塔のルール
誰もがすでに剣を抜いており、臨戦態勢だ。
その光景を見て、隼人は内心かなり焦っていた。
「いつから気付いてた?」
「最初から――って言いたいところだけど、実は今さっきなんだな、これが。あんたらが草むらから出てくるまでは気づかなかったよ」
隼人が振り返った理由は、狼を殴り倒した際、視界の端に後方の草むらががさがさと揺れているのを見つけたからだ。その大きな動きからして、動物っぽくないと感じた隼人は、振り向きざま声を掛けてみたのだ。
その感覚は実際に的中し、あたかも最初から気付いているように見せかけ彼らの足を止めさせた。
「チッ、フェイクかよ」
「いやー、いきなり襲い掛かられたらヤバかったが、警戒してくれて助かったぜ」
「ヤバかった? まだヤバい真っ最中だろ」
男の一人が剣を向け、威嚇するように剣先を揺らす。
だが、不意を打たれる心配さえなくなってしまえば、目の前の四人組が敵として脅威になるとは、隼人は思っていなかった。
むしろ、物質魔力の練習台としてちょうど良いと考え、口元に小さく笑みを浮かべる。
「まあ俺達も無暗に人を殺したいとは思ってねぇンだ。その奇妙な鞄の中に入ってるモン全部置いてってくれんなら見逃してもいいぜ? かなり入ってんだろ?」
「へー、そこまで知ってるってことは、外から後を付けられてたのか」
彼らが隼人を標的に決めたのは、塔の中に入ってからでは無かった。
最初に隼人の姿を見たのは市場の中で、懐の袋から金貨を取り出している最中だったのだ。それを見た仲間の一人が、露店の店主と隼人の会話を盗み聞きし、塔の中に入ることを知ってメンバーと共に襲撃することを提案したのだ。
男たちはそうやって、これまでも新人挑戦者の中で比較的に金を持っている者をピンポイントで狙って襲っていた。
「まあそう言うことだ。で、どうする?」
数の余裕からか、相手が新人と知っているからか、四人組の警戒心は薄い。
武器を手に持っているとはいえ、隼人から見ても隙だらけだった。
「もちろん断る。俺の全財産だ、簡単に取られる訳にはいかねぇな」
「なら残念だが死んでもらうだけだな。塔の中なら死体の処理も楽だ。お前らやるぞ」
男が合図を出すと、仲間たちがゆっくりと隼人の周囲を囲むように動き出す。
それをその場に立ったままで見ていた隼人は、唐突に右手を上に向けると、勢いよく振り下ろした。
瞬間、目の前にいた男の体に深々と切り傷が刻まれる。
「ぐあっ!」
「今まで何人襲ってきたのかは知らねぇが、今回はお前らが獲物だよ!」
飛び散る鮮血と共に、男の悲鳴が森の中に響き渡った。
それを合図とするように、隼人が動き出す。
斬られ、その場に膝を突く男に向かって駆け寄ると、そのままの勢いで剣を男へと突き立てる。
貫いた剣は、今までと変わらず男の体を内側から吹き飛ばした。
所詮新人しか襲ってこなかった挑戦者崩れの連中だ。これまで圧倒的に有利な状況でしか戦ってこなかったのだろう。男の凄惨な死に方を目撃した仲間たちは、足を竦ませて恐怖に顔を歪ませる。
しかし、そんなことを気にして攻撃を中断してやるほど、隼人は崇高な精神を持ち合わせていない。
足の止まった男の一人を、容赦なく剣を伸ばして突き刺す。そのまま手首をひねり、傷口を抉ると、剣を元の長さに戻した。
「ほらほら、足が止まってっとただの的だぜ! 精々足掻いて見せな!」
「舐めやがって!」
恐慌状態に陥った一人が、隼人の挑発に乗せられて切り込んでくる。
隼人は振り下ろされた剣を左手の掌で止める。そのまま剣の刃を握ると、豆腐でも崩すかのようにボロボロと砕けてしまった。
「残念でした」
「ヒッ!?」
「ぶっ飛べや!」
男の顔目掛けて拳を振るう。
メキャッと骨の砕ける感触と共に、男が吹き飛ばされ近くの木に体を打ち付ける。
顔面はひどく変形し、いたる所から体液を噴き出していた。
「さて、ラスト一人だが」
「ゆ、許してくれ。金は全部渡す。装備も全部出してもいい。だから命だけは」
「魔石もだ。どうせ他の連中から奪ったの持ってんだろ?」
男たちが新人を狙って魔石や金を撒き上げていたのならば、他の新人から奪った魔石も持っていると踏んで、隼人は要求に魔石を加える。
「分かった。全部渡す」
「なら仲間の分も全部集めろ」
男はすぐさますでに息絶えている仲間たちの元へ駆より、その懐を探る。そして袋から貨幣や魔石を取り出して自分の袋へと纏めていく。
そのついでに、ナイフや剣なども回収させ、隼人は地面の一か所を示し、そこに置くように指示を出す。
「これで……これで見逃してくれるんだよな」
「おう、結構持ってんな」
隼人は男の言葉を無視して、集まった袋の中身を漁る。そこには銀貨が十枚程度に銅貨とファン硬貨がかなりの量入っている。魔石も小さいものだが数十個程度はあるようだ。
そこ数に十分満足し、大きく一つ頷くと、男に向かい直った。
「うし、んじゃもう行っていいぞ」
「お、恩に着る」
隼人が言うや否や、男は逃げ出すように森の中へと駆けこもうと足を動かす。
その背後から、隼人は男へと手を向けて、物質魔力で出来た棒を伸ばした。
「な……な……グフッ」
棒は真っ直ぐに伸びて男の背中を穿ち、肺を貫通して胸から飛び出している。
男は顔だけ振り返り、なぜだと聞こうとして口から血を吐いた。
隼人はそんな男を笑顔で眺めながら答える。
「いやー、幼馴染に忠告されてな。復讐とか考えられると面倒だから、きっちり皆殺しにしろって」
それは、隼人も納得できる忠告だった。現代にいた際、どれだけ殺すことが許されていれば、不良連中から復讐だの仇討だのと面倒なことに巻き込まれずに済んだと思ったことか。それを考えれば、ここで全員を確実に殺しておくことに躊躇う理由は何一つとして無い。
棒を引き抜き、魔力を体内へと回収する。
男は目を向いたままその場に崩れ落ち、血だまりを作って動かなくなった。
「こういう奴ら狩った方がはるかに稼ぎ良さそうだよな」
手元に残った大量の金と魔石を思い、そんなことを呟く。
しかし、あくまで目的は塔の攻略。金を稼ぐだけなら、それこそ盗賊を狩りまくっていれば問題ないのだ。
隼人もそう思い直し、再び階段へと向けて歩き出した。
その後は数度魔物に襲われたが、初心者用のフロアと言うだけあって、特に危険も無くあっさりと倒すことが出来た。
「さて、二階はどうなってるのかね」
石段を登りながら、二階の風景がどうなっているのかと考える。
一階が森林だったのだから、二階は荒野だろうか、それとも草原。意表をついて大海原かもしれないなどと、突拍子もない事を思いながら、階段を登りきる。
そこには重厚な、高さ五メートルはあろうかという、木製の扉があった。
「おお、いかにも次の階のスタートって感じだ」
隼人はその扉に両手を付けて、力一杯に押す。
ゆっくりと扉が開き、その先の光景が目に飛び込んできた。
そこは、先ほどまでと全く変わらない、大森林地帯だ。
「あらら、二階も森林地帯か」
「お、新人か?」
隼人が扉の隙間から中へと侵入し、感想を呟いていると声を掛けられる。
そちらを見れば、森の一部が伐採された場所に小屋が立ち、そこに男が立っていた。革のジャケットを着ているが武器らしき物は所有していない。
まるで、そこに昔から住んでいるような出で立ちだ。
「そうだけど、あんたは?」
「俺はハンド。挑戦者ギルドのサポーターの一人だ」
サポーター。それは挑戦者ギルドの職員であり、塔の内部で挑戦者たちの手助けを仕事としている者達だ。
基本的には食料や物資を上層階に運び、そこで販売しているが、同時に塔に入って来た新人のサポートも行っている。
ハンドもその一人だった。
「塔に登るのが初めてなら、こっちにこい。教えておかなくちゃいけないことがある」
「了解」
特に逆らう意味も無いため、隼人は素直にハンドの指示に従い小屋の中へと入る。
そこはまさしく男の部屋だった。
来客用の机は綺麗にしているようだが、それ以外はかなり汚い。
ベッドの周りには本が散乱し、手を伸ばせば届く距離に水筒がポツンと置いてある。
極力動かずに生活することを重点に置かれた見事な配置だ。
「ここに座ってくれ。えっと、説明用の用紙ってどこだったかな?」
ハンドは戸棚の中をごそごそと漁り、一枚の紙を隼人へと差し出した。
それを受け取り、書かれている内容を読む。
「塔内部の特徴?」
「そうだ。ギルドじゃ大まかな事しか説明してもらってないだろ? だから、実際に塔の中で色々知ってもらおうってことだ」
「なるほどな」
百聞は一見にしかずという奴である。
とりあえず最弱の魔物ぐらいは一人で狩れるように訓練してやるが、それ以降は自分で頑張れな思考の、ギルドらしい考え方だと隼人は思う。
「最初に知っておくべきことは、塔の中にも夜は存在するってことだ。外と同じペースで明るくなり、日も落ちる。日が落ちれば当然周囲は闇に包まれるぞ。その際は、月明かりも無いから、行動はまず無理だな」
その際、塔の中は完全な暗闇に包まれることになる。特別な目でも持っていない限り、普通の人間にはまず行動することのできない暗さだ。
「野営場所はきっちり確保しろってことか」
塔の内部はかなり広大だ。塔を登ろうとするならば、当然一日では往復できない場所まで行くことになる。その際、野営の準備をしっかりとしておかなければ、夜行性の危険な魔物たちに餌として美味しく頂かれることになるだろう。
「火を起こすだけでも大分違うが、パーティーなんかを組んでいるのなら見張り番ぐらいは置いておきたいな。お前のようにソロで潜っている奴も、野営の時ばかりは適当なパーティーに頼んで混ぜてもらっていることが多い」
「へー、襲われないのか?」
初日のしかも魔物を一匹だけ倒して早々挑戦者たちに襲われた隼人としては、考えられない選択肢だ。
そんなことをすれば、寝ている間に身ぐるみをはがされかねない。
それを考えるならば、木の幹の影や洞窟で一日を過ごす方が安全に感じる。
「挑戦者同士の争いはご法度だ。まあ、そういったクズどもがいない訳でもないが、上の階に行けばそんなことをしている連中はほぼゼロになる。魔物を狩って魔石を売った方が金になるからな」
「なるほど」
魔物を倒せないから、そのような行為に走るのであって、塔を登るような魔物を倒せる連中にとってしてみれば、盗賊まがいの行為はただ自分にペナルティーが科せられる危険性を生むだけのものでしかない。
故に、塔を登ろうとする挑戦者たちは、ソロでもすんなりとパーティーに混ぜてくれるという。その分、一人当たりの負担も減らせるからだ。
「あと伝えなきゃいけないことは――ああそうだ、ワープゲートに関してだ」
「ワープゲート? そんな便利なもんがあるのか?」
「ああ、ただし帰り道専用だがな。上の階に下の階からワープすることはできない」
「そりゃ残念。まあ、帰り道を気にしないでいいのは助かるけどな」
数日かけて登った末に、数日かけて進んできた道を再び強力な魔物を倒しながら帰る必要が無いのは、かなり助かることだ。
「ワープゲートは各階層の階段の近くに設置されている。あとでこの階のも見ておくといい。小屋の裏手に設置してある」
「ワープするとどこに出るんだ?」
「一階東側の入口だ」
「東側って言うと、俺が入って来た場所か」
ベルデから西に行った場所にあるこの塔は、塔の東側を中心として商店が多く並んでいる。そもそも、ベルデ自体が塔のある町として、塔よりも後に作られたのだから、利便性を考えれば、この配置になるのは当然と言えた。
「それぐらいだな。ああ、まあまだ無理だとは思うが、塔の最上階への立ち入りは禁止だからな」
「は?」
最後にサポーターの放った言葉に、隼人はポカンと口を開ける。
「最上階には塔の守護者がいるらしくてな。そいつを倒した場合、塔にどんな影響が出るか分からない。守護者を倒しても塔がそのままなら問題ないのだが、もし万が一にでも、魔物が出現しなくなったり、狂暴化したり、塔から溢れるようなことになれば、シャノン王国自体が転覆しかねないからな。故に、どの塔も最上階、守護者のいるフロアへの立ち入りは禁止されてるんだ。まあ、新人のお前には関係ないだろうが、一応覚えておけよ」
サポーターの説明を、隼人はただ茫然と聞いていた。
そもそも、この世界に来た目的は、全ての塔の攻略である。それが、世界の法律によって禁止されているなど、予想できるはずもない。
「マジかよ……」
「なんだ、守護者を倒そうと思ってたのか? ハハハ、でっかい目標を持つのは良いが、加減は考えた方が良いぞ。挑戦者なんて死にやすい仕事だ。慎重なぐらいがちょうどいい」
「じゃあ、もし最上階に入ったらどうなるんだ?」
「そりゃもちろんギルドは除名だし、最悪国際指名手配されるだろうな。捕まればかなり重い罰を受けることになると思うぞ? なんせ国家転覆を図ったとみられるしな」
国の重要なエネルギー供給源を断とうと言うのだ。国からしてみれば、国家転覆を狙うテロリストとなんら変わりない。
現代で言えば、原発を破壊しようとするようなものなのだから、当然だろう。
捕まれば最悪死刑。良くて無期懲役や奴隷落ちが妥当なレベルである。
「はぁ……了解。最上階には入らないようにするさ」
「まあ、あっても新人のお前からしてみれば数十年先の話だ。そこまで落ち込む必要はないさ。その間に新しい目標も決まるだろ」
「そうだと良いけど」
「まあ話はそんなところだな。時間を取らせて悪かった」
「いや、こっちも貴重な話を聞けたからな」
席から立ち上がりながら、隼人はふと尋ねる。
「そう言えばサポーターって各階層にいるのか?」
「いや、いるのは二階、十階、二十階、三十階までだ。それ以上は魔物が危険すぎてサポーターが常駐できん」
つまり、三十階層までならば、実力のあるサポーターが常駐することが出来る程度の難易度と言うことになる。
「了解」
「まだ上に登るのか? そろそろ日も傾き始めるぞ?」
「まあ二階ぐらいなら問題ないだろ。今日は三階のゲートから帰るよ」
「そうか頑張れよ」
「おう」
腕時計を見れば、十五時を過ぎた所だった。この辺りの日暮れが十八時程度なのを考えれば、三階に行く時間ぐらいは十分にある。
隼人はサポーターに別れを告げ、再び森の中を歩き出した。
十七時。塔の中は夕日色に染め上げられ、遠くから魔物たちの鳴き声が聞こえてくる。
隼人は、数匹の狼のような魔物に囲まれながら考え事をしていた。
塔のルールと自分の目標。どちらを優先するのかをだ。
正直言ってしまえば、塔のルールなど気にせず最上階の守護者と戦ってみたかった。だが、自分の感情のためだけに、この周辺に住む人たちに危険を振りまいても良いのかという思いはある。
現代にいた時は、自由にふるまっていてもどうせ異世界に行くのだから関係ないと思っていたが、今いる場所はその異世界で、そこからまた別の世界に移動する予定も無ければ方法も無い。
故に、この世界で敵として認定されてしまえば、死ぬまで追われ続けることとなる。
さすがにそれは不味いんじゃないかと思いながら、飛びかかってきた狼を蹴り飛ばし、背後を取ろうとする個体には、容赦なく魔力剣を突き立てる。
「ほんと、どうするかな……」
思わぬ問題に頭を悩ませながら、気付けば周囲にいたはずの狼が全滅していた。
魔石を回収して、再び歩き始める。
「自分の意思か、世界のルールか……一応この世界で生きてくんだしな。一度蓮華に相談してみるか? なんか笑われそうな気もするが」
かなり深刻な問題に、隼人は一人で決断を出すことを諦めたのは、三階への階段まで辿り着いた後だった。