人生
西日が低く差し込んだ賃貸住宅の一室。
男は眉間に皺を寄せて一点を見据えていた。
将来のことを考えて、自分たちの家だけでなく、賃貸用の部屋もあるビルを丸ごと一棟買おうか。不動産価格は今が底だ。部屋の家賃でローンを返せばいい。家賃を払わず今より広い家に住める。借金を恐れていては、この生活から抜け出せない。これはチャンスなんだ。
男は小さな声で「よしっ」と頷き、低く重たい声で「買おう」と宣言した。
しかし不動産は暴落した。部屋には誰も入ってくれない。売るに売れない不動産を抱えたまま、ローンを返そうと、男は株を買った。
買った株も暴落した。
「すぐに全部、売ってくれ」男は、ビルと株を投売りして、あっと言う間に、二億円の借金を負った。
こんな大金をサラリーマンの俺が返せるものか、男は両手で髪を握り締め、うつむいたまま、しばらく動かなかった。
「もう止めよう。もう十分だ」男は自分自身に言い聞かせるように呟き、全てを吹っ切ったように勢いよく、立ち上がった。
「どこへ行くんですか」妻が叫んだ。
「もういいよ」男はため息を吐いた。
「いいよって。どういうことなんですか」妻も立ち上がった。
「俺は終わったってこと」
「私は、子供たちはどうするんですか」
二人の子供は事の成り行きを不安そうに見上げていた。
「パパ。逃げるなんてずるいよ」小学生の長男が泣きそうな顔で言った。
「まだ、人生の半分も行ってないのよ。これから良い事があるかもしれないよ」中学生の長女が言った。
「お前たちに何が分かる。偉そうなことを言うな。こんな大金をどうして返せるんだ」男は思わず怒鳴った。
「怒らなくてもいいじゃないか。本当に最後まで行かないと分からないんだから」長男が半べそで言った。
「この子たちのためにも、逃げないでください」妻が男を促すように、軽く頭を下げた。
男は息を大きく吐いて、妻と子供達の顔をゆっくりと見回した。
「止めないで」と六つの瞳が訴えていた。
「分かった。止めないよ。お前達には負けたよ」男は再び座り、小さく微笑んだ。
「やった」子供達も笑った。
「はい、パパの番だよ」長女がサイコロを男に渡した。
数十分が経った。
「ドォン、ドォン」
「不況が終わり、再びバブルになりそうだ。金の価格も騰がり始めた」男は独り言を言って、ニンマリと笑った。社会情勢は男の思い通りに展開し始めていた。
「やったぞ。異常気象で穀物相場が急騰した」
「予想通りに石油も高騰し始めた」
「自分の会社が株式上場できた」男は甲高い声で叫んだ。
「パパ、静かにしてよ」長男が不機嫌そうに言った。
「調子の良い時ぐらい言わせてくれよ。最後になって大逆転だったな。お先にゴ~ル、ゴ~ル」男は歓声を上げた。
「ドォン、ドォン、ドォン」
「だから言ったでしょ、パパ。何があるか分からないからって」長男が悔しそうな顔をした。
「ゴールしないと誰が勝ちか分からないのよ。途中で失敗とか成功したかは関係ないの、最後に全部それらを含めて計算するから。途中で止めるというルールはないのよ。止めたら終わりなのよ」長女が忙しそうに電卓を叩きながら言った。
「やっぱり、パパの勝ちだ」長男が長女の手元を覗いて、口を尖らせた。
「借金があっても逃げないでがんばるよ。人生はゲームと同じだな」男はゲーム盤をぼんやりと眺めて、呟いた。
「そうよ、あなた。夜逃げしかないとか言わずに、今日こそは出て行って話をしてくださいね。近所迷惑だし」妻がドアの方を見た。
「ドォン、ドォン、ドォン、ドォン」
「居るのは判っているんだ。借りたものは返せよな」と借金取りが叫びながら、鉄製のドアを蹴り続けていた。
人生はゲームです。ただ一生懸命、途中で投げ出すことなく続けていればいいんです。そうすると、ある日突然、楽しくなり、好転していきます。「いい人生だった」と言う人はそういう人達なんです。「終わり良ければすべて良し」です。




