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第七話 セミテリオから犬にも乗って その二十六


(そうそう、この健さんが設計した家ね、変なんですよ。そのおトイレが四つもあるんです)

(ええっ、二世帯住宅でトイレが四つって、変っす。とっても変っす。俺ん家だって、お店用と、あとは俺の家族、爺ちゃん、婆ちゃんも一緒だから、俺が生きてた頃は六人で一つ使ってたっすよ。もしかして、健さんの兄弟も一緒に住んでいて、たくさん住んでるからトイレが四つもいるっすか。なんか掃除だけでもうんざりっしょ)

(便所には籠りたい人もいますしね。僕の父は新聞を持ち込んでなかなか出て来ないから、母が嫌がってましたよ。後で読むと臭いような、汚いようななどと)

(虎ちゃん、なんだかその話の続き、もういいです。聞きたくないです。なんだか、彦衛門さんがいらっしゃらないのに、どうしてこういうお話になるんですか)

(あら、ユリさん、ごめんなさい。おトイレの話を始めたのは私ですわ)

(いや、僕が二世帯住宅の基本を話した時に始めたのですから夢さんはお気になさらずに)

(トイレに新聞ですか。ははは、カテリーヌさんは何も持ち込みませんでしたかな)

(そんなはしたないこと、いたしませんでしたわ)

(そうですか。この中で日本のではなく西洋式のトイレをご存知なのはどなたかな)

(もしかして、西洋式のお便所って、あれかしら。ユリ、あちこちで見ました。学校もそうなってました。あの、腰掛けるのでしょ)

(そうそう)

(え〜と、僕は知りません、えっ、僕だけですか)

(虎ちゃん、あのね、椅子に座るみたいなの)

(それって、なんだか汚くないかい)

(だから、学校では皆、最初に拭いてました。お家ではそんなことなさってませんでしたけど)

(そうそう、あれね、家ではよくても、お外では気持ち悪いですものね。愛も望も外では座らないって。私はそれでも座らないと無理でしたから、きれいに拭いてました)

(座らないって、それじゃぁ、あの上によいしょって上がるんですか)

(おほほ、そういう方も昔はいらしたそうですわね。そうではなくて、あの、こうへっぴり腰になって、嫌ですわ、この言葉)

(へっぴりって、屁を出すかっこっしょ、けど、出すのはおしっこ、ってことっすか)

(尿捻り腰ですかな)

(いらしたでしょう。戦前、畑で農婦が)

(えっ、夢さん東京の人っしょ。畑あったっすか)

(ありましたわよ。世田谷なんてオリンピックの後も多摩川までずっと畑ばかりでした)

(武蔵君が東京のことをどれくらい知っているかは判りませんが、でも、千代田区の名前を聞いたことはあるでしょう)

(うっす)

(田の字が使われてるでしょう)

(あっ、ほんとっすね)

(他にも墨田区、大田区、三田、羽田、蒲田、早稲田、高田、田町、隠田、五反田、まぁ千代田区は戦前の神田区の田だそうですがね)

(そうっすか。俺、なんとなく、江戸時代にはもう東京に畑や田んぼなんてなかったって思ってたっす。江戸って侍と町人の町じゃなかったっすか。なんか、川と田んぼの場所っすか)

(私も江戸時代は存知ませんが、戦後でもまだまだたくさん畑がありました。武蔵さん、練馬大根ぐらい耳にしたことないかしら)

(ないっす。大根って、青首とか)

(いえ、練馬って、今の練馬区)

(ふ〜ん)

(そうそう、昔は地名のついた野菜が多かったですね。早稲田茗荷、鳴子瓜、谷中生姜、千住葱、今も残っているのは小松菜ぐらいでしょうか)

(ユリ懐かしいです)

(懐かしいですわ、私も。そうそう、それでね、この家、おトイレが四つあって。設計の頃に愛と健さんから聞いて、何でと驚きましたの。武蔵さん、健さんは一人っこですから、愛が嫁いでも四人になるだけでしたのよ。そこのおトイレが四つでしょう。二世帯ですから二つまではわかりますが、四人で四つって、よほどみなさん、愛も含めておトイレに籠りたい方々ばかりなのかしらってあきれて笑ってました。話を聞いて納得したのですが、健さんは大学時代のお仲間と作ったアマチュアバンドの練習場所が欲しい、愛は、英語の塾でも開きたいという二人の希望があって、それを聞いた健さんのご両親が、お母様はカラオケを、お父様は陶芸をなさりたいということで、スタジオと教室を一階に作ることになさって。ご両親が建て売りを買われた頃はまだバブルの前でしたから、土地もお安かったそうで、建て直しする時に随分広くできましたのよ。あっ、それで、おトイレは一階の陶芸コーナー兼教室とカラオケコーナー兼スタジオに一つずつ、それと二世帯にそれぞれ一つずつの合わせて四つということだったんです)

(コーナーとは角、場所という意味でござるな)

(なぁるほど。そういえば、僕の病院にも、トイレは病院の方は各階にありますし、当然男女別ですし、世帯ごとにもありますから、四つで驚くこともなかったですね)

(ご隠居さんがお医者さんだとは存じておりましたが、病院をお持ちでしたの)

(はい、息子夫婦も孫娘夫婦も曾孫夫婦も、同じ所で。どうも玄孫新婚夫婦は別の場所に住んで通うそうですがね。そりゃ、もう、あれ以上あそこには住めないでしょうし)

(うわっ、それって何家族っすか。俺ん家よりすごいっす。んじゃトイレもたくさんっすね)

(ということになりますね)

(では、四つぐらいで驚いていてはいけなかったのかしら)

(桃色のバラが綺麗)

(バラが桃って変っす、ピンクっしょ)

(ユリ、ピンクって言葉使ったことないの)

(あれ、ツルバラですのよ。本物のバラではなくて。こちら側が入り口ですからバラを植えたそうですが、こちら北側ですので陽当たりも悪くて貧弱でしょ)

(バラはバラっしょ)

(違いますの。バラは育てるのが難しいのですが、ツルバラは簡単。あら、こんなこと申してはいけませんわね。ツルバラは健さんのご趣味ですもの。でもね、つい主人の口癖が。いつも申しておりましたのよ。バラこそバラだと。ツルバラは邪道だと。でも、野毛山の家でバラを育てておりましたのは主人ではなくて私でしたのよ。確かに、ツルバラよりもバラの方が香り高いですのよ。ツルバラは野生の香り)

(薔薇は薔薇ではなかろうか。美しい)

(刺があります)

(刺は人間の言葉の方かもしれませんわ)

(ユリには刺があるのかしら)

(ユリちゃん、ユリには刺はないから、心配しなくていいよ)

(なんか、なんだか、それって、ユリは薔薇ほどじゃないってことかしら)

(ユリさんはユリさん、僕は僕、それでいいでしょう。なんだかユリちゃん絡んでる)

(だってぇ、ユリのお服、散々言われてるから)

(ユリちゃんだって、足首の紐だの耳の紐だの五月蝿かったじゃないか)

(まぁまぁ)

(ほら、あそこ、家の左右にお手洗い。上下で合わせて四つですのよ)

(うわぁ、珍しいんじゃないかしら。お手洗いが表側にあるんですか)

(えっ、ええ)

(えええっ、表側にトイレってあっちゃいけないっすか)

(普通は奥の方に作るものでしたね。臭いますしね)

(っすかぁ)

(そう、便所は、温度が上がると臭いますからね。北側に作るのが普通、あっ、ですからこちら側なんですね)

(けど、ぼっとんじゃなきゃ、そんな臭わないっしょ)

(水洗ですしね)

(水仙どちらに咲いてますの)

(あっ、いえ、お花ではなくて、水が流れるお手洗いのことですわ)

(あっ、然様でしたわね)

(入り口が北側というのも珍しい)

(そうっすか。俺ん家の方の団地って、たしかみんな、北側が入り口っすよ。ほら、リビングが南向きになるようにしてっすから)

(livingとは、生きているという意味ですな)

(へっ、違うっす。アメリカ人のロバートおじさんでも間違えるっすか、へぇ〜)

(我輩、亜米利加よりも日本の方が長いのですな。生きておりました時は同じほどでしたが、こちらの世に参ってからはずっと日本ですからな)

(ほっほっ。武蔵君、いや、ロバートさん、今の日本ではリビングとはliving room、つまり居間のことですよ)

(あっそうか)

(ふむ。またしても日本語お得意の省略ですな。居間ですか。たしかに、居間は日本では陽当たりがよいのが良いのでありましょうな)

(さぁ、ほら、玄関ですわ。あら、どうしましょう。私、みなさまによろしかったらどうぞ、とお連れいたしましたものの、あら、どうしましょう)

(どうかなさったのですか)

(いえ、あの、何しろ、ただいま申し上げましたように、お手洗いが四つもあるお家でございましょう。で、入り口が北側で、入り口からお手洗いが見えて、それも四つも見えて、色々と変な家ですのよ。きっとみなさま驚かれると思いますわ)

(でも、夢さまのお宅じゃないですし)

(ですわね。私が変な家と申しましては、健さんに悪いですわねぇ。でも、本当に変わった家なんですのよ。ほら玄関も)

(おおおっ、これは僕の病院の入り口より広いですね。たしかに一軒家としては変わってますね)

(でございましょ)

「ほら、マック、抱っこ。逃げるんじゃないのっ。さっと洗わなきゃ家に上がれないでしょ」

(うわぁ、マック君が嫌がってます。かわいいっ)

「ワン」<笑わないでっ>

(えっ、笑わないでって聞こえませんでした)

(わたくしにも聞こえましたわ)

(俺、なんか聞いたような、でもはっきりしないっす)

(僕は何も聞こえませんでした)

(我輩にも)

(僕は聞こえたような)

(おほほ。さようでございましょう。私がそう申しますと、主人はいつも私を馬鹿にしておりましたのよ。最初の内こそ、こどもみたいなことを言って、でしたが、だんだん寝惚けているのか、いいかげんにしろでした。パーキンソンの薬のせいだったと思うのですが、よりはっきり見えて聞こえるようになっておりましたら、それは幻覚、幻聴だと申しておりましたが、その内、惚けばばぁとまで言われましてね。でも、みなさまにも聞こえますのね。おほほ、嬉しゅうございます)

(俺、少し惚けてきたっすか)

(僕も惚けてきたのでしょうか。いやいや、死後も脳が老化して惚けるなどあり得ませんしね。けど、同業者に言われるともしやと思わないでもない)

(我輩と虎之介殿は明晰なのでしょうな)

(ロバートさま、それはないでしょ。それじゃぁ、カテリーヌさまとユリは明晰ではないみたいじゃないですか)

(いや、失敬)




お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。

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