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第七話 セミテリオから犬にも乗って その二十五

(今は洗剤を使いますからね。夢さんならお判りになると思いますが、戦前、いや戦後も大分長い間、洗剤は落ちが悪かったでしょう。最近の洗剤はよく落ちますからね。それに、風呂。昔は東京は内風呂が少なかったですし、風呂を湧かしたら数日間はお湯を替えなかった、いや、水がもったいなくてね)

(然様でございましたわねぇ。最近はお風呂を湧かしても一日で捨てたり、せいぜい洗濯機に廻すくらいで。シャワーなどお湯が下水に流れっぱなしになりますものね。もったいなく感じてしまいますわ)

(そうそう、皆がお湯を流すから、多摩川もタマゾン川と言うらしいですよ)

(ピラニアがいるって聞いたことございますわ)

(うっそぉ、それって利根川に鮭よりあり得なそうっす)

(ピラニアってなんでしょう。鮭より珍しいお魚ですか)

(うっす。人も喰っちゃう小さな魚っす、日本のじゃないっす。アマゾン川にいるっす。あっ、勉強嫌いの俺でもこれくらいは知ってっす。ブラジルの川っす)

(ブラジルの川と多摩川を合わせてタマゾン川ってことですか、まぁ)

(それじゃぁ、多摩川で泳いだら食べられちゃうの)

(ユリさん、今の多摩川ではとても泳ぐなど。多摩川で泳げたのは愛が小学生の頃までかしら)

(ユリ、寂しいです。川では泳げないし、これだけ紫陽花が咲いていても、蝶々もいないし。もう紋白蝶の季節じゃないからかしら。でも、今頃だったら揚羽蝶は。あら、そういえば蜆蝶は)

(蜆蝶も最近とんと見なくましたね。昔はそれこそいろんな種類の蜆蝶がいましたね)

(蜆蝶ってなんすか)

(おや、武蔵君も知らないですか)

(このくらいの、小さい蝶ですよ)

(あっ、図鑑でなら見たことあるっす。でも、俺が知ってる蝶って、え〜と、白くない紋白蝶と、水色の揚羽蝶と黒と黄色の揚羽蝶だけっす)

(紋白蝶が白くないって、ユリ、わからないです)

(だって、白くないっす。図鑑だと真っ白っしょ。でも飛んでるのはなんか灰色ってまで行かないけど、なんか汚れてるみたいっす)

(それ、違う種類ではないのかい)

(うっすかぁ)

(小さい蝶も小さい蚯蚓もいなくなっちゃったんですか。それじゃぁ、もしかして糸蜻蛉もいないのかしら)

(そんなのもいたっすか、蜻蛉の赤ちゃんじゃなくて)

(武蔵君、蜻蛉の赤ちゃんはヤゴといって形が異なる)

(そうだったっす。理科の教科書にあったっす)

(武蔵君、教科書とか図鑑とか、実物は目にしないのかい。君の育った所は田舎だって言ってたのに)

(うっす。俺ん家の店のある近所を別にしたら、田舎っす。田んぼや畑ばっかっす)

(なのに、虫が少ないのかい。蚯蚓や土竜もいないって言ってなかったっけ、蚯蚓は虫ではないけれど)

(うっす。ミミズもほとんど見ないっす。土竜も見た事ないっす)

(そうなの。田舎でもいないの。ユリの頃は東京でも何でもいたのに。熊や鹿は流石にいなかったけど、糸蚯蚓や蜆蝶や糸蜻蛉。糸蜻蛉は空き地にたぁくさん飛んでいたのに。蜆蝶だって、白っぽいのや銀色っぽいのや、赤っぽいのや青っぽいのやたくさんいたのに)

(空き地そのものが少ないですしね)

(愛が幼い頃は全部いましたわ。オリンピックでみかけをきれいにしてしまったから、みんな消えてしまったのかもしれませんわね。あの頃、街中からバラックを減らして、乞食を減らして、傷痍軍人を減らして、ご近所の芥箱を家庭ごとのポリバケツに替えたのでしたっけ。あのポリバケツ、もう使わないですしね。溝に蓋して、電柱が木製じゃなくなったのはもう少し後でしたかしら。地面の道路が減ったのもあの頃でしたわね。区道もどんどんアスファルトで覆われて。ここみたいに土の道路なんて今時珍しいですものね)

(そうなんですか。ユリの頃はほとんどこういう道路だったのに)

(そのかわり、土の道路は雨になるとぬかるみましたね。あれはあれで困ったものでした)

(でも、地面じゃないと、転んだら痛いし怪我しちゃうみたいです。こういう地面の方が柔かいでしょ)

(ユリちゃん、僕達、転ばないし、転んでも怪我しないし、怪我しても痛くないし)

(そうでした。ユリ、転んで擦りむいてひりひり痛くて血も嫌だったけれど、オキシフルの白い泡が怖くて、しみるし)

(オキシフルって何っすか)

(オキシドールのことですが、武蔵君、消毒薬ですよ。あれ、最近は使わなくなっていますからね)

(ふ〜ん)

(ふ〜んはユリの方ですっ。オキシフルもなくなっちゃったの)

(ユリさん、もうね、赤チンもヨーチンもないのよ)

(まぁ)

(はい、みなさま、着きましたわ。ここが健さんと愛と望の家。いえ、元は、というか今も健さんのご両親のお宅なんですが、ご両親はもうお住まいではなくて)

(こちらの世にいらっしゃったのですか)

(いえ、有料の老人ホームにご夫婦でお入りになられて。折角この家、先を見越して健さんが設計なさったのにね)

(まぁ、ご夫婦で入られたのですか)

(ええ、ご夫婦どころか、ご近所のお友達とご一緒に。お友達も増えて、老後寂しくないだろう、便利になるだろうとおっしゃられて。中のご生活、いろいろなサークルがあって、楽しんでらっしゃいますわ。私もね、こちらのお話を伺って、主人に提案したのですが、主人は、どうせ禁煙だろう、ホームの医者なんてのがいて、そんな奴に診てほしくない、一人で勝手に自由気ままな方がいいと申しましてね。私がショートステイに行くよう介護の方に勧められましても、お前はそんな所に行きたいのか、みんなで♪ちいちいぱっぱ♪と歌って手を叩いて、そんなこども扱いされるのがいいのか、俺は嫌だね、と私が行くのも嫌がりましたのよ。ですから、私は一日中怒鳴ってばかりの主人と二人でひきこもりでした。主人のDVがひどくなって)

(DVとは何ですかな。英語の様に聞こえますが、我輩の知らぬ言葉)

(ロバートさん、Domestic Violenceの頭文字を取った略称ですよ。今のあちらの世界で、少なくとも日本では使われています)

(ほうっ。家庭内の暴力ですか。なるほど)

(えっ、それってDVDとは違うっすか)

(DVDは何の略だったかな。え〜と、最初のDはdegital Vはvideo、最後のDはdiscでしたか。あれは便利なものですねぇ。昔のビデオテープより容量が大きくて)

(なんだか、ユリ、ちんぷんかんぷん)

(ユリちゃん、僕もです)

(うわぁ、何だか嬉しい。虎ちゃんでもちんぷんかんぷんになるんだぁ)

(俺もうれしいっす)

(この家、愛が健さんと婚約してから、結婚前に建て直されたのですよ。元々は健さんが中学に入る時にご両親が建て売りを買われて、二十年も経たない内に建て直し。もったいないと思いましたわ。でも、愛との結婚に備えて二世帯住宅にということで)

(二世帯って、世帯が二つということはユリにも分かります。でも、二世帯住宅って何でしょう)

(親の世帯とこどもの世帯が一緒に住める家ということですよ)

(えっ、それじゃぁ、ユリみたいに、お祖父さまとお祖母さまとお父さまとお母さまとユリ達こどもが住んでいたら、三世帯住宅ってことかしら。あら、でも、ユリのお家には、婆やも一緒に住んでいましたし、女中や小僧も。そういうのって何て言うのかしら)

(どう申しましょうか。ユリさん、時代が違うのですよ。ユリさんの頃は、何世代でも一つ屋根の下に住むのが当り前でしたね。戦後、アメリカ流になったのか、戦後の若者は、親とは別の家を構えるようになって、けれど、その子の世代になると、やはりそれも変だと、見直しが始まりましてね。けれど、姑と嫁が同居すれば、色々ともめるだろう、ならば、一つ屋根にして、でも台所やトイレや風呂は別にする、上下で住み分けたり、左右で住み分けたりというスタイルになって。つまり、戦前と戦後の両方を上手くつなげた様な)

(トイレって、化粧室のことかしら)

(フランス語を借りてきた言葉で、トイレとは便所、厠のことですよ、カテリーヌさん)

(おトイレとも申しますのよ)

(まぁ、トイレにおをつけるのですか。何だか嬉しいですわ。先ほどの小さなお店でもほとんど英語でしたもの。仏蘭西語も使われているのですね、それもおが付いて。あら、でも、お便所のことなのですわね。一寸悲しいですわ)


お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。


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