メアリー
「よく、ここに来るわね」
高い声がして、顔をあげた。
姿が見えずきょろきょろと顔を動かす。
「こっちよ、こっち」
ひらひらと肌色が目の端をかすめた。
少女がにこっりと手を振っていた。
僕は二、三度瞬きをし、瞼を擦った。
目を開けても少女は相変わらず目を細め、手を振っている。
ポカンと開いていた口を一度閉じて、かすかすと鳴る喉を湿らせる。
「……君がしゃべったの?」
「そうよ」
絵の中の少女は自慢げに答えた。
読みかけの物語にしおりをして、絵を見る。
これは木陰に座っている少女の絵だ。
ほぼ毎日来ているがこうじっくり見るのは初めてかもしれない。
「そんなにじろじろ見ないでよ」
恥かしい。頬を紅く染めて少女は言う。
「あ、ごめん」
視線を外す。相手は絵のはずなのに。
「あなた、よくここに座っているわね」
「うん。お気に入りなんだ。ここ、景色がいいだろ」
「そうかしら?」
「館内の様子がよく見える」
「確かに」
ふぅ。と一つ息を吐く。
「でも、それだけだわ」
退屈そうに手に顎を置く。
「ほら見て。今、Ms.ホワイトがチョコレート菓子の作り方の本を借りようとしているわ。司書のMr.リッチ。彼、彼女の事が好きなのよ。いつもより優しそうでしょ?あんなに怖い顔なのに」
「最初は怒ってるんじゃないかと思っていたよ。なるほどそうだ。いつもより眉間のしわが少ないね」
「ね?それに、地理の棚にいるMs.スリーとMr.グラン。そろそろ付き合うんじゃないかしら?」
「そうなの?」
「そうに決まってるわ!最近はいつも一緒の席よ」
「うぅん。ただ、仲がいいだけなのかもしれないよ?」
「そんなわけないわ!男女が一緒に居るってことは恋人になるってことでしょ?」
「そうかな?」
「そうよ!」
腰に手を当て、譲らない。
まぁいいか。そういう見かたもある。
「それで?」
僕が聞くと少女は首をかしげた。
「それだけ?」
「何が?」
「ここに居て見えること」
「それだけよ」
怒ったように眉をあげる。
「それ以外に何があるって言うの?」
「綺麗に並んだ本棚とか……」
「本っ!そんなの何になるのっ!私は何年もここにいるけど一度も読んだことがないわ!」
「ステンドグラスから入る夕日とか……」
「綺麗ねっ!キラキラしていて綺麗だわ。でもね、このドレスを見てよ!すっかり色あせてしまったわ!」
「静かで穏やかな……」
「ええ、そうね。堅苦しくて退屈でとっても眠くなる。埃っぽくて、カビ臭い!」
「……僕は、それが好きなんだ」
「私はこれが大っ嫌いよっ!」
大きな瞳から雫が溢れそうになる。
「私はここから抜け出したい」
「僕は…………」
ゴーンゴーンと夕刻を示す鐘の音。
五月蠅いなぁ。
何故か濡れている目元を擦り、机から頬を剥がす。
グッと腕を伸ばし、宿題のために読んでいた物語にしおりをする。
これだから本は嫌い。
重い茶表紙を鞄にしまって、夕日に当たって色あせた木陰に座る少年の絵にさよならと手を振る。
螺旋階段を下りてカビ臭い図書館を後にした。