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第四話 セミテリオのこども達 その六


(あのぉ、お話戻しても構いませんかしら)

(いいよ、ごめんねユリちゃん)

(あらっ、虎ちゃんが優しい。優しくしてくださっても何も出せませんわよ。珈琲がごぼごぼして出て来て、パンがパンッって飛び出して来るんですよね、カテリーヌさま)

(そうそう、台所で火の上で焼くのではなく、パンも電気をつないだ機械で焼くんです。それにパンが保冷庫って言うんですか、ほら、あの亀歩き青年の家にもあった、あっ、冷蔵庫って言うんでしたっけ。昔のテレビの数倍大きくて、扉がたくさんあって、その冷蔵庫の別の扉を開けるともっと冷たい所があって、そこからカチンカチンの硬いパンを出して来るんです。それを機械に入れてしばらくするとパンッて音がして、きつね色のいい色に焼けて飛び出してくるんです。半熟卵もね、機械でつくるんです)

(ほう〜、卵を機械に入れると、半熟になって出てくるのかのっ、その珈琲といい、パンの機械といい、半熟卵製造機といい、こりゃまたその内、誰かに乗って今の世界を見物しにいかないとのっ)

(う〜ん、卵は卵の大きさの入れ物に入れて、その入れ物を、別の機械、やっぱり電気でつながっている機械、ほら、あの亀歩き青年の家にもこれはありました。昔のテレビと同じくらいの大きさの箱形ので、あれに入れてなんだかあっち回したり釦押したりして、数分したらもう半熟卵ができちゃってました)

(わたくしが見た朝食と同じですわね)

(ええ。腸詰めの小さいのもありましたし。違ったのは、枇杷が付いたくらいです。そのかわり、ほら、カテリーヌさま、大きなさくらんぼだと思ってしまったあのちっちゃいとぅめぃとぉはなかったです) 

(とぅめぃとぉってなんですかのっ)

(トマトのことですな。英吉利人には卑しいとされる懐かしき亜米利加式発音、貴女は何処で学んだのですかな)

(ユリの話の腰を折らないで頂ければ、ちゃんとお話いたします)

(申し訳ない)

(すまんがのっ、そのトマトというのは、あの、毛唐が好む赤い球体のものかのっ)

(だんなさ〜、確かに、だんなさ〜ご生存の頃にはあまりありませんでしたわ。でも、その後、ケチャップ、あら、ケチャップもだんなさ〜、ご存知なかったでしょうかしら。どろっとした、赤い調味料で、私も頂いたこと何度かございますわ。でもトマトの方は苦くて青臭くて苦手でした。砂糖をかけて頂いておりました)

(マサさまもそうでしたの、ユリもそうしてました)

(日本の方は、トマトにお砂糖をかけるんですか。お砂糖は贅沢なものでしたでしょ。でも、和菓子やトマトにも、お使いになってらしたんですね)

(亜米利加が鯨を追って西に来た如く、日本は砂糖を追って、琉球からさらに南に向かったのでしたのっ、いや、これは我が輩やみなさまがこちらの世界に来た後のことですがな)

(ロバートおじさん、砂糖もですか。僕は、石油だと思ってました)

(あのぉ、ユリのお話、続けたいんですっ)

(パンッのパンとごぼごぼの珈琲と、終了しましたってお話する箱で半熟卵と腸詰めと、トマトの朝パンを全員揃って食べて、隼人君とお父さんが出て行って、その後すぐびわちゃんも、いってらっしゃいの声に送り出されました。ユリね、一人で乗るの初めてでしたから、心細かったんですけれど、カテリーヌさまの代わりにしっかり尋常小学校を見てこようと思ってました、あっ、いえ、尋常は付いてませんでした。ただの小学校)

(そうそう、僕がこちらに来る少し前には、国民学校って名に代わって、その後、国民も取れたらしいね。ほら、この前僕が乗り続けて見てきた警察でもそう言っていた。高等科ってのもなくなって、中学校になって、中学校は僕らの頃の中学校とは違って三年間で、中学校の後が高校になってるみたいだよ。それで、中学校までは義務教育で、でも実際には今は高校までほとんどみんなが行くらしい。日本人の教育の質が高くなっているってことなんだろうか。ほとんどみんなが、僕みたいに帝大に行くような勉強をしているんだとしたら、大変だろうね。あんなに難しいことを勉強する必要があるんだろうか。僕だって思っていた。理系に行く連中はなんで古典や漢語が必要なんだ、僕みたいに法律を学ぼうとしていた身には、なぜ物理や科学が必要なんだってね)

(虎ちゃん、お願い、続けさせて)

(ごめん、ごめん)

(学校に向かう途中で、びわちゃんはカタリナちゃんとジミニちゃんと彩香ちゃんと会って四人で学校に向かいました)

(ユリさん、ごめんあそばせ。でも、私も一言。そのカタリナちゃんって、日本人でしたでしょうか)

(いえ、え〜と半分日本人みたいです。お父さんが秘露人みたいです。ついでに、ジミニちゃんは日本人みたいですけれど、名字が二つあって、お父さんとお母さんが違う名字で、韓国ではね、ってジミニちゃんが言ってましたからたぶん韓国の子で、えぇと、彩香ちゃんは日本の子みたいです)

(みたいです、って、どこの國の方かおわかりにならなかったということでしょうか)

(はい、秘露も韓国も、ユリにはわかりませんし。韓国は朝鮮半島の南半分のお国らしいです。でも、地図には韓国って名前じゃなくて漢字四文字でした。そうそう、國って漢字も中に王様がいらっしゃる字になっていました。王様ががあちらこちらにいらっしゃるのでしょうね)

(南半分とは...北は支那ということかのっ)

(どうも、あちらこちらで国の数が増えているらしいですな)

(わたくしがセミテリオに参ります頃には、朝鮮半島も支那の一部も日本でしたわ)

(僕がこっちに来る前は、南方の国々も大東亜共栄圏という名で日本の領土みたいなものだったし。でも、日本は戦争に負けたから、朝鮮半島の北半分は支那のものになったのかなぁ)

(いえ、北半分は別の国、たしか朝鮮なんとか国って漢字で長い名前が書いてありました。あのね、マサさま、生活科の教科書で偶然、どこの国からっていう頁があったのでユリも覚えていますけれど、見かけだけでは、琴音ちゃんやこの前ここに遊びに来ていたお子様達も、どこの国の方かわかりませんわよね。カテリーヌさま、私たちがお訪ねした隼人君のご家族も、たぶん日本人だとは思いますけれど、わかりませんでしょ。国の名前が書いてあるわけではございませんし、日本に長くいれば日本語もお話しなさるでしょうし)

(そうですわね。どこの国の方かとは話題になりませんでしたし、その国の方々にとっては当然ですし、見かけが少し違えば、どちらからですか、とお尋ねもいたしますが。わたくしがあちらの世界におりました頃には、西洋人は異なって見えましたからひそひそ話されたり、逃げられたりでしたから、かえって西洋人どうしは仲良くいたしてもおりました。それでも服装を目にいたしましたり言葉を耳にいたしますと、自分とは違うお国の方なんでしょう、と想像は付きました。あっ、いえ、あの、つまり、わたくしが口をはさませて頂いたのはそういうことではなくて、あの、そのカタリナちゃんってお名前、私と同じですのよ)

(ほうっ、カテリーヌさんとカタリナちゃん、確かに似ているような)

(ええ、仏蘭西ではカテリーヌ、西班牙、葡萄牙、伊太利亜などでしたらカタリナ、英吉利や亜米利加ではキャサリン、露西亜ではエカテリーヌになるんです)

(ほぉっ、日本人の名前にそういうのはあるのだろうかのっ)

(日本語ではカテリーヌは絣んになるようでござる)

(絣んとな。ロバート殿、これまたどうして)

(いや、人の名前ではなく、台風の名前でござる)

(台風に名前が付いておるのかのっ。私は知らなかったのっ)

(僕も知らない)

(わたくしも)

(ユリも)

(我輩も先日の散歩で偶然知ったのだが、電柱に白い線が引いてあり、それが六十年程前の絣んという名の台風の時に浸水した高さだと、私の乗った御仁がご友人に説明しておったのでな)

(六十年程前ということは、今ここにいらっしゃるわたくし共はどなたもあちらにはいらっしゃらなかったですわね。この国が占領されていた頃のことですから、占領した連合軍が名付けたのでしょうか。でも絣ん、絣ってすてきなお名前かもしれませんわ)

(素敵などころか、大層な被害をもたらしたようでござる。我が輩も詳しくは知らぬが、その御仁が説明しておりました)

(台風の名にまでなったのですか。それより、わたくし、その、同じ名前のカタリナちゃんに会ってみたかったです。乗ってみたかったです。残念ですわ)

(もう、ユリ、話を続けますっ。それでね、カタリナちゃんとジミニちゃんと彩香ちゃんとびわちゃんは、宿題やってきた、今日の給食なんだか知ってる、体操服新しいの、昨日買いに行ってその帰りに弟が交通事故に遭いそうになったの、なんとか先生のとこ男の子が生まれたんだって、四年の聡君かっこいいよぉ、そんなことないって、三年の洋君の方がいつもにこにこしていて、やだぁ、いつも笑顔なんて信じられない、あっ、ジミニちゃん洋君のこと好きなんだぁ、そんなことないってば、なんて女の子のおしゃべりはいつも変らないんだなって思いもいたしましたし、先生に敬語も使わないですし、男の子のことお話するなんて、それこそユリには信じられなかったんですけれど、その内学校について、学校がね、ユリ、びっくりしました。だって、そりゃその前の日、カテリーヌさまとご一緒の時でもお着物の方見かけませんでしたし、幼稚園は制服でしたからお着物のお子がいなくてもともね。学校ではね、こども達も先生も皆、体操のお授業の時以外はばらばらのお服ですのに、先生方もどなたも、お子たちも誰も、だぁれもお着物じゃないんですよ。日本の服、誰も来ていないんです。みんなお洋服。それに女の子でもスカートの子が少ないの。信じられない。それでお教室に入ったら、机がね、一人ずつなの。木だけじゃなくて金属も使ったお机とお椅子で、こども達の数も少ないの。一つのお教室に三十人ちょっとしかいないんです。男の子と女の子が別のお教室じゃないですし、あっ、これ、まだ二年生だからってんじゃなくて、六年生でもそうらしいでしたし、男の子もユリ達の頃みたいに乱暴じゃないし、坊主頭の男の子も少ないですし、お河童頭の女の子もほとんど見かけませんでしたし、だぁれも継接だらけのお服や寸釣天や大きすぎるお服なんて着ていないですし、みんなこざっぱりとしていて、それにほら、ジミニちゃんやカタリナちゃんもですけれど外人が多いみたいで、肌の色の黒い子や髪の色もロバートさまとカテリーヌさまの間みたいな薄い茶色の子もいたり、なんだかユリの知っている日本じゃないみたいでした。大戦の後、占領されたままなのかしらって思ったくらいです。それで、先生が入ってらして。池田先生って男の先生でした。羽織袴はもう期待しておりませんでしたが、背広でもなくて、体操服みたいなのを着てらっしゃいました。三十歳ぐらいかしら。起立礼着席があると思ったら、起立礼だけなんです。立たないで、座ったまま気をつけなの。すぐ授業が始まる訳じゃなくて、読書たいむなんてのがあって、たいむってなんだか知りませんけれど、いいですっ、虎ちゃんもロバートさまも黙っていて、もう、途中でお口をお挟みにならないでねっ。みんな勝手に自分の好きな本を読んでいるの。少ししたら国語の時間で、国語の教科書がこれまたびっくり。とってもきれいで、紙もつるつるで、挿絵がいっぱいあって、それにね、色がついているのよ。教科書に色がついているの。天然色って言うんでしたっけ。黒と一色っていうんじゃなくって、たくさん色使っているの。お話も日本のお話じゃなくて、すいみぃっていう黒い魚が他の赤い魚と協力してってお話でした。国語なのに、日本のお話じゃないんですよっ。まだ小学校二年生で、もう外国のお話。先ほども申しましたけれど、文字が違っているんです。ゐもゑも使っていないみたいです。ジミニちゃんやカタリナちゃんもそうだったけれど、他の外国のお子たちもね、国語の教科書を上手に読むし、もちろんお話は全部日本語でお話ししていて、私、ずっと、カテリーヌさまやロバートさまの日本語がお上手なことに驚いておりましたけれど、お子達もとっても上手)

(ユリちゃん、わかった、口挟まないから、ゆっくり話して)

(虎ちゃん、ほら、口挟んだじゃないっ)

(ごめん)

(じゃぁ、ゆっくり話します。え〜と、二時間目は算数で、これがまたね、わからないの。ユリ、ちゃんとお勉強したのに、全然わからないの。だって長さのことをお勉強していたんですけれど、英語の文字で書いてあるの。ほら、カテリーヌさま、幼稚園の近くにセミテリオまでの距離が書いてありましたでしょ。あれです。何メートルとそれより小さいなんとかメートルと、それより更に小さい別のなんとかメートルってのがあって。なんとかメートルをいくつ集めるとなんとかメートルになって、正確な呼び方と簡略な呼び方とね。尺も寸も間も使わないの。でね、色んな所の長さを計ろうって、机の上では定規を使っていてね、定規にも尺も寸も書いてないんです。黒板の長さを計ろうって時にはね、巻き尺を使ったのね。尺は使わないのに、巻き尺っていうの。面白いでしょ。もしかして、間尺に合わないって言葉ももう使われなくなってるのでしょうか。わたくし、あの言葉好きでした。面白いですわよね。間にも尺にもあわない、ってことでしょ)

(杓子定規とか尺度って言葉も使われなくなってるのかなぁ、まさか尺取り虫って名前まで変っていたりして)

(しゃくにさわるってのはいかがでしょう)

(カテリーヌさん、難しい言葉をご存知ですのっ。然し乍ら、あれは癇癪の癪で、漢字が異なりますのっ)

(あら、すみません。ユリさま、長さのメートルというのは、わたくしの国から始めましたのよ。一メートルは約三尺ですわ)

(そうそう、亜米利加の一フィートと一尺は同じくらいでござる)

(ユリ、続けますっ。あっ、そういえばね、黒板が黒じゃないの。緑、濃い緑でした。でも黒板っておっしゃってました。不思議でしょ。緑板じゃないんです。お手洗いはね、お手洗いって書いてなくて、これもまた英語の文字で書いてあって、え〜と、えむの字を逆さまにした文字と長さの時に使った文字でした。中に入ったら、ユリが昔からよく知っているしゃがむのだけじゃなくて、びわちゃん家みたいに腰掛けるのもあって、落とし紙もね、自分で持って行くんじゃなくて、びわちゃん家みたいにくるくる回る紙がついていて、水で流すのもお家だけだと思ってたら、学校もなの。壁の近くに手を近づけるだけで水が流れるの。それにね、お手洗いの扉も勝手に開いたり閉まったりするし、手を洗う所なんて蛇口の下に手を持っていったら勝手に水が出て来るの。手をどけると勝手に水が止まるの。濡れた手は拭かないのね、機械の間に手を入れると風が吹いて乾かしてくれるの。これも、手を入れると風が出て、手を出すと風がとまるの。だからお手洗いがきれいなの。ここのお手洗いはあんなじゃないでしょ)

(ほうっ、そりゃ面白そうだのっ。次に乗る時にはそういう厠に参りたいもんだのっ)

(だんなさ〜、厠の話はお好きですものね)

(おうおう、好きだのっ、今じゃ出したくても出せない。ひねりもできなきゃちびりもできぬのっ。こちらの世界に来てしまうと、糞じじいとか糞ばばあって言葉は意味を成さぬ、ははは)

(だんなさ〜、お止しになってくださいませ。カテリーヌさんがお顔をしかめてらっしゃいます、んだもしたん)

(あら、わたくし、いえ、おほほ。わたくしもお手洗いでは、日本に参りまして面白かったこともございますのよ。お手洗いそのものではなく、その外の、え〜と、つまり本当に手を洗う所のことなんですが。中の方のお手洗いは、おほほ、昔は、いえ、わたくしが幼い頃はまだ、仏蘭西ではおまるにして、道や家の裏などに捨てていたみたいですわ。あっ、わたくしが面白いと思いましたのは、手を洗う方、あの下からに細い棒を押し上げると水が出てくるのでした)

(そうそう、下に手水鉢があってね、横に手ぬぐいがぶらさがっていて。確かにあれは面白い)

(ユリもね、好きでした。ちょんちょんってつついて、何度もつついて遊んでおりましたら、ばあやに叱られました。誰が上に水を入れると思っているんですか、水だって只じゃないんですっ。井戸水だけじゃないんですからね、ってね)


  *


続く


お楽しみ頂けましたなら、幸いです。その七は25日までにはアップいたします。

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