疾走する挑戦者
早朝。まだ日も登る前に隼人はベッドから起き出して身支度を始める。
跳ね上がった髪を水にぬらして寝癖を直し、顔を洗って眠気を覚ます。
寝る前に脱ぎ散らかした服を着て、持っていく荷物を確認する。前日のうちに纏めておいた荷物は、新しく買った鞄にちょうど収まっていた。
鞄を背負い、鞘をベルトにひっかけ、蓮華からもらったナイフはズボンと背中の間に差す。
「うし、行くか」
一階に行けば、食堂の準備中だった女将が声を掛けてくる。
「おや、早いね。朝食はまだ準備できてないよ」
「塔の近くで食べるから大丈夫」
「もう行くのかい。その荷物だと三四日って所かい? 部屋はどうする?」
「そのままで。料金は払ってあるし良いよな?」
「問題ないよ。ただ、七日経っても帰ってこなかったら部屋は片づけちまうからね」
挑戦者である以上、魔物と戦って死ぬ可能性もある。いつまでも帰ってこない者の為に部屋を開けておくことはできない。
その為、どこの宿でも一定期間音沙汰の無い宿泊客の荷物は回収して使える物は使い、売れるものは売ってしまうのが常識だった。
これは国やギルドも承認しており、これに対して挑戦者たちが何かを訴えることはできないのだ。
「了解。じゃあちょっくら稼いでくるわ」
「行ってらっしゃい。美味い飯用意して待ってるから、ちゃんと帰ってくるんだよ」
「もちろんだ」
隼人は後ろ手に手を振りながら宿から出ていく。
それを見送った女将は、ふと首を傾げた。
「あれ? まだ馬車出てないけど、あの子どうやっていくつもりなんだろうね?」
街中の移動馬車は日の登る前であるこの時間からすでに動き出している。それは、商人が挑戦者の準備に合わせて動くとするなら必然的に彼らより早く準備を始めなければならないためだ。
その為、だいたい四時ごろには街中の馬車は動き出す。
しかし、塔へ向かうための馬車は違う。
挑戦者たちが朝食を食べ終え、一息ついてから出発という時間に間に合えばいいのだから、その活動開始時間は必然的に遅くなるのだ。
時刻で言えば、だいたい七時ごろが始発となっている。
その為、早朝から塔に登りたいと思う挑戦者たちは、あらかじめ前日の夜には塔周辺の宿に泊まり、夜明けとともに塔に挑むのだが、隼人はそれを知らなかった。
結果が今隼人の目の前に広がる光景である。
「馬車……馬車が動いていない!? てか馬がいない!?」
西側の門から外に出て、一昨日と同じように馬車に乗るつもりだった隼人は、無人の停留所を眺めながら、呆然と呟いた。
日も登る前で明かりも無く、誰もいないガランとした停留所は、昼とは比べ物にならないほど哀愁を漂わせていた。
僅かに残る獣の匂いが、ここがまだ稼働していることを伝えるのみだ。
「え、どういうこと!? 今日定休日とか!?」
激しく動揺し混乱しながら、隼人は周囲を見渡す。もちろん、挑戦者に定休日など無いのだから、馬車にも定休日など無い。
一人その場であわあわと動揺していると、後ろからしわがれた声を掛けられた。
「なんじゃ、ずいぶん早いのう」
隼人が振り返れば、そこには箒と塵取りを持った老人が立っていた。手には手袋に服も茶色の作業着と、完璧な清掃スタイルである。
「早いって――もしかしてこの時間馬車出てないのか!?」
「当たり前じゃ。こんな早くから動く奴なんぞ、元々塔周辺の宿に泊まるからのう。ここの始発は一回目の鐘が鳴った後からじゃぞ?」
「なん……だと……」
「ほれ、分かったらとっとと帰れ。掃除の邪魔じゃ」
老人は持っていた塵取りを振って、隼人をシッシと追いやる。隼人はされるままに道の端へと移動し、その場で呆然とたたずんだ。
老人は隼人に帰れと言うが、隼人がわざわざ早起きまでしてこんな時間に停留所に来たのは塔に登るためだ。
それなのに、はいそうですかと簡単に引き下がれるわけがない。
しかし、どう頑張っても馬も御者もいないのだから、馬車を出してもらうことなどできないだろう。
ならばと考える。
馬車が無いのなら、自力で行けばいいのだ。しかし、隼人は馬など持っていないし、もし持っていたとしても乗馬の技術は生憎現代で学ぶことはできなかった。
徒歩などもってのほかだ。これから塔に登ろうというのに、無駄な労力は使いたくない。
だが隼人には、こちらの世界に来た時に手に入れた新たな足がある。
「良いぜ、やってやろうじゃねぇか」
前回塔まで行ったときに道のりは覚えている。ほぼ一本道のうえに、分かれ道にはしっかりと看板が立てられていたから道に迷うことはないだろう。
不敵に笑みを浮かべる隼人に、老人は掃除をしながら不審人物を見る目を向ける。それを受けながら隼人は、停留所から塔へと向かって歩き出す。
「おいあんた、まさか歩く気か?」
「歩く? それこそまさかだ」
そう言ってその場で軽くジャンプすると、隼人の足に一瞬にしてブレードギアが装備された。それは着地と同時に、タイヤを高速で回転させ、砂埃を撒き上げる。
「これなら馬よりは早いだろ」
ブレードギアの加速に合わせて、体がグッと引っ張られる。
隼人は腰を落とし姿勢を安定させると、塔へと向けて疾走を開始した。
塔に到着するころには、遠くの山脈から朝日が顔を出し始めていた。
塔の周辺は、早朝から露店が開き、挑戦者たちがあちこちで談笑をしている。
すでに塔の攻略を開始しているチームもあるらしく、塔の入口にはすでに何チームかが集まっていた。
「ふぅ、ここまで十五分って所か」
馬車で来た時は、だいたい一時間程度かかっていたことを考えると、かなり早い到着となる。街中だと砂埃で周囲に迷惑をかけてしまうが、塔など街道を進むのならば、馬車よりもブレードギアの方が便利だと感じ、今後塔への移動は、ブレードギアを利用することにする。
魔力を体内に戻し、市場に入ればそこらじゅうから美味そうな匂いが漂ってきた。それに反応して、朝からまだ何も食べていなかった隼人の腹がぐぅっと空腹を訴える。
腹が減っては戦ができぬ。塔に登るにもまず腹ごしらえは必要だと考え、隼人は適当に一件の露店へと近寄った。
そこは何かの生地に肉や野菜を挟んだ物を売っているようだ。現代のケバブに近いだろう。
「いらっしゃい」
「一ついくら?」
「三百ファンだよ」
「じゃあ一つ」
「まいど」
店主は手早く出来ていた生地に肉と野菜を挟み、紙袋に包む。
「ほれ」
「あんがと」
受け取りながら代金を手渡し、屋台を後にして適当に散策しながら異世界版ケバブを齧る。味付けはピリ辛な味噌のような感じだ。野菜が意外と辛さを中和して食べやすい。
「ふむ、いい感じ」
自分の直感に間違いはなかったと、あの屋台を選んだことに満足しながら塔に向けて足を進める。
塔に着くころには全て食べ終わり、残った紙袋をポケットに押し込んで入口の列に並ぶ。
「大分並んでるな」
ただギルドカードをチェックして中に入れるだけとはいえ、あまりチーム同士の間隔が近いと魔物の奪い合いが発生してしまう。
それを防ぐために、混雑時は監視員たちが一定の時間を空けて塔への通行を許可しているため、こうして入口で列が出来てしまうのだ。
早いチームは、もっと朝早くからアタックを開始し、塔の中で日が昇るのを拝むチームもいるぐらいである。
隼人が塔に到着した時間は、ちょうど一番混雑する時間だった。
今度からは、自分も前日には塔周辺に移動しておこうと思いつつ、順番を待つ。
そして、一時間程度待った所で、ようやく隼人の順番がやってきた。隼人の後方にも、ずらっと並ぶ挑戦者たち。途中からは朝一便でこちらにやってきた挑戦者たちも交じって、さらに列は伸びていた。
「次の方、前へどうぞ」
「やっとか」
「お待たせしました。お一人ですか?」
「ああ」
「カードを拝見しますね。はい、確認しました。次のチームは五分後に出発させますので、それまでに進めるだけ進んじゃってください。では健闘を祈ります」
「おう、がっぽり稼いでくるぜ」
そう言って隼人は塔へと歩みを進めた。
挑戦者の集団が三階層を慎重に進んでいく。
いくら道が作られているとはいえ、ここは森の中なのだ。いつ魔物が草陰から飛び出してくるか分からない。
ここのような低階層ならば一撃で屠られるような魔物は存在しないが、上の階層に行けば話は別となる。
一撃でも喰らえば上半身が吹き飛ぶ。噛まれた瞬間毒を受けて即死。仲間もろとも巨大な口に飲み込まれていた。
そんな話は数えきれないほど存在する。
だが、低階層だからと言って油断していい理由にはならない。
オオカミのような魔獣に噛まれれば相応の怪我を負うし、致死性こそ低いものの毒を持つ魔獣も存在する。
低階層でそんな怪我をしていれば、挑戦者として一旗揚げるなど夢のまた夢なのだ。
故に警戒して進む挑戦者たち。その最後尾にいる耳自慢の男が僅かな異音を聴き分けた。
「待ってくれ! 変な音がする」
男の注意に、他の挑戦者たちは一斉に足を止め、周囲に警戒を払う。
最後尾を任されるのは、それだけ警戒心が高く危機に対して敏感な証だ。その男がおかしなものを見つけたのならば、警戒しない訳が無かった。
全員が耳を澄まして、男の言った異音を聞き分けようと試みる。その頃には、はっきりとその異音は聞き取れるまでに大きくなっていた。
「私にも聞こえたわ。近づいてきてるの?」
「だろうな。どっちからか分かるか?」
「後ろ。俺達が歩いて来た方向だ」
リーダーが耳自慢の男に尋ねれば、男は迷いなく後方を指差す。
周りもつられてその方向に顔を向けるも、先にあるのは森だ。
木々の間を縫うように作られたこの道は、緩やかにカーブを描いており、どうしても先を見通すことはできない。
「何の音か分かるか?」
「馬車かしら? サポーターの物資輸送とか」
「馬車なら蹄鉄の音もするはずだ。だがそれは聞こえない。車輪だけが回っているような――」
「そんなことあるの?」
「知るかよ。けど事実そうとしか思えない」
聞こえてくる音は、ジャリジャリと地面を引っ掻くような音のみだ。これが馬車ならば、蹄鉄による馬のパカパカと走る音も聞こえてこなければおかしい。
それが無い以上、サポーターの輸送馬車と考えるのは危険だった。
リーダーは少し悩んだ末、仲間たちに指示を出す。
「防御陣形を取る。チヤは最大威力で魔法をぶっ放せるように待機させとけ。魔物だった場合、俺達が止めてそれで潰す」
「分かったわ」
「「「「了解」」」」
挑戦者たちは慣れた動きで、陣形を組み直す。
正面に立つ男二人がタワーシールドを地面に突き立て、どっしりと構えると、その後ろに軽装のリーダーともう一人がカバーするように並ぶ。
唯一の女性挑戦者であり、このチームの最大火力である魔法使いは、最後方で魔法を発動させる。
女性の周囲に大気や地中から集められた水が集い、渦潮のようにぐるぐると渦を巻く。
始めは手の平程度の大きさだった渦は次第に水を貯え大きく、そして速く渦を巻き、海嵐の様相さへ呈していた。
先頭に立つ男たちは、後ろにある強大な力が、確実に魔物を屠ってくれると信じ、己を奮い立たせる。
そしてリーダーが叫んだ。
「来るぞ!」
直後、道の奥から砂煙と共に、小さな影が現れる。
足元からはモクモクと砂煙を巻き上げ、驚くべき速度で挑戦者たちへと突っ込んできた。
「なんだあれは!?」
「魔物か!?」
「あんな奴見たことないぞ!」
「人っぽくも見えるわよ。撃つの?」
魔法を待機させていた女性は、そのシルエットが人型に見えたことで魔法の発射を躊躇い、リーダーに尋ねる。
もし人だった場合、同業者を出会いがしらに魔法でぶっ飛ばすことになるのだ。真っ当な挑戦者ならばそれは大問題である。
見つかればギルドからの除名はおろか、町の警備隊に突き出される可能性もあるのだ。その先にあるのは投獄か、多額の借金だけだ。
だが今も接近し続ける未知の存在に、リーダーは思考する時間は無かった。
「陣形破棄! 道のサイドに飛び込め!」
リーダーが選択したのは、チームメイトの安全を優先した回避だった。
もし迫ってくる存在が明確に誰かを狙っていた場合は、全くの無意味な行為になってしまう可能性もあり、さらに陣形を崩すことで連携すら取れない状態にしてしまう危険な判断だ。
しかし、リーダーには迫ってくる存在が、誰かを狙っているようには思えなかった。その速度は速くも遅くもならず、まっすぐに道の真ん中を突っ切っている。
それは、まるで何かを急ぐように見えたからだ。
そしてその判断は正しかった。
「お先に失礼!」
立てっぱなしになっていたタワーシールドを飛び越え、その存在は挑戦者たちの視線を釘付けにする。
右手に琥珀色の剣を握り、腰からは不思議な形の鞘を提げている。
塔に登っているとは思えないほどの軽装は、街中をふらふらと歩いていても違和感がないだろう。
そしてその足には、握っている剣と同じ色の不思議な車輪が付いていた。
車輪は高速に回転しながら着地した後も地面を滑るように走る。
どう見ても隼人だった。
先を進んでいた数多くの挑戦者たちを混乱の坩堝に叩き落としながら、隼人は僅か一時間で三階層まで到達していた。
そもそも道沿いでは魔物の出現も無く、ブレードギアを全速力で飛ばせば馬以上の速度は出せるのだから当然と言えば当然だろう。
ただ、問題があるとすれば、横切った挑戦者たちの中に、隼人を魔物と勘違いして攻撃を仕掛けてくる連中がいたことだ。
さすがに隼人も、自分が間違われていることを理解しており、攻撃してきたからと言って問答無用でぶち殺すようなことはしない。
近くの地面を剣で叩き、地面を爆破させている間に一声かけて通り過ぎるのだ。
その為に物質魔力の剣を常に握っていた。
「ふぅ、やっと来れたな」
ノンストップで爆走を続け一時間半、隼人は四階層へと入口前に立っていた。
サポーターからの事前情報によれば、ここからの魔物の中には魔法を使って来る個体もいると言うことで、ブレードギアで通り過ぎることなく、魔物を狩りながら進む予定である。
「じゃあ行きますか」
自らに気合いを入れ直し、扉を開く。
開いた先は同じ森のようだが、隼人がその階層に足を踏み入れた途端、言い知れぬ感覚に襲われた。
あえて言葉を探すとするのなら、闘争の気配とでもいえばいいのだろうか。
体にまとわりつくような、どこからともなく放たれる視線。
どんよりと淀んだ空気は、そこで命がけのやり取りが繰り返されていることを示すかのように森を暗く魅せる。
「ククッ、これは楽しめそうだな」
まとわりつく気配に隼人は笑みを深め、ブレードギアを解除すると、ゆっくりと森の中へ進んで行った。




