三章 二
最初に案内された建物を出て、なだらかな上り坂をゆく。
道は整備されているものの、分かれ道や似たような建物が多く迷路のような学院内を、菖蒲は迷いもせずに進む。その後ろを百夜はついていくのに必死だった。
「右手にあるのが学院寮、その奥が食堂ね」
寮は学年ごとに階が分かれており、十畳一間を二人で使用する。
授業は校舎、食事は食堂、風呂は風呂棟でというように目的によって建物が分けられているため、学院内の移動が多い。
「ここは島だから殆どが坂道で、雨の日なんかは転ばないように気をつけないといけないの」
道すがら菖蒲が案内してくれる事柄は案内書にあったこととほぼ同じだったが、菖蒲の言葉で説明されると生活する生徒たちがそこに見えるようであった。
なだらかの上り坂の先に校舎はあった。
授業は一教室に二十名ほどで受けていて、一学年は三組に分かれている。
一学年目から入る生徒が多いが、中途入学も多い。
初めの三年と後の二年で校舎が分かれており、二つの校舎は渡り廊下でつながっていた。
百夜が辿り着いた時には午後の初めの授業の最中であった。
はずだが、校舎の外に生徒がいくつかの集団でかたまっていた。耳を傾けると、話し声や芝居のような声が聞こえる。
教室の中では勉学に励む生徒がいない訳ではないが、和やかに話しながら裁縫をしている生徒もいる。
「ごめんなさいね。今日は明日の輝夜祭に向けた準備日なの。普段は授業があるのだけれど」
「輝夜祭、ですか」
「観月祭にちなんだお祭りね。日頃の部活動の成果を見せる場所なの。年に一度のお祭りだから力を入れる子も多いのよ。あの舞台上にある飾りも生徒の手作りなの」
三階の渡り廊下から中庭を見下ろすと木組みの舞台があった。
舞台にはかがり火をともす燭台や、裏手との仕切りとなる立て板が建てられている。傍に立つ学生の身長よりもやや大きい立て板には布が重ねてかけられ、布には風景画が描かれていた。
「あの舞台はもともと祭祀のために設置されているのだけれど、輝夜祭ではそこに背景画や篝火を置いて演劇や歌唱の舞台になるの。輝夜祭で一番人気なのは月影の姫君を題材とした歌劇ね」
「あの風景画は学生が作ったのですか?」
「ええ」
「支えの板も?」
「ええ。先輩方が設計図を残してくださって、それを時々改良したりしながら作っているの」
風景画を支える板は倒れないように後ろに支えが組まれている。
これを自ら組んだというのだろうか。
百夜が不思議に思っている間に、生徒が梯子を上り何かを調整し始める。
それは、普通ならば「はしたない」で済まされてしまうものだ。
「本堂」という名字から察するに、おそらく菖蒲は四大貴族の一つ、各国の国司を束ねる本堂家の子女なのだろう。
生徒会長をしているのだから、きっと家系も本家に近いに違いない。
その菖蒲がこの光景を見ながら、どうして誇らしげな顔をしているのだろう。
「百夜さんはここに入るのはお嫌?」
「え。ええと……」
本心を突かれた問いに、百夜はどきりとした。
どう返せばいいのか戸惑う百夜に、菖蒲は微笑む。
「大丈夫よ。ここにはいろんな子が来ているから。望んでやってきた子も、そうでない子も。だから、だれも咎めたりはしないわ」
廊下を大きな布を抱えながら生徒がかけてくる。
菖蒲に気付くと歩調を遅め、挨拶をしながら去る。
角を曲がったところでまた駆けだす様子を、菖蒲は目を細めて見送る。
「ここでは何もが平等じゃない。生まれも家柄も容姿も向き不向きも。でもね、ここにいる子は、みんな最初は一人なの」
一人。
その単語に、百夜はぞわりと背筋が震えた。
「みんな、今まで守ってくれていた両親や環境を置いて、ただ一人でここにやってくる。初めて家の外に出る子も多いわ。だから、誰もが最初は不安なの。けれど色々な人と出会って生活する中で、信頼できる人や自分自身をみつけていく。それはきっと屋敷の中にいただけではできないし、いつか仕事や家庭を持ったときに役立つことでもあると思うわ」
雲の切れ間から差し込む陽の光が学院内を照らす。
それは中庭や教室内にいる生徒を照らし、同時に百夜にも降り注いだ。
菖蒲の言葉ひとつひとつが実感に満ちた重みをもち、不安で崩れそうな百夜を支えていく。
気が付けば、怖かった学院内の空気が温かく歓迎してくれているようにも思えた。
百夜は無意識に由比姿を探していた。
今、彼女はどんな顔をしているのだろう。
「私は今年で卒業してしまうけれど、百夜さんがよい学院生活を過ごせることを願っているわ」
本堂菖蒲は不思議な人だ。
出会ったばかりだというのに、百夜の世界を変えていく。
冷たくて暗い闇を溶かす暖かな光。
そう。理奥のように。
いつもそばにいてくれる彼のことを思い出し、百夜は無意識に胸元に手を当てた。
胸の奥底から湧き出た痛みに耐えるように、着物の重ね目を握りしめた。




