四章 三
勢いのまま駆け出した百夜の足は、次第に速度を遅め、やがて立ち止まった。
ぼろぼろと涙が落ちてくるのを止めることができない。
告白されるかもなんて浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。
理奥は追いかけてこない。
どこかに行ってしまうなんて嘘だと言ってくれない。
今まで理奥のくれた「ずっと一緒にいる」という言葉をお守りにして生きてきた。
それが嘘なら、百夜は何を信じたらよいのだろう。
これから、何を信じて生きていったらいいのだろう。
思わず岩槻の母屋の方に来てしまったが、泣いている様子を誰かに見られたくない百夜は途方に暮れた。
今すぐ茜に会ってこの気持ちをぶちまけたいとも思ったが、それ以前に気持ちの整理がついていなかった。
どうして。
さっき、思わず口をついて出た言葉の続きが出てこない。
聞こえるのは草の間から聞こえる虫の音と、壁一枚を隔てたような人の声だけ。
それは、両親が亡くなった時のことを思い出させた。
今まで理奥が傍にいてくれたことで閉じていた蓋が開き、あの頃の悲しみや不安が濁流となって押し寄せ、足元が崩れていくような恐怖が百夜を襲う。
百夜は、思わずその場にしゃがみこんだ。
年々、両親の声やぬくもりの記憶は薄くなっていくのに、その恐怖だけは薄まってくれなかった。
「百夜!」
自分の名を呼んだ声は、雲間から差し込む光のようだった。
百夜が顔を上げると、母屋の外廊下に茜がいた。
下駄も履かずにこちらへ駆け寄ってくる。
泣きはらした顔を隠そうとするように、百夜は目元の涙をぬぐった。
「茜、足っ」
「洗えばいいから、大丈夫。……私の部屋に行こう」
百夜が玄関から屋内に入ると、茜は涙が枯れない百夜の手をひいて自室へと連れて行った。
部屋に着くと、茜は足を洗いに外に行き、お茶を手に戻ってきた。
百夜は渡された湯呑みをゆっくり飲んだ。
いつもとは違う、良い香りのするお茶だった。
「いいにおい」
「私のとっておき。……落ち着いた?」
お茶を湯呑につぎ足しながら訪ねる茜に、百夜は無言でうなずく。
「何があったか、きいてもいい?」
「理奥がお役人さんの家に住むって…」
状況が読み込めない茜は、ひとつひとつ確認するように百夜に問いかけていく。
「なるほど……そういうこともあるんだ」
「ひどいよね。勝手に決めちゃうなんて」
茜に話しているうちに悲しみが引いていき、代わりに怒りが百夜を満たしていった。
「でもほら、こんな機会めったにないじゃない」
「勉強だったらここでもできるでしょう? だったらずっとここで暮らしていけばいいのに」
どうして。
どうして、帝都に、大学寮に、行きたがるんだろう。
どうして、ずっとここにいるのではだめなんだろう。
ここにいるのが一番なのに。
どうして。
百夜を置いて行ってしまうのだろう。
底のない不信感と怒りが百夜を染めていく。
「……百夜はさ、自分勝手だよね。理奥のこと好きならさ、ちょっとくらい理奥の気持ち考えてもいいんじゃない?」
「え?」
思いがけず低い声に、百夜の思考は水を打たれたように静まり返った。
「理奥がどれだけ頑張ったのか知ってるでしょ。大学寮に通わせてもらえるなんて能力があってもなかなかできないことなんだよ。実際、兄様はだめだったし。都から家庭教師を招いたり、週何回も通わせられるような家にいる百夜には分からないかもしれないけれど」
百夜自身がひどいことを言われたのに、どうして責められないといけないのだろう。
それまで積もっていた不満が倍になって降り積もっていく。
「茜の意地悪! 大嫌い!」
百夜はそう叫ぶと部屋を飛び出した。




