第七話 セミテリオから犬にも乗って その三十九
(武蔵君も好きだねぇ。あんな動物園みたいな所。騒々しくて。おっ、マック君と白いのと、やぁ)
(虎ちゃんは赤ん坊も動物も苦手みたいなのに、マック君には話しかけるんだ。犬はわかるわけないんでしょ)
(いやぁ、さっきは途中までマック君に乗せてもらっていたからね、つい、皆さんのが伝染って。で、ユリちゃんはあっちの小さな動物園が気に入ったんだね)
(うん、まるで極楽)
(行ったことないくせに)
(あら、虎ちゃんだって行ったことないでしょっ)
(僕の行きたい極楽は、蓮の花が咲き乱れていて、静かに蝶が舞う様な)
(虎さんは、ともかく五月蝿いのが苦手なんですね)
(犬や猫や鳥は鳴くけど、お兄ちゃん、イグアナやイモリやハムスターやウサギやカメは静かっしょ)
(あの大蜥蜴ですか、それに鼠、ああいうのがいる極楽、これもなんかね)
(そういえば、trinkenするとeinen Kater haben、ははは、雄猫が鳴けば辛いですね)
(ご隠居さん、それ、独逸語ですね。僕は仏蘭西語でしたから)
(あっ、そうでしたね。飲酒するとeinen Kater habenになるというのは、雄猫を飼っているという意味なんですが、これは、二日酔いのことで、つまり、二日酔いは雄猫が頭の中にいるみたいに辛いということなんですよ)
(御免こうむりますね。二日酔いは体験したことないですけれど。頭の中に猫など、おぞましい限りですよ。寮ではたしかにすごかったですがね)
(えっ、お兄ちゃんってこっちに来る前、高校生だったっしょ。お酒飲んでたっすか)
(あの頃の高校生は、大人同然ですよ。寮で飲まないなど、あり得なかった)
(へぇ〜。今のあっちだったら、未成年が飲んだら捕まるっす)
(えええっ、そうなんですか。じゃぁ、三三九度とか、お正月のお屠蘇もいけないのかしら)
(さぁ)
(お料理にお酒を使うのもだめなのかしら)
(ユリさん、お料理に使うのは、アルコールが飛びますから)
(はぁ)
(二日酔いは辛いらしいですわね。主人が時折)
(ご主人はよくお飲みになってらした)
(はい)
(精神科医のリラックス方法でしたか)
(消化器系の消毒などと申しておりましたわ。酒が入ると人が変わって。小言お説教延々と、終いには手をあげたりでしたから、こども達はいつも逃げてましたわ。私は仕方なく)
(まるでアル中、酒に飲まれていたようですね。それこそ精神科医の領域ではないですか)
(そんなこと、ええ、でも怖くて申せませんでしたわ。前にもお話いたしましたでしょう。お医者様でも、自分以外は信用しない人でしたから)
(夢さんたいへんだったんですね)
(でも、若い頃は、主人も優しかったんですよ。ですから、今は離れておりますの。離れていれば、優しかった頃の思い出を思い出しておれますもの。セミテリオに戻ると、あの小言聞かされますでしょ。こちらでのんびり、娘や孫や動物達といる方が幸せです)
(それで、あちらにはほとんどいらっしゃらないんでしたね)
(はい。ところでご隠居さま、今、戦時中の動物園のお話をしておりましたが、ご隠居さまは、あの頃、動物達が殺されたってお話し、ご存知かしら)
(当時は、聞いたような、定かでないですよ。ただ、孫の瑞穂がそんな話しをしていましたっけ。テレビで見たとか。ゾウやライオンが銃殺されたり餓死させられたそうですね。むごいことを。まぁ、あの頃、誉れと言われて遺骨が帰ってきたり。空襲はまだでしたっけ。でも人間も食べ物に苦労していましたね。何でも配給の列に並んで、それでも少量。空きっ腹で防空訓練や消火訓練。とはいえ、人間が連れて来た動物なのにむごいことでした)
(それ、大型獣は危険だと、僕がこちらに来る前に言われてましたよ。黒豹脱走事件というのがあったからかもしれませんね)
(あらそれ、二二六と同じ年でなかったかしら。あの年は恐ろしい事件ばかり。一つは軍で、一つは動物で、もう一つは女の方が、男の方のという)
(なんですかそれ)
(ああ、あっはは、ユリちゃんには耳の毒)
(二二六事件は、名前だけ知ってっす。けど、黒豹の脱走っての面白そう)
(面白いですか。二二六は、大雪の日でね、小学校の、あら、行きだったかしら、帰りだったかしら、渋谷駅にたぁくさん兵隊さんがいらして、怖くて、でも目を見開いてきょろきょろして見てましたの。そしたら、お友達が、あなたただでさえギョロ目なんですから、おやめなさいって。授業がなくなって、たしか省電がとまって、どちらが先だったのかしら、途中で帰宅したのだったかしら。阿部定事件は、最初は存知ませんでしたのよ。でも、噂で。怖くて怖くて。女でも勇ましい方がいらっしゃるとも思いました。黒豹は、どこに逃げてしまったのかって、どれもこれも、帝都て起こったことでございましたでしょ、怖くて怖くて)
(二二六は割とすぐおさまりましたね。いつもはいない路上に無表情の兵隊さんが並んでいて、挨拶しても睨まれましたっけ。阿部定も写真か似顔絵が号外になって、でもこどもには渡してくれなかったから拾って家に持ち帰ったら母にとりあげられましたよ。たしか数日後に捕まりましたよね。黒豹は、あれもすぐ捕まったんでしたっけ)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。