挑戦者の少女、リュン
とりあえずランタンの灯りが消えるまでの間、町で暇でも潰そうかとフロアを進むと、正面から一人の少女が入って来た。
ギルドではなかなか珍しい、女性の、しかも子供の登場で、隼人の視線は自ずとその少女へ向けられる。
身長は隼人の胸ぐらいまでしかないため、百二十センチ程度だろう。ローライズのホットパンツに黒のタンクトップ。その上から背中に大きな穴の開いたショート丈のジャケットを羽織っている。まだ華奢とも言える細い脚や、丸だしになっている腹部の肌は、少女らしいきめ細かさを持っていた。
ただの服を着ている隼人も人のことは言えないが、防御面から考えれば無いに等しいものだろう。だが係員にしては不適切な恰好であり、何よりその少女の手には、隼人と同じランタンが握られている。そのランタンが、少女が挑戦者であることを示していた。
隼人は非常に珍しい少女の挑戦者に、思わず足を止め観察してしまう。
少女は足を止めた隼人のことを気にする様子も無く、その横を通り抜け、先ほどまで隼人のいた受付へと顔を出した。本当に顔を出すという表現がぴったりのように、身長が低いせいでカウンターの上に顔だけが覗いている状態だ。
「ランタンが消えたから来たぞ」
「あ、リュン様お待ちしておりました。査定できてますよ。今回も凄い金額です」
「当然じゃ」
リュンと呼ばれた少女は、自慢げに平らな胸を張った。割と有名なのか受付嬢は嬉しそうに少女と話す。心なしか、他のカウンターに座っている係員や、フロアにいる僅かな挑戦者たちも彼女のことを注目しているように隼人は感じた。
「へぇ、ちっこいくせに結構やるんだな」
そうつぶやき、足を進めようとした瞬間、隼人は背中に息も詰まるほどの強烈なプレッシャーを感じた。
素人の隼人ですら容易に感じることのできる、まさに殺意と呼ぶに相応しいその圧を受けとっさに振り返ると、目の前にカウンターで受付嬢と話していたはずの少女がいた。
「なっ!?」
ナイフのように鋭い視線は、瞳孔がまるで蛇のように細く尖り、小さく開かれた口からは、熱風のように熱い吐息が鼻先に降りかかる。
突然の出来事に、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る隼人は、少女の右腕がゆっくりと自分の顎に向けて振り上げられるのを理解した。
――――これはヤバい
そう感じるとともに、隼人は鋼のように重く感じる自分の腕を動かし、顎と迫りくる拳の間に滑り込ませる。それと同時に、手の平に魔力を展開し、衝撃に備えた。
直後、ズバンッとその小さな拳で殴ったとは思えないほど重い音と共に、衝撃波が周囲に拡散する。
受付に置いてあった書類は飛び散り、待合場所の長椅子はひっくり返る。受付嬢たちは必死に書類を押さえながら頭を下げていた。
そして殴られた本人、隼人は――――
「あぶねぇ、あぶねぇ。まともに喰らったら死んでたかもな」
拳を受け止めながら、驚く少女に向かってニヤリと笑みを浮かべていた。
ギリギリで間に合った物質魔力の防御は、少女の拳をしっかりと受け止め、隼人の手の平には少し痺れる程度のダメージしか入っていない。
少女の表情が怒りから驚きに代わり、目を見開く。しかし、すぐに先ほどの鋭い視線に戻ると、一瞬にして隼人の視界から消える。
直後、隼人の体が傾く。
少女は素早く隼人の足もとに伏せ、足払いを掛けていたのだ。
「これならどうじゃ!」
バタンと音を立てながらギルドの床に倒れた隼人目掛けて、少女が再び拳を振り下ろす。その速度は先ほどよりも早く、確実に人を殺せるだけの威力が込められていた。
「洒落になってねぇって!」
隼人は今動かせる魔力を総動員して左手に盾を作り出す。
少女の拳はその盾へと振り下ろされ、ガンッと激しい音を立てながらぶつかり合った。
「これでも破れんじゃと!?」
「いい加減に!」
「ぬっ……」
確実に自分を殺せるだけの威力を行使されたことに、さすがの隼人も怒りが限界に達する。
拳を受け止めた盾を、シールドバッシュの要領で少女へと叩きつけ自身から引きはがし、床を転がって立ち上がる。
魔力の盾をそのまま剣の形に変化させ、少女に向けた。
「てめぇ! どういうつもりだ! いきなり襲い掛かってくるとか正気の沙汰じゃねぇぞ!」
「ふん、貴様が悪いのじゃ! 私をちっこいと言うなど、殺してくれと頼んでいるようなものであろう!」
少女はファイティングポーズをとりながら、隼人に応える。その姿勢からは、殺る気がなみなみと感じられた。
「んなめちゃくちゃな理由で殺されてたまるか!」
「めちゃくちゃではない。事実これまでも私を小さいと言った馬鹿どもは全員叩きのめしてやったわ! 貴様も最初の攻撃でのされておればよかったものを。そうすれば死なずに済んだのじゃがな!」
「ガキのくせに爺くさい喋り方しやがって。ませガキには躾けが必要だよな!」
「この私をガキと言ったな! 殺す! 確実に殺す!」
お互いに殺気を高めながら、攻撃のタイミングをうかがう。
そんな中で、ピピピピーッと高い笛の音が、ギルドのフロアに響き渡った。
「なんだ!?」
「むっ、もう来たのか」
「お二人とも何をやっているんですか!」
フロアにいた全員が音の発生源を見る。そこには、銀色の笛を首から下げた女性が、後ろに屈強な男たちを携えて立っていた。
その女性の顔に、隼人は見覚えがあった。
「あんたは確か登録ん時の」
女性は、隼人がギルドの登録を行う際に受付にいた女性だった。
「隼人さん! ギルドでの私闘は禁止と昨日言ったばかりのはずです!」
「いや、それはそうだけど」
「言い訳は後で聞きます! それにリュンさん!」
「なんじゃ、カナデ」
「なんじゃじゃありません! すでに警告は二回出ていました。今度という今度は警告ではすみませんよ!」
「むっ……」
「お二人ともちょっと個室に来ていただきますよ。ガードナーの皆さん、お願いします」
『うっす!』
カナデの合図に合わせて、後ろにならんでいた屈強な男たちが動き出す。
瞬く間に隼人たちとの間を詰めると、どこからともなく取り出したロープで隼人たちを拘束しようとする。
むろん、そんなものにやすやすと捕まるような二人ではないが、カナデの放った次の言葉に、動きを止めざるを得なくなった。
「ちなみに、抵抗すればギルドを永久追放しますのでご了承くださいね」
「くっ、ギルドの権利を使うとは卑怯じゃぞ!」
「ルールを守らない人に言われたくはありません! 隼人さんも抵抗すればもれなく追放ですからね」
「分かったよ」
隼人は仕方なく両手をその場で上げ、無抵抗の意思を示す。
男たちは隼人の手首に素早くロープを結ぶと、リュンにも同じように処置を施す。
「ではお二人とも、私に付いて来てくださいね」
笑顔のカナデと、屈強な男たちに囲まれながら、二人は文字通りギルドの奥へと連行されていった。
二人が連れてこられたのは、ギルドの奥にある個室だった。
そこに並べられた椅子に、二人は並んで座らされる。後ろには彼らを連行して来た屈強な男たちががっしりと構え、二人の逃走を阻む盾となっていた。
そして彼らの前にはカレンが笑顔で座っている。
「さて、では隼人さんからいい訳を聞きましょうか」
「俺はただ通りすがりに殴り掛かられたから対処しただけだぜ。非はねぇ」
「なるほど、それでリュンさんは?」
「ちっこいと言われた」
「はぁ……」
その溜息は、隼人の後ろにいるガードナーたちからも聞こえてきた。
「とりあえずリュンさん、すでに警告が二回累積してますから、今回は罰金です。幸い怪我人は出ていませんので今買い取り査定中の金額の三割をギルドが没収します」
「お、横暴じゃ! 最低でも金貨三枚にはなる量じゃぞ!?」
「これは元々決められていた罰則です。異議は聞きません。もともと、リュンさんが暴れなければ済んだ話なんですから」
「ぐぬぬ……」
「へっ、いい気味だ」
隼人は、隣で唸るリュンを見ながら、小さく呟く。
その言葉は、しっかりとリュンの耳に届き、リュンが隼人をきつく睨みつけた。
隼人はリュンから視線を逸らしたまま、口笛を吹くフリをして適当にやり過ごしていた。
しかし、余裕の表情もカレンに告げられた言葉で一転する。
「隼人さんも他人事ではないですよ」
「何で!?」
「当たり前です。昨日登録してからの今日のトラブル。要注意リスト入りはまず間違いありませんからね。とりあえず今回は警告一です。累積三回で今回のリュンさんと同じように罰則が発生しますから注意してくださいね」
「げっ」
「いい気味じゃ」
「あん?」
お返しとばかりリュンがつぶやき、隼人が睨み返す。リュンは、隼人の視線を受けて、フンと鼻で笑った。
「了解。まあ、どこぞのチビバカとは違うからな。何度も同じことは繰り返さないさ」
「どうじゃろうな。どうせ中身はゴブリンのようにすっからかんじゃろうかなら。明日にはギルドで暴れてるんじゃないか? 首輪でもつけといた方が良いと思うぞ」
ぶつかり合う視線。間には確実に火花が散っていた。そして次の瞬間、お互いが示し合わせたように自らの椅子を蹴り飛ばし、立ち上がる。
「テメェ、さっきから言わせておけば好き放題言いやがって! そのちっこい体バラバラに吹き飛ばしてやろうか!」
「ふん! 貴様こそ、新人が偶然防げたからといい気になりおって! 今度はその腹掻っ捌いて、臓物引きずり出してくれるわ!」
隼人の手から剣が出現し、リュンの瞳が再び鋭くなる。
だが、そこには隼人たち以外にも、騒動鎮圧を専門としたギルドの係員ガードナーがいるのだ。
部屋に控えていたガードナーたちは、連携した動きでまず隼人とリュンを分断すると、間に割り込んできたガードナーに驚いている隼人の足を引っ掛けて地面に倒し、剣を持っている手を一人が抑え込む。さらに、もう一人の男が隼人の背中に乗り、逆エビ固めを決めた。
「ぐおっ!?」
完璧に決められた関節技に、隼人の集中力は霧散して剣が魔力へと戻り消滅する。
倒れた状態のまま正面を見れば、リュンも床へと倒され、背中に回した腕をひねりあげられることで関節を固められていた。
「お二人とも全く反省の色が見えませんねー」
カレンは、椅子に座ったまま地面に抑え込まれた二人を見下ろす。その表情は笑顔だが、目元は全く笑っていない。
むしろ、口元はヒクヒクと怒りを抑えきれないように痙攣していた。
それを見て、さすがの隼人も少しマズイことをしたと思い直すが、時すでに遅し。
カレンから無慈悲な宣告が出される。
「リュンさん、隼人さん、お二人とも反省する様子がありませんので、罰のレベルを二段階上げましょう。リュンさんは買い取り金額の七割をギルドが没収。隼人さんも、今査定中の買い取りから三割を没収します」
「なんじゃと!?」
「ま、待ってくれ!」
「何か文句でもありますか?」
二人は慌てて声を上げるが、見下ろしてくる鋭利な視線に、言葉の続きが出て来ない。
「これでもずいぶん優しい罰なんですよ?」
そう言いながら、カレンはおもむろに椅子から立ち上がり、二人の前に正座するように座った。
ゆっくりと伸びてきた指が、隼人の顎を掴み、クイッと持ち上げる。
「仲裁の為に出てきた係員の目の前で騒動を起こすなんて、本来なら一週間の塔利用禁止でもおかしくないんですよ? その辺りちゃんと理解できてますか?」
「は、はい……」
隼人が頷くと、顎にかけていた指を外し、今度はリュンの顔を持ち上げる。
「リュンさんもですよ。いくら実力があるとはいえ、やって良い事の限度ぐらいは分かりますよね? 子供じゃないんですから」
「う、うみゅ……」
「よろしい。では今回はこれまでとします。今後とも、ギルドの為に頑張ってくださいね」
カレンはパンパンと膝を払って立ち上がると、部屋を出て行ってしまう。
その後を追って、ガードナーたちも部屋を出て行った。
残された隼人とリュンは、解放されながらも床にぐったりと体を預けたまま深くため息を吐く。
「怖かった。蓮華がキレた時ぐらい怖かった……」
「カレンの奴め……あんな怒り方もできるのじゃな」
「おい、ちびっこ」
「なんじゃ、新人」
「とりあえず休戦だ。これ以上報酬減らされちゃかなわん」
立ち上がりながら、隼人は休戦を申し込む。現状、和解を行える状態でないのは確実だが、これ以上問題を大きくすれば、それこそカレンに言われた通り塔の利用自体を禁止されてしまう可能性もある。
そうなれば、隼人の目標から大きく遠のくどころか、その日の生活すら危うくなってしまうのだ。
蓮華に頼むという手もあるが、思いっきりバカにされそうなので、できれば使いたくはなかった。
「よかろう。しかし塔の中では注意するんじゃな。いつどこから魔物が攻撃してくるか分からんからな」
リュンも、これ以上の全面抗争は不味いと感じ、隼人の休戦要請を受け入れた。しかし、後に続く言葉は、とても休戦する者の言葉とは思えない。
それは、どちらかと言えば、局地戦を意味している。塔の中ならば、ギルド員の目は届かない上に、全ては自己責任。
誰かの戦闘に偶然巻き込まれたり、どこからともなく飛んできた攻撃にやられても文句は言えないのだ。
「お前こそ注意しておけよ。小さいから頭上がお留守になりがちだろうしな」
リュンの言葉で、塔の中でなら戦えることに気付いた隼人は、笑みを浮かべ挑発を返しながら部屋を後にした。