第二話
食事も終わりかけた頃、またあの少女がそっと戻ってきた。
「歌子様のご挨拶の準備が整いました。お食事が済みましたら、ご案内いたします」
私は正直、歌子という人に会うのが少し怖かった。話を聞く限り、私は彼女と面識がないし、記憶のない今となっては、この厚意をどう受け止めれば良いのかも判然としない。でも、ここまで世話になって無礼に振る舞うのも失礼だ。
箸を置いて、少女と一緒に部屋を出る。
本当に広い屋敷だ。複雑に入り組んだ廊下を、何度も角を曲がりながら歩く。その道すがら、何人もの使用人とすれ違う。その中には、人間には見えない異形――豚頭、狸、その他どうみても「人」とは呼べない者もいた。
不思議なのは、それを「おかしい」と思わなかった自分だっだ。なぜか、そういうものだと受け入れている。その奇妙さに妙な居心地の悪さを感じつつも、ついに屋敷の主が待つ部屋の前までたどり着いた。
「お入りください。」
優しくも凛とした声が部屋の中から響き、扉が静かに開かれた。
中にいたのは、ほんのり赤みを帯びた、くるんとした髪の女性――座るその姿に、思わず「美しい」という言葉が頭に浮かぶ。
「失礼します」とそっと一礼し、彼女と向かい合って膝を折る。
……だが、彼女は何も言わず、じっとこちらを見つめていた。まるで、息をするのも忘れたかのように。
妙な沈黙が流れ、思わず居心地の悪さにもじもじする。
耐えきれず、勇気を出して口を開いた。
「このたびは、私をお助けくださり、本当にありがとうございました」
すると彼女は、きょとんとした表情で一瞬固まった後、
「……い、いえ。どうかお気になさらないでください。
目の前で倒れている方がいれば、手を差し伸べるのは当たり前のことででしょう?」
少し戸惑ったように答えるその声はやわらかく、どこかふんわりとしていた。
優しそうな人でよかった――そう思いながら、
「拾っていただいただけでなく、温かい食事や部屋、それにこんなに美しい着物まで……本当に、感謝してもしきれません」
丁寧に頭を下げると、彼女は明らかに慌てた様子で
「い、いえ! 本当に、本当に大丈夫ですから!あのお顔を、どうかお上げください……!」
まるで何かとんでもないことをしてしまった人のように、うろたえた表情だった。
まさかここまで驚かれるとは思わず、私が顔を上げると、彼女はほっと肩の力を抜いて安心したように微笑んだ。
「そう言っていただけて何よりです。……実はその着物、私が作ったものなんですよ」
まさか彼女の手作りだったとは夢にも思わなかった。
繊細な刺繍、上質な生地、心がこもった美しさ――職人技そのもので、並の人が作れるはずもない。想いが伝わる一着だった。
そんな特別なものを自分が着ていることに気付き、私は急に居心地が悪くなった。
(私はこんな大切なものを勝手に身につけていていいのかしら。もしかしてすごい金額を後で請求されるのでは……)と、不安が胸をよぎる。
「これを、私みたいなお尋ね者が着ていていいのでしょうか。こんな美しい着物、普通はもっと大切な人に贈るものなのでは……」
思わずそう口にすると、彼女はやさしく笑う。
「いいんですよ。それに――」
何か言いかけて、ふと口を閉ざす。切なげな顔だけが印象に残った。
「――自己紹介が遅れました。私はこの国、備後国びんごのくにの主。餓者髑髏がしゃどくろの歌子と申します」
そう言って彼女は静かに一礼する。
なるほど、彼女が餓者髑髏……。この国の主が妖怪なら、屋敷に異形の者たちがいて当然だ。
餓者髑髏とは、強く未練を残して死んだ魂が変じる、巨大な骸骨の妖怪のこと――
きっと彼女は変幻して今この姿なのだろう。変幻できるのは、よほどの力を持った存在に違いない。
さっきまで不思議だったすべてが、するりと腑に落ちる。
(それにしても…私は妖怪のことを、ずいぶん詳しく知っているのね……)
そうして皐月も自己紹介をしようとしたが、どうにも自分のことがわからない。
「私は、多分……皐月です。」
「多分、というのは?」
私は、今の状況をできるだけ丁寧に説明した。記憶がまったくないこと、身体に“皐月”という文身があったこと、なぜか妖怪の知識にやたら詳しいこと……。
歌子は真剣にうなずき、「それは……本当にお辛かったですね」と静かに言った。
「これから何か予定はありますか?もし決めていないなら、しばらくここでお過ごしになってください。今の状態では他に頼れる場所も難しいでしょうし、ここは町の中心なので記憶探しにも便利ですよ。」
その申し出は正直、とてもありがたかった。でもここまでお世話になってばかりでいいのかと、内心もやもやしていると、歌子が察したように言葉を繋げた。
「お礼は気になさらなくていいですよ。こちらが勝手にやっていることですから。」
彼女はにこやかに笑っている。その優しさにあやかることにして、私は素直に頭を下げる。
「本当に助かります。ご恩は必ず返します。しばらく、よろしくお願いいたします。」
そう言うと、歌子は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたが、どこか先ほどよりも嬉しそうに見えた。
「それでは、今日は屋敷の中でゆっくりお過ごしください。まだ病み上がりですから、町へ出るのはまた明日にしましょう。後ほど使用人が屋敷をご案内します。」
歌子がそう言って立ち上がり、使用人を呼ぶ。
これからどうなるのか分からない――けれど、とりあえず寝る場所があることに安堵しながら、先ほどの少女が再び部屋に入ってくるのを見つめていた。
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