第七話 セミテリオから犬にも乗って その三十七
「ギャァッ、ギャァッ」
(......)
(カテリーヌさん、大丈夫ですか)
(えっ、はい、一瞬、また気を失うかと思いました)
(また、前みたいに消えちゃうのいやぁよ。前はユリを一人ぼっちになさって。今度は夢さまや武蔵君がいらっしゃるけど)
(いえ、大丈夫です)
(驚かれるのも無理ございませんわ)
(いきなり上から叫ばれたんですものね。あの赤が多いのがロロ、青っぽいのがララでしたわ。え〜と、おで終わるのが雄ですから、ロロが雄、で、青いのが雌のララ、あら、でも、青はおで終わります、どちらだったかしら)
(うわっ、これ)
(あっ、それはえ〜と、イグちゃん、イグアナですよ。あら、男の子だったかしら、それとも女の子だったかしら)
(こちら、まるで L'arche de Noé)
(何でしょう)
(夢さまならお判りになりませんかしら。英語ですとNoah、ノア)
(もしかしてノアの箱船のことかしら。動物をたくさん乗せて大洪水から救った)
(本当にあったのでしょうか)
(わたくしはそう教えられましたわ)
(望はノアさんみたいに動物を全部飼いたいのかも知れませんわ、確かに)
(それ、何っすか)
(ユリも存じません、あのそれよりこれ)
(ユリさま、大丈夫ですか)
(大丈夫、ちょっと驚いただけ。だって、こんなに大きい、これ、とかげですか)
(どうなんでしょう。形が似ているからとかげなのかしら。望ならわかるでしょうけれど。まだあちらの世におりました時、望ったら、車椅子でここに入ってきた私の膝の上に、乗せたんですよ、可愛いでしょって)
(まぁ)
(そりゃね、野毛山動物園で蛇を首に巻いてもらって喜ぶ動物好きの望ならともかくも、あの時だって、私は遠くからハラハラしておりましたのに、それを知っている癖に、私の膝の上にいきなりイグアナを乗せるんですよ。ひどい孫でしょう。こんな毒々しい緑色のをですよ。毒が無いって言われてもねぇ。車椅子ですからすぐに逃げられませんでしょう。で、私、声も出せなくなって、ただでさえパーキンソンで動きが不自由なのに、もう、恐ろしくて身動きできなくて。噛み付かれたらどうしようとおびえておりましたのよ)
(ふふ)
(武蔵君、夢さんに失礼よ)
(だって、おかしい。お婆ちゃんの上に乗せられたイグアナだって怖かったと思うっす)
(そう、同じ事を望に言われたんです。お婆ちゃんが怖がるからイグちゃんも怖がるんだって)
(で、私、やっと言い返したんですよ。じゃぁ、イグちゃんが怖がらなければお婆ちゃんだって怖がらなくなる、って言ってもいいじゃない、って)
(そしたら望みが、小さい動物は大きい動物を怖がるのは当然なんだから、って。お婆ちゃんの方がイグちゃんより大きいでしょ。であげくのはてに、私の手をとって、イグちゃんの肩のあたりに置いて、そっと撫でてあげてと言うんですよ)
(まぁ、災難ですわね)
(動きの悪い手で、撫でるなんて怖かったですし。最初の内は手の下が冷たくて、なんて申すのでしょうかはりついてくるような。ぬめっというのではなくて。でもイグちゃん大人しかったんですよ。それでそっと手を動かして、でも、イグちゃんは膝の上から動かなくて。そこにブランが来て、イグちゃんと交代に私の膝から降りていたマックが膝に手をかけて、ミャァだったかニャァも来て、車椅子の回りに他のハムスターやピョンちゃんや亀くんも着たり、みんなで心配そうな顔で私を見ていたんです。でもなんだか、他の動物に囲まれている内に、何か暖かいようなほんわりしたものに包まれて、で、ふと気付くと車椅子のまわりの動物達が笑顔なんですよ。で、私も笑顔になったつもりで、あっ、これ、パーキンソンになると、笑顔が作れなくなるんです。でも、心の中では笑顔になってましたわ。その内、膝の上のイグちゃんの重さも冷たさも感じなくなってきて、怖くなくなったんですよ)
(ふ〜ん)
(この胴の長いのは、狐ではなくて)
(あっ、カテリーヌさん、それが笛、フェレット、たしかいたちのお仲間です。で、こちらがハムスター)
(まぁ、大きな鼠)
(ねずみ...nezumi... Souris...)
(カテリーヌさま)
(カテリーヌさん)
(あれっ、カテリーヌおばちゃん、どこ)
(あらっ、気を失われたのかしら)
(あら、カテリーヌさま、また消えてしまわれたのかしら)
(いいですっ。もう、またなんですもの)
(ユリさん、昔の女の人はか弱かったんですよ)
(昔ったって、ユリと大して違わないのに。ユリだってイグちゃんとかオウムには一寸驚いたけれど)
(まぁまぁ。私は判らないでもないですもの。ユリさんの方が望にお近いんですよ)
(またセミテリオに戻ってらっしゃるのかしら)
(鼠ぐらいで気を失うなんて。鼠なんてどこにでもいたのに)
(んなことないっす。今、鼠なんて見ないっす。あっ、東京じゃたくさんいるってテレビでやってたのは見たことあるっす)
(まぁ、そうなんですか。鼠は人に近い所にいるのかしら。望なら教えてくれるのに。あら、これ、鼠のお仲間かもしれませんが、鼠ではなくてハムスターですのよ)
(うっす。俺は知ってるっす。早死にするっしょ。中学の時に大泣きしている女子がいて、で、聞いたらハムスターが死んだんだって。なのにあれ、春休み前だったっけ。春休みが終わったらニコニコして今度は別の種類のハムスターで、って写真持って来て見せてやがんの)
(今まで可愛がっていた家族同然の動物がいなくなると、辛いものですよ。私も、ニーニャが死んでから、しばらくは。それまでとても大変でしたのにね。子馬並の犬の散歩で坂を下り、坂を上り、でしたでしょ。ブラッシングもしないと毛がからみますし、お風呂に入れる時も大きいから大騒ぎで。ドッグフードだって、結構たくさんでしたし。お水を入れ忘れないようにしたり、糞尿の始末も、予防接種も、お金もかかるし。でもね、いなくなって、とても静かになってしまって。そろそろお散歩の時間だわ、とか、お台所で野菜を切っていて、あら、もうこのブロッコリーの端、キャベツの芯、ニーニャの大好物だったのに、ゴミ箱に直行なんて。ポストに新聞や郵便物が入る度に、小声でワフッって教えてくれることもなくなり、何かにつけて思い出す度に辛くて。先立たれるのは辛いからもうペットはいらない、って思いますし、次のペットより私が先立ったらペットが可哀想と思いますし、でも、どうにも辛くて、ペットショップの前で涙したり、今までニーニャの散歩途中に出会っていた他の犬さんたちや飼い主さん達と出会うのが辛くて道を変えたり、で、結局、逃げたくて逃げられなくて、次の動物を飼いたくなって、半年も待たずに小型のプードルの女の子を飼い初めました。お店で、絶対に大きくならないですわね、と確認しながら、こんな確認しているなんてニーニャに申し訳なくて。ナナって名付けたその子がまた可愛くてね、で、最初の内は、ナナを可愛がるとニーニャに申し訳なくて、ニーニャを気にしているとナナに申し訳なくて、でもその内、人間の子供達と一緒で、それぞれ違っていても、一緒に住んでいなくても、それなりに可愛いっていうのかしら、いえ、人間の子よりも、動物の子の方が利害関係や感情の行き違いがないだけ楽ですし。で、ナナが、え〜と、いくつぐらいだったかしら、そろそろ中年になる頃に、今の内に次の犬をと思って、また小型プードル、その時はナナを連れて行く獣医さんでよく出会った方で小型プードルのお仲間から直接分けていただいたので、大きくなる心配はしておりませんでしたの。名前は、ナナの次で、男の子でしたからハチにしようかしら、でも忠犬ハチ公は和犬ですし、でハッチにしました。もしかしたらナナとハッチの間にこどもが産まれるかしら、なんてちょっぴり期待もいたしましたのよ。でも、もうナナが年でね、むしろ最初の頃は赤ちゃんだったハッチの面倒を見てくれて。その頃から私、パーキンソンの症状が出始めて。ハッチがまともにしつかったのはナナのお陰です。パーキンソンになってからは、外に散歩にも連れていけなくなりましたのよ。自分が歩くだけでせいいっぱい、前屈みになって転びそうになるんですもの。ですから小型犬にしておいてよかった、と思ったり、あら、ニーニャに申し訳ない、いえ、ニーニャがいたからこそ毎日二度は散歩できて、あの頃にたくさん歩いておいてよかったわ、ニーニャに遅ればせ乍ら感謝したり。で、ナナが死んだ時は覚悟しておりましたが、やはりショックで、でもハッチがおりましたでしょ。ですから、ハッチが高齢になり始めた頃、飼い始めたのがマックでしたの。女の子ですと、今度は雌雄が逆ですから、あまり若い内に妊娠出産させてもと思って、マックは男の子にしましたのよ。でハッチも死んで。でももう私も年でしたから、マックのお友達はやめましたの。ここのブランが野毛山に連れてこられればマックの遊び相手はいたわけですしね。で、マックを残して私の方が先にこちらの世に参ってしまいました)
(夢さま、ご主人様もあちらに残されたのに)
(ええ、然様でございますわね。でも、あの頃、主人の仕打ちで、もう...それに、主人は人間ですもの。足手まといの私がいなくなれば、かえって楽になったことでしょうし。自分の面倒ぐらい自分でみられると普段から豪語しておりました。それにひきかえ、動物は、人間が面倒みなけりゃならないでしょう。幸い、マックは私とここの家に来ておりましたので、愛や望がおりますから、あまり心配はいたしておりませんでした)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。