第七話 セミテリオから犬にも乗って その三十三
(僕が育児をするというのはどうもまだ想像しかねますが、しかし、例えばお乳は何時飲ませるとか、おしめはいつ換えるとか、決まっているものなのでしょうかね)
(お乳もお襁褓もだんだん決まっていきますが。でも、虎之介さん、大きくなられてからも、そういつもお腹が空いたりご不浄にいらっしゃる時間が決まっていらしたわけではなかったでしょう)
(あっ、だから、赤ん坊っていつも泣いているように僕は思っていたんですね)
(そうですよ。♪寝た子の可愛さ、起きて泣く子は♪ってあるでしょ、虎之介さん、この歌聴かれたことございませんか)
(えっ、僕は知りません)
(子守唄なんですね。でも、ユリも知りません。ユリが知ってるのは、♪ねんねんころりよ、おころりよ、坊やは良い子だねんねしな♪)
(あっ、それなら聞いたことあります)
(どちらも寝た子はいい子なのですね。わたくしもわからないでもないですわ)
(そりゃぁそうでしょう。赤ん坊が泣いているとうるさくてね)
(うるさい、ですか。母親ってのは、赤ちゃんが泣いていると、どうしたのか心配になります。おむつが替えられて、お乳を飲んで、それでも泣いていると、どうしましょう、と思うものなんですのよ。虎之介さんにはおわかりにならないのでしょうか)
(わかりませんね。ですから、男には育児なんてむいていないんですよ。やはり、育児は女の仕事ですね)
(う〜ん、微妙な点ですねぇ。明治大正昭和平成と生きておりました僕は、時代によって色々と変わってきているのを見ておりますからね。母乳のことひとつ取っても、貰い乳しても育てよ、いや、貰い乳の方が上流だというのが常識だったというのも見てきましたし、粉ミルクの方が科学的裏付けがあると言われたり、お乳をふくませることで女性が母親になると言われたり、母乳は母親の摂取したものが含まれるから、公害の多い時代には粉ミルクの方が良いと言われたり、絶対に母乳でなけりゃいけないなどと言うと、母乳の出ない母親が育児ノイローゼになるからよくないと言われたり、おんぶは母親の顔が見えないからよくないとか、うつぶせ寝は頭の後ろが平になってよくないとか、肺の能力がきたえられないと言われたり、うつぶせ寝は窒息の危険性があるから仰向けが正しいとか、ロシアでなど乳児を布でぐるぐる巻きにするそうですし、所変われば品変わるというよりも、色々な育て方があって当然。どれが正しいというわけでもありませんから、男性が育児参加をする昨今の世相も正しいのやもと思う反面、いやまてよ、産めるのも授乳も本来は女にしかできぬこと、ならば、育児はやはり動物としても女がなすべき事なのやもしれぬ、などとね。赤子が泣くのをうるさいと感じる虎さんのような男が育児をするのは、赤子にとっても迷惑やもしれませんしね)
(あっ、赤ん坊殺しって男の方が多いっしょ。ニュースでも、女も男も逮捕されてる、あっ、されてたけど、男の方だけ罪だっけ罰だっけが重いっしょ)
(武蔵君、それって、男の人の方が力が強いから、殺しちゃうってことなんじゃないの)
(かも)
(僕は、別の見方もしているんですよ。殺された子が自分の子だった場合でも、それまで自分を見ていた女性が、赤子に夢中になって、自分の方を見てくれなくなるからとか。あるいは、女性が別の男性との間に作った子の場合、なんで他所の男の赤子を自分が育てなくちゃならないんだ、というのも出て来るでしょうしね。なんせ、男同士は戦闘意欲がありますからね。精子の段階から卵子を得ようと競争するわけですから。それに授乳期間中はヒトは妊娠できませんから。早く次の子が欲しけりゃ産まれた子を殺すに限る、まして自分の子でなけりゃ、となるやもしれず)
(そういえば、それ、言われてましたわね。ですから粉ミルクだと年子を作れるとか)
(科学的に知らなくとも、体験的に女は代々、次の子が欲しくなければ授乳を長引かせてましたね。昔は二歳ぐらいまで授乳してましたしね。ですから、三歳違いの兄弟姉妹が多かったものでした。昨今では十ヶ月が目安らしいですが。でも、これも諸説ありましてね。長く母親のお乳を吸った子は鼻呼吸が自然にできるから、喉をいためない、空気感染の病気にかかりにくい、一方、いつまでも母乳であれ哺乳瓶であれ吸う癖がついていると歯の発達に影響があるとも言われておりますしね)
(ご隠居さんのお話を拝聴すると、余計に男の僕の出番じゃありませんね。育児はやはり女の仕事。育児中の妻と我が子を生き伸びさせる為に男は働く、これでいいじゃありませんか。動物だってみな雌が子育てしてるでしょう。雄が子育てなど、聞いたことないですよ)
(虎さん、タツノオトシゴやサカナやカエルの中にも、雄が子育てをするものがいますよ)
(それ、珍しいから言われるのであって、やはり、子育てをするのは圧倒的に雌でしょう)
(まぁ、確かに、出産は雌のみですね。しかし、育てる方は、雄も一緒に暮らしている場合、色々教えているようですよ)
(それでしたら、ヒトも、父親の働く姿を見せることで教え育てる教育をしているわけですよ)
(虎ちゃん、何が何でも育児は女の仕事にしたいのね)
(そりゃそうさ。さっきの話だって、しょっちゅう泣く赤ん坊が何で泣いているかわからない僕には無理ですからね)
(あっ、そういえば、お母さんって、赤ちゃんがどうして泣いているか、わかるんでしょ、あれ不思議で)
(最初からわかるわけじゃないんですよ。でもね)
(そうそう、わたくしも、お襁褓を換えるのは日本人の女中任せでしたが、ごめんあそばせ、でも、血の違う日本人の乳母というのは嫌だったので、自分のお乳で育てておりましたが、お襁褓が濡れて泣いているのか、お乳を欲しくて泣いているのか、何となくわかるようになっておりましたわ)
(カテリーヌさんもそうでしたの)
(ほらやっぱりね、ユリちゃん、母親はできるんだよ。僕には無理)
(なるほど、いや、もちろん、世の母親が乳児の泣いている理由がわかるというのは僕も存じておりましたが、今ふと気付いたと申しましょうか。勝手な想像ですがね。もしや、女いや、動物一般に雌はそれがわかる能力が先天的に備わっているのですかね。で、もしかしたら雄も持っていたのかもしれなくとも、雄は狩りをしていたというのが人類の歴史だとするならば、狩りや戦好きな雄、いや男が、相手の心を読めてしまうと、狩りも戦もできなくなりますからね。相手の人間や動物が、自分に対して敵意や殺意を抱けばまだしも、やめて、殺さないでなんて感じているのが判ってしまったら、困るやもしれず。この推論が正しければ、先ほどあちらの部屋で虎之介君は動物達の言葉や感情を全く理解できなかったのに納得できませんか。で、武蔵君は、まだ雄、男になりきっていない、あるいは本来優しい性格だから、そして僕の場合、こちらの世界に来る前に、もう男性ホルモンは減少し切っていましたしね。どうでしょう)
(なるほどね、つまり、ここにいらっしゃる女性陣は、夢さまはじめ、みなさま動物の心や感情が判る。ましてや人間の赤子ならわかる、ましてや子を産んだことのある夢さんやカテリーヌさんは、さぞかし理解できる、ということですね。で、付け加えれば、やはり僕は育児というものにはむいていない、となります)
(虎ちゃん、絶対に育児は嫌なのね)
(僕、文科とはいえ、しっかり男です、いや男でした、かな)
(でもご隠居さん、そうすると、ユリがあちらの世にいた時みたいに、男の人が世の中を動かしている時代に戦争があるのは当然かしら)
(かもしれませんねぇ。今のあちらの世でも、日本をはじめ、女性陣が元気な国は平和なのかもしれませんよ。そういえば、男が威張っている国々は、いまだ小競り合いや戦争状態の所が多いようにも思いますねぇ)
(なるほどね。進化論の中に、淘汰というのがありましたね。たしかにご隠居さんの推論で行けば、狩りや戦で、相手の心を読んでひるんだら殺される。相手の心を読めず相手を殺せる者は生き残る。生き残った者が子孫を作る。かくして、世の男は相手の心が読めなくなる。なるほど。だから僕は育児が苦手で当然)
(やっぱり虎ちゃん、育児はだめなのね)
(そう)
(今のあっちの日本じゃなくて、お兄ちゃんよかったっすよ。なんか、最近家事男とかもてて、自分で弁当作るのがかっこいいって言われてっす)
(へぇ〜)
(うわぁ、ユリ、男の方が作ったお弁当、いただきたいです)
(僕はいやですからね)
(虎ちゃんには頼まないもん)
(それにユリちゃん、こっちの我々、食べられませんしね)
(う〜ん、虎ちゃん意地悪)
(女性の方が、他の方の心を読めるから、それでお祈りしたり占いしたりってのも女性の方が多いのでしょうか。魔女も)
(かもしれませんね。魔法使い、男はあまりいなかったような。日本でも、おかみさんや口寄せ、巫女、恐山のいたこ、琉球のユタやノロは女性ですね)
(えっ、それ全部知りません)
(俺もっす。あっ、いたこってのはきいたってか、テレビで見たことあるっす。東北のどっかっしょ)
(まぁ、いわゆる仏教やキリスト教とは別ですからね。どの国でも小さいものは無視されたり阻害される、迫害されますしね。ましてや男から見たら、わけのわからないことを言っている女達ということになったのでしょうね)
(魔女は恐ろしいですもの)
(魔女って、カテリーヌさん、本当にいらしたんですか。わたくし、こども向けの物語に出て来るだけかと。そういえば、シンデレラでしたかしら、白雪姫でしたかしら。魔女が出てきますでしょ)
(えっ、白雪姫は七人のこびとっしょ。あっ、毒リンゴのが魔女っすか、あれって、継母じゃなかったっすか。それに、シンデレラも仙女じゃなかったっすか)
(あら、そうでしたかしら。魔女の出て来るのは)
(魔女の宅急便ってあったっす。けど、あれ)
(ああ、あれは望の幼い頃ですものねぇ。カテリーヌさんはご存知ないかしら)
(本当に魔法を使えたかどうかはわたくし存知ませんが、魔女はいたそうです。あっ、Jeanne d'Arcが、でも魔女ではございませんもの。それに、Jeanne d’Arcのことは話ししてはいけませんの。夫は英吉利人ですもの。でも、hérésie、日本語で何と申すのでしょう。信じるものが違う人)
(異端ですね)
(虎之介さん、ありがとうございます。hérésieは魔女と同じなのかしら)
(へぇ〜。じゃぁ、魔女がいたってことは、童話は作り話ってことでもないっすか)
(まぁ、やまたのおろちの八つの頭や尾は、八つの洪水を起こす川だとか、言われてますしね。後世に伝えようとすると、たとえ話にした方が伝わりやすいですしね)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。