第七話 セミテリオから犬にも乗って その二十二
(うわぁ。小さいお店だと思ったのに、たぁくさん並んでる。本屋さんとお菓子屋さんとお惣菜屋さんとお薬屋さんが一緒になったみたい。それに、異国のものばっかり)
(えっ、あら、ユリさん、違いましてよ、ほとんど日本のものです)
(でも、ほら、外国語で書いてあるものばっかりです)
(あっ、いえ、でも、日本のものなんですよ)
(仏蘭西語はございませんわ。英語ばっかり。あら、でもこれは仏蘭西語ですわcroissant、パンの本かしら。あらesseというのも、これは何の本かしら難しそう。まぁ、二十五歳というこの本、丁度望さんぐらいかしら。仏蘭西語の本も売られているのですね、今の日本に生きておりましたら、わたくしももう少し気が楽になりましたのに。あの頃は、お友達の間で小説を廻しあって、それでも何度も繰り返して読みましたのに。Madame Bobaryは胸を押さえながら夫に見つからない様に読みました。でも人気でしたわ。そうそうApollinaireでしたっけ。おぞましい詩をお書きになってらしたのは。あら、Les Thibaults、途中まででわたくしこちらの世界に参って、続きはどうなったのかしら)
(カテリーヌさん、ユリにはなんだかちんぷんかんぷんです。カテリーヌさまのお話も、ここにある本も。みんなとってもきれいで大きくて。それに、日本語が逆向きでしょ。左から右に読み辛くて。ジーペジンレオではなくてオレンジページだって折角読めても、何のことか分かりませんもの。このブラクス、いえレタスクラブも何かしら。頁と倶楽部はわかるけど、オレンジやレタスって何かしら)
(ユリさん、オレンジは果物、レタスはお野菜ですわ)
(あっ、新しい果物やお野菜の作り方の本なのですねぇ。雑貨屋さんだと、お百姓さんも買いにいらっしゃるのですね)
(いえ、そうではなくて。お料理や家事の雑誌ですのよ)
(お料理や家事の雑誌をいちいち買われるのですか)
(ええ。女中、いえ、お手伝いさんも今はほとんどいませんし。お料理の作り方やどうやってきれいにするか、どうやって手を抜くかなど。ユリさんの頃はまだ女中がいたでしょう。私の実家にも戦前はいたのですが、戦後結婚してからは一度も。それでも、私の頃は、見よう見まねでできましたものね。今の若い子は、いえ、愛の頃でももう、女の子も短大や大学に行く子が増えてきて、勉強ばかりでしたから、雑誌でも買わないと分からない事が多かったようですよ。その点、望など、中学も高校も、男の子も家庭科を学んでいる世代ですものね。望の婚約者など、望より料理が上手らしいですよ)
(望さんには婚約なさった方がいらっしゃるんですか。いいなぁ。ユリ、お見合いですらまだしたことなかったのに。で、望さんの婚約者の方は料理人なのですか)
(いえ、そうではなくて。望と同じで獣医師なんですよ。でもお料理が上手で)
(獣医師って、動物のお医者さんでしょ。だったら、鶏や豚や牛を切るのもお上手だからかしら)
(いえ、ユリさん、そうではなくて。でも、獣医師だから手先が器用なのかしら。あら、それとも手先が器用だからお医者さんになったのかしら。そういえば、あれ程口の悪かった主人も、手先は器用でしたわ)
(ユリさん、侍の本もございましてよ。まだこの時代にもお侍さまはいらっしゃるのでしょうか)
(えっ、どれ)
(ほら、ここに、ユリさん、これ、サムライって読みますの)
(これがお侍さんですか。先ほど電車でお見かけしたお若い方々と同じようなお服で、それに刀も差してませんし、髷もなくて。あっ、お侍さんのご子孫の読まれる本なのかしら)
(まぁ、こういう雑誌もあるんですね。私も今の若い方々の本はほんと分からなくて。たくさんございますでしょ。売れなくなるとすぐに無くなりますし。あらあらここに留まっておりますと、愛に置いて行かれてセミテリオに戻ってしまいますわ。ちゃんと愛にくっついておりませんと)
(うわぁ、これ、何ですか。茶って書いてあります。お茶がこんなにたくさん、それも葉っぱじゃなくて、それにこんな中に入っていて)
(それ、冷蔵庫になってますのよ)
(こんなに大きいなんてお高いでしょうね。ユリも何度かあちらこちらのお家で目にしましたが、もっと小さかったです。冷やしておけば、宵越しのお茶でも頂けるのかしら。それとも、これ一日で売れちゃうのかしら。凄ぉい。まぁ、おにぎりまで売っているんですか。信じられない。おにぎりなんてご飯があればユリだって作れますのに)
(ユリさんの頃にも、お団子屋さんで海苔巻きは売ってましたでしょ)
(ええ)
(海苔巻きも簡単ですわ。でも中に入れる胡瓜や干瓢がなければ。おにぎりも、中に入れる具の準備が)
(あら、でも、お夕飯や朝ご飯の残りを入れれば)
(朝はパンのお宅が増えてますし。私の所も朝はずっとパンでしたのよ)
(まぁ、女中無しでは、夢さまが朝早く起きられてからパンをお焼きになってらしたのですか)
(いえ、カテリーヌさん、パンは前日に買っておいて)
(まぁ、パンはその日に焼いたものが美味しくて、少し経つと硬くなりますし)
(いえ、食パンはすぐには硬くなりませんもの)
(食パン......)
(これですわ)
(これ、仏蘭西のではなく、英吉利式のですわ。機械でたくさん作る)
(カテリーヌさんのパンはフランスパンってよぶ、こちらのかしら)
(そうそう。こういうのは、前日のはすぐに硬くなって)
(大事なことを思い出しました。ユリさん、これがプリン、こちらがドーナツですよ)
(うわぁ、本当、真ん中に穴が開いてます。穴の分はどうなったのかしら)
(まぁ、わたくし、こちらのお大福やこういう美しいお菓子の方が懐かしくて。練りきり、これこそ日本の美しい美味しいお菓子ですもの。マサさまがいらしたらさぞかし、いえ、彦衛門さまの方かしら)
(私も洋菓子より和菓子の方が好きでした。でも、和菓子屋さんはどんどん減ってしまって。昔はどこにでもございましたのにね)
(ユリは絶対こっち。いえ、お団子もですけど、こっちも。この穴の回りの方を食べたいっ。あらっ、でも餡パンもあります。うわぁ、これも食べたいっ。あら、でも、木村屋さんのじゃないです)
(もう後はレジだけですよ。コンビニ探訪もお終い)
(うわぁ残念です。あっ、彩香ちゃん家のお花屋さんで見たのと似た機械です。算盤の代わりにお金を計算してくれるんですよね。えっ、これ、何ですか)
(あっ、これとても便利みたいですよ。レジ、この機械のことですが、レジの数字を打たなくても、この頭の大きいのを商品に当てると金額を読み取って、後はレジが計算してくれるんです)
(まぁ、算盤も使わず、この機械も使わず、このすりこぎみたいなので計算しちゃうんですか。それって、算数をお勉強しなくても大丈夫なんですか。じゃぁ何のために学校行くのかしら)
(もしかしたらこの読み取り機やレジが壊れた時に算盤も使えない方が手で計算するためかもしれませんわね)
(えええっ、立っちのでお買い物もできるんですか)
(これはsuicaではなくて、QUOカードですわ。これも便利でね、一々お金を払ったりお釣りを受け取ったりしないで済むんですよ)
(ええと、お金じゃないんですね)
(はい。でもお金と同じ)
(へぇ〜)
(あら、カテリーヌさま、ぼんやりなさってらっしゃると、新聞のインキでお召し物が汚れますわ)
(あっ、はい。ユリさま、ありがとうございます)
(だいじょうぶですよ。今の新聞は昔のみたいにインクの汚れはつきませんわ)
(えええっ、そうなんですか。新しい新聞ってちょっと触るとインキが滲んんだり指が汚れるでしょ)
(こちらの世のわたくしの服があちらの世のインキで汚れるのかしら)
(いえ、汚れませんわ。それにあちらの世でも、今のは服は汚れないんですよ。最近の新聞は字も大きくて、隙間も広くて読み易くなりましたしね)
(ほんと。あら、でも、右からじゃないから、読みにくいです)
(カテリーヌさま...えええっ)
(おほほ、いかがかしら。ほら、愛さまに乗せて頂いたのは、夢さまとユリさまとわたくしですから、婦人だけでございましょ。ですから良い機会だと思いましたの。それで、先ほどの大きなご本の表紙の方を真似てみましたのよ)
(えええっ、ずるい。ユリも真似しなくちゃ。どれにしようかなぁ)
(まぁまぁ、まぁお似合いですわ)
(何だかぁ、まぁが沢山あって、あらぁ、ユリ、気になります)
(おほほ、構いませんわよ。あちらの世の方にはご覧になれませんもの)
「ワン、ワンワン」<早く、帰ろうよ>
(マックが騒いでますわ。もう愛が買い物終わったの分かったようです)
(まぁお利口さん)
(夢さま、ありがとうございました。今のあちらの世の雑貨店がどういう所なのか、少し分かりました。真ん中に穴の開いているドーナツもよくわかりました)
(わたくしも、久しぶりに少しばかり仏蘭西語を目にいたしまして、その上、着替えまでできて、本当に感謝いたします)
(いいえ、私は何も感謝されるようなこといたしておりませんわ)
「ワンワンワン」
「マック、うるさいってば」
「もうすぐお家だから。ねぇ、裏道でいいでしょ。どうせマック汚れてるし」
「うん」
「ワン」<やったぁ>
お読み頂きありがとうございました。
霊園セミテリオの気の世界を、お楽しみ頂けましたなら幸いです。
お読みになられたあなたと、書き手の私が共に生きておりましたら、来週水曜日に再会いたしませう。