の錠で拘束されており、人の力では簡単に外せそうにはない。服は寝ていたときの簡単なズボンとシャツ、武器は当然持っていない。
ありていにいえば、絶体絶命という奴だろう。
隼人は目の前の男を睨みつける。男は余裕そうな笑みを浮かべて上体を起こして隼人を見下ろす。
「馬鹿みてぇだから教えてやるよ。ここはチームバザロのホーム、つまり俺の拠点だ。そしてお前は俺が招待したから連れてこられた。分かったか?」
「招待にしてはずいぶん荒っぽいな。口直しに果実酒でも貰いたいもんだ」
「しょうがねぇなあ」
隼人の挑発に、バザロは足元に置いてあるバケツを持ち上げ、隼人に向けて中身をぶちまけた。
「どうだ、最高だろ?」
「まあ、この程度のチームなら、こんなもんが限界か。悪いな、変な期待しちまってよ」
今まで色々な不良に絡まれてきた隼人である。
不良の勝負は先に手を出した方が負けなのだ。手を出された方は、正当防衛という明確な理由ができてしまう。故に、隼人も大量の煽り文句だけは常に装備していた。
それが、ここに来てバザロの神経を逆立てる。
「この野郎が!」
突然に誘拐され拘束された新人挑戦者が、怯えながら許しを請う姿を予想していたバザロは、隼人のふてぶてしい態度に、苛立ちが募り、その手に持ったバケツを、隼人に向けて振り下ろした。
ガンッと室内にバケツがへこむ音が響き、隼人の頭ががくがくと揺れる。
「もう一発入れてやるよ!」
最初の一撃で顔を伏せたままの隼人の横っ面に向けて、バケツの底を振り抜く。
そのバケツは、隼人の顔の前で止まっていた。
「なっ!?」
「おいおい、歓迎にしてはずいぶん物騒だな。危うく死んじゃう所だったぜ?」
びしょ濡れの隼人は、いたる所から水を滴らせつつ、ゆっくりと立ち上がる。それに合わせて、隼人の手足を拘束していたはずの錠がガラガラと床へ落下した。
「馬鹿な、錠には魔法の発動を妨害する魔法陣が組まれてるはず」
バザロの言った通り、確かに隼人を拘束していた錠には、魔法を発動しようとすると、その魔力を吸収し、空気中に分散させてしまう魔法陣が組み込まれていた。
しかし、隼人が操っているのは魔法ではなく魔力そのものである。多少吸収されたところで、後から湧き出してくる力は、全てを防ぐことはできない。
その物質魔力を使い、自分が拘束されていると分かった時点で両手足の拘束をバラバラに切断したのだ。
そして、バケツによる殴打も、当然のように物質魔力で受け止め、衝撃を殺す。これまでの行動から、口よりも先に手が出るタイプだと理解した隼人は、これ以上挑発を続けても情報は出て来ないだろうと判断し、行動に出ることにしたのだった。
「ふぅ、さすがにちょっと寒いな」
錠を付けられていた手首をさすりながら突然立ち上がった隼人に、バザロは数歩後ずさる。
「さて、招待してもらった以上は楽しませてもらわないとな」
バザロがなぜ自分を誘拐したのか、だいたいの想像は出来ていた。
宿で気を失う直前見た男の顔、遊戯場にいた男が実行犯ならば、間違いなく夕方に襲ってきた連中の復讐だろう。
その上、自分からチームバザロなどと名乗ってくれたのだから、間違えようがない。
「とりあえずあんたはリーダーっぽいし最後だな」
「なに?」
「先にお前のメンバーを全滅させる。そこでゆっくり見てな」
魔力剣を生み出し、軽く振るうことで鉄の扉が真っ二つに割れる。
大きな音を立てて倒れる扉に、外にいたバザロの仲間たちが何事かと近寄ってきた。
そして、部屋の中に入ってきたところで、容赦なく順番に切り裂いていく。
一瞬にして部屋の中に血の匂いが充満し、足元に血だまりが出来上がる。
そこで隼人は、自分が靴を履いていないことに初めて気が付いた。
「マジかよ」
足裏に伝わる生暖かい感触に、不快感を覚えながら、隼人はバザロの首に魔力のロープを引っ掛け、リードのように引っ張って部屋を出る。
部屋は半地下になっており、天井付近に鉄格子で出来た小さな窓が付いている。すぐそばに階段があり、上からは明かりがこぼれていた。
隼人は迷いなく階段を上がる。強引に引っ張っていたリーダーが階段に躓いて顎をぶつけたりしていたが、いちいちそんなことは気にしない。
遅ければ、首を折るぞといわんばかりの力で強引に引き寄せ、リーダーの恐怖に歪む顔を見ながら、その体を盾にして一階へと踏み込んだ。
そこには、塔から帰ってきたバザロのメンバーや、机の上で踊る露出過多な女性がいる。ちょうど徹夜で打ち上げを行っていたのだ。
そのフロアが地下から出てきた隼人たちを見て、一瞬で静寂に包まれる。
その光景を見たとたん、盾替わりにしていたバザロが突然声を上げた。
「お前ら! こいつをぶっ殺せ! 俺達の仲間を殺した野郎だ!」
「お前、それ今威張って言える立場じゃねぇだろ……」
魔力ロープを引いて、バザロの首を絞める。
最初はロープを掴んで足掻いていたバザロだが、次第にその力が弱まり、うでがぶらんと垂れさがると同時に、膝から力が抜けた。
それを確認して、床に投げ出す。
「さて、おたくらのリーダーは俺の足もとで気絶してるわけだが、あんたらはどうするかね?」
魔力剣で適当に周囲を挑発してやれば、挑戦者達は簡単に釣れた。一応はチームとしての結束があったということだろう。
リーダーを助けようとしたのか、はたまたリーダーの敵を討とうとしたのか、武器を持っている者達はその武器を手に隼人に向かって来る。
武器を持たない者たちは、逃げるか武器を取りに行くかのどちらかだ。
隼人は空いた左手にも魔力剣を生み出し、構える。そこに、武器を持った者たちが攻撃を仕掛けてきた
剣をはじめとして、斧や草刈り鎌、鉄パイプのような棒にぬんちゃくのようなキワモノまで色とりどりである。
隼人は、先頭で突っ込んできた男の剣ごと、その体を真っ二つに斬るのを皮切りに、向かってきた者達に向けて、逆に走り寄る。
人間を真っ二つにして迫るという、常識外の行動に、後続は虚を突かれ隙が生まれる。それを見逃すはずも無く、さらに二人を両手の魔力剣で切断。目の前にいた男に蹴りを放ちつつ、後ろから迫っていた鉄パイプを剣で斬り裂き、もう片方で腕を飛ばす。
斬られた者達は大量の血を噴き出しながら、地面に倒れ、血だまりを作り、その上を他の挑戦者達が踏みつけるようにして通り過ぎていく。
騒ぎに気付いた他の挑戦者達も合流し、いよいよ混戦の様相が極まってくるころ、隼人は机の上に飛び乗り、さらにそこから飛び上がる。
体をひねりつつ、周囲を見渡せば、隼人を殺さんと迫る挑戦者達の群れ。しっかりと隼人の周囲に集まり、隼人が降りてきた所を攻撃しようと待機していた。
その様子に、隼人の笑みが深まる。
「さて、無双ゲーだと、一撃で数十人は殺せるよな」
偉人達がぶっ飛んだ技を繰り出すゲームを思い出しつつ、隼人は両手の魔力剣を一つに合わせ、巨大な一本の剣を生み出した。そこにさらに魔力をつぎ込み、破壊力を強化する。
「吹き飛べよ、雑魚ども!」
魔力が渦巻く大剣を、床目掛けて振り下ろす。
とたん、大きな衝撃と共に床が一気に剥がれ、テーブルが舞い、周辺にいた挑戦者たちを襲う。
鋭利な刃物となった割れた板は、挑戦者達に次々と突き刺さり、行動不能にさせていく。
まるで爆弾でも落ちたのではないかと思うような轟音と共に、一階の壁が全て吹き飛び、骨組みだけが残った。
「ふぅ、スッキリした」
死屍累々となったチームを見下ろしつつ、隼人はいい汗かいたと言わんばかりに魔力剣をしまって腕で額の汗をぬぐう。
少し寒かった体温は、運動したことで程よくあったまっている。
そして、隼人は床に転がる死体やうめき声をあげる死に体を眺めつつ、目当ての人物を探す。
それは、衝撃で壁際まで吹き飛ばされ、机に埋もれていた。
「いたいた、バザロ、目ぇ覚ませ」
机をどかし、足裏でバザロの額を踏みつけながらぐりぐりと足を動かす。
吹き飛ばされ、全身に打撲や内出血を負っているが、なんとか息をしている。そして、隼人の踏みつけによって、うっすらと意識を覚醒させた。
「う……うう…………あ」
「おはよう。ようこそ、俺の虐殺上へ。盛大に歓迎するぞ、バザロ君」
自分が目を覚ました時と似たようなセリフで、バザロを迎える。
バザロは額を踏まれたまま、目線だけで周囲を見渡す。そこには、戦争でもあったのかと思えるほどに酷い荒れ方をした自分のホーム。そして、その床に転がる大量の仲間たち。
腕が無かったり、体が半分になっていたりと、その姿はどう見ても生きているようには見えない。
「あ…………」
「ショックで言葉も出ないか。まあ、俺に絡んだのが運の尽きだったな。今後があるんなら、絡む相手は選んだ方が良いぜ」
「き、貴様……」
「あばよ」
何か言おうとしたバザロを無視して、隼人は一瞬だけ足を額から離すと、力いっぱい踏みつけた。
後頭部を地面に打ち付けられたバザロは再び意識を失いその場にぐったりと倒れる。
「さて、早めに退散しないとな」
空はだんだんと白みはじめ、隼人の一撃のおかげで、周辺に住んでいた住人は当然のように目を覚ましている。
早々に退散しなければ、兵士達が大挙して押し寄せてくるだろう。
隼人は、瓦礫を踏み分け拠点の外に出ると、人目が無いのを確認してから、物質魔力を使って、適当な民家の屋上へと逃げたのだった。
半刻ほど過ぎて、兵士達が大量にバザロの拠点へと押し寄せてきた。
ここまで時間がかかったのは、単純にバザロの拠点が北地区の外周近辺にあったためということもあるが、ここの治安が悪く、下手な装備と人員では逆に襲われかねないからだ。
そして、そこで兵士達が見たものは、驚くべき光景だった。
「何があったんだ……」
誰ともない一人がつぶやく。それは兵士全員の意見を代弁していた。
一階の壁は全て吹き飛び、木の柱だけが残る状態の拠点。その一階には、いまだ多くの挑戦者達のうめき声に満たされており、血と死の匂いが充満した空間になっている。
ふと足元に何かが当たるのを感じて下を見た兵士は、それが人間の腕であることに驚き、腰を抜かした。
「こ、これより調査を開始するぞ! 生きている連中を助け出す!」
半ば呆然とした兵士達であったが、兵士長の指示により、拠点の中へと足を踏み入れる。そこは、外から見るよりもさらに地獄の光景が広がってた。
割れた床板に突き刺さる人間、首の無い人間、首だけの人間、そんなものは当たり前で、四肢の吹き飛んでいるものや、何かにすりつぶされたかのように肉が抉れている者までおり、死者を見ることに多少の耐性がある兵士達ですら、多くが嘔吐する羽目になった。
そして、兵士達が拠点に突入したことにより、静かに進行していたもう一つの被害が音を立てて迫りくる。
柱だけとなった拠点が、三階建ての重さに耐えきれなくなったのだ。
ミシミシと音を立てながら、ゆっくりと罅が入り曲がり始める支柱。それに気づいた兵士の一人が大慌てで声を上げる。
「柱が限界だ! 崩れるぞ!」
救助活動に当たってた兵士達は、その声を聴いて、それぞれに近くの柱を見る。そのどれもが真ん中から今にも折れんとしていた。
「総員退避!」
兵士長の掛け声一つ、兵士達は救助途中の挑戦者をほっぽり出して拠点の外へと逃げ出す。
当然だろう、死にかけの挑戦者より自分の命の方が大事である。
そして、それが崩落の引き金となった。
一斉に動いた兵士達により、柱が一斉に割れ、二階以降が崩れ落ちる。
まるで、ダルマ落としのように落ちてきた二階は、僅かな生存者を残すことなく押し潰し、事件ごと全てを瓦礫の山へと飲み込んだのだった。




