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第七話 セミテリオから犬にも乗って その三十四


「望、今日の予定は」

「あそこに書いてある通り。しょうゆは宿直だから来ない。私は明日は仕事だけど、あっ、今日、夕飯替わりに作ってあげようか」

「あっ、ありがとう、じゃぁ任せるわ」

(えっ、お醤油、先ほどございましたわね。でもご用聞きが今日は持ってこないということかしら。でも、宿直って、ユリの知っている意味じゃないのかしら)

(おほほ。違いますのよ。でも、ご用聞き、懐かしいですわ。一昔前までは、よくね。野毛山、重い荷物を持って坂を上がるのが嫌でした。ですからご用聞きが週に二度来てくれて、付けで、ひと月毎にまとめて払っておりました)

(そうでしたねぇ。僕も懐かしいです)

(そうそう、そのご用聞きが僕の医院に来てねぇ、こっちは付けがきくのに、先生には付けがきかないんですか、なんて)

(付け、おほほ。思い出しましたわ。愛がね、高校の頃、電車を降りてから、そのご用聞きのお店の前を通って毎日帰ってきていたんですが、高校生ぐらいって若いからお腹がすくらしくて、それでついそのお店に入ってお菓子を買って、お金を払って、付けておいてくださいって申したそうで、ご用聞きの人が、家に来て笑ってました。いつも私がつけておいてと申すのを聞いていたからなんでしょう)

(あはは、そりゃぁいい。払ってから付けておいて、ですか)

(こどもは中途半端に見ますからね。僕も母に、鹿の子を食べたいって申しまして、大笑いされました)

(鹿の子ってバンビっすか)

(いや、鹿ではなくてかのこ、なんですけどね。鹿って字を読める様になったばかりの頃でした)

(鹿の子って何っすか)

(あら、武蔵さん、日本人ですのにご存知ないのですか。仏蘭西のわたくしが存じておりますのに)

(知らないっす。バンビなら知ってっすけど。鹿の子の映画っす)

(かのこは、鹿の子に似せたお菓子ですのよ。濃い茶色のあんの上に、黄色い栗を乗せて、その模様が鹿の子に似ておりますの。濃いお煎茶と頂くと美味で)

(ふ〜ん。けど、鹿の子に似せてるなら、しかの子でいいじゃないっすか)

(あら、然様ですわね)

(ですねぇ。それとも、旧き佳き時代には鹿の子をしかではなくかと読んでいたのでしょうか)

(ロバートさんがいらしたら教えていただけたかもしれませんわね)

(ロバートさん、どちらにいらっしゃるのかしら)

(昨今、色々な方に、それに犬にまで乗り慣れてらっしゃるから、大丈夫でしょう)

(いやぁ、ほんと、犬の乗り心地は悪かったですよ)

(いがまんじゅうって知ってっすか。俺ん家の方にあるっす。赤飯の中に餡が入ってっす。んで、赤飯だから鹿じゃないけど豆が茶色くて赤ん坊にぶつぶつって感じっす。あれじゃ鹿の子にならないっすか)

(お赤飯と餡ですか。面白い組み合わせですわね)

(ユリ、食べてみたい)

(僕の孫娘の瑞穂が、お爺ちゃん、返信用封筒持ってたら頂戴って言ってきたことがありましてね。手近にあった封筒を渡したら、これ、普通の封筒だからだめ。返信用封筒ってのがほしいのっ、と言われまして)

(俺、母ちゃんに大笑いされたことあるっす。がしって何ってきいて)

(がしってなんですの)

(食べるものがなくて死ぬことって、母ちゃんが教えてくれたっす。で、母ちゃんが、平成の時代に餓死なんてどこできいたの、教科書にそんなこと書いてあるのって。で、俺、図書館で借りてきた絵本の最後のページを見せたっす。またがししてはいけませんっての)

(あはは)

(おほほ)

(えっ、わたくし、わかりませんわ。食べるものがなくて死ぬことは、よくないですもの)

(いえ、カテリーヌさん、武蔵君が借りた本に書いてあったのは、借りた本を別の人に貸してはいけない、という意味ですよ。それを又貸しと言うんですが、漢字の読めない子向けにひらがなで書いてあったんでしょうね。で、武蔵君はそれをまた、がし、してはいけません、と読み違えたんですね)

(そういえば、望も、動物園に行かなかったから、雨の日だったのかしら。愛が家に置いて行った本を読んでいてまちろきって何って私に尋ねて参りましたわ)

(まちろき、ですか。それ、真白き富士の峰ではないでしょうね)

(いえ、街路樹のこと)

(ほうっ、こりゃいい)

(わたくし、全然おもしろくございません。日本で育ったみなさまには、何てことないのかもしれませんが、外人のわたくしには、漢字はとても難しいのですもの)

(俺にも難しいっす。俺、出口を出ろ、降り口をおりろって読んだことあっす)

(感じの読み間違い、それを逆手に取って、同じ音で遊ぶというのもありましたね。大物が書くと文学にすらなる。今でも覚えておりますよ。かの夏目漱石が、金儲けには三角をかく、とありまして)

(あっ、ご隠居さん、それ、僕も知っています。坊ちゃんでしたっけ。え〜と、書くでも角でもなく、他の字のかく、でしたね。義理と人情とあともう一つはえ〜と)

(恥ですよ、虎さん)

(そうそう、義理をかき、人情をかき、恥をかく、だからかくが三つで三角)

(へぇ〜。面白そう。ユリ、そんな難しい小説は読んだことなかったです。でも面白そう)

(坊ちゃんって、名前だけは俺も知ってっす。けど古いっしょ。読んだことないっす)

(私、読みましたが、蝗が出て来るのでしたっけ。方言もいっぱいで。でもその言葉、覚えておりませんわ)

(わたくしには難しゅうございます。判りましたのは三角だけです)

(あのぉ、夢さま、ユリもまだ判らないことあるんです)

(はい、私でわかることかしら)

(ご用聞きから話しが逸れてしまって。お醤油が今日は届けられなくて、でも宿直って、どこかにおとまりすることで、でも、望さんは、今日は夕食をおつくりになるらしいですし)

(あら、ごめんあそばせ。しょうゆは、お醤油のことではなくて、人の名前なんです)

(ほうっ、長生き、いや、こちらの世で長生きするものですねぇ。今の世にはしょうゆという名前があるのですか)

(俺、聞いたことないっす。そんな変な名前。外国人っすか)

(いえ、日本人。望の彼で、あっ、彼って、今の言葉では、おつきあいしている方のことですけれど、翔也さん。音が似ているのでしょうゆって、幼稚園の頃から呼ばれているそうですわ)

(あっ、そうだったんですか。渾名ですね)

(はい、でもね、全然醤油顔じゃなくて、バター顔)

(うわっ、夢おばあちゃん、古いっす。それ、姉ちゃんが小学校の頃の言い方っす)

(ああ、僕がこちらに来る前、一時、言われていましたね。懐かしいというか、あの頃、言い得て妙な言い回しだと思ったものでした)

(ユリ、わかりません)

(わたくしも)

(僕も。醤油とバターはわかりますが。顔に塗るのでしょうか。まさか。醤油を飲んで兵役逃れるというのは聞いたことがありますが。顔に塗るとどうなるのでしょう。バターでしたら、塗ったら冬は暖まりそうですね。しかし、いづれにせよ、食べ物を勿体ないですね)

(いえ、醤油顔は日本人らしい顔、バター顔は日本人らしくない顔ってことですよ。バタ臭いって言葉、ご存知ないかしら)

(あっ、ユリ、聞いたことあるような気がします)

(ああ、それですか。でも醤油臭いってのはなかったですね)

(で、翔也さんは、しょうゆというニックネーム、渾名、でも、バタ臭いお顔なんですよ。目が大きくて二重で。ユリさんや、武蔵君もしょうゆ顔ですわね)

(えっ、ユリ、おしょうゆですか。でもバタ臭いよりいいかも)

(望さんも愛さんもバター顔ですね)

(ええ、わたくしもそうでしょう)

(おっ、はい、アナベラに似てらっしゃる)

(おほほ、昔言われておりましたわ。戦前は大和民族らしからぬ顔だとさんざん馬鹿にされておりましたのよ。なのに、戦後は急にもてはやされるようになって)

(アナベラって、何かわたくしの国のお名前のようですが、どなたですの)

(映画女優ですよ。そういえば、フランスの方でしたかね)

(映画は、ほとんど見る機会がございませんでした。汽車に轢かれそうになる映画が恐ろしかったとは、お友達のお手紙にございました。動いて見える、あっ、今のあちらの世界にあるテレビジョンみたいなものでございましょ)

(カテリーヌおばさんの頃なら、白黒で音もなかったっしょ)

(いつ頃のことですか。僕の頃の不良もよく映画館に行っていましたが)

(いやぁ、虎之介君の頃には、どうだったでしょうか。虎之介君の頃はもう、外国映画はあまり入ってこなくなってはいませんでしたか)

(ハイディを見た記憶がありますよ。あれならばこどもにも問題ないらしくて、両親と参りました)

(おっ、シャーリーテンプルですね、懐かしい)

(可愛かったですわねぇ。私、アナベラよりシャーリーテンプルの方が好きでしたわ。小公女のシャーリーテンプル、可愛くて可愛くて、どの映画だったかしら、タップダンスを踊るのがございましたでしょ)

(ありましたねぇ。あっ、そうそう、シャーリーテンプルは、三四十年前、たしか外交官だったんですよ。夢さんでしたらご記憶ございませんか)

(そのようなことを伺ったような気もいたしますが、本当に同じ方だったのでしょうか)

(だそうですよ)

(へぇ、外交官になったのですか。ハイディのあの可愛いテンプルちゃんが。外交官といえば、ロバートさんのご職業でしたね)

(ロバートさんがいらしたら目を白黒させるかもしれませんね。女性が、しかも女優が外交官なんてと)

(あはは)

(なんだか全然わからないっす)

(わたくしもですわ)

(ユリも)


お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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