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第七話 セミテリオから犬にも乗って その三十五


(で、ユリ、まだ最初の判らないままですし。バターのお顔のおしょうゆさんってところまでだけです。今日はそのおしょうゆさんがお勤め先の宿直だから来ないってことは、宿直でないといらっしゃるんですか)

(あら、うっかり口をすべらしてしまいました。あら、でも、いまさら隠すことでもございませんわね。でもはしたない話で。みなさま卒倒なさらないでくださいませ)

(今更、こちらの世では卒倒などしませんよ)

(ですわね。でも、あらどうしましょう。あの、ここのお家、上に愛と健さんと望と健さんのご両親が住んでらしたんですけれど、健さんのご両親がホームに移られて、健さんのご両親のお住まいの方はどなたもお住みでなかったんです。で、私が主人にたたかれたり首しめられたりされるようになって、愛がみかねて私を引き取ることにしたお話はいたしましたでしょ。健さんも賛成してくださって、で、健さんのご両親も、空いているんだからお使いくださいって。でもねぇ、いくら何でも申し訳なくて。私が躊躇っておりましたら、望が、ご両親の方に移って、私が望の部屋を使うならいいでしょ、って。それで、望が健さんのご両親の方に独り住まいになったんですよ。ご飯やお風呂、シャワーはここ、下で済ませますから、独り住まいと言っても、大して違いはないのですけれど。でも、もう二十歳過ぎてましたし、望も一人になりたかったのかもしれませんわね。で、私、こちらに移ってから一年も経たずにこちらの世に参りまして、その後、望ったら、そのまま健さんのご両親の方に住み続けて、で、どうせ一人っ子なんだから、どうせ全部私の物になるんでしょ、なんて申しましてね。その内、同級生のしょうゆさんとおつきあいが始まって、で、今は二人とも別々の獣医さんのところでお手伝いしているんですが、直に婚約して結婚して二人で開業しようって。それで、どうせなら望はしょうゆさんとの新居をここにして、あちらの今動物がたくさんいる部屋を半分改装して、ここで開業できないかなぁなんて目論でいるんですよ。お恥ずかしい)

(えっ、何がお恥ずかしいのですか。お相手がいらして、ご結婚も真近でおめでたいことではないですか)

(ご両親のお近くで、それもこんなにお近くで、わたくしなど、夫もそうでしたが、欧羅巴から遠く離れたわたくしなどと比べたら、それもご両親のお立場で考えられたら、そんな幸せなことございませんでしょう)

(僕も、父の寺の脇に医院を作って、弟亡き後は寺をつぶして病院に改修しましたしね。別に、お恥ずかしいことではないでしょう)

(あっ、家の改修のこととか、結婚真近なのは恥ずかしいことではないんですが、あの、しょうゆさんが来ることで)

(そりゃぁ、おつきあいしていれば、いらっしゃるでしょう)

(そうですよ。僕の頃でも、もうありましたからね。許嫁であるならば正々堂々と訪問してましたよ。もっとも、公道を並んで歩くのがせいいっぱいで、手をつなぐなどは見かけたことなかったですけどね。憲兵や巡査の目もでしたが、ご近所の目もありましたからね。あっ、こういうこと申しているからって、僕は残念ながら許嫁はおりませんでした)

(瑞樹も、あっ、僕の曾孫ですがね、高校の頃から茜さんと手をつないで歩いてましたからね。僕の前でも平気で寄り添ってましたし。おっと、ここで平気などと申すことが、僕の時代の感覚なのでしょうか)

(私、そりゃ、ご隠居さん程ではございませんが、昭和生まれですし)

(おっと、大正生まれの僕も同じ年ですよ)

(そうでしたわねぇ)

(あっ、それっ、俺の頭ごちゃごちゃにした話っすね)

(でもねぇ、その大正生まれで昭和生まれの私と同じ虎之介さんでしたらお判りになりますでしょ。若い頃にあの時代を体験してしまいますとね、今の男女関係、あら、昔でしたら、この男女関係なんて言葉ですら、口に出すのは恥ずかしい言葉でしたでしょ。ですから、もう...望が愛と健さんとは別、と言っても上の左か右かの違いですけれど、一人で住んでいる所に、しょうゆさんがしょっちゅういらして、しょっちゅうお泊まりなさって、最初こそ照れてらしゃったのに、最近では平気で一緒に朝ご飯や夕ご飯もこちらで頂くんですよ。私ね、さっさとこちらの世に参って、よかったのかしら。私が上で生きていたら、私がいても望は平気だったかしら、いえ、私がこちらにお世話になったばかりに望が独り住まいになって、とか、でも、私がまだあちらで生きておりましたら、こちらにお泊まりの翔也さんを見て、私、それこそ卒倒する、いえ、こちらの世に参ってしまいかねなかったのかも、などと、詮無い事を考えてしまうのですよ。お恥ずかしい限りで)

(所詮、詮無いことなんですよ。こちらの世界からやきもきしてもどうにもできませんからね。せいぜいがうんと気張って気を尽くして望さんの夢の中に出て説教でもしてみますか)

(夢おばあちゃんならできそうっす。夢って名前だから)

(そんな...そうですわねぇ。確かに思い悩んでも、恥ずかしいと思ってもいたしかたのないことなんですわ。でもやはりお恥ずかしいことで。望が、しょうゆ、今日泊まって行くからって初めて申した時、私、望に乗っておりましたの。驚いて愛に乗り移って、当然、健さんや愛が怒ると思いましたのに、二人とも目を丸くするだけで、二人で見つめ合って、あっそう、なんて返事してました。私、ふと気付きましたらセミテリオに戻っておりましたのよ。ぶつぶつ相変わらず一人でも小言幸兵衛の主人に、そんな望の話もできず悶々といたしておりました)

(まぁまぁ、わからないでもないですがね、僕は親のいいなりみたいな結婚でしたが、僕の息子もその娘もその息子もみな自分で探してきたお相手と結婚いたしましたし、世の中変わっていくものですから。それに、お二人とも獣医なら、色々とわかっていることでしょう)

(えっ、獣医だと何かわかるっすか)

(あっ、まぁ)

(性教育のことっしょ。俺たち、教わってるし)

(ああ、そうでしたね。ほらね、夢さん、時代が違うんですよ)

(ええ。でも、翔也さんのご両親はどう思ってらっしゃるのかしら。息子がしょっちゅう帰って来ないわけでしょう)

(案外、いつも仕事でと思ってるのかもしれませんよ。そうでなくとも、成人の息子、そう気にしていても仕方ないでしょうしね)

(かもしれませんわねぇ。で、先ほど愛が申しましたでしょ。あの表。そう、そこの冷蔵庫に貼ってある表なんですが、あれ、健さんのご両親がこちらにお住まいになってらした時からの表で、夕食を誰が食べるか、誰が作るかの表なんですけれど、最近はあちらに翔也さんのお名前まであるんですよ)

(便利そうですわね。でも、そんなに夕ご飯を召し上がらない方がいらっしゃったり、炊事をなさる方がたくさんいらっしゃるんですか)

(そう、それも私、羨ましかったですのよ。野毛山ではご飯を作るのは私だけでした。愛は下手でしたし。こちらでは、健さんのお父様も時折。そういうお父様を見てらしたから健さんも時折、で、健さんのお母様と愛、望も時々ですから。最近はしょうやさんも時々作って。頂く方は、それぞれお仕事の他にも同好会や同窓会や望は塾や合宿やなんだかんだと皆予定がバラバラでしたでしょ。で、みなができるだけ早めに予定を書き込んで。食べられないとか、軽く食べるとか、作りたい日とか書いておくんです)

(ほう〜、いいですねぇ)

(最初は驚きましたのよ。でもね、何よりも羨ましくて。それに、みなさんやはり味付けも違いますし、得意なお料理も違いますでしょ。珍しいものも頂けましたわ。こちらで夕食を頂くようになったのは、野毛山から逃げてきてからでしたから、もう私は料理できなくてね、申し訳なくて)

(そのお病気お料理もできなくなるんですか)

(包丁が握れなくなるんです。それにお茶碗やお皿もね、運べなくなって、力がなくなって落としてしまうんです。野毛山では何枚割ったことやら。その度に主人が怒るんですよ。役立たずって。でも、私もわざと落としたわけではないのに。割れ散った陶器やガラスを這いつくばって拾い集めておりますと、それも邪険に足で追い払われて。お前が拾ってまた怪我でもしたらこっちが迷惑なんだ、それにお前じゃ拾い残しがあったら危なくてしょうがない。手足が動かないこと、不甲斐なさに涙ばかりでした。こちらでは、健さんや愛や望が作るのを側で車椅子の上から見ているだけでした。時々愛や望は、これちょっと持っていてとか、空豆むいてみる、もやしの根をとってみるなど、私に気を遣って仕事を廻してくれましたが、健さんはそこまでできなかったらしくて、色々と世間話などなさりながら)


お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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