第16話 ボーイミーツガールだった日
俺の家族と長谷川さんが面会してから、一週間と少しの時が流れた。
あれから長谷川さんは俺の異能力の手ほどきのため、時間の空いている時はずっと氷魔法のレクチャーをしてくれている。
といっても平日は高校の授業があるので、普段は帰宅してからの一、二時間くらいしか訓練してもらえていない。
俺としては学校の授業なんかより、この絶対零度を使いこなすほうがよっぽど大事なことだと思うんだけどね。
でも長谷川さんとウチの両親はそう思っていないらしくて、将来どんな道に進むにしても高校にだけはしっかり行っておけと念を押してくる。
なのでしぶしぶ言うことは聞いているが、やはりこんな平凡な授業なんかに時間を費やしていて、本当にいいのかと不安に思う時もある。
なにせ相手は怪異なんだ。
俺が絶対零度を使いこなし強くなるまで、相手が待ってくれる保証なんてどこにもない。
そんなことを考えながらも今日の授業がようやく終わり、ホームルームが流れる。
来月からは夏休みだからって気を抜くなよ、という先生の割とどうでもいい激励が飛ぶが、こちらは怪異に命を狙われてるんだぞ。
なにをどう気を抜けっていうんだ。
これだから平和ボケしてる一般人はさあ……。
「はあ……」
「くすっ。なんでしょう、そのため息は。鳳さんってそういう性格の方でしたっけ。なんだかちょっと、面白いかも?」
おっと、思わずため息が漏れてしまっていたようだ。
隣に座っていたクラスメイトの女子、天上ひかりさんに見咎められてしまった。
これは、俺が悪いな。
急に魔法とか怪異とかの世界にぶち込まれたことで、どうやら俺は知らず知らずのうちに調子に乗っていたらしい。
こんなところを長谷川さんやニアちゃんに見られたら、訓練に乗じてボコボコにされてしまう。
反省しないとね……。
とはいえ、天上さんは思ったほど不快に思っているわけではないらしい。
お淑やかさを維持しつつも。なぜかその後もぐいぐいと迫ってくる。
「鳳さんって、ここ最近の雰囲気変わりましたよね? なんだか前よりも自信がついて、逞しくなったような気がします」
「え、えっと……。まあ、色々あったんだよ」
そう、色々とね。
「ええ。そのように見受けられます。よろしければ、どのようなことがあったかお聞きしても?」
「いや、悪いけどそれは俺の口からは言えない。それじゃ、俺はこれで帰るから、またね」
天上さんには申し訳ないけど、怪異の世界に俺のような一般人をこれ以上踏み込ませてはいけない。
一度でも足を踏み入れてしまえば、常に命の危険が付きまとう事になるんだ。
それに長谷川さんは言っていた。
ここ最近、世界の魔力がぐんぐんと上昇してきており、怪異が活発になりつつあると。
世界の魔力が上昇するにつれて、在野の一般人から異能者が生まれる可能性は比例して高くなるし、怪異もその分だけ強くなる。
もしかしたら今後、突如として各地にダンジョンが発生したり、異能者が現れたりするかもしれないんだ。
そんな時、何の力も持たない天上さんが俺と関わっていたら、それこそいらぬ暴力に巻き込まれてしまうだろう。
そうなってしまえば俺は後悔し、自分を許せなくなるだろう。
俺は怪異を倒すためだけに修行をしているんじゃない。
家族を守るために、そしていつの日か俺を守ってくれた長谷川さんのような強い男になるために、同じように誰かを救いたいから修行しているんだ。
その最初の決意を、忘れてはいけない。
そう考えながら俺はそそくさと下校し、いつものように一人で雑木林のショートカットを使うつもり、……だった。
しかし……。
「あら、また偶然会いましたね。鳳さん」
「て、天上さん!? なんでここに……」
おかしい。
天上さんはいつもなら茶道部に所属していて、下校は帰宅部の俺とは比べるべくもなく遅いはずだ。
いや、よしんば今日は休みだったとして、なんでこの雑木林に先回りしているんだろうか。
噂ではかなりのお嬢様で、いつもなら使用人の車が迎えに来てるらしいんだけども。
ああそれと、うちの私立はけっこう裕福な家庭が通う高校で、天上さんのように送り迎えが存在する生徒は何人かいる。
だからこそ、この状況が不自然なんだけどね……。
「くふっ。……失礼。ですがそんなに驚かなくても。私にもそんな深い意味はありませんよ。ただちょっと、最近カッコよくなってきていて、少し気になっている男の子が怪しげな雰囲気を醸し出していたので、その謎を解明したいだけです」
「そのために先回りを?」
「いえ、さすがにそこまでは。普通に途中までの帰り道が同じなだけです」
ほら、そこに私の使用人の車があります、と聞いて振り返ってみれば、本当に雑木林に入る手前のところに車が駐車していた。
なんてことだ、まさかこんな偶然で天上さんに絡まれるなんて。
しかもその後、どうせなら今日は歩いて帰るので、とか使用人に指示を出して追い払ってしまった。
うう、なんだこの人。
お淑やかだと思っていたけど、うちの妹並みに強情だ……。
しかしこうなってしまっては逃げることもできない。
一人置いて走り去るわけにもいかないので、俺はしぶしぶと二人で帰ることにした。
くそ、俺はコミュニケーションに難がある訳ではないけど、だからといって得意分野でもないんだぞ。
いったいいままでボッチだった男子生徒が、高嶺の花のお嬢様相手に何を話せばいいって言うんだ。
ええい、誰かどうにかしてくれ!
俺のそんな願いが通じたのか、なんなのか。
しばらく二人とも無言で雑木林を歩いていると、突然、聞き覚えのある不協和音が辺りに響き渡った。
それはピキーとか、ピギギギとか、そういう甲高い何かの鳴き声。
それと同時に、ズル……、ズル……、という引き摺る音も聞こえる。
まさか……。
まさか、まさか、まさか!
嘘だろこんな時に限って!!
バケモノに言ってもしょうがないが、ここには一般人がいるんだぞ!?
何も、今じゃなくったっていいじゃないか!!
「な、なんでしょうか? この音、いえ、鳴き声……?」
「くそ……!! いますぐ逃げるんだ天上さん! 怪異が現れた!」
とにかく、天上さんだけでもここから逃がさないと。
ここで彼女を死なせてしまえば、俺はなんのために長谷川さんから修行を受けていたのかも分からなくなってしまう。
だから、それだけは許容できない。
むしろ、俺の目の前で傷一つでも負わせるものか。
「か、怪異? ですが、す、すみません鳳さん。……足が震えて、動けないみたいです」
「…………ッ!!」
そうだ。
そうだった。
俺の時もあまりの恐怖で足が動かなくなり、膝を抓った痛みで正気を取り戻すだけで精一杯だったんだ。
同じ状況で一般人の天上さんが走って逃げられるなんて、俺はなんでそんなことを考えていたんだ。
無理だろ、どう考えたって。
だけど、それならばやることは一つだ。
俺が、俺がここで……。
「この怪異をぶち殺す……!」
「……っ」
そう決意した直後、俺の怒りに呼応するかのように氷の剣が周囲に幾本も浮かび上がる。
この剣は、絶対零度の力で生み出した氷結の剣。
触れたものを任意で凍らせるだけでなく、あまりの低温により金属よりも強固な分子結合を得た魔力の剣だ。
一度でも掠りさえすれば凍り付くことで動きは鈍くなるし、まともにクリーンヒットすれば圧倒的な切断力により致命傷になる。
これがいまの俺にできる、精一杯の全力だ。
そうして数秒後、以前見た時と同じように緑色の粘液をした二匹のスライムが眼前に現れた。
奴は前回のように様子見をしていて、まるで狩りの獲物を見定めるかのようにこちらを観察している。
しかし、その油断が命取りだ。
「終わりだ怪異。……アブソリュート・ゼロ!」
「ピギィ!?」
「ピギャ!」
次の瞬間、俺が一斉に放った氷の剣がスライムに殺到した。
二匹のスライムは機動力はそこまで高くなかったのか、かなりの速度で迫りくる氷の剣に成すすべもなく貫かれ、そのまま消滅していく。
どうやらこの怪異は死ぬと魔力となって四散するタイプの怪異のようで、現場には怪異が居たという痕跡は何も残らないらしい。
「い、今のは……」
「悪い、天上さん。巻き込むつもりはなかったんだけど、俺の体質のせいで迷惑をかけてしまった。だけど、このままじゃ君の身の安全が問題になる。……俺の師匠に連絡を取るから、ちょっと家まで来てくれないか?」
普通じゃ考えられない一連の出来事に、天上さんはどこか現実感のない様子で頷く。
巻き込んでしまったのは俺の不手際だけど、長谷川さんは許してくれるだろうか。
こうならないためにも修行を続けてたんだけどなぁ……。
そんなことを考えながら、非日常に巻き込んでしまったクラスメイトを想い、俺はホームルームの時とはまた違うため息を吐くのであった。




