第43話 色々と勘違いしている日
「これがわたしのいた世界とは違う、異世界。たしか長谷川さんは地球……、と言っていましたか~? 確かに、素晴らしい文化文明を持ったところのようですねぇ」
超高級マンションの最上階にて。
バスローブに身を包んだエルネシアはワイングラスを片手に、ガラス張りになっている大きなテラス窓から地上を見下ろす。
ドラマやサブカルチャーに詳しい人間がいまの彼女を見れば、まるで悪役が世界征服を企んでいるかのような光景だと語るだろう。
もちろんエルネシアにその意図はない。
本当に全然ない。
ただ自然に佇んで地球を称賛しているだけなのだが、エルフの血が持つ卓越した美貌と雰囲気は現実離れしていて、なぜか邪なことを企んでいるように見えるのである。
「しかし長谷川さんには感謝しないといけませんね~。資金援助に高待遇、それに何から何までサポートしていただきましたぁ……。約束以上のことを守ってくれたこの恩を、わたしはどうやって返して行けば良いのでしょう」
ふむう~、と気の抜けるようなため息を吐くが、ふわふわとした態度とは裏腹に内心はいたって本気。
いますぐに恩人である長谷川から恩を身体で返せといわれても、うわこいつサイテーとは思いつつ、それくらいで恩返しになるなら応じてもいいかなと考えるくらいには感謝していたのだ。
もちろん長谷川にその意図は全くない。
何よりあのおっさんは奥手かつシャイなので、そういう状況になったらおっさんの方から真っ先に逃げ出すだろう。
おっさんは美人のオーラには特に弱いのである。
なぜなら社会的に誅殺されることを恐れているからだ。
哀れおっさん、痴漢冤罪による逮捕を恐れ、電車内では必ずつり革を両手で持つことは忘れない。
長谷川天気とはそういう男であった。
とまあ、現実改変能力を持ったチートおっさんの弱点はともかく、エルネシアはチビチビと地球産の高級ワインを嗜みながら物思いに耽る。
まず最初に長谷川天気について思うのが、どうやら彼はこの世界における最大の秘密組織、異能者協会に属する最強クラスの異能者であるということだ。
地球世界に来た当初、異能学園の特別指南役として日本政府側と交渉していたエルネシアは、この事実を知った。
そして詳しく聞くところによると、長谷川天気は異能者協会に属しつつも縛られず、なんなら両者は武力的な衝突まで起こしたこともあるのだとか。
その武力衝突の中心にいたのが、長谷川天気という最強の男と、大魔導士マーリンという二大巨塔だ。
「たしか、マーリンさんは長谷川さんのライバルを自称していて、異能者協会は彼を筆頭に衝突した経験があるんでしたか~? できれば日本政府との兼ね合いもありますし、わたしの身分を保証してくれた異能者協会とは仲良くやっていきたいところですがぁ……」
そこまで言い終えた時、エルネシアの周囲の魔力が急激に高まる。
部屋は風も吹いていないのにガタガタと震え、手に持っていたワイングラスは突如砕け散った。
それはエルネシアの持つ無意識の怒りであり、憎悪。
自分を地獄から救い出してくれた恩人である長谷川の潜在的な敵、異能者協会に対する苦々しいイメージが具現化したものであった。
「ダメです。ダメですよぉマーリンさん。長谷川さんのライバルだかなんだか知りませんが~……。もし、彼の障害になるようであれば、呪い殺しちゃいます~」
間接照明が照らされた少し薄暗い部屋の中、暗い笑みを浮かべたエルネシアの口元がつり上がる。
さきほどまでは世界征服を企む権力者のような風貌だったが、今の彼女は目的のためなら手段を厭わない、まさしく狂人とも言えるオーラを纏っていた。
ちなみに、もちろんマーリンは長谷川が使役するミニコのサブボディであり、異能者協会そのものが自作自演である。
だがそのことは長谷川とニアとミニコだけの秘密であるし、なんならニアはまだ幼く事情をよく分かっていない。
電子妖精として長谷川に付きまとっているミニコにしても、エルネシアは彼が使役する特殊な魔法生物であると見当をつけていた。
この使役した魔法生物という部分に関してだけは、ほぼ正解である。
「困りました~。ほんとうに困りましたぁ~。これから念願の先生になって、たくさんの生徒を守り導かなければならないのですがね~。ですがまあ、まだ予定は未定です。異能者協会とやらが彼に迷惑さえかけなければ、何もしませんとも~」
それに、目下この世界で大きな影響力のある者は彼ら秘密組織の者達だけではない。
中にはダンジョンを爆速で攻略する勇者、そしてアメリカなどには無敵要塞なる英雄たちもいるのだ。
まだ彼らブレイバーや無敵要塞とやらはパーティーとして未熟で、エルネシアの世界で言えばようやく中級者とも言える十二階層でもたもたする程度の雑魚だ。
だが勇者という存在の本当の恐ろしさは、その圧倒的な成長速度にある。
もし勇者がこの調子でぐんぐん成長し、エルネシアの手に負えない超越者になってしまえば、もう逆立ちしても干渉することはできないだろう。
故に彼女は考える。
このまま静観するか、それとも何らかの行動を起こすか。
「うーん。ですが、ブレイバーの皆さんは長谷川さんも応援しているみたいなんですよねぇ。知り合いでもあるようですし。なら、こちらはとりあえず保留ということで~」
割れたワイングラスの破片を卓越した魔力操作でかき集め、ゴミ箱に捨てつつテラスに出る。
彼女が見下ろす眼下の街は今夜もキラキラと輝き、文明の光を放っていた。
「美しい街並み。素晴らしい文明。優しい恩人。……失いたくありませんねぇ、なんとしてでも、です」
故にエルネシアは手段を選ばない。
どんな障害があろうと、持てる手札全てを使ってこの奇跡を守り抜く。
この世界にやってきて余裕が生まれ、彼女の心に芽生えたのはそんな感情なのであった。
そして同時に、このマンションの電子機器から様子を見守っていたとある電子妖精。
もとい超科学が生み出した最強AIのミニコが、「彼女は何か勘違いしているのでは?」と疑問に思いつつ、首を傾げていたとか、なんとか。
世の中には色々なすれ違いがあるということを、そろそろレイドバトルイベントを開催しようかな~、とか暢気なことを言っているチートおっさん。
エルネシアの恩人である長谷川天気は知らないのであった。




