第4話 異世界に転移した日
眼前に広がる異世界の街並み。
本当に異世界に転移したという実感が得られるまで、しばし茫然と立ち尽くしていた。
異世界転移の能力は正常に起動していたようで、さすが神様が特別に用意した能力と言うべきか、寸分の狂いもなく狙った通りの世界に訪れることができている。
俺みたいな明らかな異邦人に対して不審がる様子もなく、多種多様な人種が入り乱れ街を賑わせていたからだ。
とはいえ、いつまでもぼーっとしている訳にはいかないのでさっそく何か行動に起こしたいところだが、生憎この世界のことを俺は何も知らない。
一応言葉は翻訳できるように自分へと能力を付与してあるが、それだけだ。
俺の持っている情報といえば、ここが剣と魔法のファンタジー世界であり、交易都市であることと、少なくともこの世界の中では比較的治安が良い地域ということだけ。
まだ行動方針もなにも決まっていないし、とりあえず最低限この国の情報を得なければならない。
なんたって、言葉が通じる以外の常識は持ち合わせていないからな。
世界すら違う異文化コミュニケーションのどこに落とし穴があるかなんて、分かったものではない。
まずはそこらへんをカバーできる案内があれば最良なのだが、どうしたものか……。
と、そこまで考えていた時、俺の背後から声をかけてくる人物がいた。
何者かが近づいてきているのは極まった身体能力による五感と、重ね掛けしている白兵戦スキルによる達人的な気配の読みで理解していたが、その気配が小さくて油断していた。
どうにもいかんな。
どれだけ能力の補助を受けていても、俺の精神性が現代人だからか心構えに隙が多い。
とはいえ精神構造を能力で弄るのは俺が俺でなくなることになりそうで怖いため、この現代人の平和ボケ感覚をどうこうする手段は存在しないが。
まあ、徐々に慣れていくとしよう。
「おーい、そこの兄さん。あんたこの街はじめてなんだろ? どうだい、いまなら銅貨三枚で案内してあげるけど」
「……お?」
振り返ってみると、声をかけてきたのは全身が泥や埃にまみれた小汚い金髪の子供だった。
その金髪もボサボサで、あまりにも汚いため茶髪に見える。
そんな身なりや状況から推測するに、どうやらこの貧乏そうな子供は街のガイドで生計を立てているらしい。
周囲の気配を探ると、他にも俺に狙いを定めている者達が数人。
チラチラとこちらを窺っていることから、案内役社会にも激しい競争があるんだなと実感させられる。
この子供は運よくその競争に一番乗りできたといったところだろうか。
その中には明らかに表の社会の者ではなさそうな雰囲気の者も混ざっているが、まあ治安が良いといっても基準が暴力的なファンタジーじゃこういうのもいるだろう。
地球だって海外にいけばマフィアや犯罪組織なんていくらでもいるのだ。
この交易都市に貧富の差で生まれるであろうスラムが存在しないなんて、逆にそんなはずがない。
ということは、この身なりからするとこの子供はスラムの子か。
ふむ……。
まあ、この子にガイド役を任せてみるのもありか。
どうせ俺にどのガイドが良いかなんて選り好みできるだけの知識や経験なんてない。
万が一状況的に詰んだら転移で逃げればいいし、多少の危険なら重ね掛けした能力群と現実改変した装備でどうとでもなる。
そのために一週間準備したのだ、ここはまだ逃げる場面ではない。
「よく分かったな。確かにたった今、案内人を探していたところだ。頼めるか?」
「よっしゃ、やりい! そうこなくっちゃな!」
交渉は成立したらしい。
子供が断られることに賭けて現場を見ていた複数の気配が諦め、遠ざかっていくのを感じ取る。
どうやら次のカモを狙いにいったようだ。
でもって、問題は銅貨なんて一枚も持ち合わせていないことだが、交換条件ならいくらでも生み出せるな。
そう、例えば……。
「ああそれと、銅貨の代わりに好きなだけメシを奢ってやるっていうのはどうだ? 腹いっぱい食わせてやるぞ。なんなら仲間が居るなら連れてくるか? 今日くらいまとめて面倒みてやる」
「え?」
驚いている子供を他所に、おもむろにその辺の石ころを拾い上げて現実改変を行使する。
すると次の瞬間、俺の手には石ころと同じサイズのあんパンが握られていた。
同体積の石ころとあんパンでは質量が違いすぎるが、現実改変にそんな正論は通じない。
なぜならこれは現実を書き換える能力だからだ。
なんだったら石ころをそのまま金塊にも巨大なダイヤモンドにもできた。
まあ、やらないけど。
「……え? あ? それ、いまどこから」
「気にするな。ほら、いくらでも食え」
もう一つ石ころを拾い上げ、サクっと現実改変。
この程度のスケールなら、無制限にどうとでもできる。
すると状況が呑み込めないまでも、手渡された柔らかいあんパンが本物だと実感できたのか、ゴクリと息を飲んだ子供は様子見で一口だけかじる。
「う、うめえ!? やわらけぇ!? こ、こここ、これが噂で聞く砂糖ってやつか!? すげぇ!」
「おう。まあ基本成分的には糖質と脂質だしそれでいいんじゃないか、よく知らんが」
ほらほら、そのベンチにでも腰掛けてまずはどんどん食え。
どうした、水いるか?
水筒には空気の水分をいくらでも飲み水に改変できるから遠慮せずに飲め。
こんなの報酬の前払いだ。
銅貨三枚の価値がいくらかは知らんが、その辺の屋台で肉串が銅貨十枚とか言って呼び込んでるんだ。
似たようなもんだろ。
あの量の肉串をコンビニで買おうとすると、二百円のチキン二つ半くらいするかな?
なら銅貨十枚で、五百円くらいか。
てことは三枚で百五十円。
一日に何人ガイドするか分からんが、俺のようなカモを狩る相場が銅貨三枚か。
うーん、世知辛い。
そりゃこんな効率じゃ、スラムからなかなか抜け出せないわけだ。
この治安の良い交易都市でこれなんだ。
一度でもスラムに落ちたら再起不能と見ていいだろう。
「うはー! 食った、食った! 生まれて初めて生きてて良かったと思ったぜ。兄さん、あんた実はお貴族様だったりするのか? それとも凄腕の冒険者か傭兵!? そんな立派な剣、初めて見たぜ。すげー力をびんびん感じる!」
「まてまて、落ち着け。ガイドのお前が質問役に回ってどうする」
俺の不思議な装いと、腰に釣り下げられている明らかに普通じゃない風格の剣、もとい現実改変後のオモチャの伝説剣を見て、子供は目をキラキラに輝かせる。
なあなあ、と詰め寄ってくる子供の頭をワシャワシャとなで落ち着かせるが、どうにも懐かれてしまったようだ。
ちなみに子供の頭は風呂にも入ってないからかなり汚れているが、こんな汚れなど洗えば落ちる。
なら、俺の手が汚れようと服が汚れようと、ためらうことはないな。
うまいものを食べて、頭を撫でなられてくしゃくしゃな笑顔を見せる元気な子供が見れるなら、どんとこいである。
数多居るスラムの子供からこいつ一人を優遇するのは偽善でしかないが、そもそも現実改変の力は神様から貰った棚から牡丹餅な力だ。
ならこの恩恵にあずかる者だって特に理由なく、棚から牡丹餅な感じでちょっとした幸運を得てもバチはあたるまい。
しかしこの様子では、ガイド役の子供から情報を聞き出すのはすぐには無理だな。
まあ現地人の協力者も欲しかったところだし、ちょうどいい。
こいつを衣食住で釣り、自立支援する代わりにこの世界で活動する上での案内役にしてしまおう。
変にその辺の大人を雇うと、いつどこで裏切るかもわからんからな。
大人というのはしがらみが多いんだ。
表の人間なら商会や組織に雇われているだろうし、上からの命令でいつでも俺を切り捨て、裏切るかもしれない。
なにより、スラムや裏の人間ならどんな犯罪グループと繋がっているかも分からないしな。
その点、こう言っちゃなんだがまだまだ頭がからっぽな子供なら危険も少ない。
なにより、もう完全に懐かれている。
きっとこの子供にとって、薄暗いスラムの抜けた先にある輝かしい世界を垣間見た気分なんだろう。
ここで放り出すのは、ちょっと罪悪感があるというわけだ。
「なあなあ!」
「わかった、わかった。とりあえずお前をしばらく雇うことにしよう。俺もこの国や街の話を聞きたいからな。当面の衣食住は保証してやるから、しばらく俺の情報源になれ」
「よっしゃーーーー!」
というわけで、まずはこいつを雇うための資金から稼がないとならなくなった。
今日のところは軍資金を得るために、現実改変で生み出したマジックアイテムやポーションをいくつか用意している。
転移する前に砂糖や胡椒を販売することも考えていたが、その辺は万が一流通を王族や貴族が牛耳っていた場合、面倒なことになり対立する恐れがある。
それこそこの世界の情勢を理解してから、その辺りの砂を現実改変で砂糖にでも変えたほうが安全である。
だからこそこの子供でも知っているような情報源が色々と有益なわけだ。
「で、お前の名前は?」
「ニア!」
「そうか、ニアか。とりあえずまずは、マジックアイテムを換金できる場所を教えてくれ」
「おう、任せろ!」
なお、砂糖や胡椒に比べて、マジックアイテムの取り扱いなどに特別な資格がいらないと判断しているのには理由がある。
なにせ行き交う傭兵みたいなのが、みんな剣とか槍を装備してその辺をうろついているんだ。
ここが剣と魔法のファンタジー世界だからこそ、武器防具マジックアイテムは大きく普及しており、装備の取り扱いに制限があるほうが不自然であると考えたわけだ。
そんなわけで、俺はひとまずニアの案内に従い、マジックアイテムを換金するための商店に向かうのであった。




