三章 一
帝の直轄地である稲水国は瑞穂大国のちょうど中央にある。
その稲水国の中央に位置するのが、帝都の桜宮である。
桜宮は政治の中心地であると同時に、港にも近い平地であるため、国内・国外の交易が盛んな土地でもある。
桜宮という言葉を聞いたときに、百夜は幼いころに遥からもらったお土産を思い出す。
小麦粉と砂糖と乳製品を混ぜて焼いたという甘い焼き菓子は、常盤国では売られていないものだった。
「桜宮は道が広くて、人がいっぱいいて、お店もたくさんあるんだ」
鉄道の駅を出た百夜は、脳裏に遥の言葉が蘇った。
けれど、その言葉から百夜が想像した以上の光景が広がっていた。
道端にはガス灯が立ち、昨年開通した鉄道により桜宮と主要な国をつなぐ汽車が走っていた。道も整備され、馬車の往来も多い。
老舗の酒屋の隣には煉瓦造りの料亭があり、道を行く男女の衣服は瑞穂特有の物ばかりでなく、帯で締めない形の服を着ている者もいる。
そんな、伝統と変化が共存する町だった。
稲花女学院はそんな桜宮から少し西へ下った稲花という町にある。
町といっても瑞穂大国で一番大きな湖、鏡湖に浮かぶ島であり、その全体が女学院の敷地であった。
島と本土は1つの橋でのみ繋がり、その両側には門が立ちはだかっている。
この門は部外者の侵入を防ぐと同時に、年頃の少女たちを外界から隔離していた。
いくつかの手続きを経て開かれた本土側の門の下を百夜を乗せた馬車が進む。
今日、百夜の身を包んでいる二分袖は桜の花が刺繍された淡い桃色で、合わされた紺色の袴の裾には桜の刺繍が施されている。 瑞穂大国の国花である桜模様を用いながら、年齢にふさわしい可憐さと、落ち着いた雰囲気を与えるように作られた衣装だ。
髪型もすっきりとした印象を与えるように後ろ髪の一部をまとめ、桜のつまみ細工でできた髪飾りで止めている。
馬車の中は向かいに座る祖父と2人きりである。
百夜が常盤国を発ったのは、桂花月二日。そこから稲水国に入るまでに約三日かかった。
まず、人力車で南西に下り高砂国を目指す。これに二日間。高砂国中心地の松宮からは汽車に乗り、半日で桜宮に辿り着いた。
同行したのは、沙耶と理奥と当真の3人。仕事の都合で天城に戻れない正隆とは桜宮で落ち合うことになった。
女学院の内部には入学希望者とその親族しか入れないため、百夜の初めての旅の随行者は、身の回りの世話をする沙耶の一人となった。
女二人旅は危なかろうということで、 天望試験のためちょうど同時期に桜宮を目指す理奥と、理奥の付き添いとして同行する稲川学問所所長の当真が、正隆に雇われる形で一緒に行くことになった。
百夜にとっては見える景色も、食べ物も、汽車も、すべてが珍しく、女学院のことをわすれてはしゃいでいた。
桜宮に着くと、天望試験当日まで桜宮で宿泊する理奥たちや、今日の宿泊先である南波へと先に向かう沙耶と別れ、祖父と二人で馬車に乗った。
橋の向こうに広がる湖をぼんやりと眺めながら、百夜は理奥のことを思い出す。
桜宮に来るまで、理奥は何かと百夜に気をかけてくれていた。いつも以上に。
百夜は嬉しかったのだが、その表情がどこか不安げに歪むときがあった。
百夜は何か引っかかって心配だったのだが、馬車が一時停止したことにより現実に引き戻された。
島側の門にたどり着いたのだ。
どうにか入学を諦めてもらおうと、日頃の勉強にも稽古事にも力を入れていたし、何度も正隆に抗議した。
けれど流れは変えられず、女学院へ向かっている。
当然、諦めるつもりはない。
けれど、こうありたいと願っても、そのために努力していても、大きな力でねじ伏せられる現実に長い間直面していると、底知れぬ不安がこみあげてくる。
と同時に、「もし、女学院に行ったら」ということも考えてしまう。
知らない人、それも同じ年頃の女子ばかりのところに一人で行き、暮らす。それは百夜には想像もできない生活だ。
茜だったらきっと楽しいことを考えられるのだろう。「真夜中のお茶会」とか言い出す茜のことは容易に頭に浮かぶ。
でも思い返してみれば、由比が長期休暇に帰ってきたときに女学院の話をしているのを聞いたことがない。
それは、言えないことが多いからではないのか。
今までは理奧と会えなくなることしか考えていなかったが、想像できない環境に放り込まれることへの恐怖が次第に大きくなり、息ができなくなる。
百夜は不安を飲み込むように胸元に手を当てた。
懐には別れ際に理奥からもらったお守りがある。
天城絣の模様が視認できる少し色あせた小袋だったが、そこに手を当てると、不思議と気持ちが落ち着いていくのだった。
門を抜けると、それまでの威圧感が嘘のように華やかな風景が広がった。
石畳で整備された道の両脇には様々な種類の植物が植えられ、紅葉した木々の葉が舞い散る。
色彩あふれる風景と調和するように、木造の建物が立ち並ぶ。
百夜が物珍しげに見回していると、正隆に手を叩かれた。
「不躾けに見回すのはやめなさい」
そうだ。ここは、礼儀と作法を重んじる場所なのだ。
「はい」
百夜はうなだれて返事をした。
目に映る景色は鮮やかなのに、そこにある空気さえ百夜を見張っている気がした。
天城にいた時も自由にどこでも行けるわけではなかったが、行動のひとつひとつまで誰かに見られているようなことはなかった。
そう思うと、早くも天城の屋敷に帰りたくなった。
百夜の気持ちをよそに、馬車は一番大きな建物の前で止まった。
「お待ちしておりました」
女学院の職員らしき女性に出迎えられた百夜は、玄関で下駄を脱ぎ、案内されるままに進む。
年季の入った建物だったが、手入れが行き届いているため古臭さは感じさせない。
階段を上ると、細かな装飾を施した洋扉が現れた。
「結城様をお連れしました」
「お入りください」
扉が開かれると、風格のある年配の女性と、袴姿の若い女性が迎えた。
「失礼します」
正隆に続き、礼儀作法の稽古を思い出しながら部屋に入る。
そこは、洋風の部屋だった。
窓には臙脂色の窓掛けがかけられ、窓際には脚の高い椅子と机、その手前には綿の入った布が貼られた長椅子と机が置かれていた。
時計や花瓶、書棚など舶来品も多くあったが、百夜は失礼なふるまいをしないように気をつけるので精一杯だった。
「この学院の学院長を務めます藤代楓と申します」
「生徒会長を務めます本堂菖蒲と申します」
年配の女性と袴姿の女性がそれぞれ挨拶をすると、 応えるように正隆があいさつをし、百夜もそれに続いた。
ひとしきり挨拶が終わると、席を勧められた。
座席が座布団のようにふかふかしている長椅子に座ると、白い器に入ったお茶が目の前に出される。
正隆と学院長が難しい話をし始め、どうしたらよいのかわからなくなった百夜は、向かいに座る菖蒲を真似してお茶に口をつけた。
緊張のあまり、味がよくわからない。
菖蒲は百夜と目が合うと微笑み、正隆と学院長の会話が一区切りした頃に口を開いた。
「百夜さんに学院内を案内してもよろしいでしょうか」
「ああ、そうでしたね。ぜひ案内して差し上げてください」
「はい。いきましょう、百夜さん」
「はい」
百夜は菖蒲に続いて立ち上がると、ぎこちなく礼をして部屋を出た。




