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第七話 セミテリオから犬にも乗って その二十四

「やっぱりこの道いいね」

「雨の後じゃなきゃもっといいのにね。今日はこのくらいだからまだましだけど、前日に雨が降ったこと忘れてここ通ると、両足を横に広げてこうやらないと、ほらそこ、いつも水たまりになるでしょ。靴が汚れそうで」

「マックは土の道の方が好きみたい」

「そりゃそうよ。膝関節、なんせ四つあるわけだから。脚にもよくないって言われている。犬の散歩の注意事項」

「はいはい獣医さん。動物によくないってことは人間にもよくないわけよね」

「そうねぇ。二本で支えている方が脚一本にかかる重さは重いわけだし」

「羅生門のお婆婆、最近いないみたいね。花が荒れてきてる」

「そうね、ずっと会っていないわ。もう年でしょ。私が物心ついた頃からいるもん」

「それより前からよ。私がここに住み始めた頃からだから」

(車椅子になってからは通れなくなったから、望、お婆ちゃんはもっと随分羅生門のお婆婆さまをお見かけしてないのよ)

「なんか、今、お婆ちゃんが反応したみたいよ」

「愛ちゃんに乗ってるんでしょ、きっと。羅生門のお婆婆どこの人なのかなぁ」

「出入りしているのは見たことないんだけれど、たぶん、あそこの家」

「ああ、あのミニチュアダックスが三匹、窓に張り付く家」

「あそこ、猫も二匹ぐらいいるでしょ。あそこに他の猫も集まってよく猫会議してる。犬と猫両方なんて珍しいわよね」

「へへへ、愛ちゃんが言うと変、っていうか、私のせいか」

「そうよ」

(なんとか門のおばばって何でしょう)

(うふふ)

(夢さん、僕に説明させてください。これはまさに僕の関係、というわけでもないのですが、何しろ僕の名前の由来が芥川龍之介ですから。竜虎の虎之介といたしましては、やはり、芥川龍之介の作品は何度も読んでおりますので)

(らしょうもん、つまり、門なのですか)

(どこにあるのでしょう)

(今あるのでしょうか)

(さぁ、たぶん昔はあったのでしょうね)

(昔って明治より前っすか)

(いや、平安とか奈良時代)

(それって、江戸時代より前ですの)

(カテリーヌさん、平安時代や奈良時代は、江戸時代よりざっと千年近く前ですな)

(まぁ、それではCarolingiensの頃ですわね)

(えっ、カテリーヌおばさんってフランス人っしょ。フランスにもインディアンいたっすか)

(武蔵君、聞き間違えですな。Carolingiens、インディアンはインドかアメリカですな、フランスの王朝のことですな)

(ええっと、やっぱり何とかインディアンに聞こえっす、けどいいっす。平安時代とか奈良時代って奈良や京都に首都があったってことぐらいしかわかんないし。フランスのインディアンの話しはどうでもいいっす)

(そう、その都で、災害が続いて、人心が乱れていて、ひまを出されて行くあてのない男が夜、羅生門に行く、とそこで老婆が死んだ女の髪の毛を抜いているのを見て、で、その男はその老婆の服を剥ぐというのが芥川龍之介が書いた羅生門という小説です)

(つまり、その、死んだ女性の髪を抜く老婆が、羅生門のお婆婆ということですか、恐ろしい)

(でも、その羅生門の老婆って、小説の中の方でございましょう)

(ここから先は私が説明しなければ、みなさまにはお分かり頂けないと思いますわ。羅生門の小説が、望の高校の教科書に載っていたそうです。男か老婆のその後を作文にするという宿題が出て、老婆の恐ろし気な姿と、その着物を剥いだ男とどっちを選ぶか考えている内に、老婆の恐ろしい風貌が、よく見かけていたお婆さんと似ていると思ってしまい、望はそれ以来、ここの道でよく出会うお婆さんを羅生門のお婆婆と呼ぶようになって、いつのまにか愛も健さんも、それどころか健さんのご両親までそう呼ぶようになってしまったんですよ。私もたまにこちらに参っておりまして、その頃はまだ歩けたものですから、駅からこの路地を歩きますと、何度かそのお婆さんにお目にかかっておりましたので、羅生門のお婆婆という名前、とてもぴったりだと思っておりました。本人には申し訳ないと思わないでもなかったのですがそっくりと申しましょうか、面と向かってお呼びするわけではなく、家の中でだけ、そうお呼びしておりましたの。いえ、もちろん小説の羅生門のお婆婆を見た事はないのですが)

(どういうお婆さまなのでしょうか。ここの道によくいらした方のお婆婆さま)

(見かけは、羅生門のお婆婆なのですが、でもとっても素晴らしい方。いえ、なかなかできないことだと思いますわ。ほら、今もここ、紫陽花がたくさん咲いてますでしょ。この紫陽花、春の水仙とムスカリ、秋の色とりどりの小菊、冬の山茶花、みんなその羅生門のお婆婆さんがお育てになってらっしゃって。この裏道は市道だそうですのよ。でも、狭いでしょう。二人並んでは歩けませんでしょ。向こうから人がいらしたら、両方とも蟹歩きしないとすれ違いもできませんのよ。でもね羅生門のお婆婆さんは、雑草を抜いたりお花の手入れをなさる時にはしゃがんだり膝をついて、で、どなたかが通ろうとしても動きもせず、じっと睨むように見上げるばかりで。愛も望もここ、駅までの近道ですから雨の後以外は通りますでしょ。何度も通ってますから、当然顔も覚えてらっしゃると思いますし、愛や望は最初の頃はおはようございますやこんにちはと挨拶していたそうです。その後も軽く会釈ぐらいはしていたそうです。でも、黙って睨み上げるばかりで。笑顔すら見たことないんですって。ですから羅生門のお婆婆とお呼びするようになってしまって。私も、何度か行き会って、でも、本当に怖いお顔でね、ニコリともなさらないんですよ。それで、身体をずらして頂けないので、半分またぐように通っておりましたの。私より少しお年が上の方ですから、もうお身体が動かなくなられたのか)

(あっ、蟻)

(おっ、結構大きいですな)

(ほんと、大きい。セミテリオのはみな小さいですのにね)

(種類が違うのではありませんか)

(流石虎ちゃん)

(いやぁ、ユリちゃんにお団子の種類がいくつもあるように、生物には何でも種類がたくさんありますよね、ご隠居さん)

(そうですね。人類も、少し前までは黄色人種と白人、黒人と別の種類だと思われていましたが、今は人類は一種類、皆アフリカ出身だと判明したそうで)

(不思議ですわ。肌の色だけではなく、髪の色も目の色も、お顔や身体も違いますのに)

(ユリ、黒ん坊さんと同じ種類だなんて、信じられません)

(それどころか、白人ですら元は黒人だそうですよ)

(へぇっ、そうっすか、あれっ、何か、社会か理科の先生が言ってたみたいな)

(武蔵君、先生はおっしゃった、ですよぉ。先生が言ったなんて、信じられない言葉遣い)

(おっしゃったなんて舌かみそうっす)

(種類と言えば、色々減りましたわね。昔は小さいミミズや蝶々がいたでしょう)

(あっ、糸蚯蚓、今はいないのでしょうか)

(昔はきれいな溝にはどこにでもいましたねぇ)

(そうそう、球みたいになって、つっつくと毛糸玉がほぐれて、でもまた元のまんまるになって。あれ、もういなくなっちゃったんですか)

(溝がないですからねぇ)

(溝無くて、排水はどうしているのでしょう)

(いえ、溝はあっても、みな蓋をしてありますから。川ですら暗渠ですからね。溝など簡単)

(そういえば駅からここまで溝、見ていませんね)

(溝どころか、土の地面も生け垣も板塀も木造の家もほとんどありませんでしたね。やたらとあったのは、信号と横断歩道と木ではない電柱)

(昔は町内会で日を決めて溝さらいしてましたものね)

(そうそう。僕などよく狩り出されました)

(ユリはしたことないです。いつも女中が)

(どぶ、まだ俺の方には少しはあるっす。鷺もいることあるし。けど、母ちゃんや婆ちゃんは、昔の鷺はあんなにやせ細ってなかったって言ってっす。もっとでっかくて真っ白できれーだったって。鷺は時々見るけど、その小さい丸くなるミミズってのは見たことないっす)

(武蔵君のところは田舎でしたね。そうですか。まだ川も溝もあるんですか。東京はね、川がたくさんあったんですよ)

(川にちなんだ名前もたくさんありますね。荒川、江戸川、玉川、品川、深川、小石川、江東、江戸、三河島、新橋、京橋、日本橋、板橋、それに永代橋や万世橋や数寄屋橋など橋の名前もよく知られていますしね、今も名前ぐらいは残っているのでしょうか)

(僕があちらにいた頃は村というより、町や区の名前でありましたよ)

(えっ、で、川そのものは今は無いのかしら)

(今もありますわ、ただね、蓋がしてあるんです)

(そう、あるにはあるが、暗渠、つまり蓋して、溝も蓋して、見えなくなっているんですよ。まぁ、戦後の川は臭くて澱んでいて酷かったですからね。みんな芥を捨てるから、自転車やリヤカーまで捨ててありました。溝に蓋すればボウフラも減るので蚊の発生も減らせれば日本脳炎なども減ったのでしょうが)

(水に流すという言葉が日本語にはあるくらいですからな。なんでも水の中に捨てればそれで身近は綺麗になる。お江戸の海は芥だらけだったのをどなたかの浮世絵でも目にしましたな)

(俺の方の川ってきれいっす。芥なんか捨てられてないっす)

(ほうっ。それはそれは)

(日本人の道徳意識が向上したのでしょうか)

(愛の頃には、芥を捨てないという教育、たしかにございましたわ)

(芥をそこいらに捨てないというのは、僕の頃にも言われていました)

(ですわね。私も思い出しました。でも、戦後は酷かったですから。川は臭くなって、水が流れずよどんで)

(戦中に教育がしっかりしていなかった、ということもないでしょうしね。だいたい、戦中は川の中に捨てる物が無かったくらいでしたしね。捨てるくらいなら使う、食べる。どうして一時期、東京の川はあんなに汚れていたのでしょう)

(そうですねぇ。公衆道徳が衰えていたのか、物を大切にしなくなったからか)

(自然を大切にしなくなったのでしょうか)

(自然は大切にって言われてたっすよ、けど、俺ん家の方、その小さいみみずっていないっす)

(ふむ、なぜでしょうか。水は汚れていなくともですかな)

(うっす)

(それは、見た目とは別に、農薬や生活排水で、水が汚れているから、ミミズが住めなくなったのでしょう)

(見た目は綺麗でも水が汚れているのですか)

(わたくしにも分かりませんわ。でも、仏蘭西の私のいた所のお水は見た目はきれいででしたけれど、飲みはいたしませんでした。父や母は、昔はこの辺りにも川が流れ、水車や風車もあったなどと申しておりました。きっと今はもっと変わっているのでしょう、訪ねてみたいです)




お読み頂きありがとうございました。

霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。

お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。

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