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ツキカゲノチギリ  作者: 八重乃 葎
四章

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19/26

四章 二

 百夜(ももよ)が自宅に帰ったのは、桂花月(けいかづき)十七日。観月祭(かんげつさい)が終盤に差し掛かった日の夕方だった。


 桜宮(さくらのみや)でまだ仕事がある祖父とは汽車の駅で別れ、百夜と沙耶(さや)は祖父の側近である男とともに帰路についた。汽車や道中の宿の手配などをしてくれた男は、二人を送り届けると、休憩もそこそこに祖父のもとへと戻って行った。


 一週間ぶりに家に戻った百夜あてに、理奥(りおう)から手紙が届いていた。

 理奥は天望試験の上位十人には入れず、十九日の夕方には戻る、ということだった。

 百夜は残念に思いながらも、心の底では理奥とこれからも変わらず一緒にいられることに安心した。

 二日後にはまた理奥と会える。

 百夜は明後日を心待ちにしながら眠りについた。


 十九日の昼近くに百夜が目を覚ますと、屋敷に(あかね)が来ており、岩槻(いわつき)家で開かれる理奥の慰労会について知らされた。岩槻家にも理奥から連絡があったらしく、和真(かずま)の提案で企画されたらしい。


「いつ?」

「今日」

「ずいぶん急ね」

「たぶん理奥は落ち込んでると思うから、こういうのは早めにやらないと。さっき世津(せつ)さんから理奥を借りても大丈夫って言ってもらえたし。夕食だと思えば理奥が事前に知らなくても問題ないと思うし。あと、月祭りの間は意外とみんな予定着きやすかったのよね。最終日に暇しているって、それはそれでどうかと思うけれど」


 観月祭の最終日は特別な人と過ごす日だと思っている国民が多く、恋人がいる人はこの日は既に予定が埋まっていることが多い。告白したい相手がいる人もそれとなく誘ったりしているものだ。


「そうだ、お土産」


 急に思い出した百夜は素早く自室へ引き返すと、荷物の中から包装紙をとりだした。


「わぁ、クッキー」

「前に遥からもらったのを食べた時、気に入ってそうだったから」

「ありがとう。あとでみんなで食べるわ」

「みんな?」

「このあと、私の家で慰労会の準備があるの」

「私も行く」

「大丈夫? この時間まで寝てたって、疲れてるんじゃないの?」


 正直、家に帰って安心したからか、一昨日まではあんなに動いていた体が重い。

 観月祭期間は習い事がないことに加え、話し相手もおらず、百夜は昨日一日ぼうっとして過ごしていた。


 観月祭期間は使用人も日程を調整しつつ自由行動が認められており、故郷に戻る者もいる。食事の準備などがあると使用人たちも屋敷に戻ってくるが、特に昼食後の時間帯は出かけている者も多く、屋敷内は閑散としていた。

 普段、百夜の側付きとして働く沙耶も例にもれず誰かと出かけていた。


 そういうわけで、せっかくの観月祭なのに屋敷にいてもつまらないのも理由としてはあるが、理奥のための会というのであれば百夜も手伝いたかった。


 外出許可を得るために世津の部屋に行くと、百夜の中の少しの不安と裏腹に反対されず、外出着に着替えると茜の家に向かった。


 屋敷を出ると食べ物や射的の屋台が道端に並び、この地域にこんなに人が住んでいたのかと思わされた。


 茜は母から慰労会の食べ物の調達を任されたらしい。

 二人は、あれがいいこれがいいと品定めをしながら屋台を練り歩いた。


 途中、茜がそわそわしながら尋ねてきた。


「ねぇねぇ、女学院ってどうだった?」

「海外と瑞穂(みずほ)がまじりあったような建物だったわ。大きな門で区切られてて怖いんだけど、中に入ると広いの」

「うんうん」

「お姉さんに案内してもらったんだけど、お祭りの準備中だったの。女学院でも月祭りに合わせた行事があるんですって」

「わぁ、素敵。いいなぁ」


 目を輝かせる茜を見ていると何故か不愉快な気持ちになり、「ねぇ、あの焼き餅おいしそうじゃない?」と百夜は強引に話題を変えた。


 岩槻家にたどり着くと茜の母が出迎えてくれ、お茶菓子を食べて休憩した後、岩槻家の女中達と炊いた米で握り飯を作ったり、出店で買ってきたものに火を入れなおしたり、飲み物を用意したりした。


 慣れた空気は心地よく、昨日までの世界は別物のように思える。

 そうだ、あれは夢だったんだ。

 百夜はそう思うことで、女学院のことも、南波(なんば)でのこともなかったことにした。


 そうこうしているうちに所長とともに理奥が岩槻家にやってきて、慰労会は開かれた。

 岩槻家の広間に机と座布団が並べられ、机の上には百夜も一緒に作った握り飯や屋台の料理が並べられた。


 集まったのは、稲川学問所に通う面々のうち理奥と仲が良かった者で、百夜や岩槻家の人を含めて十数名ほどのこじんまりとした会となった。


 理奥は常に人に囲まれ、天望試験の話や桜宮の話をせがまれていた。和真も一緒になって、あの店が今もあるだの無くなっただのという話をしている。


 百夜はというと、茜にくっついてご飯を食べたりしながら横目で理奥を眺めていた。


 百夜だって久しぶりに理奥と話をしたかったが、岩槻家に来て早々、和真とこそこそ何かを話し込んでいるし、話す機会が得られなかった。


 かといって、話している人の輪に加わるほどの社交性は百夜にはない。

 学問所に来る機会は月に1回あればいい方だったので、一回打ち解けたと思っても、次に来た時にどう接すればいいかわからず、それを繰り返しているうちに茜以外の人と積極的に接することはなくなっていった。


 それでも、理奥が楽しそうなことと、百夜は家に帰ってからも理奥と話せるのだからと思い、我慢した。


 それなりにご飯も食べ終わり、和真と理奥が将棋を指し始めると、参加しない者たちの間で部屋の片づけが始まり、百夜もそれを手伝った。


「百夜」


 理奥から呼び止められたのは、百夜が炊事場と広間を往復している最中だった。

 百夜が思わず広間に目配せをすると、和真が生徒の一人と将棋を指しており、理奥の手が空いたことを理解した。


「理奥……おかえりなさい」

「ただいま」


 理奥と話したいことはたくさんあったはずなのに、口から出てこない。


「ちょっと散歩しない?」

「うん」


 返事をする百夜の声がうわずった。

 観月祭の最終日は特別な人と過ごすと考える人が多い。

 瞬時に、百夜はそのことを脳裏に思い浮かべた。


 庭に面した廊下を通って玄関に回り、下駄を履いて外に出る。そのまま、敷地内の道なりに目的なく歩き始める。


 まだほとんど欠けていない月が道を明るく照らす。

 人の声は遠くなり、虫の音色があたりを包む。


 冷たい風が通り過ぎ紅潮した頬を冷やしていくが、胸の高鳴りを抑えられない百夜は無意識に着物の合わせ目に手を当て、思い出した。


「お守り、ありがとう」


 胸元から布袋を取り出し、理奥に渡す。


「役に立った?」

「うん。怖くなったときに力をくれた」

「そう。よかった。女学院はどうだった?」

「親切なお姉さんが色々教えてくれた」

「よかったね」

「うん。でもやっぱり理奥と一緒がいいなって」


 少し浮かれた勢いのまま口に出したそれは、今の百夜にとって精一杯の告白だった。

 にもかかわらず、理奥の反応はそっけなかった。


「そっか」


 そう言うと、黙り込んでしまう。

 百夜もなんだか恥ずかしくなって黙り込んだ。


「僕はね、試験、駄目だった。やっぱり簡単じゃないね」

「残念だったけれど。でも、理奥はすごいよ」

「ありがとう。天上陛下に願いをかなえてもらうことはできなかったんだけど、試験監督だったお役人様から書生にならないかって誘われたんだ」

「……しょ、せい?」


 百夜と目を合わせず、理奥は言葉を続ける。


「大学寮に推薦してくれて、学費も出してくれるらしい。通うために家も住まわせてくれるって」

「理奥はその役人の人のところに行くの?」

「行きたいと思ってる」

「百夜は駄目だよ。自分のことすら一人で出来ないでしょ」


 確かに、百夜は着替えるのも誰かの手を借りなければできない。

 食事も洗濯も誰かがやってくれるものだし、自分でやれと言われてもできる自信はない。

 百夜はむくれながら尋ねる。


「じゃあ、理奥はいつ帰ってくるの?」

「……もう、ここには帰ってこないかもしれない」

「どうして?」


 答えはない。代わりに、立ち止まり、こちらを向いた理奥の顔がまっすぐに百夜を捉える。

 百夜には、その表情が何を意味するのか理解できなかった。

 ただ一つわかること。

 たとえ百夜が女学院に行かなくても、もう理奥と一緒にはいられない。

 頭が真っ白になり、悲しみ、怒り、いろんな感情が百夜の体を駆け抜け、爆発した。


「ずっと一緒にいるって言ったのに、嘘つき! 大嫌い!」


 百夜は言い捨てると、理奥に背を向けて来た道を戻っていった。

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