↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

白昼夢

作者: 茶ヤマ
掲載日:2026/09/02

生物学的には、猫も夢を見るらしい。


時々、うちの猫は寝起きに、ウニャウニャと口の中で何かを言いながら、こちらへまっすぐに歩いてくる。

そして、差し出した手に額を押しつける。

一度ではない。

何度も、気が済むまで、額をこすりつけてくる。


そのときの猫は、起きているのに、まだ夢の中にいるような顔をしている。

何か、寂しい夢でも見たのだろうか。


そう思うことがある。


けれど、今日のように暑い日には、夢を見ることさえ億劫なのかもしれない。

甘えに来る体力すら惜しいのか、猫はどこか涼しいところを探して、長く伸びているのだろう。

どこにいるのかは、わからない。


うだる熱気が部屋の四隅に溜まり、時間そのものが腐蝕していくような午後だった。

畳の上に横たわる私の体は、溶けかけた蜜蝋のように重い。

湿り気を帯びた空気が皮膚にまとわりつき、呼吸をするたび、胸の奥へぬるい水滴が溜まっていく。




りぃぃぃぃ……ん


風鈴が鳴った。


細く、長く、尾を引くような音だった。



猫はどこへ行ったのだろう。

涼しい所で寝ているといいのだが。

起きたら、またウニャウニャ言いながら寄ってくるのだろう。




ちりり……ん


弱々しい金属音が広がる。



部屋には風など一筋も吹いていない。

扇風機は、熱を孕んだ重たい空気を惰性でかき回しているだけだ。


私はいつから、ここに横になっているのだろう。

数分前か。

それとも、数時間前か。


目を開けることすら億劫で、まぶたの裏にはただ朱色の暗闇が広がっている。

起き上がってエアコンのスイッチを押せば済むことなのに、指先ひとつ動かす気力さえ、この熱気の中に奪われていた。


静かすぎる。

蝉の声も。

道を走る車の音も。

街の喧騒も。

すべて熱の中へ溶けてしまったようで、ただ不定期な風鈴の音だけが耳に残っている。


猫は……。

待てよ。

私は本当に、猫を飼っていたのだろうか。

あの額の温もり。

毛皮の乾いた匂い。

手首に伝わった、愛おしい体温。


あれは、本当にあったことだっただろうか。




ちりん


風鈴が、わずかに鳴った。



冷涼感を出すための音が、今は少しも涼しくない。

意識が、ぬるま湯のような微睡みの中へ沈んでいく。

境界線が溶けていく。


部屋と自分との境目さえ、曖昧になっていく。




りぃぃぃぃ……ん


風鈴が鳴った。



……風が、ない。

なのに、風鈴は鳴る。


扇風機の風だろうか。

……でも向きが違う。

いろいろ回り回って鳴らしているんだろう……


だから、風鈴が鳴る。


……そういえば、自分はいつ、あんな風鈴を吊るしたのだったろう。

記憶が、ない。




ちりり……ん


また鳴った。



猫は……。


猫?




ちりん


短く、風鈴が鳴った。



猫。

そうだ。

猫がいる。

……いた、はずだ。




りぃぃぃぃ……ん


風鈴が鳴った。



目を開けたい。

けれど、まぶたが重い。

起き上がりたい。

けれど、身体が動かない。


暑い。


ひどく眠い。

誰かに触れたい。

そこに手があるなら。

そこに誰かがいるなら。

それだけでいい。

額を押しつけるだけでも。


何度でも押し付けたい……。




りぃぃぃぃ……ん


風鈴が鳴った。



今度は、とても遠くで鳴ったように聞こえた。


か細い音色が、遠ざかる私の意識の裾を、そっと引っぱっている。

その向こうから、かすかに。


ウニャ。


と、聞こえた気がした。




ー了《りぃん》ー

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。