第七話 セミテリオから犬にも乗って その三十一
(滅多に笑わない主人一人と、笑顔の動物たくさんですとね。当然笑顔の動物たくさんの方が心が弾みますわ。パーキンソンで沈みがちになっても、笑顔に救われておりました)
(動物が笑うってのはねぇ、僕には信じられませんね)
(虎之介さん、あちらの部屋でご覧になりませんでしたか)
(ええ、見てません)
(けど、犬も猫も笑うっすよ。特に犬はよく)
(それって、武蔵君の思い込みじゃないかい)
(そうっすかぁ、そんなことないと思うっす)
(動物がニコニコしているとはいいものですねぇ)
(あらぁ、ご隠居さん、宗旨替えですか。こちらに来る途中で、ご隠居さんも動物が笑うなんてとおっしゃてらしたのに)
(ええ、動物が笑うってのはね、僕もまだ信じられませんよ)
(でも今、たった今、ご隠居さん、動物がニコニコっておっしゃったじゃありませんか)
(ああ、はい、申しました。ニコニコはすると思いますよ)
(えええっ、俺わからないっす)
(あのぉ、わたくしもわかりません。ニコニコって笑うってこととは違うのかしら)
(あっ、はい、ニコニコは笑顔のことです)
(うっす。けどお爺ちゃん、動物は笑わないと思ってるっしょ)
(ああ、わかりました。ニコニコは笑顔で、笑顔は笑っている表情で、はい、僕は、動物も笑顔を見せると思ってますよ。でも、笑顔と笑うとは別のものですからね)
(はぁ〜、わからないっす)
(わたくしもわかりません。日本語ってそんなにややこしいのですか)
(え〜と、つまりですね、笑顔は笑った顔ということで、笑うというのとは別で。つまり、うむ、笑うというのはおかしい、面白い時でもあるわけで。え〜と、つまりですねぇ、笑顔には色々とありまして。ほら、夢さんのご主人はなんでしたっけ、他人の失敗を笑うそうで、そういう笑いもあるわけで、つまり、例えば落語を聞いて笑う場合がありますよね。話を理解してそこに面白みを感じる、それで笑顔になる。それと、ほら、初対面の時に、笑顔を見せる、嬉しいから笑顔になる、というのもあって。僕が、動物は笑わないと言うのは、動物には例えば落語の話の展開が理解できなければそこにおかしさを感じられないだろうから、そういう意味での笑いはあり得ないということでして)
(なんだか、わたくし、理解できたような、そうでないような)
(あっ、僕、理解できたと思います。僕の場合は、動物が笑顔を見せることが信じられない。ご隠居さんの場合は、動物の笑顔はあってもが、動物が笑うというのはあり得ない。そういうことでいいでしょうか)
(そうそう。そうなですよ。まぁ、動物が話を理解して面白いと思って笑うということがあるのかないのか、動物本人ではない以上、推測でしかありませんがね、そういう笑いはないのではないだろうか、と)
(なんだか、俺、半分ぐらいわかったような)
(わたくしも、なんとなく、つまり、rireとsourireの違いなのかしら)
(そうそう、カテリーヌさん、たぶんそれですよ、笑うと微笑みでしょうか。ロバートさんがいらしたら的確にご説明いただけたるのですが)
(なるほど、英語でしたらsmileとlaughになりますね、うん、なるほど、さすが虎さん)
(ああ、smileなら俺にもわかるっす。マックのレシートに書いてある分ね、あのにっこりするのは零円ってのっす)
(えっ、ユリもっとわからなくなりました。マック君のレシーって何ですか)
(ユリさん、家のマック、犬のことじゃなくて、ハンバーガーのお店のマックで買い物をした後に頂く領収書のことですわ)
(あっ、カテリーヌさんが事故に遭われかけた時のあのお店の)
(あら、ユリさん、それをおっしゃらないで)
(カテリーヌさんごめんなさい。で、そのお店の領収書まではわかりますけれど、でも、どうしてカテリーヌさんのおっしゃる何でしたっけ栗鼠でしたっけの話になるんですか。どうして武蔵君にはわかるんですか)
(栗鼠ではなくて、rire、sourireです)
(ユリお姉さん、マックでは、お金出さないと食い物買えないっしょ。けど、笑顔は只ですって書いてあるっす。その笑顔がsmile、動物も笑うの笑うっす)
(もうユリ、頭の中ごちゃごちゃめちゃくちゃぐっちゃぐちゃ栗鼠と笑顔とお店と食べ物と)
(あ〜、僕が的確な日本語を使えばよかったんですね。英語から入ると日本語が翻訳されましたよ。つまり、動物は微笑むかもしれないけれど、動物は笑わない。そして、微笑みの時も笑う時も、その表情は笑顔なのですね。これでしたらカテリーヌさん、おわかりになりますか。ユリさんも武蔵君もわかるでしょう)
(あ〜モナリザで知ってっす。けど俺、微笑みなんて言葉使わないっす)
(ええ、わかりました。そう、笑顔と笑いですね)
(わたくしもわかりましたわ。動物はsourireするけれどrireはしない、ってことですわね。でも、動物って、面白いってことないのかしら)
(なるほどね。面白い、これも面白いですね。話の筋を理解する面白いと、嬉しい愉しいの違いがあるわけですね、たぶん。あれ、面白いと貧血を起こすのだろうか。なぜ顔面が白くなるのだろう。顔面蒼白、あれは貧血だが、いや、失敬独り言)
(あっ、僕も理解しましたよ。なるほど面白いね、うん、面白い。愉しくて快適で嬉しくて、だから微笑む時もあれば笑う時もあるわけですね。一方、話の筋が判って興味深い面白さ、これも微笑む時もあれば笑う時もある。でも、まぁ、どっちにしても、僕としては、動物の笑顔は見た記憶ないですしね)
(お兄ちゃん、そんなことないっす)
(動物も笑う、いえ、笑顔見せますわ。私、何度も見ましたもの。それに、話が面白くて笑う時もあるように思いますのよ)
(まぁまぁ、見たことがなくても、無いという理由にはなりませんからね、見た事がなくても存在するものは圧倒的多数なわけで。僕も含めて皆の衆の中にヒマラヤに登ったり見たりしたことは誰もなくとも、ヒマラヤが存在していることは事実なわけですから。地球が丸いというのを自分の目で見たことはなくとも、地球は丸いわけですしね)
(うっす。地球は丸いって教えられなきゃ、俺なんか、地球は平らだとしか思えないっす)
(ユリもそうです)
(地球が丸いって、本当にそうですわねぇ。実感ないですものね)
(地球は丸いかもしれないと最初に口に出した方は勇気があったのでしょうね。きっと、変人か奇人か狂人扱いだったでしょうね。丸かったら落ちてしまうとか思われて)
(丸ってのも、円ってなら、わかりますね、地平線や水平線)
(あっ、それ、俺、ずっとわかんないっす。あれ、視力のせいじゃないかって思うっす。見える長さ、えっと距離が同じだから、だから丸く見えるんじゃないかって)
(あ〜、僕が言っているのは丸でも円じゃなくて球の方で)
(日本語、わたくしには難しいですわ)
(けれど、丸い、いや球体だと思って、信じて、それを証明して、そうやって科学は発展したんですね)
(虎さん、そうですよ。ですから、目に入るものだけを信じる、在ると信じるのは、視野が狭くなり、何の発展性ももたらさない、のかもしれませんよ)
(耳に痛いお言葉。拝聴つかまつります。でも、やっぱり、僕としては、まだ動物が笑うというのは、ちょっとね)
(ほらほら、虎ちゃん、案外頑固なのかしら。頑固だと石になって、早くこの世から消えちゃうわよ)
(でも、ユリちゃんは何でもすぐ信じちゃうでしょ。それって危ないよ)
(いいの。ユリ、もう、こちらの世界にいたら、危ない目に遭わないって決めてるの。悪意のある方はさっさと消えちゃうみたいだし)
(けど、俺、思うっす。もし、教科書に地球は平らだって書いてあったら、やっぱ、それ、信じちゃうっしょ。父ちゃんや母ちゃんが、太陽が地球の周り回ってるって言ったら、やっぱ、それ、信じちゃうっしょ)
(そうそう、どれを信じるか、難しい問題ですのよ。私はもう大きかったから、まさかと思ってましたが、私より少しお若い方々は、戦争に負けるまで、大日本帝国は神国で、天皇は神様で、アメリカ人やイギリス人は鬼か獣のような人たちだと、本当に信じておりましたもの。女は男より馬鹿で何もできないなど、私、幼心に悔しかったですけれど、でもそんなものなのかもしれないと、長らく思わされておりましたもの)
(そうでしたね。僕がこちらに来る前、あの頃、たしかにそういう教育されてましたね。男子たるものか弱き婦女子をまもるべし、誇り高き高等学校学生の矜持たるや)
(ユリもそういう風に教わりました)
(わたくしもですわ。殿方にお仕えし、お手伝いさせていただき、子をなし家を守りでございましょ)
(今はいい時代になりましたのよ。愛も望も、昔なら女だてらに大学に行くなどね、滅多にないことでしたし。愛は、結婚して会社を辞めましたが、望はずっと、結婚しても、子供が産まれても獣医を続けるつもりですしね。あら、でも本当にいい時代なのかしら。男性任せに生きるのも、私などそういう人生を送りましたから、それなりに楽ではございましたし)
(どういう風に考えるか、どういう風に捉えるか、一人一人が自分で選択する能力と自由を身につける、なかなか難しいものですね。女性に限らず、男我々男性にとっても、その自由を上手く使えるか否か、使えぬくらいならば他人任せに生きるか)
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。