見張りの仕事はお静かに
隼人は自分の体が軽く叩かれる感覚で目が覚めた。
「時間か」
「ああ、交代だ」
体を起こせば、テントの外から声が返ってきた。わざわざテントの外から足を叩いて起こしてくれたのだ。
テントの中には隼人の荷物が置いてあるため、気を使ったのだろう。
「了解すぐ行く」
軽く寝癖を整え、横に置いてある剣を手に取ってテントの外へと出る。
外は当然真っ暗で、たき火と隼人がキャンプ地の周囲に置いたランプの明かりだけが周囲をぼんやりと浮かび上がらせている。
もう一人の見張りはすでに交代を終えており、隼人と組むメンバーがたき火の番をしている。
「後任せるぞ」
「ああ、お疲れ」
交代を告げた男は、あくびをしながらそそくさと自分のテントに戻って行った。それを見届けて、隼人もたき火の近くへと足を進める。
「おはよう」
「…………」
男に声を掛けると、男は隼人を見て一つ頷く。それが男なりの挨拶なのだろうと察した隼人は、たき火を挟んで座る。
そして当然のように沈黙が訪れた。
たき火のパチパチと爆ぜる音のみが虚しくキャンプ地の闇へと吸い込まれていく。
「な、なあ。ウィッツさん――だったっけ?」
気まずくなった隼人は、何か話題は無いかと周囲を見ながら声を掛ける。
「そうだが、なんだ?」
「見張りの時って基本はどうするもんなんだ? 火の番は分かるんだけど、それ以外は全く見当がつかん」
蓮華と旅をしていた時は、物質魔力の練習をしていたが、それはほとんど襲撃の無い事が分かっている草原だったからだ。
だがここは塔の中であり、三百六十度どこからでも魔物の襲撃が有りえる可能性のある場所である。そんな中での見張りは何をすればいいのか、隼人には正直見当もつかなかった。
「基本は火の番と周辺の警戒だけだ」
「見回りとかするのか?」
「いや、音を聞く。それが一番だ」
ウィッツは自分の耳を指でトントンとたたきながらそう答える。
「音か」
周辺が森である以上、草木の生い茂った場所から音を出さずに歩くというのは非常に困難だ。そこで、この暗闇の中では、光よりも音を聞くことが重要となってくる。
「耳を澄まし、じっとして動かない。一階層から九階層までならそれがベストだろう」
「十階層からは違うのか?」
「知らないのか? 十階層からは森林ではなく荒野に変わる。音は通用しない」
「フィールドが変わるのか。初耳だな」
「荒野になれば、音は聞こえにくくなる。そもそも土の中にいる魔物には音がほぼ無い」
「その場合どうするんだ?」
遠くから走ってくる敵ならば、ランタンを周辺に置けば何とかなるかもしれないが、地面から襲ってくる魔物に対する対処方法など、隼人は知らない。精々思いつくのは、木の上や岩の上にテントを張ることぐらいだ
「発想を変えればいい。襲われる前に誘き出すんだ。土の中の魔物は振動に敏感だ。だから、時々遠くに向かって石を投げれば、石の落ちた場所に向かって魔物は攻撃を仕掛けてくる」
「そこを叩くのか」
「半刻ごとぐらいにやるのが良いだろう。その間はなるべく動かないことだな。歩くときの振動を魔物に悟られる可能性もある」
結局は、その場からなるべく動かずに、魔物が来たときにだけ対処するのが一番なのである。
そもそも、魔物も真夜中の真っ暗な場所では活動が制限される者達も多い。襲撃自体もキャンプ地などは鉄線に覆われていたりして多少の安全を確保してある場所のため、魔物の襲撃自体以外と少ないのだ。
今教わった物は、訳あってキャンプ地に辿り着けなかった時の対処方に近い。
「そうか。だいたい分かった。とりあえず今は音に集中ってことだな」
「そうだ」
再び静寂が訪れ、隼人たちは静かに時間の経過を待つ。
時々、パチッと爆ぜる薪の音に、隼人が敏感に反応してしまうぐらいで特に問題も無く時間は過ぎて行った。
そして、東の空がうっすらと白み始めた頃、おもむろにウィッツが盾を取り立ち上がった。そして
「来るぞ」
「なに?」
ウィッツの言葉に、隼人が急いで剣を取り立ち上がる。そこで初めて、ウィッツの後ろの茂みが動いていたことに気付く。
集中していたつもりだったが、隼人には茂みの動く音が全く聞こえなかった。
それをウィッツに言えば、簡潔な答えが返ってくる。
「経験の差だ」
「見張りって難しすぎるだろ」
「当然だ。戦いの次に困難な物なのだからな。敵はどれだけか分かるか?」
「一体じゃないのか?」
「よく音を聞け。動きに惑わされるな」
ウィッツの助言を受け、再び耳に神経を研ぎ澄ませる。すると、微かに、それこそ言われなければ勘違いだと思ってしまいそうなほど小さく別の場所から音が聞こえた。
それは隼人の背中側、向いている茂みとは真後ろだ。
「後ろにいる!?」
「当たりだ。魔物とて馬鹿じゃない。俺達がこうやって見張りをしていることを学習してる。そしてそれを利用してくるだけの知識がある魔物もいる」
それだけではない。一番気の抜けやすい早朝、空が白みはじめ辺りがだんだんと見えやすくなる時間を狙っての襲撃。
人間のことをよく理解している証拠だ。
「俺一人だったら結構大変だったかも……」
物質魔力のおかげでやられることはないだろうが、早朝の気の緩みに茂みの陽動、そこからの挟み撃ちは、確実に隼人を追い詰めることになっていただろう。
「なら次から気を付けることだ」
「そうだな。じゃあさっさと片付けるか」
「倒し方は分かるか?」
「一撃で吹き飛ばす!」
そう言って剣を構えようとした時、隼人は襟を思いっきり引っ張られた。
「ぐえっ」
首が締まり、思わず変な声が出る。
抗議の声を上げようとしたところで、ウィッツが先に口を開いた。
「馬鹿か。周りは寝ているんだぞ。周囲のことを少しは考えろ」
それは今まで魔物を倒すたびに周囲をめちゃくちゃにして来た隼人にとって、痛感させられる言葉だった。
「じゃあどうするんだよ」
「お前の頭は飾りか……向こうはこちらをよく理解しているんだ。こちらの実力も把握しているだろう。なら、俺達が奴らの存在を気付いていることを知らせてやればいい」
そう言って手近にあった小石を拾い上げる。それはそのまま投げつけることを意味していた。しかし、そんなことをすれば、魔物は間違いなく逃げてしまうだろう。
「倒せる奴をわざわざ逃がすのか?」
「逃げたやつらは別の挑戦者の獲物になる。それに、わざわざ戦闘をして仲間を起こしては、寝不足の仲間を連れてより厳しい上の階層に登らなければならない。それは、死の気配を近づかせるだけだ」
「ふーん、じゃあ見張りはほとんど戦闘しないんだな」
隼人はウィッツを真似するように、手近な石をもう一匹の隠れている魔物に向かって投げつけた。
茂みに隠れていた魔物はそれに素早く反応すると、脱兎のごとく森の奥へと逃げて行ってしまう。
奇襲が失敗した時点で、魔物たちにとって人間は餌では無く敵となってしまうのだ。
「稀に単騎で突っ込んでくる荒いものや、組織的に攻めてくる魔物もいるがな。そういう場合は仲間を起こして応戦しなければ危険だ。見張りの仕事は、不必要な戦いを回避し、避けられない戦いを素早く見つけることだ。覚えておくといい」
「そうするよ。今後もどこかのチームに混ざることもあるだろうしな。てかウィッツさんって結構喋るんだな。最初見た時はかなり無口かと思ってたけど」
リーダーとの会話や、起きてきたときの反応を見ると、無口キャラだと思っていたのだが、今は普通に話せている。
「別に無口なつもりはない。確かに私語は少ないが、必要だと思った事はしっかりと話すぞ?」
実際、隼人と話していた内容は、見張りのやり方や魔物の対処の仕方だけで、私語はほぼ行っていない。
見張りに耳を使わなければならないこともあって、余計に口数が少なくなってしまっただけだった。
「ああ、そういう」
「さあ、見張りの続きだ。後半刻はあるからな」
「了解」
二人は再びたき火を挟んで座り、音に注目しながら時間を過ごしていった。
東の空に日が顔を見せ始めるころ、全員が起き出して出発の準備をする。
全員が起きたところで見張りの必要が無くなった隼人も、今は自分のテントの片づけをしている。
「えっと、ここを折って」
テントの説明書を読みながら、フレームを片付け、布を折りたたむ。この折り方が違うと、無駄にかさばってしまうため、その手付きは慎重だ。
説明書に書かれた通りに折っていくと、何とか袋から出す前の大きさにまで小さくすることが出来た。
「うし、魔導具も全部しまったな」
忘れ物が無い事を確認して、隼人は残り火がぱちぱちと爆ぜるたき火の元に向かう。
「そっちは準備できたみたいだな」
「ああ、そっちもそろそろか?」
「そうだな。半刻もかからずに出発できると思う」
「なら俺は先に行かせてもらうぞ」
色々なチームが集まることもあるキャンプ地からの出発では、入口の時と同じように出発時間を少しずつずらすのが礼儀だ。
獅子王の出発がもう少し先になると聞いて、隼人は自分が先に出発することを提案する。
「そうか。この先はどんどん魔物が強くなる。気を付けるんだぞ」
「ありがとよ。色々教えてもらっちまって」
「なに、うちのチームは新人のサポもやってるからな」
そう言ってシジは、テントの折りたたみに苦戦している新人魔法使いを微笑ましそうに見る。
「良かったら隼人もうちのチームに入らないか? 実力はありそうだし、歓迎するぞ?」
「いや、俺にも目標があるからな。ソロでやらせてもらうよ」
「そうか、まあ気が向いたらギルドに声を掛けといてくれ」
「分かった。じゃあまたどこかで」
「おう!」
隼人は、獅子王のメンバーに見送られながら階段に向かって林道を歩き始めた。
それを見送ったシジは、ウィッツを呼び寄せる。
「昨日一晩見てどうだった?」
「戦闘力の観点で言えば問題ないんじゃないかと思う。やはりソロでここまで来るだけの実力は備えているし、敵に対する怯えも少ない。ただ、挑戦者として言えば未熟の一言だな。正直どこかのチームに入らなければ危ういと思うぞ」
「やっぱりか」
ウィッツは、昨日の見張りの時間をかけて隼人のことをずっと観察していた。その動きや考え方、知識量などを会話の中から判断し、魔物がきた際の対応も調べていた。その結果から導き出されたのが今の回答だ。
だが、シジもその可能性には昨日の時点で気付いていた。それに気づいたのは、隼人が自分を新人だと紹介するよりも早い段階、キャンプ地に到着した時点での話だ。
隼人は、日が暮れる寸前にキャンプ地に到着している。昨日は何とか辺りが完全に暗くなる前にテントを張り光を確保できたが、もし少しでも遅れていれば、完全な暗闇の中ランプの明かりだけでテントを組み立てなければならなかっただろう。
ベテランの挑戦者はそのような事が無いように、日が傾き始めた時点でキャンプ地の選定に入るのだ。
ウィッツは報告を続ける。
「あいつは挑戦者としての知識が殆ど付いていない。料理はできるかもしれないが、見張りのやり方を知らなかったし、最初なんて襲ってきた魔物を全て殺すつもりだったようだ。知らずにやられたらいい迷惑だぞ」
「くく、初心者がよくやるミスだな。まあ、大抵はチームが指導するもんだが――」
「そのチームがあいつにはない。そのくせ実力はあるもんだから、上の階まで登って来れてしまう」
さらに隼人の問題点を挙げていく。
「十階層から地形が変わることも知らなかったみたいだし、この分だと、三十階層からは迷宮化することも知らないんじゃないか? それにあいつの持っていた道具はほとんど魔導具だ。魔石に頼りすぎる傾向にある」
魔導具は一見優秀な物が多く、塔の中ならば魔石も確保しやすいため、挑戦者ならば誰もが欲しいと思うものだろう。
しかし、反面しっかりとした欠点もある。
魔石を使わない道具に比べて、遥かに壊れやすく応用も効かないのだ。
たき火はとっさに手に取ることで武器にもなるが、ランプは明かりにしかならない。コンロも魔法陣が欠けて動作不良を起こせばただの邪魔な箱だ。
故に、慣れた挑戦者の多くは、とっさに使える保険程度に魔導具を持ちこむことはあっても、それをメインに使おうとする者はいない。
獅子王のように、薪を集めやすい場所ならば火はたき火を使うし、時計の砂時計のように魔石を使用しない物を常備している。
「そこまでか……一度十階層でサポーターの家に寄ってくれればいいんだが」
「そこまでに生き残れるかも疑問のレベルだぞ……正直俺は今からでも追いかけて強引にでもチームで面倒を見るべきだと思う」
ウィッツの意見はそこに集約していた。
「けど断られちまったしな。ああいうのを強引に入れても、チームが乱れたりするだけなんだよな」
そもそもチームプレイをする気の無い者を強引にチームに入れたとして、まともに活躍できるはずもない。
連携が乱れ、その隙を突かれて魔物の攻撃を喰らう可能性が上がってしまうぐらいならば、入れない方がチームメンバーとしは遥かに安全なのだ。
メンバーの命を預かるリーダーとしては、一人の無知な新人より、今サポートしている新人を含めた仲間の方がずっと大切である。
その二つを天秤にかければ、仲間に傾くのは当然だろう。
「ま、生きてるうちに壁にでもぶつかって、どこかのチームに入ることを願うしかねぇだろ。そろそろ俺らも出発するから、用意しておけよ」
「了解」
そう結論付けたシジは、準備の出来たメンバーを見て、出発を宣言するのだった。