一章 四
見上げると、視界一面に空が広がっている。屋根に区切られていない空。
それが百夜にとって外の象徴であった。
この果てのない空を見ていると世界が広く思える。
女学院のことも小さなことに思える。
それが百夜には妙に心地よかった。
百夜と理奥は家屋の建ち並ぶ中心街を抜け、綿畑の中に伸びる道を歩いていた。
一面の緑の合間に、白と赤が混じる。綿の花は朝に咲くときは白いが、夕方になるにつれて少しずつ赤くなり、萎んでいく。昼過ぎの今は、その境目の時間だった。
綿の実である綿花は、夏から冬にかけて収穫される。収穫後は種を取り、糸を紡ぎ布に仕立てられる。
冬場はこの糸をつむぐ作業とそれを布に仕立てる作業が、天城地区のいたるところで見かけられる。
斑に染めた糸を使って文様を織り上げる絣はこの土地の特産品でもあり、天城絣と呼ばれていた。
今日は学問所の授業日ではないが、天望試験の手続きのため、理奥が学問所に行くこと
になった。
それを聞きつけた百夜は、午後に予定されていた史学の授業が先生の都合で休みになったのをこれ幸いと世津を拝み倒し、久しぶりに外出することになった。
四方を海に囲まれた島国、瑞穂大国。三十余りの国から成るこの集合国家は、国土の大部分を山地が占めている。
百夜が暮らす常盤国は、その中でも珍しく海岸線を持たない。そのため、大河に接し交易の拠点と天城地区を中心に広がっていた。
天城地区には国府があり、商店も多く立ち並ぶ。
けれど郊外へ向かってしばらく進むと建物もまばらになり、さらに額にうっすらと汗が滲む頃には、道は高い木々に囲まれた山道へと変わっていく。
理奥の通う学問所は、そんな街のはずれにあった。
かつての百夜は市街地を抜けたところで歩けなくなり、理奥に負ぶってもらっていたが、今では息切れすることなくその距離を歩ける。
百夜が足を進めるたびに、首の付け根で一つにまとめた髪が背中で揺れる。
彼女は屋敷では小袖の上に刺繍が施された裾の長い絹の袿を重ねているが、今は簡素なくるぶし丈の綿の小袖に身を包んでいる。
普段着ている服より生地が荒く、少し着心地が悪いが、不満はない。
土埃の舞う道を歩くには裾の短い服のほうが楽だし、なにより、理奥に近づける気がするからだ。
百夜は隣を歩く理奥を見上げる。
五年前まで、百夜は自由に屋敷の外へ出ることができなかった。不在がちな両親の留守中に彼女の身になにかあってはならない。そんな周囲の危惧から、外出は厳しく制限されていた。
百夜はそれを当たり前のこととして受け入れていたが、両親や従兄から外の話を聞くたびに、まだ見ぬ世界への想いを膨らませていた。
それが、ある時期を境に、いくつかの条件付きではあるものの、外出が認められるようになった。
理奥が通う学問所へ一緒についていくことで友達もできた。
少し前まで、理奥は百夜の手を繋いで歩いてくれていた。それがいつしかなくなり寂しくもあったが、今は隣で歩調を合わせてくれている。ただそれだけのことが、たまらなくうれしかった。
百夜が理奥の横顔に見とれていると、
「きゃっ」
足元の石につまずいた。
「っと」
ふらついた百夜の体を、理奥が受け止める。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。理奥、ありがと……」
百夜が、恥ずかしさを笑顔でごまかしながら目線を上げ――顔が触れるくらいの距離で理奥と目が合った。思わず息が止まる。
抱きかかえられる現状を遅まきながら認識し、百夜は突き放すようにして距離をとった。
「うん、大丈夫」
うつむき加減で同じ台詞を繰り返した百夜を、理奥は不思議そうに眺めていたが、「よかった」と微笑み、歩きだした。
「そういえば、この間、百夜も正隆様とお話されたんだよね」
「うん……女学院に入れって」
ふくれっ面で応える百夜に理奥はくすくすと笑う。
「もう! 笑い事じゃないんだから!」
「ごめんごめん。でも、百夜が思うほど悪くないかもよ? 歴史のある学校って、それだけ資料や知識もあるし、同じ年の友達もできるし」
「友達なら茜がいるもの」
「そっか……」
どこか残念そうに目を細めた理奥に、百夜の中で寂しさとも悲しさとも怒りともつかない気持ちがこみ上げる。
「あれ? 百夜、怒ってる?」
「怒ってない!」
歩調を速めながら、百夜は心の中で呟いた。
(理奥は約束、忘れちゃったのかな)




