表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/217

第七話 セミテリオから犬にも乗って その三十二


(ユリが今のあちらの世にいたなら、嬉しい。いつも笑っていられそうです)

(ユリちゃん、どの時代にいても、どこにいても、悩みは尽きないものだと思うよ)

(虎ちゃんって、悪い方にばっかり考えるのね。ユリは良い方に考えるんですっ)

(だってさ、ユリちゃんはお見合いしようとしてたんでしょ。お見合いしてうまく行ったら、結局は結婚して、子を産んで、ってなわけでしょ。こどもがいたら、仕事できないでしょう)

(そんなの、婆やか母に子守りを頼んで)

(ユリさん、ここの少し前までのお家みたいに、ご両親が若夫婦と一緒に住んでるのは珍しいんですよ。若夫婦が姑は嫌だって、別居が普通ですもの。それに、前にもお話しいたしましたが、戦前みたいに女中がいる時代じゃないですし。保育園も最近は充実してきたようですが、それでも病気の子は預かってもらえないですし。こどもが熱でも出したら、仕事を休まなきゃいけなくなりますのよ)

(こどもは急に熱出しますからね。で、場合によっては急に悪くなりますし)

(病気の子を預かると、他に預かっている子に伝染るかもしれませんしね)

(でも、そんなこと言っていたら、結婚した女の人って、子供がうまれないって決まらない限り、お仕事できないじゃない)

(今は、休むのは母親でなくともいい時代のようですよ)

(えっ、育児は母親の仕事でしょう)

(う〜ん)

(私もそう思ってましたわ。でもね、最近は違うらしいですのよ。育メンなんて言葉もできて)

(イケメンっしょ。顔がかっこいい男のことっしょ)

(いいえイケじゃなくて、いくなんです)

(おっ、僕も聞いたことありますよ。最初は新しいうどんかそばみたいなものだと思ったんですよ)

(えっ、それって、俺、まだこっち来て間もないのに、俺、知らないっす。俺ん家うどん屋なのに。ラーメンの種類っすか)

(武蔵君、違うのですよ。育メンのメンは、麺類の麺じゃなくてmanの複数形のmenなんです)

(manがmenってのは、あっ、中一の英語でやったっす。で、それはわかってっす。だから、イケテル男達っしょ)

(武蔵さん、イケじゃなくて、いくなんです)

(どっか行くっすか)

(いえ、育児のいく)

(それ、なんっすか)

(積極的に育児に関わる男達のことを育メンと言うんだそうです)

(積極的に育児に関わるのですか。そりゃぁ大変だ。それで女が外で働くんですか。つまり、男女が入れ替わる。で、女がえばり出すってわけですか)

(いいなぁ、ユリ、男の人の前でえばってみたい)

(ユリさん、それじゃぁ、ただ入れ替わっただけですよ)

(えええっ、入れ替わっちゃいけないの)

(入れ替わらなくたって、俺ん家の母ちゃん、父ちゃんにいろいろ、威張ってるって程じゃなくても、結構言ってるっす)

(お父様もお母様におっしゃるのでしたら、平等で構わないのじゃないかしら。戦後は男女平等ですもの)

(しかし、先ほどの育メンで、男が育児して女が外で働く、いや、別に商売なら外じゃなくてもいいけれど、なんか、それじゃぁ入れ替わるだけのように思えますが)

(いやぁ、違うんですよ、虎さん。男も女も外で、まぁ、商売を別にすれば、外で両方とも働く。だから、帰宅してからも、男も女も育児をする、ってことで)

(それって、外で働いて帰って来て育児じゃ、男は大変じゃないですか)

(でもね虎之介さん、女は、外で働いて帰ってきても、育児は女の仕事だからと、育児もしているわけでしょう。育児どころか、掃除洗濯炊事の家事も全部女の仕事ということだと思うとね)

(男女両方が外で働いて、それって、家族を養うという男の誇りがなくなって、あっ、だから、せめて家事ぐらい女任せにすれば、男はえばれる、いや、女に家事をさせるなら、せめて育児ぐらいは、ってことなのでしょうか。なんだか、男も女も働いて、家事も育児もってのでは、とっても大変なように感じますが、今はそういう世の中になったんですか、あちらの世は)

(いやぁ、育メンなどという言葉があるということは、まだまだそういう男は少ないってことなんでしょう。育ウイメンなど言わないわけですしね)

(男が育児ですか。おしめ替えたりおしめ洗ったりしている僕の姿を想像できなくて。それに、お乳が、まさか、今のあちらの世では男もお乳が出るようになったんですか。そういや男にも乳首ありますしね)

(まさか。男の乳首からお乳が出たら、あっはっは、そりゃぁ大変だ。でも、便利になりますね)

(虎さん、お襁褓はね、最近はもっぱら紙オムツなんですよ。もう布お襁褓を使ってらっしゃる方、どんどん減ってるみたいで。愛の時には、もちろん布でしたわ。それも浴衣や古い布の方が柔らかいからと、ほどいて、縫って。あの頃にはまだ洗濯機もなかったですし、手洗いして、陽に干して日光消毒して。望の頃は、外出時は紙オムツで、それ以外は布お襁褓。その布お襁褓も、洗濯機で洗って乾燥機で乾かしてでした。今はね、ほとんど紙オムツ)

(紙オムツは、洗わないんですか)

(ユリさん、紙オムツはね、使い捨てなんですよ)

(まぁもったいない、捨てちゃうんですか)

(ええ)

(あの、話しを元に戻して、男の乳首から乳は出ない。ならば、どうしたって育児は女がするしかないでしょう)

(いえ、それも哺乳瓶で粉ミルクで)

(えっ、粉ミルクって捨て子用じゃなくなったんですか)

(貰い乳というのもありましたねぇ。ただ、あれは、色々と感染もありますしね)

(乳母は)

(乳母を置いておく余裕のあるご家庭は今ではないのではないかしら。それに、それこそ、他人のお乳ですしね)

(つまり、女が外で働くと、赤ん坊は粉ミルクになるってことですか)

(いえ、そうでもないんですよ。もう望の頃には、母乳の冷凍もしてましたしね。あっ、望はその頃はもう会社は辞めていたんですが、ちょっと長めの買い物に出かけたり、それに、母親ってちょっとしたことがストレスで母乳が出なくなることもあるとかで、出る時にまとめて出して冷凍してましたわ)

(冷凍って、氷みたいなのかしら。それじゃぁ硬くて赤ちゃんには飲めない。それに冷たいでしょ)

(いえ、湯煎して、あっ、今ならレンジで)

(レンジって)

(ほらあそこにあるみたいな。あれで簡単に暖められるので)

(ああ、警察の台所でも、僕目にしたことあります。いくつかボタン押して、中でくるくる回る。不思議な機械です)

(そうそう。昔はね、ストレスなんて言葉は無かったのですが、疲れ過ぎたり悩みがあるとお乳が出なくなって、貰い乳や粉ミルクでしたね。あれはね、お乳が出ないということも悩みになって、出ない出ないと心配するとよけいに出なくなるようですね)

(ヒ素が入っていたなんて事件もございましたわね)

(ヒ素って何でしょう)

(無味無臭無色の毒ですよ。暗殺事件に、昔はよく使われたそうです)

(早口言葉ですか)

(俺にもそう聞こえっす)

(味がなくて、においがなくて、色がなくて、ってことですわ)

(arsenicですよ)

(あ、oui、わかりました。見た事はございませんが)

(つまり、お乳は粉で作れ、おしめは紙だから、男でも育児ができるということですか)

(育児は、お乳を飲ませてお襁褓を換えるだけじゃありませんわ)

(そうそう、ユリもよくお人形さんを抱っこしたりおぶったりしてました。あやすんでしょ)

(私が子育てした時よりも愛が望を育てた頃の方がずっと時間があって、愛は絵本を読んだり、いっしょにおままごとしてたり。あのおままごとをほとんどしなかった愛がね、望相手におままごとしているのは、おかしかったですわ。なんだか、望の方がよっぽど上手で。あっ、申したかったのは、育児はこどもと遊ぶってのもございますでしょ、ということでした。虎之介さん、こどもと遊べるかしら)

(えっ、そりゃ、僕も昔はこどもでしたし、お乳を飲ませたりおしめを換えるよりはよっぽど、僕にもできそうです。あっ、でも、おままごとですか。一寸ためらいますね)

(健さんは、望相手に遊んでましたよ。それこそ、ぎこちない愛よりよっぽど上手で。あ〜、そういえば、あの頃から望は動物が好きだったのかしら。ぬいぐるみって動物ばかりで、おままごとでも座らせてたのはラッコやトラやウシやウサギやイヌや動物ばかりになって)

(ぬいぐるみって何でしょう)

(えっ、ユリさん、ご存知ないですか。あら、そういえば、私が小さかった頃には、まぁ、なかったんですねぇ。そういえば、私がおままごとする時には、近所のお友達も大切なお人形さんと一緒にいらして、おままごとをいたしておりましたわ。そういえば、愛の頃も、まだぬいぐるみの中身は藁やボロ布や針金や木ぎれでしたっけ。望があんなにたくさんぬいぐるみを持っていた頃から、既に二十年経ってますものねぇ、昔からあったように感じておりましたわ。ユリさん、ぬいぐるみってね、大きさは色々で、本物そっくりに作ってあったりして、中は、昔は硬いものが多かったんですが、今は柔らかくて、え〜と、いろんな動物のお人形さんみたいな。あら、動物でないものもありますし。実物があれば、たぶん、上に行けば望のぬいぐるみがまだどこかにあると思います。ご覧になっていただければよくおわかりいただけるかしら)


お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ