ボロ宿でも都
食事を食べ終え、一息ついたところで蓮華が隼人に尋ねた。
「隼人は今日どこに泊まるつもりなの? ここの宿はかなり高いわよ?」
「どれぐらいすんの?」
「一泊朝食付で銀貨一枚。夕食を付けるなら+銅貨三枚ね」
「高すぎんだろ!? 晩飯だけで三千円かよ!」
「まあ高級ホテルとしては安い方だと思うわよ? 現代と比べれば大分レベルは落ちるけど」
アメニティーグッズなども無く、家具も品質としては高級品を使っているといっても現代の物にはどうしても劣る。それを考えれば、妥当な値段だろうと蓮華は思っていた。
今回の食事も値段分は十分に堪能している。
「俺は別の宿にするわ。さすがにここは挑戦者が泊まるには高すぎるし」
周りを見ても、隼人のような安い服を着た人物は見られない。誰もが生地のいい服を着ており、華やかな印象がある。そのせいか、先ほどから他の客から時々視線を向けられるのも気になっていた。
この店のレベルならば、服がみすぼらしいからと言って、宿泊を拒否するようなことはないだろうが、やはり周囲の目は芳しいものではない。
自分が落ち着けないのではわざわざここに泊まる意味も無いだろう。
「そう。まあこの辺りにも安宿はいっぱいあるし、今から探しても十分空いていると思うわよ」
塔のある町として、ベルデには十分なほどの宿屋がある。それは貴族や商人、優秀な挑戦者が宿泊するよう高級宿から、駆け出しのような金銭に余裕のない挑戦者でも泊まれるほどの安い宿まで千差万別である。
その分、安宿となれば馬の寝床とさほど変わらないような場所もあるが、屋根のある場所で眠れるならそれでいいという挑戦者も意外と多い。
「んじゃ俺は行くぜ」
「奢らないからちゃんと会計していきなさいよ」
「分かってるよ」
蓮華から伝票を受け取り、隼人は席を立った。
会計を済ませ、店を出た隼人は、とりあえず自分が今日泊まる宿を探すべく街中をうろつく。
と、言っても宿自体はそこかしこにあるのだ。後は適当に入って部屋が空いているのか聞けばいい。
「さて、どこにしようかなっと」
街中にある宿は、蓮華の泊まっているところほど一目でそのグレードが分かるようなはっきりとした違いは見受けられない。
どれも、一階に食堂と受付があり、二階以降が客室となっている。
風呂なんて豪華なものはもちろん付いていないし、湯を貰うのも安いが有料である。
「適当でいいか」
宿を見ながら歩き、その結論に辿り着いた隼人は、目についた一軒に宿屋へと足を進める。
適度に人がおり、適度に繁盛していそうな店だ。
中に入ると、元気のいい声が投げかけられる。
「いらっしゃい」
声を掛けてきたのは、カウンターにどっしりと構えているザ・お袋さんといった容姿がぴったりの恰幅のいい女性だ。
「泊まりたいんだけど、部屋空いてる?」
「空いてるよ。一泊朝食付きで銅貨二枚だよ。今から夕食も食べるなら追加で五百ファンだ」
「じゃあ泊まる。さっき食べてきたから夜は無しで」
ちなみに、先ほど蓮華と食べた料理の値段が、定食で銅貨四枚もしたのだから、あの店のグレードの高さがうかがえるというものだ。蓮華が銅貨三枚で同じ物を食べられたのは、単に宿泊客へのサービスだろう。
「あいよ。部屋は203号室だよ。朝食は一回の鐘が鳴ってから、三回の鐘が鳴るまでの間だ。それ以外に来たら別料金貰うからね」
この世界での時間の考え方は、日時計での確認が主流であり、すでに季節による日の長さの違いも計算に入れられた日時計が用いられている。
そして、町の中心近くになる鐘が、朝の六時から一時間ごとに夜の六時まで十二回、朝六時なら一回、七時なら二回と順番に鳴らされるのだ。
市民はそれを頼りに生活を送っている。
「あいよ」
隼人はおばちゃんに銅貨二枚を渡し、代わりに部屋の鍵を受け取る。
奥へ進みながら、フロアの様子を見れば、挑戦者らしきガタイのいい男たちがテーブルを囲んで酒を飲んでいた。
良い収入があったのか、かなり機嫌が良い様子だ。
それ以外にも、二三人のグループが何組かおり、テーブルの間を店員がせわしなく走り回っている。
それを横目に奥の階段を登れば、正面に続く通路と、並ぶドア。
ドアに掛けられたナンバーを頼りに、隼人は自分の部屋を探す。そして、203号室の部屋を見つけて、扉を開けた。
鍵は掛かっておらず、簡単に扉が開く。
「せま。まあこんなもんか」
隼人は思わず声が漏れたが、二千円で朝食付きとなれば、部屋も当然狭いものだの考え直す。
ワンルームにベッドと小さなテーブルが置いてあるだけの簡素な作りの部屋は、まさしくその日泊まるためだけに作られたと言っていいだろう。当然風呂などあるはずも無く、トイレも共同だ。
テーブルに自分の荷物を置き、ベッドに腰掛ける。
ギシッとベッドが軋み、少しだけ埃が舞い上がった。
「掃除も微妙……」
思った以上に酷い部屋に、やっぱり現代とは違うのだなとこんなところで痛感しながら、隼人は腰を持ち上げ、換気の為に窓を開く。
一年中穏やかな気候のベルデの、暖かな風が部屋の中に吹き込み、舞い上がったほこりを部屋の隙間から外へと押し出してくれた。
翌朝、固いベッドで眠れるか若干心配だったが、久しぶりのベッドにぐっすりと眠れた隼人は、気持ちよく目を覚ます。
外はすでに明るくなっており、腕時計で時間を確かめると、七時を回っていた。
日の出と共に動き出すとは言わないが、それでも六時ごろには目を覚ます人たちの多いこの世界では若干の寝坊だろう。
ベッドから起き上がり伸びをする。ポキポキと関節が伸びて、気持ちのいい音が鳴った。
「ふぅ。久々のベッドだったな」
こちらに来てからは初となるベッドでの睡眠で、思いのほか自分の体が疲れていたことに気付いた隼人は、今日塔に登るのをどうするかと思いながら、朝食を取るために一階へと降りる。
食道はすでに朝食を終えた者達がゆっくりと寛いでいる程度で、あまり混雑している様子は無い。しかし、昨日飲んで騒いでいた挑戦者たちが二日酔いなのか、ぐったりとした様子でテーブルに突っ伏している。
苦笑しながらそのメンバーに水を差しだしていた女将が、隼人に気付き声を掛けてきた。
「おはようさん。ずいぶんゆっくりだね」
「ああ、意外と疲れてたみたいでな。おかげでよく眠れた」
見張りを頼んでいたとしても、やはり野宿では完全に緊張を解くことが出来なかったのか、完全に疲れを取り除くことは出来ていなかった。
久しぶりの個室で、それがどっと出たのだと考える。
「そりゃよかった。朝食の準備するからちょいと待っとくれ」
「おう」
少し待つだけで、店主が裏からお盆を持って戻ってくる。その上には湯気を上げる料理が乗っていた。
メニューはパンに野菜とベーコンのスープ、何かのミルクにデザートの果物と結構豪華である。
「朝はしっかり食べて、体力つけとかないとね。体は資本だよ」
その考えが隼人の顔に出ていたのか、店主が笑顔で説明してくれる。
「そうだな。んじゃありがたく」
「食べ終わったら皿はそのまま置いといていいからね」
「了解」
ミルクを一口飲むと、牛乳とは違い若干獣臭さがあった。味もあまり飲んだことのない味から、大方羊かヤギのミルクなのだろうと当たりを付ける。
スープは野菜とベーコンのうま味がしっかりと出ており、かなり美味い。パンも若干固く黒ずんでいるものの、十分満足できるものだった。もちろんボリュームも申し分ない。
パンと具だくさんのスープを食べ終え、果物を齧る。
みずみずしくも、現代の果物より少し酸味の強い果物は、ミルクの獣臭さを消すのにちょうど良い物だった。
「ふぅ」
一気に食べ終えた隼人は、満腹感に満足しながら一息つく。
「満足できたかい?」
皿を下げながら、店主が話しかけてきた。
「ああ、美味かった」
「そりゃよかった、旦那に伝えとくよ」
「そうだ、明日も――てか一週間ぐらい同じ部屋使いたいんだけどいいか?」
ベッドは固かったが、おおむねこの宿には満足出来ている。そこで、毎日宿を探さなくてもいいように、しばらくこの宿を取っておけないかと相談する。
「お、ありがたいね。もちろん大丈夫だよ。夕食はどうするんだい?」
「無しでいいや」
蓮華と会うのはお互いの都合上夜になることも多く、そうなると必然的に夕食を一緒に取る可能性も高くなる。そうなると、ここでの夕食が無駄になってしまう可能性があるため、夕食は頼まないことにした。
もし合わなくても、西区にいけばいくらでも挑戦者向けの屋台が出ているため、食べるもの自体に困ることは無いだろう。
「ならあと六日分で銀貨一枚と銅貨二枚だよ」
「後でギルドに行くから、その時に払うわ」
「おや、挑戦者なのかい?」
「ああ、やっぱそう見えない?」
隼人は自分の腕の細さを見ながら尋ねる。店主は苦笑しながら、店の中央テーブルで酔い潰れる挑戦者たちに視線を向けて答えた。
「悪いけどあんまり見えないねぇ。挑戦者って言うと、あっちの連中みたいなのを思い浮かべちまう」
いかに魔法が使えようと、便利な魔導具を持っていようと、挑戦者は塔の中の森林地帯からして体力勝負な場面も多く、どうしても挑戦者を続けていれば、自然と筋肉が付き体つきは逞しくなってしまうものだ。
それに比べると、今の隼人は日本人特有の細身であり、力瘤も作ろうとしなければできないほど腕が細い。
武器でも持っていなければ、挑戦者だと言っても冗談に扱われるレベルである。
実際、もし隼人がブレードギアを思いついていなければ、塔の攻略も一階層からかなり時間のかかるものになっていただろう。
広い森の中を延々と歩かされるのはそれだけでかなりの体力を消費させられるのだ。
「まあ俺は昨日登録したばっかりだしな。塔にのぼってりゃ自然と体力も付くんじゃないか?」
「へぇ、昨日登録したばかりだったのかい。塔にはもう行ったのかい?」
「午後の間だけ少しな。魔物もある程度狩れたから、この後魔石の換金に行ってくる」
「初めての収入か。あんまりハメ外さないようにね。それでバカやって捕まった連中もけっこういたよ」
初めて塔に登り、魔物を狩る。その興奮のままに魔石を換金した新人冒険者は、大抵がそのまま町へと出て友人や挑戦者仲間と飲み明かすことになるのだが、それで酔いつぶれたり、羽目を外して問題行動を起こすと、問答無用で町の警備隊に捕まるのだ。
店主も、宿兼料理屋をやっていることもあり、そんな挑戦者たちを数多く見てきた。
「んじゃ良い時間だしそろそろ行くかな」
食事を取っている間に、時刻は八時を迎えようとしている。
すでに塔に向かった挑戦者たちは塔の攻略を始めているころだろう。そうなると必然的にギルドは空いてくることになる。
昨日の混み具合を考えれば、少し時間を外した今ぐらいに行くのがベストだと隼人は考えたのだ。
「そうかい。出かける時は鍵を返しておくれよ。無くされちゃ大変だからね」
「あいよ、そん時に料金も払うわ。ごちそうさん」
隼人は席から立ち上がると、出かける準備をするため部屋に戻った。
出かけ際に追加料金を支払い、馬車を使ってギルドへとやってきた隼人。
挑戦者の活動時間としては少し遅い時間のため、予想通りギルドはすでに人が少なく空いている。
静かな雰囲気が漂うそこは、挑戦者のギルドと言うよりも、どこかの市役所を彷彿とさせた。
そのフロアを歩き、隼人は目的のカウンターへと顔を出す。
「おはようございます。こちらは魔石の買い取りカウンターですが、間違いはございませんか?」
隼人が向かって来るのに途中から気付いていた受付が、隼人の到着と共に声を掛けてくる。
「ああ、買い取りを頼みたい」
「ではギルドカードと買い取る魔石をこちらの上にお願いします」
受付は、カウンターの中から銀色の底の深いお盆のような物をカウンターの上に置く。
「魔石って袋のままでもいい? 結構あるんだけど?」
挑戦者崩れの連中を殺した時に奪った物を合わせると、結構な量になる魔石は、お盆の上に直接置くとじゃらじゃらと五月蠅そうだ。
そう思い尋ねると、受付は笑顔でうなずく。
「はい、袋のままで大丈夫ですよ。袋も査定の終了後にお返しします」
「じゃあこれ」
鞄の中から魔石の入った袋を取り出す。結構な重さのそれは、お盆の上に置くとドサッと音を立てた。
その横に沿えるようにギルドカードを置くと、受付はそのカードを手に取り手元の機械に差し込むと、引き出しの中から用紙を取り出した。
「隼人様ですね。昨日登録したばかりなのにこの量ですか。凄いですね」
機械にはギルドカードに直接彫られている情報以外にも色々な情報を取り出すことが出来るようになっており、そこには加入時に記入した個人情報以外にも、ギルドへの登録日や最終利用日、魔石の買い取り履歴などが登録されている。
この技術のおかげで、ギルドはカードの偽造を防ぐことが出来るとともに、挑戦者の情報を保護しながらもしっかりとしたデータの収集ができるようになっているのだ。
受付嬢は、そのギルド登録日を見て、驚いたように目を見開く。
昨日の今日で袋にたんまりと魔石を回収したのだから、当然と言えるだろう。
「まあ、運がよかったんだろうな」
まさか襲い掛かって来た挑戦者を殺して奪ったとも言えず、適当にはぐらかす。
受付は隼人の嘘に気付いた様子も無く、手元で用紙に名前や何かの番号を記入していく。
「これは隼人様の実力ですよ。運が悪くて死んじゃったなんて人は、実際はほとんどが実力不足です。あ、カードお返ししますね」
「結構辛口だな」
ギルドの受付嬢にしては、挑戦者に対してかなり辛辣な言葉だ。
「そんなことないですよ。命のやり取りをしているのに、運がいいだけでどうにかなる事なんてほとんどありません。単純に相手よりも実力があるかどうか。実力のある人の行動には、生き残るだけの理由があるし、死ぬ人にはそれが足りない。だから死んじゃうんです。運なんてものは、その結果論だと私は思ってます」
「へぇ」
受付嬢の言葉には、とても説得力があるように感じた。
そしてその言葉に『重み』をもたせている理由は――
「もしかして元挑戦者だったりするの?」
受付嬢は、まだ見たところ二十代前半かちょうど半ばといった所だ。しかし、その言葉の重みから察するに、挑戦者として少しは活動していたのだろうかと考え尋ねる。
すると、受付嬢は苦笑と共に一つ頷いた。
「はい、二年前までは私も挑戦者として塔に登っていました。けど、魔物と戦ってる最中に足に怪我をしちゃって。日常生活には問題ないんですが、戦うには少し不安が残るレベルだったのでこの先どうしようって思っていた時に、今の先輩がギルドの係員にならないかって誘ってくれたんです。自分の経験を今後の挑戦者に役立ててみないかって。私もこっち側の人間になって知りましたけど、ギルドの人間って元挑戦者が結構多いみたいですよ。まあ、だから挑戦者が動きやすいように色々とサポートできる面があるんでしょうけど」
挑戦者が塔の中でどのような行動をしているのか。それを知らなければ有益なサポートなどできるはずも無く、それを知るためにギルドは定期的に元挑戦者や怪我をして引退せざるを得なくなった挑戦者たちをスカウトして係員として雇っていた。
彼らは、自分達の経験から挑戦者を助けるのに何が必要なのかを考え、それを上司へと伝える。
上司はそれを参考に、ギルドの運営を行っているのだ。
「ギルドも色々考えてるんだな」
「挑戦者のサポートがお仕事の八割を占めていますからね。中途半端なことはできませんよ」
残りの二割は塔の管理なのだろうと考えていると、受付嬢はカウンターの下から何やらランタンのような物を取り出した。
そして、細かく区切られた小物入れのような物から小さな魔石を一つ取り出し、ランタンの中へと入れる。すると、ランタンは淡く光を放ち始めた。
「では、買い取りの査定を行いますので、この光が消える頃にまた受付に来てください」
「これタイマーなのか」
「そう言えば初めてでしたね。これは魔石の魔力を使って明かりを放つ魔導具ですけど、小さい魔石を使って、タイマー替わりにも使えますからね。値段も安いですし、結構便利なんですよ」
魔石の残存魔力の多さでランタンの光る時間を調節できる。それを利用して、ギルドではランタンをタイマー替わりとして使っていた。
おかげで、買い取りを待つ間に町に出かけることもでき、重宝されている。これも、元挑戦者の案だったりするのだから、ギルドの運営方針は正しく働いているといえるだろう。
「じゃあ後よろしく」
「はい、では後程」
隼人はランタンを受け取り、受付を後にした。
ストックがだいぶ減ってきました。ドキドキです……