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ツキカゲノチギリ  作者: 八重乃 葎
五章

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五章 四

 塀の向こうから楽しげな音が聞こえる。

 道を行く人々の話し声、弾けるような笑い声、遠くで鳴り響く楽器の音色。

 それらが、縁側に座る百夜(ももよ)理奥(りおう)の間に流れていく。


 吹き抜けていく冬の訪れを予感させる風が、百夜の泣き腫らした目元を撫でていった。


 理奥が天望(てんぼう)試験に出ると聞いて、百夜がはしゃいでいたのは夏の終わり。

 それからの日々は目まぐるしくて、その出来事は、もうずっと昔のことのように思えた。


 百夜は理奥といつもどんな話していたのか思い出せず、横目で理奥を伺いつつ、手持無沙汰に指を組んだりほどいたりを繰り返していた。


(ちがう!)


 百夜は両手を強く握りしめた。

 理奥に気遣ってもらってばかりの生活はやめようと思ったのに、これでは同じことの繰り返しだ。


 「あの」と声をかけたのは理奥と同時だったが、百夜は勢いで「ごめんなさい」と頭を下げた。


「私、理奥の気持ち、考えてなかった」

「僕もごめん。急にここを出ていくって、驚いたよね。ちゃんと伝えていないことがたくさんあった。僕が他の町に行った話をするの、百夜は好きでしょ?」


 唐突な問いに、百夜は(理奥と話しているのが好きなだけなのにな)と思いながらも、ぎこちなく「うん」と答えた。


「だから、いつかこの場所が、もっとたくさんの都市に簡単に行けるようになればいいなと考えることが多くて。僕もこの町は好きだから、ここから離れずにできることが増えるといいなと思ってる」


 百夜は理奥の言っていることを理解しようとしたが、百夜が想像していたもの、望んでいたものとかけ離れすぎて、どれだけ理奥にとって大事なことか分からなかった。

 けれど、「そんなに大事?」と責め立てたい気持ちをぐっとこらえた。

 世津に言われた言葉を思い出す。


(ちゃんと、自分の気持ちを伝える……) 


「理奥がいなくなると寂しいよ」


 百夜が自分の気持ちを言葉にすると、声が震え、目元がまた熱くなった。


「僕も寂しい。ここにきてから、毎日が本当に楽しかったから。でもね、僕は、百夜のお父さんやお母さんや、おじいさんや、世津(せつ)さんや、和真(かずま)沙耶(さや)や、いろんな人たちのおかげでここまで来られた。もちろん、今まで出会った人の中には悪意を持ってくる人も、合わない人もいたけれど、たくさんの人に良くしてもらえたからここにいる。それは生きる上で、自信になっている。だから、百夜にもそういう人をたくさん見つけてほしい」


(その話、どこかで聞いたことがある)


 世津からだろうかと百夜は考えて、一週間前のことを思い出した。

 稲花(とうか)女学院でのことだ。

 わずか一週間前なのに、百夜がもう顔も名前も忘れてしまったお姉さんから言われた言葉。あの一瞬、百夜が惹かれた言葉。

 ”色々な人と出会って生活する中で、信頼できる人や自分自身をみつけていく”


(私には理奥だけいればいいのに)


 百夜はそう思う気持ちを止められない。

 でも、何年後か、百夜がもっと大人の女性になった時、理奥の隣にいるために必要なことなのかもしれない。


 今の百夜の世界は、理奥が広げてくれたものだ。

 だから、一人で違う世界に飛び込むのは怖い。

 怖いけれど、理奥の考えていることを理解できなくて、距離が開いていく方が怖い。

 そうだ。この別れは、これを一時的な別れにするためのものだ。いつかまた会えるようにするためのものだ。

 理奥を言い訳にしていたらいけない。


 百夜は震える手を握りしめ、一つ呼吸をした。


「私、女学院に行く。怖いけれど、がんばってみようと思うの」


(理奥が追いつけない場所に行ってしまうのなら、私がそこまでたどり着けばいいんだ)


 どうして最初からその考えに辿り着けなかったのかと、百夜は思った。


「お互いに頑張ろう」

「うん。……あのね、お願いがあるんだけど、理奥、手紙くれる?」


 それは、それでも理奥との繋がりが途絶えることが嫌な百夜から、衝動的に出た言葉だった。


「手紙?」

「毎月……は無理かもしれないけれど。私も出すから」


 きっとそれは、くじけそうなときにお守りになる気がした。

 精一杯の勇気を振り絞った百夜の表情が必死すぎたのか、少しだけ笑いながら理奥は「うん」と頷いた。


「約束!」

「うん。約束」


 百夜が差し出した小指に理奥の小指が絡む。


 お互いの場所で、お互いができることをする。

 そうしたら、百夜が理奥の言っていることを理解し、頼ってもらえる日が来るのだろうか。

 いつの日か、手を引かれていた幼い頃とは違い、隣で手を繋ぐ日が来るのだろうか。


 かつて思い描いていたように、理奥が百夜の手をひいてどこかに逃げ出してくれるような、都合の良いことは起こらない。

 全てを捨てて求めてもらえるような存在には簡単になれない。

 そのことに、百夜の胸は少しだけ傷んだ。

 けれど、この痛みは失恋ですらない。

 だったら、この恋は今始まったばかりだ。


 空に花火があがり、歓声が上がる。

 夜空に浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返す橙の花。

 時折、青や緑、明るい赤色の光が混じる。

 点滅する光を仰ぎ見る理奥の横顔を見上げながら、百夜は心の中でそっとつぶやいた。


 ねぇ、知ってる?

 お母さまやお父様を嫌いって言ったのは嘘。

 茜を嫌いって言ったのも嘘。

 理奥を嫌いって言ったのも嘘。

 ……ちょっとはそう思ったけれど、本当は違うの。

 ねぇ、知ってる?

 私、理奥のこと、大好きなんだよ。

一度全体を整理しなおしてから、終章(1エピソード分)をアップロードします。

今まで以上に更新に時間がかかると思います。

進行が遅れ気味なので、更新状況はトップページに記載します。

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